小説家のおじさんと、夢みがちな小学生
小学生の頃の私は、右も左もわからなくって、現実の厳しさなんて全く知らなくて、大人になれば自然と夢が叶うって思っていた。
無邪気に生きていたあの頃は、どんな困難にだって立ち向かっていったのに、大人になるとどうやって楽をするかってことばかり考えている。自信満々に夢を語っていた子供時代。今ではそんな事口にも出せない。多くの人は、そういうことを成長って呼ぶのだろうけど、なんとなくだけどそれは退化してるんだって思う。
確かその頃の私は、小説家を目指していたんだっけ。今ではそんな夢口にも出せないけど、あの頃はなんでも出来るって思っていたから、運動が大好きで椅子に座ってることが大嫌いだった私なのに、そんなことを自信満々に言ってたっけ。
なんでそんな夢を抱いてたかって言うと、近所に住むおじさんが小説家だったからだ。とても優しいおじさんだった。私が小説家になりたいって言うと、いつも反対してた。こんなお仕事じゃあ食べていけないからって。おじさんが、私のことを心配して行ってくれてるってわかってたけど、いつもそんなんじゃやだって反抗してた。
でもある時、子供心に疑問を持ってあることを聞いた。
「じゃあ、どうしておじさんは小説家になったの?」って
これはその時のお話。別に大事件が起きるわけでもないし、壮大な喜劇や悲劇があるわけでもない。これは思い出のページ。誰にでもある経験したことがある1ページだ。
「私はね、神様なんだ。」
どうして小説家になったのかって聞いたとき、おじさんはそんなことを言った。
普通なら笑ってしまうところだけど、おじさんの顔はとても真剣で、そんなこととてもじゃないけど出来なかった。
「神様?」
なんて言えばいいか分からず。そう呟いた。
「そう神様だ。私はね、文字で世界を作っているんだ。それは悲しい世界だったり、綺麗な世界だったり、幸せな世界だったり、いろいろな世界だ。」
多くの作家たちが、いいそうな台詞だったけど、おじさんの言ってる言葉は全部心からのものだった。どうしてかなんて言えないけど、とても自信満々に子供のように無邪気な声で言っていて、嘘を言ってるようではなかったからだ。そもそも嘘を付く必要なんて何もないか・・・
「なんかそれって難しそう」
子供の私は、世界を作るなんて言われて、素直にそう思った。
でもおじさんはこう答えた。
「いや、難しいことなんかじゃない。みんなが楽しめる小説を書くのとか、売れる作品を書くのとかは難しいけどさ、世界を・・・小説を作るってことだけはとても簡単なんだ。」
「む~それって結局、難しいんじゃん。」
おじさんの言ってる意味が、まったく理解出来ず私はそう答えた。
実際、一冊分の小説の文章を書くことは難しい。物語が面白いとかつまらないとかいう問題なんかではなくだ。だけどおじさんの言いたいことは、そういう意味なんかじゃなかった。
「ん~じゃあさ、例えば誰かが死んだりしたらとっても悲しいよね。」
「うん、とっても悲しい。」
「例えば、お父さんやお母さんが、病気になったりしたら嫌だよね。辛いよね。」
「うん、辛い。」
書いてて、小学生に言うようなことじゃないなとか思ったりしたけど、おじさんはとってもいい人です。これじゃあ凄く正確の悪い人みたい。
こんな苛烈な質問には、もちろん意味がある。
「じゃあそういうのを書けば、悲しい物語は書けるよね。」
「ん~そうかな~」
「じゃあ漫画で例えてみよう。例えば、主人公がヒロインと共にいろんな問題を解決していき、二人が結ばれればラブストーリーになるし、その二人が何か大きな出来事で別れなくっちゃ行けなくなったら、悲しい物語になる。」
「悲しい物語が多過ぎ!」
悲しい物語の話ばっかりでそう、文句を言うと、やっちゃったなぁって顔で謝りながら、お話の続きを始めた。
「いや、ごめんごめん。じゃあさ、その別れた二人が困難を乗り越えてハッピーエンドになれば、それは感動するお話だよね。」
「うん」
「ほら、簡単じゃないか。売れてる作品なんかも、こういう簡単な法則が中心にあるんだ。」
つまりは王道というものだ。戦闘物の王道は、より強い敵が現れて鍛えて倒すの繰り返しだし、恋愛ものの王道は、幼馴染同士がいろんな事件を解決して付き合うとかだ。
全ての作品の根幹には、こういう王道が隠れている。もちろん世の中には邪道な作品だってある。だが、よく考えてみると、鬱作品鬱作品と言われているものの大半は、王道の結末を悲劇に変えただけだし、ただバッドエンドってだけだったりする。
「じゃあ、小説家になるのってすごく簡単なんだね。」
そう言うと、今度は否定してきた。
「いや、とっても難しいよ。いいかい、売れている小説家っていうのが書く作品はね、どこにでもあるような悲劇や喜劇じゃダメなんだ。」
「でもさっきは・・・」
「私たちはプロなんだから、誰でも書けるような作品を書いてはいけないだろ?」
どこにでもあるような悲劇や喜劇、例えバッドエンドでも薄っぺらい悲劇、中身のない感動。素人の書く作品の大半は、そういうものばかりだ。
行き当たりばったり書かれても、それは中身のない作品と同じ。プロの書いていい作品じゃあない。
「つまりね、私たちはありきたりな感動を書くんじゃあない。悲劇を書くのなら、より悲惨に、そしてより自然に書かなければならない。ご都合主義に守られているとおもわせてはいけないんだ。悲劇をかくのなら、ありえそうな形で書かなければいけない。」
あいかわらず悲劇に関しては、特に熱心だ・・・
「そして喜劇を書くにしたってそう。素晴らしい作品っていうのはね、その人間がどれだけ苦しい道を歩いてきたとしても、誇れるような立派な道を歩いていると見せなければいけない。感動だって、理屈が通っていて、尚且つ”奇跡”が起きることで感動するんだ。」
「まあ、そういうのがまったくなくって、勢いだけの作品も、漫画じゃあありなんだけどね」と付け加えながら、そう言った。
どうやらこれ以上、思い出話は書けそうにない。涙で前が見えないから。そろそろお別れの時間のようだ。最後の挨拶をしに行こう。そして帰ってきて、もう一度思い出したらこの続きを話そうと思う。