第七十九話 妹のような私
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奥多摩の山奥にある四軒並んだ湯宿の一番奥まった場所にあるのが旅籠神原で、そこには姉の増子よりも少しだけ年上のお兄さんがいました。
「少しだけ、二人の面倒をみておいてくれるかな?」
そう言ったのは父で、父は私と姉の増子をお兄さんに預けると、見たこともないような女の人と何処かに遊びに行ってしまいました。
自然豊かな場所に埋もれるように建つ湯宿だったので、幹の太い杉や欅の木が天まで伸び上がって枝葉を広げ、屋根のように広がった枝葉の下には綺麗な小川も流れています。
この小川には元湯から流れた温泉が混ざっているので、冬になると白い湯気を立てていることもありますし、春ともなれば、おたまじゃくしが真っ黒い小さな塊となって弾けるように泳いでいる姿を見ることが出来るのです。
白い蓮華の花が咲く土手から乗り出すようにして、私が可愛らしいおたまじゃくしを眺めていると、姉にドンと背中から押されて、前のめりとなって水の中に飛び込んでしまいました。
「早く向こうに行こう!」
「行こうよ!早く!」
温泉宿には私たち姉妹の他にも同じくらいの年齢の子供はいたし、みんな、私と遊ぶよりも姉の増子と遊ぶことを好んでいました。だから邪魔者の私は川の中に落としても、誰も見向きなんかしません。
水で緩んだドロドロになった川底に足はどんどんと沈み込んでいき、あっという間に足の根本まで土の中に沈み込みました。肩近くまで川の中に沈み、足を引き抜こうとすればするほど、水の中に沈み込みそうで恐怖でどうにかなりそうです。
「助けて!助けて!」
そう叫んだとしても、大人が通りかからないような森の中です。数日前に雨が降って水の量が増えていたということもあったのでしょう。私の小さな体はあっという間に川の底へと引き込まれていきそうになりました。
「珠子ちゃ・・珠子ちゃん!」
誰かの手が私の脇の下に差し込まれると、体が上に持ち上げられて何とか息が出来るようになったけど、長く水の中に浸かっていたので体全体が冷えて力が入りません。
「珠子ちゃん!しっかり!」
そう言って私を抱えて岸辺を上ったお兄さんは、私を担いで自分の家へと連れ帰ってくれたのでした。
目端がよく効くお兄さんは、私たち姉妹の歪な関係に気が付いていたのかもしれません。私を自分の家に連れて帰ったのも、母が居る家に私を連れて帰っても碌なことがないと思ったから。
その後、高熱を出した私はそのままお兄さんの家で三日ほど過ごすことになったのですが、その時からお兄さん家族は、私の家族に対して疑惑の目を向けるようになったのでした。
祖母が亡くなってからの私は、ほぼ、放置されているような状態でした。放置とは食事も含めて与えられないというような状況で、お兄さんが気にかけていなかったら、私は今、この年まで生きていたかも分からないとも思います。
お兄さんのお母さんも私を気にかけてくれましたが、いつだって私を一番に気に掛けてくれたのはお兄さん。私を抱っこして嫌な家から連れ出してくれるのも、悲しい時に私を抱っこしてくれるのもお兄さんです。
母と姉の折檻が酷くなり、食事も与えられずに納戸に閉じ込められた私は、見つけられた時には半分死にかけたような状態で、その後は、母方の祖母の家へと引き取られることになったのです。丁度、お兄さんも叔父さんがいる軍の方へ入ることが決まったということで、私たちは同じ時期に、別々の場所へと離れ離れになることになったのでした。
その後、まさかブラジルの、しかも物凄い田舎にある珈琲農場で再会することになろうとは思いもしませんでしたが、私のお兄さん、神原松蔵さんはいつだって私が大変な時には助けに来てくれるような人でした。
母と姉の暴力と、義兄に襲われそうになった恐怖と、自暴自棄でどうにかなりそうだった私を見つけたのも松蔵さんだし、そんな私をすぐさま担いで、あの時みたいに自分の家へと連れ帰ってくれたのも松蔵さんです。
