~はじまりの樹~
「ん……」
目を覚まして体を起こす。キョロキョロとあたりを見渡してみるが昨日と同じように雨は降り続いていて、誰もいなかった。
「あれ?」
誰もいない?
木の陰に隠れているのだろうか、僕は大樹を一回りしてみた。以外にもこの木は横幅も広く一周するのに十分ぐらい掛かっていて疲れだけが溜まる。
そういえば、いつの間に僕は服を着ていたのだろう。確かアルマのマントにくるまっていたはずだったのに。
自分の身長より長いマントはズルズルと引きずられていて、地面に近い部分は既にボロボロだった。
「アルマ…?」
「残念、アルマはもういません」
「へっ?」
不意打ちをくらうように来たものだから条件反射で後ろを振り向くと、そこにいたのは見慣れた女の人だった。
「ミーナ?」
「おはよう、いい夢は見れた?」
ニッコリと手を差し出してくるミーナの手を、僕は自然に握った。
「夢だったのかな?」
ミーナは怪訝そうな表情を浮かべながら、「なにが?」と聞いてきたので、僕は頭を振って言う。
「なんでもないよ」
「ふ~ん? ところで、そのマントはどうしたの?」
「起きたらあった」
「へぇ?」
ミーナはそれっきり、マントについては興味がなくなったようで話を聞いては来なかった。
「まったく、いきなりアインがいなくなるから、この湿原の中ずっと探しちゃったじゃない!」
そうやって言っている割に、ミーナの服が濡れていないことにすごく違和感がある。雨は未だに降っているのに対してミーナの体が濡れていないということは、やはり竜人の力なのか?
「御免なさい…」
「うん、分かれば良し。それじゃあ行きましょう?」
「はじまりの樹に?」
ミーナはニッコリと笑って頷く。
こればかりは譲れないのだろう。はじまりの樹に何があるのかはミーナだけが知っている。僕はただついて行くだけだ。
だから僕は、ミーナの用事が終わったら相談してみようと思う。自分のやりたいことを見つけたと言えば、ミーナは何を言ってくれるのだろうか。
まずは、はじまりの樹での用事を終わらせてからだ。
それまではこのことを話すのを控えて前を進もう。
「それにしても鬱陶しい雨よねぇ」
ミーナは頭を掻きながら、灰色の空を見上げる
「でも、しょうがないんじゃない?」
自然の力には抵抗のしようがない。そう割り切っていた僕だったが、次のミーナの起こした行動で僕は思い知ることとなる。
この世には、自然の力さえも凌駕してしまう絶対的な力がいることを。
ミーナと握っていた手を放され、体の一部のように感じていた野太刀の鞘を抜いた。
「よい!」
ずっと背中に背負っていたひと振りの刀。長さはミーナの身長を軽く超えている。一度だけミーナに触らしてもらったけれど、子供の力では重すぎて振るうだけでも至難の技だった。
ミーナがこの刀を使うところを見るのは初めてだ。
軽々と両手を柄に添え、担ぐように刃がついていない部分を肩に乗せると、大きく息を吸う。
「しょっと!!」
大きく振り下ろされた太刀筋には光の軌跡が跡を残すほどだ。一見、武器を振り下ろしただけの素振りのようにも見える。
しかし、次の瞬間に空を覆っていた灰色の雲が割れた。
「………はっ!?」
「よし、これで濡れないで安心ね」
ミーナは呆けていた僕の手を再び握ると引っ張りながら走り出す。
「どうせこういうのってすぐに無くなっちゃうものだからさっさとここを抜けるわよ」
それはもう走っているとは言えなかった。跳躍、そう表現したほうがしっくりくる。実際僕の足元は宙に浮いていて、この湿原を駆け抜けていた。
これが、竜人の力――世界を滅ぼすことができる力。
僕にもこんなことができてしまうのだろうかと、疑問に思ってしまうほどに竜人の力は凄まじい。
そんな力が怖いと、人としての本能がミーナの力を拒否している。でも、こんな力が無かったら――と、手を取り合って生きることができるのにという、竜人としての血が、訴えかけてくる。
それは、半端な僕だけが感じてしまう感情なのかもしれない。
僕たちは一瞬でレーゲン湿原を抜け出すと、目の前に広がったのはゴツゴツと剥き出しになった岩肌と、一本の大樹だった。
レーゲンにあった大樹なんて可愛いものだと思ってしまうほどの大きさ。視界の半分が埋まってしまう程に横幅は広く、まだ僕たちは遠くにいるのに、このはじまりの樹の高さは太陽にでも届きそうなほどにそびえ立っている。
「あそこはここを守っている湿原だったのかな」
などと、ミーナは呟きながら、一気に、はじまりの樹の根元にまで休憩なしで跳ぶ。
確かにミーナが言っていることも一理あった。
湿原に入る前に見た情景は、終わりが見えないほどに横幅が広かったのだ。もし、あの湿原帯全域が、このはじまりの樹を隠すための自然現象だったのなら、守られていたというのも納得がいく。
そうこうしている間に、いつの間にか僕たちは木の根元にまでやってきていた。体感時間としては十分と掛かっていない。
あの距離と、地形の複雑さを無視しながら走れるミーナの身体能力に驚きだ。
「す…すごい、大きい」
目の前に来ると、木とは言えない代物にしか見えない。例えるなら壁と言ったほうがいい。
「ここに来るのも久しぶりねぇ」
ミーナも呆れ返ったようにはじまりの樹を見上げたあと、辺りを見渡す。
何かを探しているのだろうか?
