実家
時間を自分のものにしてしまえば、多くの人が、一年でできることを過大評価していること、そして、十年でできることを過小評価していることがわかるだろう。
- アンソニー・ロビンズ -
(米国の自己啓発書作家、講演家 / 1960~)
朝の群馬は、少しだけ冷たい空気をまといながらも、春の匂いがゆっくりと街を包み込んでいた。前橋駅から伸びる商店街をすり抜けるようにカメラが進み、静かな住宅街へと移動していく。電柱の上ではスズメがさえずり、朝の光が一軒のピンク色の家をやさしく照らしていた。
家の中は、どこか懐かしい昭和の香りが残っていた。木の柱、畳の部屋、そして壁に飾られた家族写真。キッチンからは、味噌汁と焼き魚の香ばしい匂いが漂っている。
ダイニングテーブルには、三人の姿があった。
おばあちゃんがエプロン姿でテーブルに最後のおかずを並べている。おじいちゃんは新聞を読みながら、時折うなずいている。そこに、寝癖を直しきれない少年がゆっくりとやってきた。
「おはよう。」
はじめは、少し眠たそうな声であいさつをした。
「おはよう。朝ごはんできているよ。」
おばあちゃんがにこやかに振り向いた。
「ありがとう。いただきます。」
テーブルには、焼き鮭、卵焼き、ほうれん草のおひたし、そして白いご飯。丁寧に作られた朝ご飯を前に、はじめは少しだけ緊張したような表情を浮かべた。
「転校初日、がんばんべえ。」
おばあちゃんの言葉には、優しさと土地のぬくもりが混じっていた。
「うん。緊張するな~。」
はじめは箸を止めながら、ぽつりとつぶやいた。
「おめえなら、だいじだ。ゆっくりでいいんだぞ。」
おじいちゃんが新聞を畳み、はじめをまっすぐに見て言った。
その言葉に、はじめは小さくうなずいた。東京からこの前橋の地に引っ越してきて数日。まだ慣れない方言や、静かな時間の流れ。でも、今日からは新しい学校。新しい生活のはじまり。
朝ご飯を食べ終えると、はじめは立ち上がり、ランドセルを背負って玄関に向かった。手をかけたドアノブを回す直前、「あっ」と小さく声をあげた。
くるりと向きを変え、仏間へと向かう。そこには小さな仏壇があり、中央には優しい笑顔の女性の写真が飾られていた。
はじめは静かに手を合わせた。
「行ってきます、お母さん。」
その声は、どこか強くて、でも少しだけ震えていた。
そして、玄関の扉が開く。
朝の光がはじめを包み込む。
ランドセルがゆっくり揺れながら、前橋の街へと歩き出した。