境界の街
水車村を出発してから、三日。
雰囲気が変わり始めていた。
風が冷たい。
空も低い。
どこか張り詰めたような気配が、街道全体へ漂っている。
レイシス王国辺境域。
もう、ほとんど国内と言っていい場所まで来ていた。
街道脇には古い石柱が並んでいる。
獣王紋。
かつてレイシス王国が領土境界へ建てた標識だった。
今は半分以上が風化している。
それでも。
ミーコ達は足を止めた。
『……まだ残ってた』
ミーコが静かに石柱へ触れる。
タマも、少しだけ表情を変えていた。
「懐かしいな……」
ユキは小さく石柱を見上げる。
「……帰ってきた感じする」
幼い頃。
三人でこの街道を走り回った記憶が、ぼんやり蘇る。
王城を抜け出して怒られたこと。
街道商人から果物を貰ったこと。
雨宿りした小屋。
全部、遠い昔みたいだった。
フィルニアは周囲を見回した。
「なんか雰囲気違うな」
シェリスが頷く。
「王国境界圏ですから」
「昔から独特なんです」
トシオは周囲を見ていた。
森。
湿地。
古い街道。
確かに雰囲気が違う。
グランディルの山岳地帯とも違う。
アルネシアの空気とも違う。
湿った土と草の匂い。
そして。
妙に静かだった。
ミツコが小さく呟く。
「鳥の声、少ないねぇ」
シェリスが視線を上げる。
「最近は境界異常の影響で、生態系も乱れています」
フィルニアが嫌そうな顔をした。
「またその話かぁ」
「本当にどこでも起きてんだな」
ミーコの耳が小さく動く。
『昔はこんなんじゃなかった』
その声は、少し寂しそうだった。
タマが空を見上げる。
「レイシスってもっと賑やかだったよな」
『えぇ』
『街道も、もっと人が多かった』
ユキも静かに頷く。
「……夜でも灯り多かった」
三人とも、同じ景色を覚えている。
だからこそ。
今の静けさが余計に重かった。
その時だった。
街道の先に、高い外壁が見えてくる。
都市だ。
かなり大きい。
灰白色の石壁。
獣人様式の見張り塔。
巨大門。
だが。
その雰囲気は明るくない。
門前には長い入場列が出来ていた。
検査も厳重。
兵士の数も多い。
フィルニアが顔をしかめる。
「うわぁ……」
「めんどくさそう」
シェリスが答える。
「境界都市グレイヴェルです」
「レイシス西部最大の流通都市ですね」
タマが目を細めた。
「……昔より兵多くね?」
『多いわね』
ミーコも気付いていた。
普通じゃない。
明らかに警戒態勢だった。
荷車が列へ並ぶ。
周囲には色んな種族がいた。
商人。
傭兵。
旅人。
避難民らしき者達までいる。
雰囲気が重い。
その時。
近くの荷車から声が聞こえてくる。
「また入場制限かよ……」
「昨日も揉めたらしいぞ」
「王都の命令だってさ」
タマが小さく舌打ちする。
「嫌な感じだな」
ユキは少し不安そうだった。
「……大丈夫かな」
ミツコが優しく頭を撫でる。
「大丈夫だよぉ」
「慌てなくていいからねぇ」
ユキが少しだけ落ち着く。
その時。
門上から怒鳴り声が響いた。
「次の列進め!!」
兵士達が慌ただしく動いている。
どうやら内部でも何かあったらしい。
フィルニアがぼそっと言った。
「この国、いつも忙しそうだな」
『昔はもう少し平和だったわよ』
ミーコが懐かしそうに呟く。
すると。
タマがじーっとミーコを見る。
「……お前が言う?」
『何よその顔』
「いや、昔しょっちゅう城抜け出して騒ぎ起こしてたじゃん」
『ちょっと探検してただけよ』
「王城の厨房爆発しかけたの誰だよ」
『あれは事故』
「説得力ねぇ……」
ユキがぽつり。
「……怒られて泣いてた」
『ユキ!?』
フィルニアが吹き出した。
「ははっ!!」
「ミーコやらかし系だったのか!!」
『違うわよ!!』
「いや絶対違わねぇだろ!」
少しだけ笑いが起きる。
その空気を見ながら、シェリスが静かに言う。
「今の内に確認しておきます」
「グレイヴェルへ入った後ですが」
「当面、王族関係は伏せます」
空気が変わる。
ミーコも真顔になった。
『えぇ』
タマも頷く。
「下手に動けねぇしな」
ユキも静かだった。
三人とも分かっている。
今のレイシスは危険だ。
昔みたいに、ただ帰って歓迎される状況ではない。
シェリスは続ける。
「現在のレイシスは勢力が複雑です」
「王族派」
「西部貴族派」
「独立派」
「更に侵食問題まで絡んでいる」
「誰が味方か分からない状況です」
フィルニアが腕を組む。
「めんどくせぇ国だなぁ」
『否定できない』
ミーコが遠い目をした。
やがて。
列が進み始める。
巨大門が少しずつ近付いてくる。
その時だった。
トシオがふと視線を動かす。
「……ん?」
路地裏。
外壁近く。
数人の獣人達が、避難民へ炊き出しを行っていた。
炊き出し鍋。
配給パン。
痩せた子供達。
ミツコも気付く。
「……避難民かい」
シェリスが静かに頷いた。
「侵食被害地域から流れてきた人達です」
タマの表情が曇る。
「こんな辺境まで来てんのか」
ミーコは静かに子供達を見ていた。
痩せている。
疲れている。
怯えている。
昔の自分達を思い出した。
現世へ飛ばされた頃。
何も分からず、不安だった日々。
その時。
小さな猫獣人の子供が転ぶ。
「あっ……」
抱えていたパンが泥へ落ちた。
子供の顔が青くなる。
配給だったのだろう。
周囲の大人達も困った顔をしていた。
その瞬間。
ミツコがスッと荷車から降りる。
「ばーちゃん?」
タマが聞き返す。
ミツコは買い物籠を開いた。
中から、焼きたて黒パンが現れる。
しかも大量。
フィルニアが目を見開く。
「まだ入ってたのかそれ!?」
「便利だねぇ」
ミツコは普通に子供へパンを渡した。
「はい、どうぞ」
子供が固まる。
「……いいの?」
「もちろん」
ミツコは柔らかく笑った。
「いっぱい食べな」
その空気が、少し広がる。
避難民達がざわつき始めた。
シェリスが小さく息を吐く。
「……やはり」
『何?』
「この人達、本当に隠密行動向いてません」
ミーコが頭を抱えた。
『分かる』
トシオは既に別方向へ動いていた。
炊き出し用の水樽を持ち上げている。
「これどこ運ぶ」
「え、あ、そっちです!」
当たり前のように混ざっていた。
タマが苦笑する。
「じーちゃん達、こういうとこなんだよなぁ……」
フィルニアも笑う。
「だから人寄ってくんだろうな」
避難民の子供達が、少しずつ笑い始める。
暗かった空気が、少しだけ和らいでいた。
その時。
門上から兵士の声が響く。
「次の荷車、確認入るぞ!!」
列が動く。
いよいよ。
レイシス王国本格圏内へ入る。
ミーコは静かに巨大門を見上げていた。
帰ってきた。
まだ完全ではない。
けれど確かに。
故郷へ、戻り始めていた。




