第七十二話 安江と雪江
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安江と雪江は母親が違う姉妹であり、安江は本妻の娘、雪江は妾の娘だった。景気が良い時には妾と雪江を養うだけの力が父にはあったのだけれど、どうあっても戦後の不景気には勝つことが出来なかった。
「雪江は可愛らしい娘だから、秋元様が大金を積んででも欲しいと言っているのよ」
安江の母はそう言って雪江を嫁に出すようにと唆した。秋元様とは由緒あるお金持ちという人で、六十を過ぎても男の盛りがまだ続いているような人だった。金があるからこそ見込みのある禿の初物を大金をかけて食べるようなことも行う。
雪江の母の初物を頂いたのは秋元様で、この年寄りはその娘の初めてをも自分のものとしようと考えた。金があるだけあって悪い噂も山ほどあるような人物でもある。こんな人物に自ら声を掛けに行った母の執念の深さに安江は驚いたし、それだけ妾となる雪江の母を憎んでいるのだと察することになったのだ。
「姉さん、お願い!私も一緒にブラジルへ連れて行って!」
安江が夫と共にブラジルへと移動をする準備をしている時に、着のみ着のままの状態でやってきた雪江が言い出した。
「私のお母様は私を年寄りのところへ売って、自分は今までと同じように妾のままで安穏と生きようとしているのです。私はいや!そんなお母様に利用されるなんていやなんです!お願いです!何でもしますから連れて行ってください!お願いです!」
幼い子供を連れてブラジルまで渡ることになった安江には大きな不安もあったのだ。たった一人で面倒を見るよりも、妹が居た方が安心出来るかもしれないと考えた安江は、
「幸吉さん、連れて行っては駄目ですか?」
と、自分に惚れきっている幸吉に上目遣いとなって問いかけた。
雪江は安江にとって腹違いの妹なのだ。妹がこれほどまでに困っているというのなら、それを助けるのも姉の役目なのではないかと安江は考えたのだが、
「はああああ・・呆れる・・」
と、ため息を吐き出した幸吉は雪江の方を見ると、
「伝手があるから親族として船に乗せるのは問題ないと思うが、雪江が何か問題を起こすようであれば、すぐさま見捨てることにするから」
と、言い出したのだった。
「僕にとって一番大事なのは妻と子なんだ。だから、雪江のことなんか二の次、三の次、それ以下の扱いと思ってくれる方がちょうど良い。何かあれば、それが何処であろうが捨てていく。それはブラジルに渡った後でも同じことだと思っておいてくれ」
「まあ!私が姉さんを困らせるようなことなんてするわけがないじゃありませんか?」
雪江はそう言って幸吉を潤んだ瞳で見上げると、
「お姉さん、幸吉さん!有り難う!」
と、輝くような笑みを浮かべたのだった。
雪江は自分で宣言したように、船に乗っている間は姉夫婦を困らせることはなかった。幸吉が有言実行の男だということに気が付いている雪江は、船の上で問題を起こした時に、船から突き落とされたら大変だと思ったのだろう。
船から突き落とされて大海原に投げ出されれば、どんな泳ぎ達者だとしても助かることは出来ない。途中の寄港地で置いていかれたら、女の行く末など分かりきったものだ。
そうしてブラジルのサントス港まで到着すると、日本人が配耕されるまでの間に滞在する施設で、雪江は問題を起こすことになったのだ。雪江は自分が気に入らない少女をターゲットにして、虐めを繰り返すようなことを行いながら、
「あの子に水をかけられたの・・」
自分で水を被ったというのに少女の所為にして、自分こそが被害者なのだと主張する。
船から移動してきた初日に、その少女はうっかり雪江にぶつかって、お気に入りのスカートを汚してしまったのだ。そんなことが理由で、雪江はその少女に執着を続け、彼女こそが悪者であると涙をこぼしながら言い出すのだ。
顔が可愛らしく、どうすれば庇護欲をそそられることになるのかを熟知している雪江は、自分の都合の良いように取り巻きとなった若者を利用して噂話を広げていく。
「安江ちゃん、悪いんだけどここであの娘を置いて行っちゃっても良いかな?」
「ごめんね幸吉さん、あれでも私の妹なの。せめて農場までは一緒に連れて行ってあげたいとは思うのよ」
最初から雪江は幸吉のことを籠絡して、姉から奪い取るつもりで誘いをかけて居たのだ。頑固な幸吉が雪江の誘惑にかかることもない。万が一にも安江を貶めるようなことでもすれば、目ざとい幸吉がそれを許さない。
農場に移動するまでの間、施設で知り合った男の何人かと寝たことが分かると、幸吉は雪江の頬を張り倒しながら、
「そんなに男が好きなら、これからブラジルの娼館に売っぱらってやろうか?」
と、言い出した。
そうしたら雪江は泣いて謝り出して、心を入れ替える、何よりも大事なのは姉の安江なんだ。自分は断りきれなくて男を相手にしただけで、何よりも大事な安江姉さんとは離れたくないなんてことを、涙を流しながら立石に水を流すが如くの勢いで言い出したのだった。
自分よりも劣ると判断した少女を貶めるのが大好きで、息を吸って吐き出すかの如く嘘を吐き続ける雪江。腹違いの妹とは言いながら、今まで大した交流をしてきたことがなかった相手でもある。
神原松蔵に絡んでブラジル人まで出てくるほどの大騒ぎとなったと聞いた時には、
「幸吉さん、もう雪江は追い出しましょう」
と、安江は言い出した。
外作地にも向かわずに、昼間っから酒を飲んで年若い男たちと遊んでいるような妹をいつまでも家に置いておくわけにもいかないと考えていたところに来て、松蔵を居住区の外に誘き出して武器を奪おうと考えていたと聞いては、もう、縁を切るしかないと覚悟を決めることになったのだ。
すると徳三がやって来て、幸吉と安江に向かって言い出したのだ。
「お前たちが連れて来た雪江だが、あれは完全なる『不和の種』だ。このまま外に出せば何をするか分からないところがある。とにかく、契約期間が切れるまではお前たちの家に置いて管理をして、期限が切れたら売るなり焼くなり、好きにすれば良い」
「ですがあの娘のことです。何をやらかすか分かったものじゃないですよ。売るんだったら今すぐにでも売って欲しいですし、売った金は徳三さんたちに渡す形で構いませんから、それじゃ駄目ですか?」
「駄目だ」
徳三は煙管を取り出しながら言い出した。
「パトロン(農場主)は我々日本人がここまで来る費用の一部を負担してくれている。契約で縛り付けられているような状態なのだから、年季が明けるまでの間は、ただただ待つしかない」
煙管に火をつけた徳三は真っ白な煙を吐き出すと、
「連れて来ちまったのは自分たちなんだから、契約期間が終わるまでは覚悟を決めて世話をしろ。契約が切れたらこちらで対応するから」
と、言い出した。
「年季が明けたらこっちで対応する」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
徳三はそう答えると、瞳を細めて笑ったのだった。
ブラジル移民の生活を交えながらのサスペンスです。ドロドロ、ギタギタが始まっていきますが、当時、日系移民の方々はこーんなに大変だったの?というエピソードも入れていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!
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