~竜使いの女性~
はぐれてしまったことに気がついたのはつい先ほど。
手元に感じていたミーナの裾が雨によって滑り、自然に手を離していたのだ。
「ミーナ?」
雨によって視界が遮られ、前を見ることができない。うっすらと瞼を開けてはみるものの、目尻に降ってくる雨が痛すぎて二秒と目を開けていられなかった。
五月蝿い雨だなぁ、と考えながらものほほんした気分に浸っていることに自分でも驚く。
さてと、これからどうしたものか………
ミーナがどこにいるのかなんて、この視界の状況では一切把握なんてできないだろうし、散弾のようなこの痛い雨から逃げれそうな場所があるとは思えない。
「ここ、どこだろう?」
前を探りながら歩く。勿論自分の手のひらには触っているという感触はなく、ただ、降ってきている雨の感覚しかない。
体も冷えてきて思考も鈍ってくる。
このまま地べたで横になろうということも考えてきたとき、僕の手を取る感触が伝わった。
「こっちよ」
ボソリと嘆息に吐き捨てるように呟かれた事を疑問に思うよりも前に、僕は先導されるままに走っていた。
まるで、出口があることを知っているようにその手は前を進んでいると、気づいた時には自分の体に雨が当たっていないことに気がついた。
顔に掛かっていた水滴を、ビショビショになっていた服で顔を拭って目を開ける。
「………えっ?」
そこにいたのはミーナではない人だった。
「どうしたの?」
呆気に取られていた僕の顔を覗き込むように女の人は近づいてくる。
手を取ってくれていたのはミーナではなかった事に少しだけ気を落とすが、そんなことをすれば助けてくれたお姉さんに申し訳ない。
「ううん、なんでもないけど…」
ぽたぽたと毛先から落ちてくる雨粒が執拗に顔に降りかかってくるのでぐしぐしともう一度服で拭おうとしたら。
「濡れた服でやっても同じだと思うよ?」
お姉さんはクスリと笑いながらどこから出したのか、乾いた布を僕の頭に被せてくると、ガシガシとちょっと痛いと感じるくらいの強さで髪の毛の水気を吹いてくれる。
アメシストの鉱石のように透明かかった紫色の髪の毛。ヘアバンドみたいなものをしているが、よく見れば生き物の骨のようにも見える頭飾りをつけ、三つ編みが印象的だ。
でも、この人の人生は壮絶だったかもしれない。
なんでだろう、あったこともない人なのにこんなことを思ってしまったのには理由があった。
この人の目がひどく悲しそうだったから。すごく悲惨なモノを見てきたような目をしていたから。
根拠はない。僕の憶測なだけだから本人が否定をすれば違うのだろうけれど、僕は聞く気にはなれなかった。
なんでかって……聞くのが怖かったから。
「かわりの服って無いもんね?」
「え? うん。ないけど」
「う~ん、ズボンも?」
僕は頷いて肯定する。
お姉さんは少しだけ考えると。
「ちょっと待っててね、着るものはないけど羽織るもの持ってくるから」
そう言って、お姉さんは木の陰にその身を隠した。
今思えば外はすごい雨だというのにこの場所はどこも濡れていないことに気がついた。空を見上げると木々が生い茂っているというよりは密集と言ったほうがいいのだろうか?
