覚醒
目を覚ますと、見知らぬ部屋の天井が飛び込んできた。
「……あ…れ…?」
体を起こし、霞んでよく見られない風景を治そうと目を擦ろうとした時だ。腕を顔の前にまで持っていこうとしたのに、見えない力によってそれは停止させられた。
逆にその振動によって目が覚めてしまう。
「なに…これ…」
ベッドの四方からくくりつけられてあるロープは一定の長さで保たれていて、ベッドの中心以外は出られることができなかった。動こうにも三十センチ程度しか動けないので、やはり逃げることは出来ない。
どうしてこんな所に?
縛られている恐怖を出来るだけ隅へと追いやり、記憶のサルベージに取り掛かる。
確か僕は…。
そう、お店で働いていたはずだった。居眠りをするほどまで働いていた訳でもないし、そんなにきつい仕事でもないはずだ。なのに、なんでこんな部屋に僕はこうして縛られているのだろうか?
カチカチと秒刻みに時間を知らせる時計があることに気づき、時間を調べる。あと数分で今日という日は消え去り、新しい日付が始まる時間だ。
「ミーナに、怒られちゃうなぁ…」
誘拐されている身分だというのに、どうしてこんなにも冷静でいられるのだろうか。自分でもそれは不思議で、すごくおかしい気分に感じる。
仰向けからうつ伏せになれるロープの長さ。半回転しか体を動かすことしかできないので二回も三回も体を動かしていると腕や足にひどい痛みが入る。大体今でもこの縛られているロープの痛さといったら、擦れて痛いと言えよう。
もう一度時計を見やると新しい日が始まったと同時だった。
ドアノブの開く音が室内に響き渡る。ドアを開けたのは勿論僕ではない。入ってきたのはこの部屋の主人というわけになる。
「おや?もう起きていたのか?」
シャワーでも浴びていたのだろうか? 体の節々からは湯気が立ち上っており、男の格好は腰に付けてあるバスローブだけだ。
男は残念と心からそう思うような表情を浮かべたあと、ベッドの手前にある椅子に座り、もとから用意されていた一式揃っている酒瓶とグラスと氷。
湯上りの一杯は格別だと言わんばかりの甲高い声をあげて僕に話しかけてきた。
「おはようアイン、よく眠れたかな?」
そう言って男は二杯目の酒をグラスに注ぎこちらに近寄ってくる。
「はい、よく眠られました、そしてご主人様?一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「一つだけな?」
グラスの中身をゆらゆらと回しながら男は酒越しに僕を覗いてそう言う。僕は分かりきっている内容を敢えて聞いてみた。
「僕をどうする気?」
男は含むような笑い声を上げてベッドに乗り上げると。
「決まっているだろ?」
男は――エドモンドは淡々と言う。
そして、まだ仕事着だった僕の服に手を伸ばして、縦に服を引き裂いた。
「アインよ、俺はお前を一目見た時から好きになってしまってな?ほかの奴らに取られる前に俺はお前を持ち帰りたくてな?」
エドモンドはベッドから下りて、氷バケツに入っていた酒瓶を手に持ってきて、コルクの蓋を開ける。
「お前を味わいたいんだ!!」
エドモンドは頭の上から酒瓶をひっくり返して僕の体に振りまいた。アルコールなもんだから臭気が目に痛い。飲み物としての液は、傷口には毒となってへばりつく。
「っ痛!」
焼けるような痛みが節々と騒ぎ出す。上半身は既に一糸まとわぬ姿となりはて、エドモンドは悪魔のような顔で手に持っていた酒瓶をベッドの脇に置いた。
「お~……胸がないのは分かっていたが、いい体つきだ」
「――あ」
エドモンドの体が膝の部分を動かせないように自分のと一緒に絡めとり、僕の体は完全に動けない状態となる。必死に抵抗しようと腕を、身体を捩らせるが、ベッドから伸びる紐が“抵抗をしても無駄だ”とエドモンドの意思が伝わるように上半身も動かせないでいた。
押し倒された僕は両手をエドモンドに拘束され、絶対に逃げ出せない状態となった。
男の顔が息のかかるくらいにまで近くなる。
耳元では淫らな音がわざとらしく聴かせるように鳴らしていた。首筋に感じる嫌悪感が身体を支配する。体が小刻みに震えるが、それをエドモンドは恐怖していることだとわかり、声を漏らす。
「大丈夫だよ、怖くなんてないからさ」
優しく話しかけ、男の顔は徐々に首筋から下へと下がっていく。かかっていた酒の味を楽しむように何度も何度も執拗に体を丹念に舐め回す。
男の手が下半身にまで伸ばされ、衣服の間から濡れているのかを確かめようとしたのだろう。本来あるはずのないものがあるとわかった時に顔を驚愕の色に染め上がった。
「なっ?!お前……男だったのか」
何かを言わなければと思っていたが、正直どうでもよくなっていた。男の言葉に返答するのも面倒と思ったからだ。
「……まぁいい」
エドモンドはそう言って何事も無かったかのように行為を再開する。むしろ女の子を相手にする以上に興奮した様子でだ。
―――もう限界だった。
忘れ去りたかった過去がこんなところで繰り返されるなんて思ってもみなかった。
なんでこんなことになるんだろう。
どうして大人たちはこんなにも理不尽なんだろう。
目を閉ざせば楽になれるのだろうか? 現実を見なければ時間が解決してくれるだろうか?
