p.02 超常現象は信じない派
宙に浮いているエルシーは怪訝そうな顔をしてダリルを見る。
ダリルはそんなエルシーを見て──気のせいだと思うことにした。
「……うん、疲れているんだ。それはそうだよな。婚約者が倒れたなんて聞かされたら気疲れだってする。人間だもの。よし、今日はもう帰──」
『ちょっと待ちなさい! あなた、わたしのこと見えているんでしょ!?』
「……本格的に体調が悪くなってきたようだ……うん、だって寝ているはずのエルシーの声が聞こえるくらいだからね」
『待ちなさいったら! このナルシストバカ王子!』
帰ろうとしたダリルの行手を阻むように半透明のエルシーが立ち塞がる。
というか、今、ナルシストバカ王子って言った?
「ええと……退いてくれるかな、エルシー嬢。僕は急な体調不良に襲われて今大変なんだ」
『なに言っているのよ、あなたよりわたしの方が大変な状況なの。見てわからないの? バカなの?』
「……」
先ほどからひどい言われようだ。
そもそも、ダリルの知るエルシーはこんなに口が悪くない。もっと淑女然とした人だったはずだ。
つまり──。
「そこにいるのは偽者だな!」
『本物のバカなの? 猫被っていたに決まっているでしょうが! 少しはその小さな頭で考えなさいよ!』
「む……」
なぜそこまで罵倒されないといけないのだろうか。仮にも婚約者なのに。そしてダリルは王子なのに。
まあ……第三王子という、とても中途半端な立場ではあるけれど。
「で、では偽者じゃないと証明してもらおうじゃないか! 問題。去年僕がエルシーに送った誕生日プレゼントは?」
『エメラルドのピアスね。なかなか趣味の良いものだったわ。今ではわたしのお気に入りよ』
「そ、そう? まあ、僕が選んだんだから当然だけれども」
お気に入りと言われてちょっと嬉しくなったダリルだったが、すぐにハッとする。
そしてゴホンと咳払いをし、続いて問題を出す。
(ま、まあ、去年の誕生日プレゼントくらいなら簡単に調べられるし? もっと、本人しか知らないようなことを……)
「続いて第二問。先日、君と会ったとき、僕はなにを食べた?」
『大好物のシュークリームでしょう。ああ、そうだわ……言わなかったけれど、口の周りにクリームがついていたわ』
なぜ知っている。というか、気づいたならなぜその場で言ってくれなかったのか。
クリームのことはエルシーが帰ったあとで気づいて、ちょっと恥ずかしい思いをしたことまで思い出してしまった。
「なんで教えてくれなかったんだ!」
『だって、言うとあれこれ言い訳をし出して面倒くさいから』
いや、確かに言い訳はするけれども。
でもそんなに面倒くさがらなくてもいいじゃないか……。
ダリルがしゅんとすると、エルシーはそれすらも面倒臭そうな顔をして見る。
その顔に傷ついた。
『それで? 信じていただけたかしら?』
「むむむ……」
信じたくない。しかし、どうやらそこに浮いている彼女が本物らしいことは認めざるを得ない状況にあるのも理解している。
難癖をつけるか。いや、つけたところで完膚なきまでに論破されそうな予感がする。こういうダリルの予感は当たるのだ。悲しいことに。
「……君がエルシー嬢であることは認めよう。だが! なぜエルシー嬢が二人もいるんだ!」
そう、問題はそれなのである。
エルシーは確かにベッドで眠っている。なのに、どうして半透明のエルシーがいるのか。
いや、わかっている。わかっているけれど、認めたくない。
この半透明のエルシーが──いわゆる幽霊という存在だなんて。
『……それはわたしが知りたいわ。気づいたらこうなっていたの。よくわからないけれど、ベッドにはもう一人のわたしがいるし……あなた以外はわたしの存在に気づいてもくれなかった』
「……」
それってやっぱり幽霊なのでは……?
いやでも、ダリルは生まれてこの方、幽霊に遭遇したこともなければ見たこともない。なのになぜエルシーだけは見えるのか。
(やっぱりこのエルシー嬢は幽霊じゃない。幽霊じゃない。オーケー?)
誰に問う訳でもなく心の中でそう繰り返す。
自慢ではないが、ダリルは幽霊やこの世に存在する不可思議な現象が苦手なのだ。苦手なだけであって、決して嫌いなわけではないとだけは付け加えておく。
『わたしが思うに、きっとこれは幽体離脱というやつだと思うの。今のこのわたしは魂の存在なのよ、きっと』
「ふ、ふうん……そうなんだね」
幽体離脱。魂の存在。
聞くたくないワードに耳を塞ぎたくなるのを、自身のプライドで堪える。
女性の前では格好をつけないといけない──そういうルールがダリルにはあるのだ。
「でもそれなら、早く体に戻った方がいいんじゃないかなあ。うん、それがいいと思う」
そうだ、一刻も早くこの不可思議な現象から逃げ……じゃなく、解放されたい。
『そうしたいのだけど……なぜか戻れなくて……』
「戻れない? なぜ?」
『それがわかっていたら困っていないわよ! このバカ王子!』
エルシーの暴言に『レディーファースト』をモットーにしているダリルもさすがにカチンときた。
「君、さっきから黙って聞いていれば……バカだのナルシストだのキザだのアホだのマヌケだの……僕を誰だと思っている! この国の王子だぞ!? 僕にそんなことを言ってタダで済むと思っているのか!」
身分を盾にしてエルシーを責める。これは王族である特権である。
貴族令嬢が王族であるダリルにそんな口を聞くことなど、本来ならばありえないことだ。一族全員の首が飛んでもおかしくはないくらい無礼なことである。
……もっとも、現在においてそこまでの処罰がくだされるかと問われれば謎である。処罰はくだされるかもしれないが、もっと軽いもので済むだろう。たとえば、厳重注意とか、悪くて謹慎処分だろう。
エルシーは『キザとかアホとかマヌケなんて言っていないけれど……』と一瞬怯んだが、すぐに強気な顔を作る。
『どうぞご自由に? あなたのお父様かお兄様にでも告げ口してくださって結構よ。もっとも……意識不明のわたしがそんなことを言ったと主張しても、誰も信じないでしょうけれど』
「……!」
なんて卑怯な、とダリルは唇を噛んだ。
でもまあ、言われてみれば確かにその通りだ。今、そんなことを言ったところでダリルが「なにを言っているんだ」と言われて終わりだろう。
「君は……そんなに口が悪いなんて、知らなかったよ……」
苦し紛れにそういうと、エルシーはにっこりと笑う。
『猫を被っていましたもの。大切な婿様ですし、ね』
「……」
エルシーは一人娘だ。マルティネス家は代々女系の家系らしく、現在、分家を含めて後継になれるような男子はいない。
我が国では女性は爵位を継げない。それゆえに、第三王子であるダリルが次期侯爵として入婿になることが決まったのだ。マルティネス家は過去に王族の姫が嫁いだこともあり、その領地が国内でも重要な位置にあることもダリルが入婿することが決まった理由の一つだ。
『わたし、とっても都合のいい婚約者だったでしょう? そう思ってもらえるように演じておりましたのよ、ダリル様?』
すべてはエルシーの掌の上だったらしい。
気に入らないが、実際都合が良かったことには違いない。
『でももうやめました。わたしの本性を知られてしまったもの』
「ふうん、それは残念」
心からそう思って言うと、エルシーがぐいっと近づいた。
それにギョッとすると、彼女はにんまりと笑った。
『ねえ、殿下。わたしの頼みを聞いてくださらない?』