私にとって松蔵さんは安住の地というか、安息地というか、とにかく、安心安全で、ほっと安らげる場所と言えるでしょう。
「それで、珠子は松蔵さんと一緒になる、祝言をあげるということでいいんだよな?」
ある時、私は徳三さんに、そんな風に声をかけられました。私が邸宅の方で働くことになってしばらくしてからのことで、自分の所為でカミラ一さんの一家が行方不明になったのではないかと考えて、メソメソ泣いていた時のことです。
「徳三さん・・私と松蔵さんが祝言ってそんなことがあるわけないですよ。今はあの家には戻れないから結婚するということにしておいて、松蔵さんの家で預かって貰っているだけなんだもの」
「それも相手にとって迷惑になることになるから、出来ればワシの家に移動して来ようかどうしようかと言っていたのに、すっかり松蔵の家に住み込んでいる感じだろう?」
「そういえば、そうでした」
同郷の友というだけなのに、ここまでお世話になるのも申し訳なくて、徳三さんもデング熱から奇跡の復活をしたというし、一応、徳三さんは親族(義理の父の弟ということになるけれど)扱いだから、そっちに移動したほうが良いかなと考えていたこともあったんです。
「邸宅にパトロン(農場主)のご夫婦がやってきて、奥様のお腹の中の赤ちゃんが、逆子になったり元に戻ったりで、ワタワタしている間に、カミラさんから盗みの冤罪を受けそうになったり、カミラさん家族がクビになったり、色々あり過ぎて忘れていたみたい」
たまたま邸宅にやって来た徳三さんは、呆然とする私を見て、大きなため息を吐き出しました。
「お前の母さんは、妻を失った男の家へ後添いとして入っているし、お前の姉さんは、結局、久平と、嫌々ながらでも生活を続けているような形だ。それでお前はどうする?もうすぐ契約期間も切れることになるし、わしが面倒をみるのもそこまでの話になるぞ」
徳三さんは母と再婚した辰三さんの弟さんということになるのです。辰三さんがくれぐれも私たちのことを頼むと言って亡くなったので、今まで徳三さんは、私たちの面倒を見てくれていたのです。
「ごめんなさい、今の私の頭の中は、奥様のお腹の中にいる赤ちゃんのことでいっぱい過ぎて、その先のことまで考える余裕が欠けらもないような状態なの・・」
逆子のままで生まれて下手やって死産ともなれば、到底、許されることにはならないでしょう。怖い、先のことを考えると怖すぎる。
「珠子、お前は松蔵と一緒に居て、嫌という訳じゃないんだよな?」
「全然!全く嫌じゃないよ!甘えてばっかりいて本当に申し訳ないと思っているんだけど、今の気持ち的にどうしようもない状態なので、腹を括って甘えています!」
「腹を括って甘えるってなんなんだ?」
徳三さんは呆れた表情で私を見ると、
「年頃の男と女が一緒にいたら、アレでコレしてアレじゃないのか?」
と、意味不明なことを言い出しました。
「いやいやいや!ないないない!私、松蔵さんから妹みたいにしか思われていないもの!」
「妹?本当に?」
「本当!本当!小さな妹みたいなものなんです!完全に甘えちゃっている自覚もあるんです!でも!逆子が今は心配すぎてどうしようもないんです!」
「お前、奥様が例え死産したとしても、切り捨て御免とはならないと思うがな」
「そんなの分からないじゃないですか!」
旦那様は奥様を溺愛し過ぎているのです!もしも、万が一のことがあったら、打首獄門は間違いないと思っています!
ブラジル移民の生活を交えながらのサスペンスです。ドロドロ、ギタギタが始まっていきますが、当時、日系移民の方々はこーんなに大変だったの?というエピソードも入れていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!
もし宜しければ
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