本編#22 宿で休憩
小遣いをポケットの奥底に突っ込んで村を適当に歩いているが、人が少ない事もあって期待していた程楽しいものではなかった。村を防衛する兵士はそこそこの人数が居るのだが、やはり一般人があまり居ないため利用出来る店は限られていたのだ。
歩くのに疲れたので道の脇に設置されているベンチに腰掛ける。
ベンチに座ると、青空を一点に凝視した。
「何もかもが違うが、空は私の居た世界と一緒なんだな」
むしろ、こっちの空の方が綺麗な気がする。ドイツの空も確かに麗しいが、それは戦争が始まる前の話だ。大戦が行われドイツが連合軍に追い込まれてからは、祖国に襲い掛かる爆撃部隊が空を覆いつくしていた。その光景は何度も見たが、未だに慣れない。
今頃ドイツはどうなってるかなと考えていると、不意に腹から間抜けな音が鳴った。
「昼か」
正確な時間は分からないが、今は大体12時ぐらいだろうと予測した。
空腹のまま動き続けるのも気分が悪いので、手頃な飲食店を探そうとベンチから立ち上がった。
村の寂しい道を1人で歩く。
私は変わった服装はしている事もあってか、兵士達からは歓迎されていない冷たい視線を直に受けた。その視線は喜ばしいものではないが、どこかで休憩したいという欲が勝っているため歩みを止める事はなかった。
「ここは、よさそうだな」
何分か歩いていると、レンガと木材で造られた古そうな宿を発見した。宿は人気は全くないので遊園地にあるお化け屋敷のような雰囲気を漂わせているが、窓から電球の明かりが確認出来たため、少なくとも宿の主人が居る事は判明した。
宿の古臭い扉を手前に引くと、懐かしい匂いがこっちに流れて来た。
「……」
宿に足を踏み入れると、無言で全体を見渡す。
洒落た形の照明が高い天井から吊るされており、良質なソファが数個あった。ここは家でいうところの玄関だろう。机も何個も置かれていて、かなりくつろぎやすそうだ。そして、一番奥の受付らしき場所には初老の眼鏡を掛けた男性が1人で立っていた。
その男性は私を見るなり、少し驚いた顔をした。
「まさか、お客さんが来るとは」
ズレていた眼鏡を掛け直し、主人が受付の横にある扉から出て来た。
主人が近付いて来た事で、その姿がより一層見やすくなった。
この宿の主は歳を取っているが体格は意外としっかりしている。顔色も悪くなく、健康的な生活を営んでいるのだろう。
「悪いが、どこか部屋を貸してくれないか? あと出来れば食事も頼みたいんだ」
「ええ、いいですよ。案内します」
主人は優しく答える。
歩いている際、番号札が貼られた個室の扉を何個も見たが、全く人が入っていないようでその札は黄色く劣化していた。
「戦争が始まってからというもの、利用客が急激に減ったんですよ」
横を歩く主人は悲しそうに現況を言った。
「それは辛いな」
「ええ、とても悲しいですよ。でもね、ずっと悲しんでいる訳にもいかないんですよ。宿の経営は今でこそ不況ですが、それでも稀に利用してくれるお客さんが居るんです。確かに数は少ないですけど、利用してくれるだけ私は嬉しいのです」
戦時下で何もやる気が起こらないだろうに、主人は強い意思を感じさせる笑みを浮かべた。
「今のこの仕事は子供の時からの夢でして、絶対にここでくじける事は出来ません。私はいつの日か、ここの宿がいっぱいのお客さんで溢れかえると信じていますよ……と、着きましたね、ここですよ」
やっぱり自分よりも年上から聞く話はどこまでも深いなと思っていると、目的の個室まで辿り着いた。
主人が専用の鍵をドアノブの穴に挿し込む。
ガチャリ、という音を耳にすると主人がドアノブを捻った。
「何もないところですが、どうぞ入ってください。食事は出来たら呼びに来ますね」
「ありがとう、休ませてもらうよ」
一言礼を言い、主人とここで一旦別れた。
落ち着いた歩き方で去る主人を見送った後、開錠された扉を前に押した。
「これは、結構いいじゃないか」
個室に入った途端、そんな独り言が漏れ出た。
主人はさっき「何もない」と言っていたので失礼ながら質素な部屋かと思っていたが、そこそこの値が張りそうなベッドが置かれていたり年季が入っているが全然使えそうな机があったりして、かなり快適に過ごせるだろう。確かにお金持ちな人間がこの部屋に入ってもさほど気に入らないかもしれないが、戦場の粗末な寝床で生活をしていた私からすれば大層な部屋だ。
白いシーツで覆われているベッドが視界に入るなり、私はそこへ飛び込むようにして寝転んだ。最近はティーガーやら外の地面で寝ていたのだから、フカフカの布団に転びたいのは人間として当然だろう。
ベッドに敷かれている布団は長年使われていないのか少し埃っぽいが、疲労が溜まりに溜まっている自分からするとそんな細かい事はどうでもよい。
「はあ、癒されるな」
仰向けになりながら、そう呟く。
柔らかい布団ももちろん気持ちいが、頭を支えてくれる枕もこれまた気持ちいい。
「あいつらは今頃、何をしているんだろうか」
疲れが引っ込んでいく傍ら、仲間達の事を思い出した。ユーリイやエルンストは立派な大人なのでトラブルに巻き込まれる事は皆無だろうが、ミハエルとオットーは成人にも行き届いていない幼い子供だ。だから、どこで悪い人間に絡まれていないか心配になった。
「それにしても、やっぱり違和感があるな……」
違和感。
それは、どこかへ消え去った無線手のヨハネスだ。彼は部隊の中では言い方は悪いが役立たずな奴だ。実際、ヨハネスが来た頃はその無能さにオットーとミハエルはよくイライラしていた。だが、どんなに無能な人間でも仲間には変わりなく、私は彼に愛着が湧いており、他の仲間との間にも確かな絆があった。
だからこそ、私は一刻も早くヨハネスに会いたいのだ。
「本当に、これからはどうなるんだろうな……」
木目が目立つ天井を見つめたまま、未来の事が頭をよぎった。
異世界転移にヨハネスの消息、ティーガーの補給についてなど、問題が山積みだ。1つ1つ的確に解決するのが手っ取り早いのだろうが、未だに困惑している私は問題を解決する気力が湧き出て来なかった。
この世界が夢だったら良かったのにと脳内で独り言を呟いていると、扉がノックされ、主人の声が聞こえた。
「食事が出来ましたよ!」
「すぐ行くよ」
もう少しだけ布団に転びたいが、主人が用意してくれた昼食を無視するわけにはいかないのでベッドから起き上がった。