2.主人公エリザベス
エリザベス・ウッドフォード
レディスコミック『蒼き精霊の守り人と永遠の姫君』の女主人公だ。
田舎育ちで純真で、人を疑うことを知らない。
彼女は、精霊と話ができるという特技を持つ。
憧れの王都にある魔法学園に入学して、ウキウキしながら通学するが、悪意の塊のような公爵令嬢カトリーヌにこれでもかというほど嫌がらせを受ける。
次々とピンチに陥るが、精霊の助けを借りて乗り切っていく。
ただ、人の多い都会では精霊は徐々に力を失っていき、実家も巻き込んだ陰謀で彼女の父が反逆者の汚名を着せられる。
実家を攻撃するために、王家の軍隊が王都を出発する。
もはや学園にもいられなくなった主人公エリザベスは、学校をやめる決意を王子に打ち明けて姿を消した。
しかし、逃避行の中、カトリーヌが媚薬を使って人々を操っていたことを知り、王子ブライアンと共に彼女の悪事を暴く。
エリザベスの父の疑惑も晴れる。
王子はカトリーヌとの婚約を破棄し、主人公と婚約する。
ここでハッピーエンドの予定だったが、突然人気が出てしまって、ストーリーの続行が編集部から言い渡された。
結婚後の波乱万丈。
嫁と姑問題で行くか、王子に継承権争いをさせるか……
そう、私はその物語の作者。
正確には、作者だった。
どうやら私は、自分の作った漫画の世界に来てしまったようなのだ。
馬車が家に着いたところで、嫌な予感が現実になったことを知った。
この家は、ノエビア公爵邸だ。
自分でヨーロッパ中世の豪邸の資料を集めてデザインしたんだから、間違えようがない。
そして、カトリーヌのために媚薬を調剤してくれるメイドのソフィーが、扉の前で待っている。
小声で聞いてくる。
「おかえりなさいませ、お嬢様。
私のお作りした媚薬は、王子様に飲ませられましたか?」
これで、完全に理解した。
私は、主人公のエリザベスではなく、その敵役であるカトリーヌになってしまったのだ。
「え、ええ。
飲み物に入れてみたのですが、王子は口を付けられませんでした。
なので、飲ませることは出来ませんでした」
ポケットに入っていた小瓶は、媚薬だったのか。
講堂に向かって走るときに、焦って落としてしまったんだよね。
このソフィーは、カトリーヌの悪だくみのブレーンのような存在だ。
機嫌を損ねたら、何だか怖い。
とりあえず、媚薬を失くしたことは黙っておく。
しかし、入学式の日に媚薬を王子に飲ませるって、どれだけ高いハードルなんだよ。
まさか私の漫画の中のカトリーヌは、うまく王子を騙して飲ませたのだろうか?
まあ、私自身は実際には王子と会ったこともないわけで、そんな初対面の人に媚薬を飲ませられるわけがない。
翌日からの学園生活では、私は悪役令嬢として極悪非道に振る舞いたいところだった。
が、プロの漫画家になるような根暗女子が、生まれ変わったからと言ってそんなこと出来るわけない。
まず、カトリーヌは公爵令嬢だ。
何人もの侍女が、常に私の一挙手一投足を監視している。
彼女たちはそういう仕事なんだろうけど、私は気が休まらない。
貴族というのはそういうものなのだろうが、カトリーヌは、人を人とも思わなかった。
侍女たちに見られていても、人形や置物に見られている感覚だったのだろう。
それどころか、自分のやりたいことを言う前に侍女たちが対応しなければ、お仕置きをするほどだった。
だから、ピーンと張りつめた空気が漂っている。
でも、私は違いますから。
年頃の女子が、何かないか何かないかと目を凝らして私を見続けている。
カトリーヌお嬢様は、傲慢でわがままだ。
彼女たちにとっては、ものすごく怖い存在なのだろう。
命がかかっているかのように、本当に真剣だ。
怒られないように、間違ったことをしてはいけない。
でも、何もしないと怒り出すので、ご機嫌取りはしないといけない。
まあ、私の作った設定なのだが。
「あ、あの、何もしなくてもいいですから。
そのことで怒ったりしませんから」
そう言うと、みな声をそろえて返事する。
「「「はい。お嬢様」」」
多分、みんな私の言葉を額面通りには受け取っていない。
ただ一言言わせてもらうなら、こんな生活すごく嫌。
たとえ悪役令嬢じゃなくても、普通の貴族のご令嬢でも嫌。
これに加えて悪役令嬢なのだから、本当にたまらない。
早く学校に行きたかった。
人の目にさらされない落ち着いた時間が欲しい。
あの美味しいコンビニスイーツが懐かしい。
学校に行く馬車の中は、少し人目が少ない。
護衛のための数名の女武官だけが同乗している。
この王都で公爵家の馬車を襲う者がいるとは思えない。
女武官たちも、緊張感なくただ座っているだけだ。
屋敷での侍女たちが、失礼のないようにピリピリと神経をとがらせているのに比べたら気楽なものだ。
私にとっては、自分の部屋にいるときよりもリラックスできた。
ただ、公爵邸から学校までの道のりは、とても短い。
あっという間に着いてしまった。
馬車を降りて、一人で教室に向かう。
校舎の前の車寄せからは、どんな上級貴族だろうとお付きの者を侍らせることは許されない。
魔法を使うときは、人に頼ることは出来ないからだ。
これも、私の考えた設定ではあるのだけれど。
貴族の歩き方は一般人とは違うのだろうかとか、考えながら歩いていく。
「カトリーヌ様ーッ」
遠慮がちだけど大きな声に振り向くと、エリザベスだ。
ううっ、生まれ変わるのなら、そっちに生まれ変わりたかった。
「あら、エリザベスさん。おはようございます。
ご機嫌はいかがかしら」
一応、貴族のたしなみとして穏やかに挨拶する。
「カトリーヌ様。昨日はありがとうございました。
あなたのおかげで、入学式に遅刻せずに済みました」
ペコリとお辞儀する。
「そ、そう。それは良かったですわ」
あれっ?
おかしい、何かおかしいぞ。
「ところでカトリーヌ様は、学校のすぐ近くに住んでおられるんですよね?」
「え、ええ。そうですけど」
「王都も学校も、地元だから勝手が分かっていらっしゃるんですね」
何だかすごく愛らしい笑顔を振りまいてくる。
それは、その笑顔は、王子たち男どもに向けておけよ。
女の私に向けても、何の意味もないから。
いや、まてよ。
あの魅力で王子を落とされたら、困るのは私じゃないか。
私相手に振りまいてもらった方が良いのか?
そうだよね。
王子との出会いのシーンが無くなったわけだし。
グッジョブ、私。
まあ、王子と出会うのは時間の問題だろうけど。
「あ、あの、カトリーヌ様」
「えっ?」
あっ、しまった。
自分の世界に入り込んでいた。
多分、しばらくの間の彼女の言葉は、頭に入って来なかったと思う。
「大丈夫ですか?」
「ええ、何も問題はありませんわよ」
一生懸命取り繕う。
「それでしたら、カトリーヌ様。
一つお願いしても、よろしいでしょうか?」
ジッと見つめてくる。
すごく真剣な目だ。
「な、何かしら?」
「私、魔法学校に入学するために一週間前に王都に引っ越してきたんですが、田舎の出身で王都のような華やかな街に来たのは初めてなんです。
何もわからないので、いろいろ教えていただけませんか?」
「ま、まあ、それくらいならかまいませんわ」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
すごくさわやかに、お礼を言われた。
これが主人公スマイルというやつか。
次回更新は、明日の予定です。