17.静やかな逃避行
夕食に保存食をみんなで食べた。
地下室は密閉されているので、火は使えない。
全然味のない保存食は、本当に生きていくための食事だ。
薄暗い部屋の中で保存食をかじりながら、ソフィーが話しかけてくる。
「お嬢様、私を連れてきてよかったでしょ。
こんな生活を三日間もなんて、話し相手がいなければ耐えられるはずがありませんから」
この三日間、ソフィーの言うことは本当に正しかった。
ソフィーと他愛のない話が出来たことで、どれほど助かったことか。
ソフィーを怖がって、お屋敷に置いて来ようとしていた自分を責めたい気持ちになった。
そして、ずっと息を殺したように動かなかったフレディは、不気味だった。
彼と二人きりでこの地下室にこもり続けていたら、気が狂っていたかもしれない。
そういう意味でも、ソフィーの同行は助かった。
隠れ家に隠れて、三日が経った。
日が暮れてから、地上に出た。
思いっきり伸びをする。
ああ、やっぱり外の空気は気持ちいい。
地下室では、夜中に一度換気するだけで、基本的に空気はヤバかった。
トイレも臭かった。
スペースも狭かった。
気を付けてはいたが、エコノミークラス症候群になるかと思った。
この世界の人々は、エコノミークラス症候群なんて知らないだろうな。
馬二頭もよほど訓練されているのだろう。
狭い暗闇の中で、ジッとしていた。
本当に驚きだ。
洞窟に馬車を取りに行くと、馬車が入れ替わっていた。
色も形も全くの別物だ。
「詰め所の近くで騎士たちが見た馬車だと、足がつきやすいからな。
基本、お二人と違って、ワシは追っ手に捕まったら間違いなく殺される。
だから、こういうところは抜かりが無いんだ」
自信満々のフレディの様子を見て、少し気が休まる。
木箱もしっかり積み替えられていた。
中身も確認したが、貴重品は無事だった。
お金すら全く抜かれていなかった。
私は、思わず聞いてしまった。
「馬車を交換したのは、すごい人たちなのね?」
「ああ。マクラン王国の特殊部隊だ。
辺境伯が寝返ったのも、この特殊部隊の優秀さが大きい」
「あなた達スパイも、その特殊部隊の一員ってこと?」
フレディは、私の質問に黙ってうなずいた。
確かに、仕事の手際よさがすごい。
今は味方だから頼りになるけど、敵に回したら本当に怖いだろうな。
私は木箱の中から町娘風の服を取り出して、着替えた。
そこからの旅は、順調だった。
ちょっとドキドキしていたけど、行く町、行く村、どこでも普通の旅行者として扱われた。
御者が毛むくじゃらの狼男なのは目を引いてしまったが、特に疑われることも無かった。
田園地帯を馬車で走っていく。
道はガタガタなので、お尻が痛くなる。
車酔いがひどくて、何度も休憩してもらった。
私のせいで、ずいぶん時間がかかってしまったと思う。
ただ、休憩中の周りの風景には心を癒された。
そよぐ風、なびく草花。
遠くに見える山々。
月明かりに照らされる草原。
手を伸ばせば掴めそうな星。
何か出て来そうな荘厳な夜の森。
そして、隠れ家を出てから約十日間の旅の末、ハミルトン辺境伯領に到着した。
というか、ハミルトン辺境伯の家に到着した。
私は、思わず叫んでしまう。
「えええーっ?
こ、こんなところに押しかけて大丈夫ですの?」
フレディは、振り返ると運転席と客室の間の扉を開けて、無言でガッツポーズを見せる。
家の入り口にズラッと使用人たちが並んでいる。
まるで私たちを歓迎しているかのように。
車寄せに、数名の男たちが近寄って来た。
フレディが、彼らに話しかける。
「やあ、ハミルトン。
元気にしてたか?」
「おう、君こそどうなんだ?」
「元気だぜ。そうじゃなきゃ、ここまで来るのは不可能だろう」
「そうだな。
それで、お連れのレディたちは、客室におられるのかな?」
「ノエビア公爵令嬢のカトリーヌ様とメイドのソフィーさんだ」
どうやら、先頭の黒人がハミルトン辺境伯のようだ。
私の漫画に登場する男たちは、金髪碧眼のイケメンばかりだけど、辺境伯はなかなか渋いおじ様だ。
狼男に黒人イケメンって、まるでポリコレのためのこの世界の揺り戻しかしらと勘ぐってしまいそう。
それはそれとして、フレディの奴。
私たちの身の上も正直に教えてしまって、どういうつもりよ?
扉を開いて、辺境伯自身が丁重にお出迎えくださる。
「これはこれは、お嬢様方。
ようこそいらっしゃいました。歓迎いたします」
私は、差し出された手を取って、馬車を降りながら聞く。
「あ、あの、私たちは、マクラン王国に逃げ込んで、平民として暮らしていこうと考えているのですが。
そのあたりは伝わっているのかしら?」
ハミルトン卿は、恭しく答える。
「もちろん、カトリーヌ様のご希望はうかがっております。
ただ、行き先は広く構えておいた方が良いと思いますよ。
マクラン王国では、私の口利きがあると無いとでは、元公爵令嬢としても町娘としても、雲泥の違いが出ます」
確かにそうかもしれない。
「私たちのために、わざわざ口をきいてくださるということですか?」
地面に足をついた私の手を放して、ハミルトン卿はひざまずく。
「もちろんでございます。
旅の間は、安宿にお泊りのことと思います。
宿泊にもお食事にも、不自由されたことでしょう。
少なくとも今晩は、我が屋の賓客として、お寛ぎください」
申し出は有難いけれど、ハミルトン卿は今回の反乱の首謀者の一人だ。
このような人の所に宿を借りて、しかもマクラン王国では色々と便宜を図ってもらう。
そんなことをしたら、私は完全に反逆者の一味となってしまう。
良いのかしら?
戸惑っている私の表情を見て、心を見透かしたかのようにフレディがささやいてくる。
「カトリーヌお嬢様。
公爵令嬢として、第一王子の婚約者としての立場を捨てて、マクラン王国に逃げるんだろ。
反逆者の汚名をかぶるくらいは、平気の平左じゃねえと今後もやっていけねえぜ」
「そ、そんなこと……
十分覚悟は出来ておりますわ」
私は、精いっぱい虚勢を張った。
次回更新は、来週水曜日の予定です。