―――ああ、これは夢なんだ。夢にしてしまおう。
一定のリズムで揺れる体の意識をすべてカット。何も感じなくなった体はただ虚無感しか無くて、もう一度眠れることはそれほど難しいことではなかった。
急に静かになったので男――エドモンドは快楽という意識から現実へと戻した。寝ているのだろうか? そう思っても別におかしくない。嫌がっていたアインの両腕からは力が無くなり、その身を捧げるように脱力していた。
話しかけようとしたが面倒だと思ったエドモンドは、寝ていると思われるアインの首を絞める。
こうすれば寝ていたとしても脳に血液が循環せず、苦しんで起きるだろうと確信を持てないことの癖にそれをやる。
「んっ?」
エドモンドは不思議な現象を目の当たりにしたようにその目を疑う。
アインの頭髪が根元から徐々に脱色されるように真っ白になっていくのだ。シーツよりも鮮やかで、どことなく寒気がするほどに透明だった。
薄らと開かれた両目は周りの情景を確認するようにゆっくりと見渡している。先ほどの青い目ではない。真っ赤に染め上がっている双眸はまるで血を連想させた。
「………」
アインは自分の首に手をかけられていることを確認し、虫でも払いのけるようにその手を薙いだ。
「ぐおっ!!?」
ベッドからはじき出されたエドモンドは部屋の壁に激突する。背中にかかった衝撃が強かったのか立ち上がった体はフラフラと足がおぼつかなかった。
縛っていたはずのロープは簡単に引きちぎられ、アインはこちらを見つめるとにやりと笑う。獲物でも見つけたようにその笑顔は猟奇的な笑みでこちらの臓腑を縮み上がらせるほどだ。
「男なんか襲って楽しいのか?」
声は先ほどの少年と同じだ。だが、根本的から塗り替えるように発せられたその言葉は、まるで違う何かが乗り移ったかのようにも思える。
ベッドから軽やかに降りたアインはエドモンドへと近づき、いきり立っている股間の中心のモノを握る。
「ったく、こんなもん入れやがって。まだ感覚があって気持ち悪いんだけど。まあ、コレいらねえよな?」
「はっ?」
素っ頓狂な声をエドモンドが上げた瞬間だ。アインの指がまだ立っているエドモンド自信を切り裂いたのだ。
「あっっがぁ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?」
空気を叩くような絶叫が部屋の中を響き渡る。
「が――ぐむっ!?」
悲鳴の途中で口を押さえつけられ痛みを和らげることもできない。エドモンドからは鼻水や涙、ヨダレがだらしなく流れていた。
「しー……近所迷惑だろ?」
万力のように顎をアインは指で締め上げて骨を外す。だらりと垂れ下がるようにエドモンドの顎がぶら下がり、必死で直そうと手で押さえる。
「はごっ……はごがぁ!!?」
恐怖。エドモンドの心境は一色で染め上がり、目の前にいる男の子を見上げることしか出来なかった。
アインは楽しそうに苦しんでいるエドモンドをしゃがんみこんでその光景を眺めている。
「なあ、今何を考えてる?痛いのか?それとも怖いのか?俺が憎いか?それで、何も出来ない自分が悔しくて悔しくてたまらない?俺は知りたいんだ………死に際に立った人間はどんなことを考えるのかってさぁ? 教えてくれよ?」
エドモンドはよろよろと起き上がり、武器を探す。勿論アインはそれをわざと見逃して待ってあげている。
“教えて欲しい”その言葉は、無知の子供が情報として欲する物欲に駆られた時と同じ現象。何も知らない世界を教えて欲しい。もっと知りたい。そして、人間はどうやって生きるのかと。ただ欲するままにアインは笑う。
机の上に乱雑に置かれていたアイスピックを手にとったエドモンドは一瞬だけ歓喜に満ち足りた。
これならいけるのではないのか?これなら殺せるはずだと、エドモンドはアイスピックの先をアインに差し向ける。
「うがぁぁああああああ!!」
