二、
「舞ちゃーん!おっはよう!数学の課題、秋庭に見せてもらった!?」
校門の前で、反対方向から走って来た同じクラスの水原に叫ばれ、薫は眉間にしわを寄せた。
「舞ちゃんって呼ぶなって、いつも言ってんだろうが。あきちゃん」
「いいじゃんか。舞岡なんだから、舞ちゃん。外見とも似合ってすっごく可愛い。で?課題は?秋庭に見せてもらった?」
言いながら、水原は、きらきら光る目で薫と将梧を交互に見つめる。
「将梧には、見せてもらってねえよ。自分でやった」
「おー、そっかあ。舞ちゃん、字はすっごくきれいだけど、お勉強はそうでもないからなあ。じゃあ、秋庭、見せて!お前は、字がすっごく汚いけど!」
「水原彰。薫を、舞ちゃんと呼ぶのはよせ」
完璧な課題を求めるのなら、学年トップを走る将梧だと、ずうずうしく手を差し出す水原に、将梧は明後日の答えをし、薫がくわっと目をむいた。
「あきちゃん!お前、ノート見せてもらおうってのに、将梧の字を貶すとか、どういうつもりなんだよ?」
「えええ。だって、秋庭の字って解読するのが大変な時あるんだもん。舞ちゃんも、知ってるでしょ?」
俺は真実しか言っていないと、水原は胸を張る。
「水原彰。薫を、舞ちゃんと呼ぶな」
「じゃあ、薫ちゃん!」
「却下」
飛び跳ねるように言った水原の案を即座に却下し、将梧は、ぎろりと睨み付けた。
「もう、何だよ。けち臭いな。大体、舞ちゃんだって俺のことあきちゃんって言うじゃないか」
「水原彰が、おかしな呼び方をしているから、対抗しているだけだ」
「そうかもだけどさ。舞ちゃん、あんなに可愛いんだよ?舞岡、なんて呼ぶの、つまんないじゃん」
「いや、お前。課題のノートはよ?」
課題のノートを借りるつもりで声をかけて来た筈の水原は、何故か薫のことをどう呼ぶかを将梧と揉めながら歩き出し、薫はそれでいいのかと苦笑した。
「あ、そうだった。もう舞ちゃんでいいや。見せて」
「そんな頼まれ方して、見せると思うか?」
「対価は、貰いものの高級フルーツでどうよ!」
「のった!・・てか、課題見せる対価が高級フルーツって。お前の方が、割に合わなくないか?」
『俺は嬉しいけど』とまたも苦笑する薫に、水原は『いんや』と首を横に振る。
「俺、エスカレーターに乗りたいからね。課題の提出とか、大事なのよ」
「なら、ちゃんとやれよ」
「お説、ごもっとも」
苦笑を通り越して呆れた顔になった薫に、水原は殊勝に頷いた。
「薫。ほら、帰るぞ」
「ん」
「今日は、バイト無いんだよな?」
「ん」
将梧に何を言われても、ぼうっとしたまま、薫は自分の席から動かない。
「あちゃあ。舞ちゃん、そんなにしょげるほど衝撃だったか」
「衝撃?舞岡、何かあったのか?」
そんな薫を見て、帰り支度万全の水原が言った言葉に、クラス委員長の門脇が心配そうに寄って来た。
「ああ、いいんちょ。舞ちゃんてばね、貴重な身長が一センチ、何故か縮んでいたんです。それで、衝撃をば」
「なっ!水原、てめえ」
『ひとの個人情報を勝手にばらすな』と、水原を、あきちゃんと呼ぶことも忘れて薫が吼える。
「ごめんごめん。だって、聞こえちゃったんだもん」
出席番号順で測定が進められた結果、薫のすぐ後ろの自分には分かってしまったのだと、水原は悪びれることなく言った。
「そうか。身長が」
「黙れ、門脇!どうせみんな『そんなの大したことない。大げさだ』って思ってんだろ?揃いも揃って180超えているようなお前らには、ぜってえ分かんねえナイーブな気持ちなんだよ!」
将梧をはじめ、水原も門脇も180センチを超えている。
つまり、今ここだけでいえば、それが平均身長なのである。
薫は、そんな彼らを見上げて撃沈した。
「はあ・・・身長ほしい」
「やれるものなら、やりたいが。薫は、そのままでいいと、いつも言っているだろう?」
机に突っ伏し、ため息を吐く薫に将梧は優しく寄り添う。
「そうだぞ、舞岡。舞岡は、心が広く、懐が深いじゃないか。身長だって、俺には好ましいぞ?」
「門脇恭輔。薫は、やらない」
「ほう。秋庭に、そんなこと言う権利があるとは、知らなかったな」
「お!舞ちゃん、もてもてだな!」
「はあ。帰ろ」
将梧と門脇が真顔で睨み合い、水原がやんやと囃し立てる。
「あ、舞ちゃん!今日バイト無いなら、うちに行こうよ。ほら、約束の高級フルーツ。折角だから、みんなも来ない?」
そんななか、無気力にふらりと立ち上がった薫の腕を掴み、水原は将梧と門脇にも声をかけた。