第11話 契約の夜
何度目の“春”だろう。
最初の春に感じた未来への高揚感は、もう思い出せない。
けれど——あの日の光景だけは、胸の奥に焼き付いたまま離れない。
ルナが、息をしなくなった瞬間。
地面に倒れた彼女の体は冷たく、呼んでも、揺らしても返事がなかった。
あれほど明るく笑っていた声が、二度と戻ってこなかった。
それが「最初の死」だった。
救えなかった。
守れなかった。
たった一人の少女の手すら握り返してもらえなかった。
あの日、俺はただ自分を責め続けて、気づけば街外れの古い礼拝堂にいた。
***
その奥の部屋で、“それ”は声をかけてきた。
『代償を払うなら、願いを叶えてやろう』
空間が歪むような声。
暗い影が床に広がり、中心に双眸が浮かび上がる。
悪魔だと、直感した。
それでも迷わなかった。
「ルナが……死ぬ前の春まで戻してくれ」
影が笑ったように見えた。
『代償は、おまえと大切な者の“魂の一部”。
巻き戻すたび、その欠片は増える。
重くなれば、おまえは正気を失う。
それでも願うのか?』
「何度でも。何になったっていい。
ルナを助けられるなら、俺はどうなったってかまわない」
『わかった。契約のことは他言無用。
おまえの口から漏れた瞬間、おまえも大切な者も死ぬ』
「いい、早くしろ」
答えた途端、右腕に鋭い痛みが走った。
紫の痣が皮膚の下で脈打つように広がる。
契約の刻印。
巻き戻すたび色が濃くなり、広がっていく“期限”でもあった。
そして——世界が巻き戻った。
***
けれど戻った先のルナは、俺の知る彼女とは違っていた。
前のルナは明るく、よく笑い、俺の言葉にすぐ返事をくれた。
けれど今回のルナは、最初から怯えたような目で、
他人を遠ざけるようにしていた。
そして俺のことを、まるで初対面みたいに見つめた。
(……記憶が、欠けてる?)
悪魔が言っていた。
『魂が削れすぎれば、記憶が抜け落ちることもある。
別人のようになることもな』
いよいよ、その影響が出始めたのかもしれない。
でも、記憶が消えていようが、前と違おうが——
“今のルナ”だって、俺が救いたかった彼女だ。
違うのは、彼女が俺を覚えていないという一点だけ。
救いたい気持ちは変わらない。
何度でもやり直す。
今度こそ——絶対に失敗しない。
***
ルナが死ぬ原因はひとつじゃなかった。
前のループでは守れたと思った瞬間、別の要因が彼女を奪った。
まるで“死”そのものに追われているみたいに。
それでも、俺は諦めない。
今の刻印はもう肩近くまで広がっている。
次の巻き戻しは、もうできないかもしれない。
だからこそ、今回が最後のチャンスだ。
ルナを、必ず救う。
遠くに、彼女の家の灯りが見えた。
今日、夕陽の海で浮かべたあの表情。
ほんの少しだけ、前のルナを思い出したような、あの顔。
あれだけで胸がざわついた。
(……次こそ、ルナを死なせない)
拳を握ると、痣の痛みがじんと広がる。
「ルナ……俺は……」
呟きは風に消えた。
今度こそ、運命を変える。
そのために俺は、ここにいる。