「あ、あった、あった」
ミーナは見つけ出したようでまっすぐその小屋まで歩を進める。僕がアーク村にいた時と同じようなボロ小屋だった。
「お~い、いるんでしょ。早く出てきなさい」
ドアを開けずに声だけで自分がいることを知らせる。敢えてドアを叩かないのは僕を考慮してのことなのだろうか?
ガチャりと、ドアノブの開く音がするとゆっくりと開かれたドアは古びていて奇怪な音を響かせる。
「まったく、主の声は体に響いて寿命が縮むわい…」
「そんな戯言を言えるのならまだ生きられるわ、爺さん」
くつくつと不気味に笑いながらお爺さんはミーナをじっと見つめる。
ミーナがこちらに振り向き、手招きをしたので近づいてお爺さんと対面をした。
「こんにちは、お爺さん」
挨拶をすると、お爺さんは眉根を寄せる。何かいけない事でもしたのだろうかと、内心焦ってしまう。
「中々しつけがなっているじゃないか? お前の子か?」
「そんな訳ないでしょ。姉さんの子よ」
「ふむ? キーアは…無いな。とすればソーマか。まさかあの娘が子を産むとはな。変わり者もいたもんじゃな」
カッカッカと、聞いているこちらをイラつかせるような笑い声にミーナは目を細める。
「姉さんを悪く言うな。それ以上口を開くと殺すわよ?」
本気の殺気。
こんなものが叩きつけられたら、死を覚悟してもいい。そう思えるほどに本能を刺激するような気配にちょっと、気分が悪くなってきた。
「ふむ、それで、主がここに来たということは何か要件があってのことじゃろう?」
「察しがよくて助かるわ。実はね。この子に竜の卵をあげたいのよ」
「ほう? 竜の卵とな?」
「無い事ないでしょ?」
お爺さんは顎を摩りながらしわくちゃになった瞼の奥に潜んでいる目を僕にむけると。
「くれてもいいが、タダでやるわけにもいかんて…」
ミーナは舌打ちをしながら。
「条件は?」
そうミーナが言ってくる事を待ち望んでいたように口角を釣り上げて口を開いた。
「最近な、この木に竜が住み着いてしまっての。そいつを退治してくれたら、ワシが持っている竜の卵をくれてやる。ちゃんと戦利品は持って帰ってきてだがな?」
だがミーナはその条件を飲もうか飲まないか迷っていた。心配そうに僕を何度か目配せしながら頭を掻いているあたり、気遣っているのだろう。
竜はいらないと、ミーナに断わってしまったけれど、それはつまらない意地だったのかもしれない。
僕は一人で大丈夫だと、そういう意地をミーナに張っていたのかもしれなかった。でも、こうやって一人で行って来いという条件を突きつけられているのに、ミーナには僕を心配してくれている。
つまり、僕はまだ一人で旅立たせるには心配だと、そうミーナは感じているのだろう。
「ミーナ…」
「なに?」
不機嫌そうな顔をしたままで、ミーナは僕を見つめる。そういえばいつもそうだった。ミーナのこういう時の顔って、実はすごく心配しているときの顔なのだと。
「大丈夫だよ。ミーナ」
だけどミーナは僕の言うことを否定するように「でも…」と言う。
「竜を討伐するっていうのがどれくらい難しいのかなんて僕にはわからない。だけど、僕は変わらなきゃいけないって思う」
「アイン………分かったわ」
不服ながらもミーナも了承してくれた。
「でも、これだけは約束して? 危なくなったら逃げてきなさい。良い? 絶対だから」
僕は頷いて肯定すると、ミーナは目の前で剣を作り出した。あまりにも瞬間的だったので何が起こったのか理解できなかったけれど、多分これが魔法というやつだ。
「これなら竜の硬い皮膚でも容易く切れるわ」
手渡された剣は触っただけでも切れそうなほどに光り輝いていた。僕は落とさないようにベルトで固定して背中に背負う。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん、気をつけて」
お爺さんに先導された入口は、まるでトンネルのような大きさだった。これなら竜が紛れ込んでもおかしくないと。そう思った。
「いいか、ちゃんと殺してくるのじゃぞ? ズルをしようとしてもワシには分かるからな?」
「大丈夫だよお爺さん。約束事はちゃんと守りなさいって、ミーナに言われているから」
そして僕は踏み入れる。お爺さんの笑い声を背にして、自分一人の戦いに挑む。
竜がどれくらい大きいのだろうと関係ない。僕は、僕の目的のために、こんなところでは死ねない。
いつか、アルマに出会って、竜の謎を調べるんだ。それが、僕の目的。どれだけ困難な道でも、こんなところで立ち止まってはいけないんだ。
もし、またアルマに会えたらなんて話そうか。そう、考えながら僕ははじまりの樹を登っていった。




