p.19 司教とシスター
「殿下のお考えはわかりました。ですが、あいにくお役に立てそうにありません。エルシー嬢はいつもと変わらないように私には思えましたので」
「……変わらなかった?」
なぜだろう。ダリルはその言葉を『意外』だと感じた。
今までの調査からして、エルシーがなにかに悩んでいたことは明白だった。しかし、それをエルシーが周りに気取らせないようにしただろうことは容易に想像できる。
エルシーは貴族の娘だ。容易に人に弱みを悟らせるような態度を取ることは、貴族の美に反することである。そしてそれが自分を支援している相手ならばなおのことだ。
だから、司教がエルシーの様子を『普段と変わらなかった』というのもおかしい話ではない。
(そのはずなのだけど……なぜ僕はエルシーの様子が変わらなかったという司教の言葉を意外に思ったんだ……?)
「ええ。いつもとお変わりなく、子どもたちにも接していましたよ」
「そうなんだね。ところで、エルシー嬢を発見したのは誰なのだろう。いやなに、その人がいなければエルシー嬢は助からなかった可能性も高かっただろうし、僕からもお礼が言いたくてね」
考えてみればダリルはエルシーの家の執事からの又聞きでしか当時の状況を聞いていない。実際にその場にいた人物から改めて話を聞けば、なにかわかることがあるかもしれない。
そう考えての発言だったが、少し言い訳めいてしまったかもしれない。
「エルシー嬢を発見したのはシスターです。今は孤児院の方にいるかと」
「司教はそのときどちらに?」
「私は少し買い出しに出掛けていまして……こちらに戻るとシスターがなにやら慌てており、中に入るとエルシー嬢が倒れていました。そこで、シスターには医者を呼ぶようにと指示をし、私は侯爵家へ連絡を」
「なるほど。では、あなたとシスターがエルシー嬢の命の恩人になるわけだ。その節はどうもありがとうございました」
頭を下げたダリルに司教は慌てた。
「いえ、そんな……! 顔をおあげください、殿下。元をただせば私どもの点検不足が原因です。叱られこそすれ、礼を言っていただける立場にございません」
「しかし、階段の腐食についてはそちらの落ち度ではあるのだろうが、あなたたちがエルシー嬢を救ったことも事実だ。だから、礼を言うのが筋だろう。受け取ってくれるね?」
「は、はあ……殿下がそうおっしゃられるのなら……」
ルーベン司教は困った顔をしながら、ハンカチを取り出して額の汗を拭った。おそらく冷や汗だろう。
少し強引過ぎたかとダリルは反省し、話題を変えた。
「司教、よければ僕を孤児院に案内してくれないだろうか? エルシー嬢が熱心に支援していたという場所が見たいし、なによりもシスターにお礼が言いたい」
「はい、もちろんです。孤児院はこちらです」
ルーベンの案内に従って教会の奥に進む。
裏口とは別の扉があり、そこを開けると目の前に孤児院の建物があった。
「我が教会が運営する孤児院です。とはいえ……運営状況は芳しくなく、エルシー嬢にはとても助けられています」
「……そのようだね」
孤児院は明らかに老朽化が進んでいた。あちこちに補強をしたような形跡はあるが、あまり長くは持たないだろう。明らかに素人がやった処置だ。
それでも、外からも聞こえる子どもたちの元気な声は、この孤児院が貧しいながらにも子どもたちに愛情を注いで育てている証だろう。
それもエルシーが支援しているからこそ、なのかもしれないが。
噂で聞くところによれば、孤児院とは名ばかりのただの子どもの寄せ集め、または大人のストレス発散に虐待をしているところや、人身売買をしているところもあるという。
人身売買はこの国の方で禁じられている。にも関わらず影では盛んに行われているらしい。
ダリルの兄たちもなんとかしようと画策しているようだが、今のところ大きな成果はないようだ。取り締まりをしようと乗り込んだもののもぬけの殻だった、なんてことが何回も繰り返されているらしい。
(内通者がいるんじゃないかと兄上たちは疑っていた……まあ、それは今は関係ないことか)
ダリルはルーベンに案内されるままに孤児院の中に足を踏み入れる。
「シスターソフィア、いますか?」
「はい、どちらさまで――ああ、ルーベン司教様でしたか」
中から出てきたのは若いシスター服を着た人だった。
孤児院の運営は教会から派遣された司教が担うことが多いと聞いていた。若い司教、ましてやシスターが孤児院の運営をしているなんてあまり聞かない。
「ブレイク君はどちらに?」
「ブレイクさんなら今は買い出しに出かけておりますが……司教様、そちらの方は?」
「この方はエルシー様のご婚約者です」
「はじめまして」
紹介されて挨拶をする。
ソフィアは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに深く頭を下げた。
「お、お会いできて光栄ですわ。エルシー様から噂はかねがね……あっ、申し遅れました。私、ソフィアと申します。エルシー様にはとてもよくしていただいておりまして……あの、エルシー様の件はなんと申し上げればよいか……」
あからさまに狼狽しているソフィアにダリルは苦笑する。
「そんなに畏まらないでおくれ。ただ僕はエルシー嬢が熱心に支援していたという場所が見たいだけなのだから。それに……君にもお礼が言いたくてね。僕の婚約者を助けてくれてどうもありがとう」
「い、いえ、そんな……当然のことをしたまでですわ……」
ソフィアは落ち着かない様子で、おろおろしている。
それも仕方ない。美しい王子として有名なダリルが目の前にいれば、動揺してしまうのも仕方のないことだ。