太陽の光をも遮ってしまっている枝と葉は、天から降り注いでくる雨を物ともしないのも頷けた。そんでもって木の根っこは遠くまで養分でも吸いに行くようにゴツゴツしい見た目で地表にまで飛び出ていた。
ミーナは大丈夫だろうか? そう思い始めていた時にお姉さんの声が降りかかってくる。
「お待たせ、こんなものしか無いけど無いよりはマシでしょ」
持ってきたのは一枚のマント。多分お姉さんの旅用に着衣しているものだろう。
「それじゃあ、はい」
「はい?」
「脱いで?」
ニッコリとお姉さんはバンザイの格好をしているけれど、この人は何をやっているのだろう? それよりも、脱いでって言ったのか今。
「なんで?」
「なんでって、風邪ひくからに決まっているでしょ?」
そう言ってお姉さんは無理やり服とズボンを引っぺがした。
「待った!! 待って!! 本当にストップ!! パンツは自分で脱ぐから!」
「そう? じゃあ、ほら、早く脱いで」
僕は言われるがままにパンツを脱いでお姉さんに渡すと、再びお姉さんは木の陰に消えていった。
逆に何がその先にあるのだろうかと思うが、なんだか怪しいので行くのをやめておこう。触らぬ神に祟りなし。仏ほっとけ、神かまうなだ。
本当にでかいなぁ、この木。実はこれがはじまりの樹と言われても僕は納得してしまいそうな大きさだ。
お姉さんが戻ってくると僕の隣に座る。
「乾くまで二、三時間位だからちょっと話でもしようか?」
断る必要性も無い。それにお姉さんのことが聞けるのなら尚更ちょうどいいと思った。
「そうね、えっと、君は…」
「アイン。名前はアインっていうの」
「アイン?」
お姉さんは少しだけ驚いた様子だった。なんで僕の名前で驚くかは分からなかったけれど、まぁ誰かと勘違いしているのだろうか?
「そっか、アインか。いい名前ね」
お姉さんはそう言ってくれるけれど、僕は素直に頷くことができなかった。親がつけてくれた名前なのだろうけれど、見たこともない親からの授かり物だ。
「そうなの?」
僕は聞き返すとお姉さんは小さく、「うん」と言って語りだす。
「アインって始まりっていう意味なの。貴方のお父さんとお母さんはちゃんと考えて貴方にアインって名づけたんだと思う」
始まりか……なんだか大それた名前のようにも感じたけれど、僕を産んでくれた両親にそんなことを言えば悪い気がしてならない。
「それじゃあ、お姉さんの名前は?」
意味があるのならお姉さんの名前にもなにか意味があるのだろうと思ったので聞いてみる。
「私? 私はアルマ。アルマっていうのは魂っていう意味らしいけれど、なんか大げさよね」
クスリと笑いながらお姉さん――アルマは、自分の名前を気に入っているようだった。
「ねえアイン?」
「なに?」
「そういえば気になったんだけど、なんで貴方はここに来ようと思ったの?」
「なんでって………」
はじまりの樹に行くためと言えばいいのだろうか? だが、あるのかすらわからないのに、このことをアルマに言えば笑われてしまいそうで嫌だった。
「迷子?」
その場の嘘でごまかしてみようと思ったけれど。
「あはは、嘘ならちゃんとした嘘を言わないと」
お腹を抱えてまで面白かったのだろうか。
「だって、こんな馬鹿みたいな湿原に迷い込むなんておかしな話でしょ? あ、でも、迷子っていうのはあっているのかな?」
子供一人でこんな特殊な場所に来るわけがないもの。とアルマはそう言って笑うのを止めた。
「じゃあ、アルマはなんでこんな所にいるのさ?」
「……そうね、自分の目的を果たすために旅をしているの。だから、ここに私がいるのは偶然っていうことになる」
「目的?」
アルマは頷いて話を続ける。
「この世界には竜が人と共存しているでしょ? でもあれって、つい最近の出来事なの。見た感じだとアインはまだ十歳くらいかな? だとするとアインが生まれるより少し前にこの世界は竜と共存するようになってきた。
おかしな話よね、それ以上前は人と竜は相対する関係だったのに人は手の平を返すように竜と生きるようになったの」
「それじゃあ、アルマはそのことを調べようとしているの?」
僕の問いかけを優しく否定し、誰かに自分の声を届かせるように声を響かせる。