アインは避けない。避ける必要がないと分かっているからだ。
体ごと叩きつけるようにエドモンドはアインの首の真ん中、咽頭目掛けて躊躇いもなく叩き込んだ。大人と子供の体格差でそのままベッドに倒されてしまったアインの身体を、好機とばかりにエドモンドは両足で拘束する。
「死ねぇ!!死ねっ!!化け物がっ!!消え失せろぉぉぉぉぉ!!!」
何度も何度も先端の尖った針が身体を、頭蓋を貫いていく。
白かったベッドのシーツは、ペンキでもばら撒いたのかと錯覚するほどにアインの血で染め上げられる。
エドモンドの荒い息だけが部屋の中を埋め尽くし、自分の心臓の音が耳元で騒ぎ立てていた。
これだけやれば死んだ筈だと、エドモンドはそう確信する。呼吸を整えてアインの身体から離れようとした時だ。
「それで……終わり?」
「はっ?」
エドモンドは死んだと思われていたアインに目を見やる。しかし、次の瞬間にはエドモンドの世界は暗転していた。
アインの腕はエドモンドの硬い腹筋を容易く貫き、腕が鋭利な刃物で出来ているのかと思わせる程の滑らかさでエドモンドの身体を頭のてっぺんまで切り裂いた。
双葉の植物みたいに裂かれた身体からはスプリンクラーのように勢い良く赤黒い血液が部屋の中を飛び回る。
「ありがとよ、面白かったぜおっさん。勉強になった……」
ひどい姿となっているエドモンドに感謝をしたアインは自分の手を何度も開いたり閉じたりする。
「しっかし…酷いもんだな。こんなにも弱いのか俺って?」
大人一人を容易く殺しておいて怪訝な顔を浮かべるアインはこれからどうしたものかと考える。
元の人格は眠ったままだし、話し合うことすらできない。そもそも自分の中に感じる遺伝子の情報がアインの気分を一つだけ害した。
「なんだ…混じりものかよこの身体。にしても珍しいな。竜人と人間の混血だなんて。誰だ?」
自分自身は純粋でありたいとそう願っている白髪のアインは人間の血を嫌っていた。だが逆に面白いとも思っていた。
誰が人間と混じり合ったのだろうか? 誰が俺の言葉を無視したのか? 我が妹ながらにやるじゃないかと二度三度か頷いて笑う。
「それにしても、腹が減った……」
ちらりと先ほど殺した男を眺めて血だまりに手を入れ、すくい上げた。
手のひらにはすすげる程に溜まっている血。アインは喉を潤そうとして、手を口にまで運ぼうとした時だった。
「ダメよアイン、そんな下種な血を飲んだら」
どこから湧いて出てきたかと思えるほどに自分の手を止めた女をアインは凝視する。止められた反動ですくい上げていた血は床にばらまかれ、残ったのはほんの少しだけの血の量だ。
「…誰だお前。喉が渇いてるんだ、好きにさせろよ」
しゃぶろうと腕に力を込めるが、女もそうはさせないと自分以上に力を入れて止めさせる。それほどまでしてこの女は俺に血を飲ませようとしないのか。
女は軽蔑するような目で俺を見ながら口を開く。
「ダメといったらダメ。血を吸うのは愛した人だけにしなさい。だから、そんな男の血を取り込むのはダメ」
アインは女の言葉を聞いて血を舐めるのをやめた。だが代わりに違うモノを見つけたように、欲情に駆られた表情と食事を邪魔された事で女への殺意を込めて呟く。
「ふ~ん?それじゃあ、あんたが俺の欲求を満たしてくれるの?」
アインはてっきり女は怯んで逃げると思っていた。だから逃げ出した瞬間にアインは女を殺してやろうと準備をしていたのだが、女が発したのは肯定の意だった。
「良いわよ?ただし…」
ワンテンポ置いてからの間にアインは女の身体から伸ばされてきた蛇を払いのけることもできずに全身を拘束されて床に転がる。
「っぐ!?」
引き離そうにも何重にも巻かれた拘束具はちょっとやそっとじゃビクともしない。アインは抵抗するのを諦めて素直に静かにすることにした。
女はアインを担ぎ上げてニコリと笑って言い放つ。
「私たちの部屋でね?」




