本編#6 自分と自分
気が付くと、ベルリンに似た感じの街に立っていた。建物は近代的なレンガ造りで、広い道路には自転車やトラックが停められているのが見える。ところが、この街は規模の大きさに反して活気がなく、人間が一人も居なかった。それに、道路や建造物は壁が崩れたり地面にいくつもの穴が空いていたりして、人間の手によって傷付けられたのは明らかだった。戦争でもあったのだろうか。
おかしな点がもう一つある。それは、私の前に私が居る事だ。
「…………」
そのペーターは、何も喋らず、怒っているとも悲しんでいるとも見て取れる表情で、こちらを凝視している。
自分の目の前に自分と同じ姿をしている者が居れば誰でも驚くが、私は驚愕しすぎてその声を逆に出す事が出来なかった。出そうとしても、何かに阻まれて吐き出せないのだ。全身には鎖が巻き付いた感覚があり、手足を少し動かす事も不可能だった。出来る動きは、瞬きと呼吸ぐらいだろう。
私も眼前に立っている謎の人物をしっかりと目視する。
直感で私と同一人物という事は分かるが、私と違う点もある。こちらをずっと見ている人物は体格こそ私とほぼ一緒だが、顔が少し老けているように見える。私よりも、5歳年上と言ったところか。
何かの力に拘束されていた身体が不意に動く。いきなりの出来事に前へ倒れそうになったが、背中にグッと力を入れて立ち直した。
私が動く事を待っていたかのように、目の前の私が自分の方へ歩み寄って来た。
不気味な雰囲気を醸し出す私が、自分の顔を覗き込んでくる。私と私の距離は大体数十センチぐらいだ。あまりにも近すぎて、向こうの鼻息が顔面の皮膚に掛かり、こそばゆい感覚を覚える。
何の感情も含まれていない眼差しが突き刺さる。その眼はまるで人工物で、とてもじゃないが人間とは思えない目つきをしていた。生きている人間の眼と死んでいる人間の眼はよく知っているが、こんな無機質な目は見た事がなく、私は恐怖を感じ取っていた。
「お前は、何者だ――――」
手前に立つ自分に、私は声を震わせながら問い掛けた。
眼前の私そっくりの男は今の質問を聞いていなかったのか、何とも言えない顔つきで黙ったままだった。
眉一つ動かさない男に、私は再び疑問をぶつけようと思った時――――ついに私の分身のような男の口が開いた。
「私は、ペーター・ヴィットマン。お前そのものだ。まあ、年齢は今のお前よりもこっちが上だが……」
「はあ……?」
普段は絶対に出ない声が思わず漏れてしまった。
だって、手前に居る彼は確かに私の本名である「ペーター・ヴィットマン」と名乗ったのだ。自分と同じ姿で、しかも名前まで同じだというのだから、驚嘆する他ないだろう。
東部戦線に勤務していた頃、オカルト研究が趣味の部下から自分と一緒の容姿をしている「ドッペルゲンガー」とやらを聞かされた事があるのだが、そんなのは都市伝説に過ぎないと軽く受け流していた。しかし、今の状況ではそれを否定出来そうにない。
頬に柔らかいものが触れる。
「……!」
頬肉に接触した物体はドッペルゲンガーらしき男の指だった。
「いいかペーター、その内お前とはカタをつける必要がある」
唐突な決着を申し込まれると共に、頬を強い力でつねられる。結構な痛さなので、私の名前を名乗る人物の指を引きがそうと考えたが、金縛りにあったようにまた手足が動かなくなった。
せめて発言で抗おうとしたが、声すらも出す事が出来なくなっていた。
「(どうすれば……)」
痛みを我慢しつつ解決策を出そうとする。だが、身体が全く動かないようではこの状況から脱する事など無理だ。
「ター…………!」
かすかではあるが、どこからか声が聞こえた。
その声は次第に大きくなっていく。
「ペーター! 起きろ――!」
鮮明に聞こえた事で、私に呼び掛けている声の主が分かった。叫んでいる奴はエルンストだろう。自分の役目を果たすまでティーガーの操縦手を担っていた勇敢な兵士だ。
彼は起きろと連呼しているが、私も仲間もベルリンで死んでしまったので、二度と目覚める事はない。そう考えると、何故エルンストの声がこの場に聞こえるのか分からないが、死と生の狭間を彷徨っている私を迎えに来てくれたのだろうと解釈した。
「いい加減、起きるんだ!」
エルンストが放ったその言葉は、隣に居るかのようにはっきりと耳に入った。
つねられる痛みがなくなると、今度は頬を誰かによって叩かれた。そして、今見ている視界がティーガーの中に居た時みたいに暗くなっていった。
視界に挿し込む光が狭くなる際、私という人間の皮を被った人物は蔑むような、または憐れむ眼で私を見つめていた。