「ルナ、おいで」
アルマが木の陰に何度も足を運んでいたので気になってはいたが、その正体は僕達よりも一際大きい竜だった。
「この子はルナ。私の家族」
そう言い終わるとアルマはルナを再び木の陰に潜ませる。
「ねえアイン? 人と竜って言葉は通じる?」
いきなり問われたことに僕の頭の中身は混乱する。簡単に考えれば種族間の違いから言葉や意思疎通は無理だろう。
「通じないのかな?」
「そう、当たり」
アルマは遠く約束したときのことを思い出すように視線を湿原の方へ向ける。
「昔から竜って、私たち人間と生きようとしていたの。でも、人は竜の強大過ぎる力に恐れて退けていた
今は一緒に生きることが出来るくらいに心を開いているけれど、それじゃあ竜ってさ、何を考えているんだと思う? 何を私たちに求めているんだと思う? そもそも竜ってなんだろう、竜はどこから来たんだろうって疑問に思ったことはない?」
アルマの言葉は段々と強みを増していき、竜についての疑問を調べる学者のように興奮していた。
「僕は………」
自分の周りには何もいない、アルマが追い求めている竜の姿すら自分にはいない。
「わからないよ。竜を見たことはあるけど、自分にはその家族と呼べる竜がいないから」
「じゃあさ?」
ふんわりとアルマの腕が僕を包んでいた。
「もしアインが…いつか竜と一緒に旅をすることになったら、私と竜のことについて調べない?」
それは、アルマからの誘いだった。やることを見つけられない僕に目的を与えてくれているのだと。
「ねえアルマ?」
「なに?」
「なんで、そこまでしてくれるの? 今日あったばかりの知らない人なのに、なんでアルマは僕を気にかけてくれるの?」
「それは………」
僕からではアルマの表情を確認することは出来ない。だから、今アルマがどんな表情をしているのか分からない。けれど、抱きしめてくれているアルマの腕は少しだけ震えていた。
「あ…れ…?」
急激に目の前が真っ白に染め上がる。そういえば頭もぼーっとしてきた。身体が鉛のように重くなっていくのがわかる。
あの掘っ立て小屋の時によく陥っていた症状だ。
力なくアルマの身体に自分の身を委ねるとアルマも何かあったのかと聞いてきた。
「どうしたのアイン?」
「あ、うん。ちょっと」
しどろもどろに答えているとアルマは額に手を宛てがい、首筋にも手を宛てがって調べる。
「すごい熱。やっぱり風邪引いたのね」
長時間この冷たい雨に晒されていたせいだろうか、僕の体はレーゲンの雨に適応できず、体を壊してしまったということだ。
でも、こういうのは慣れっこだった。
一人で雪の降っている小屋の中を布切れ一枚で耐えてきたのだから、これくらいのことは、どうということもない。
「大丈夫だよアルマ。これくらい平気だもん」
起き上がろうとしたが、それを見かねたアルマは、押さえ込もうと抱きしめていた力を強めた。
「大丈夫じゃないよ。病人は病人らしく、ちゃんと寝ていなさい」
僕はアルマの胸の中に顔を埋めるような体勢になり、頭を優しく撫で回す。それはまるで、泣き止まない赤子を慣れない手つきであやすお姉さんのようだった。
なんだかいい匂いだ。街にいた時は道行く人はほとんどと言っていいほど、臭いのキツイ香水を振りまいていて、自然な女性の匂いというものを打ち消していた。
だからと言って、触れ合った女性というのもミーナくらいしかおらず、他の女性にこうして温もりを感じるほどに接近はしていなかった。
「うん」
ミーナと同じだなって思った。こういう人って、何を言っても聞かないタイプだと、率直に感じた僕は、逆らうのをやめてアルマの腰に腕を回す。
服越しからなのに、アルマの体は氷のように冷たくて、熱を発していた僕にとってはちょうどいい冷たさだ。
額に触れたアルマの手のひらも同じように氷のようにひんやりとしていて、徐々に睡魔も襲って来る。
意識が途切れるさなか、アルマの呟くような声は、聞こえるか聞こえないかの瀬戸際だった。けれど、その言葉は、僕のやるべきことを後押ししてくれているようにも思えた。
――――アインはお姉ちゃんが守ってあげる。




