p.40 探偵王子と幽霊令嬢
翌日、侯爵家を訪れると、屋敷の雰囲気が随分と明るくなっていた。エルシーが目覚めた喜びに未だ包まれているようだ。
いつものようにエルシーの部屋を訪ねると、彼女は起き上がり、ベッドの上で本を読んでいた。
ダリルに気づくと本を閉じる。
「ごきげんよう、エルシー。ご加減はいかがかな」
「まあまあよ。ずっと寝ていたせいで体力が落ちてしまったみたいで……ごめんなさい、まだ起き上がるのがやっとなの。このままの状態でもよろしいかしら?」
「もちろん構わないとも。楽な体勢をとってくれ」
「ありがとう。お言葉に甘えさせていただくわ」
ダリルはベッドの近くにあった椅子をベッドの横に置き、優雅に足を組んで座る。
「君の怪我は不注意で階段から転んだということになっているようだけれど?」
「ええ、わたしがそう言ったの。本人が言ったのだから間違いない。そうでしょう?」
「僕に犯人探しをさせておいて……結局事故にするんだね」
「わたしにとっては必要な作業だった。けれど……殿下には悪いことをしてしまったとも思っているわ。それに、ミリーにも……」
「ふうん、まあ、反省する気持ちがあるなら僕はいいさ」
聞いたところでは、ルーベンはエルシーを突き落とした件についても自分がやったと罪を認めているようだった。事故に偽装したとも証言していたと。
しかし、怪我をした本人がそう言うのだから、エルシーの件に関してルーベンが罪に問われることはないだろう。
「だけど、僕はその優しさは彼のためにならないと思う」
「そうかもしれない。でも……確かにわたしはなにもしてこなかった。ルーベン司教の娘さんが病気だということも、その病気を治療するために多額なお金が必要であることも、そういう人たちが大勢いることも知らなかった……」
「それは仕方ないさ。僕だって知らなかった。父上や兄上もご存じない可能性が高い。そういう病気があることを僕たちは知らないんだ。知らないことに手を差し伸べることは神様にだってできやしない」
「そうね、それもわかっている。結局はわたしの自己満足なのよ。わたしが彼を上手く説得できなかった。その結果がこの怪我。正直、彼のことは許せないわ。でも、彼がそうしてしまった気持ちも、なんとなくわかる気がするの」
ダリルには理解できない考えだった。
どんな理由があったとしても罪は罪。いかなる理由であれ、罪を犯した事実を変えることはできない。
そもそも、そんな個人の感情で許す許さないを決められるのならば、法なんて必要ないではないか。
法は誰に対しても公平だ。正しく人を導くためにあるものだ。そこに個人的な感情論など不要だ。
……とはいえ、これはダリルの問題ではない。
エルシーがいいと言うのならばいいのだろう。それでダリルが困るわけではないのだから、彼女の判断に任せればいい。
「……ふうん。まあ、君がいいのならいいけれど」
ダリルはそう言うだけに留めた。
それにエルシーは「ありがとう」と微笑む。
「殿下にはとても迷惑をおかけてしてしまって、本当にごめんなさい。そして犯人を調べてくれてありがとう。なにか殿下に恩返しを――」
エルシーは台詞の途中で突然倒れ込む。
それにダリルは慌てた。
「どうしたんだ、エルシー? どこか痛いところでも――……え?」
エルシーの肩に触れて話しかけ、ダリルはあることに気づく。
――そう、なぜかエルシーが半透明で浮いているのだ。
「エ、エルシー嬢?」
『……なにかしら』
「なぜ、その姿に……?」
恐る恐るそう尋ねると、エルシーは眉間に皺を寄せた。
『……ものすごく認め難いことなのだけど』
そう言ったエルシーの声音は苦渋に満ちたものだった。
ダリルはごくりと唾を飲む。
『どうやらわたし……幽体離脱体質になってしまったみたい……』
「……幽体、離脱体質……?」
その言葉の意味が理解できない――否、理解することを頭が拒んだ。
『昨日からこんな調子で、気を抜くと体から出ちゃうの』
「体から出ちゃう……?」
もはや鸚鵡返しをすることしかできない。
呆然とするダリルにエルシーはこう問いかける。
『だから――殿下、これからこの体質が治るまで、わたしを助けていただけないかしら?』
「……は……?」
『殿下とわたしは婚約しているのだもの、お互い助け合わなくては。だから、わたしがこうなったときはフォローをどうかよろしくお願いいたしますね』
にっこりと笑って言い切ったエルシーに、ダリルはパクパクを口を動かすことしかできなかった。
――こうして幽霊令嬢であるエルシーとの奇妙な協力関係が始まった。
ダリルたちはこれから大小様々な事件に遭遇し、二人で力を合わせて解決していき、探偵王子としてさらに人気を博すことになるのだが、このときのダリルはそんなことを知る由もないのだった。
〜Fin〜
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