レーゲン湿原
だいぶ話が長くなっちゃったけれど、この街に滞在している間にアインは竜人として覚醒したということなのだった。今のところは私たちには驚異はないけれど、いつかは白竜としてのアインが私たちの前に現れなければいいのだけれど。
「でもミーナ? 次に行くところって決まってるの?」
「うん、これからはじまりの樹に行く」
アインはその場所すら聞いたこともないような顔で首を倒す。
はじまりの樹を知らないのは当たり前だろう。記述にすら残っていない謎の大樹。天空にまで伸びているその大樹の根によって世界が支えられていると言えば、信じてしまいそうにはじまりの樹は大きい。
学者がいれば絶対に研究対象として念頭に置かれるのに、なぜ年数が千年も経過しているのに未だに記述として残されていないかというと、どこに存在しているか定かではないからだ。
本当にそのような大樹が存在しているのか? なんで馬鹿でかい大樹が見つからないのか? そもそもなんではじまりの樹という単語を知っているのか。という話から議論は始まる。
始めの方ではじまりの樹について簡単に話したかもしれないけれど、この世界は三回寄生竜によって無秩序に変革されそうになった。
三回といっても、実際に世界が終わったのは一番始めに出現した時だけだ。後の二回は私たちとお義兄さんのおかげで変革は無かった事になっている。
これもはじめの方に話したけれど、一回目の時に寄生竜の終焉の果実は地上に落ちた。猿だった人たちは変革の際に知識と、はじまりの樹の不確かな存在を植えつけられて人になった。
だから噂話や、在り処を知らないのにその名前を知っているということが後を絶たない。
それだったら、なんでアインは知らないのだろうかという疑問が私の中に生まれる。
あれだろうか? 人と竜人の子供だからとか?
まぁ、気にする必用はないのでこの議論に関しては自分の中で考えることをやめた。
「そこに行ってどうするの?」
「貴方に竜をあげるの」
そう言った私の言葉を反復するようにボソリと呟く。
「竜? なんで竜なんかいるの?」
「いらないの?」
「いらないよ」
アインは冷たく促す。
これまで歩いてきた街の様子を思い出してはみるが、周りの人間には竜がつきまとっている。それはもう家族のようにだ。アインくらいの同じ年齢の子が竜を連れて外を出歩いて、通りすがるたびにアインは物欲しそうな顔をしていたことに気づいていないのだろうか?
歪んた環境にいると性格も歪んでしまうのだろうか?
「まぁ、それでも行かなきゃいけないんだけどね」
私はそれだけ言うとお互いの会話は、ある場所にまで到着するまで一切喋ることをしなかった。
「ここを抜けるとはじまりの樹に着くんだけど…」
目の前に広がる情景を眺めながら心底自然の脅威に目を見張った。
“レーゲン湿原”
雨の湿原と呼ばれるここは、その名の通り晴れることのない湿原だ。
私も初めて見るけれど、ここを抜けるのは一苦労だと思う。
「他の道からは行けないの?」
アインもただ事ではないと自然の猛威を肌で感じたのだろう。
「残念ながらここ以外、ていうかここからじゃないとはじまりの樹に行けないのよね」
笑って誤魔化しながらアインの手を強く握る。
「いい? 絶対に私から手を離したらダメよ? ここ、広いからはぐれると死ぬかも」
「わかった」
ぎゅっと、アインも私の手を握り返してくれたのを確認して、レーゲン湿原に私たちは入った。
雨が痛い。傘でもあればバラバラとやかましい音色を奏でてくれるに違いないと能天気なことを思いつつ湿原を歩く。
正直言うと、目を開けることができない。少しでも目を開ければ忽ち雨の弾丸によって両目を潰される。ただでさえ体に降りかかる雨が、極粒の石ころを当てられた時と似ているものだから地味に痛い。
こんな所に雨宿りができるような部分があるのだろうか? そう思える程にレーゲンの雨は強い。
私も長年色々な所を渡り歩いてきたけれど、こんな荒々しい自然現象を直に味わったのは初めてで、尚且つ面白いと思えてきた。
まだ、私の知らないところが合ったなんて。そういう感情が芽生えてきて、まだまだ世界を制覇していないんだなと改まって気づかされる。
「あは、面白いね、ねえアイン?」
「えっ!? なんだって? 聞こえないよ!」
「なんでもな~いよ」
一人で大はしゃぎする私に、必死にはぐれまいと手ではなく私の服にしがみつくアイン。
やはり子供の体ではここの気候は苦しいのかもしれない。
でも、私がいなくなってからこの子が何も出来ないままでいるのは駄目だ。私は親ではないけれど、親離れをする時期も刻々と近づいている。
でも、一人が辛いのは私も――それに、この子自身分かっているはずだ。
だからこそ、私ははじまりの樹に行って、竜の子供をアインに託さなければいけないのだ。
独り身でいることの辛さを和らげてくれる相棒が必要なのだ。アイン自身は気づいていないけれど、友人を持たないこの子には何よりも話し相手が必要だからだ。
竜を手に入れたら私はアインと別れるつもりでいる。年が離れすぎているとどうしても気後れをしてしまうだろう。
だったら私は潔く身を引いて、後の人生はすべてアインが決めなければいけないのだ。
そのために私は、一つアインに聞かなければいけない。
――アインの目的は何かある? って
ふと、服に掛かっていた力がない事に気付く。
「あれ? アイン?」
私は背後を振り向くと、忽然とアインの姿は雨に紛れて消えてしまっていた。
「やっば、はぐれちゃった」




