p.15 変装バレ
考えてみればエルシーはオーウェンが留学していると思っていたのだ。エルシーが怪我をしたという情報が他国にいるオーウェンに伝わるとは考えづらい。
だからオーウェンがお見舞いに来る可能性を排除していたとしても普通ではない。
だけど、それにしてもエルシーの反応は変だ。
半透明の肩は震え、いまだ俯いたまま。
(まさか……泣くのを堪えている? オーウェンがお見舞いに来てくれるかもしれないことが嬉しくて……?)
エルシーは『ダリルの顔が好みではない』と言い切った。それはつまり、他に好きな人がいるからダリルのことは眼中にないという意味でのことだったのではないだろうか。
そしてその好きな相手というのがオーウェンだった。
エルシーは侯爵家の一人娘で、オーウェンはシモンズ商会の跡取り。そんな二人が結ばれることは決してない。
だから、内なる想いを秘めてエルシーはダリルと婚約をした――。
(いい話だ……僕が関わっていなければな!)
そうダリルが内心で苛ついていると、エルシーが『……ふっ……』と笑いを堪えるような声を漏らす。
「……エルシー?」
『ふっ、ふふっ……ごっ、ごめんなさい……ちょっと笑いがっ……止められそうになくて……!』
「……笑いが止められそうにない……?」
『だって、ありえないもの!』
「ありえない……?」
先ほどからエルシーの言葉をおうむ返しに言うことしかできていない。
ダリルの頭は疑問符でいっぱいだった。
なぜエルシーは笑うのか。知り合い、ましてや幼なじみが大怪我を負ったとなれば、心配するのは当然のことだと思うのだが、それを『ありえない』とエルシーは言う。
(エルシーとオーウェンの関係はいったいどんなものなんだ……?)
少なくとも、ダリルが思い描いた関係性とは程遠いことはエルシーの反応からしてわかった。
エルシーの笑いが収まるのを待つこと三分ほど。
その間、エルシーはお腹を抱えて笑い続けていた。貴族令嬢にあるまじき行為だ。
ぜひ、今後はダリルの前では控えてもらいたい。彼女が笑っている間、どうすればいいのかわからず、ものすごく居心地が悪い思いをしたからだ。
『あー、笑った……こんなに笑ったのは初めてだわ……ふふっ』
「まだ笑っているじゃないか……いや、それよりも、僕はなにかおかしなことを言ったか?」
『いいえ、あなたは常識的なことを言っただけよ。普通の幼なじみなら、心配するのでしょうね。でも、わたしとオーウェンの関係は違う。わたしたちはただ利用し合っているだけ。幼い頃から付き合いがあるから幼なじみなんて言っているけれど、実際は顔を合わせるたびに腹の探り合いをし、お互いを利用している……そんな殺伐とした関係なの。だから、彼がわたしの身を案じることはないし、逆もそう。わたしが怪我をして彼が見舞いに来るとしたら、わたしをバカにしにくるか、わたしの貶めた犯人に興味があるかのどちらかね』
どんな幼なじみだ、とダリルは内心で思いながら、「そうなんだ」と平然を装い答える。
もしもダリルにそんな幼なじみがいたら、ものすごく嫌だ。実際には幼なじみと呼べる存在はいないので、そのことに初めて感謝した。
「なんというか……大変な幼なじみを持ったね……」
『ええ、本当にね。でも……彼の持っている情報は役に立つ。だから、わたしは彼との親交を続けているの』
「情報?」
『商人ならではの情報網があるのよ。そして彼はわたしの持つ情報がほしい。お互い付き合うことにメリットがあるから繋がっている。ただそれだけの関係。どう? 安心したかしら?』
「安心? なんの?」
眉毛をピクリと動かしたダリルにエルシーはにんまりと笑う。
『わたしとオーウェンの関係を疑っていたのではなくて?』
「君とオーウェンの関係を僕が疑う? まさか」
ダリルはそう言って笑う。
しかし、内心は焦る。なぜバレた、と。
『あら、違った? まあ、どうでもいいけれど。それより、別館に行くのでしょう?』
「……そうだね。移動しよう」
話を変えてくれたことにホッとしつつ、ダリルは顔を引き締める。
ここからは人目がある。エルシーに話しかけないように気をつけなければならない。
傍から見たら、ダリルは一人でブツブツ話している危ない人だ。どんなに見た目が美しくても、一人で喋っていたら不気味に思うだろう。誰もがあの運転手のように考えてくれるわけではないのだ。
ダリルの評判が下がるなんてことはあってはならない。それは自分のためであるし、家族のるためでもある。
ダリルは人前では『完璧な王子様』でいなくてはならない。たとえ変装していても、その正体がバレたときのために『完璧な王子様』を装い続ける必要があるのだ。
ダリルは極力エルシーを見ないようにしながら別館へと向かう。
別館は本館と繋がっているため、わざわざ外に出る必要はない造りだ。
別館に入ると、本館よりも閑散としていた。
パンフレットによれば、別館は専門書や歴史書、過去の新聞などが置かれているのみで、一般大衆が好むような書物は置かれていないらしい。
まばらにいる人も学生や研究者らしき人ばかりだ。
探偵の衣装に身を包んだダリルはものすごく浮いて見えるだろう。
(僕が浮いて見えるということは……きっとエルシーもそう見えたに違いない)
明らかにここは貴族が立ち入るような場所ではない。
ならば、今ここにいる人にエルシーのことを聞けば、誰か一人くらいは覚えているのではないだろうか。
そう考え、ダリルは早速聞き込みを開始した。
しかし、すぐにそれは頓挫した。
「はあ? 貴族のお嬢さん? そんなの知るわけないだろ。研究に必要な資料を読んでいるんだ、話しかけないでくれないか」
「他人のことなんか知るかよ」
「さあ、存じませんが」
手当たり次第に聞いてみたが、成果はない。
研究者たちがここまで他人に興味を示さない人種だとは、予想外だった。
(ああ……甘い物がほしい……)
甘い物はエネルギーになるのだ。落ち込んだとき、疲れたときに食べれば元気になれる幸せの食べ物である。
ダリルは再び持参していた飴をポケットから取り出し、口に放り込む。はちみつの甘さが口いっぱいに広がり、幸せな気分になれた。
「……よし、次だ」
気持ちが回復したところでダリルは再び聞き込みを再開した。
「ああ……この人なら見覚えがあります」
「本当かい?」
ようやく出会ったエルシーに見覚えがあるという人物は、近くにある王立学園の生徒たちだった。
メガネをかけた真面目そうな青年と、前髪を切りそろえた弱気そうな青年の二人組だった。
「僕たち、王都で過去にあった事件や出来事について調べていて、そのために新聞が置かれているコーナーによく行っていて、何回かその人を見かけました。その人、真剣な顔で新聞を読んでいましたよ」
「な、なんか……こ、子どもがどう……とか言っていました……」
「そうか、貴重な情報ありがとう」
心からお礼の言葉を告げると、二人は顔を見合わせた。そして小声で「……そうかなぁ……?」「でもそっくりだし……」となにやら相談を始めた。
そした、メガネの青年が勇気を振り絞り、顔をあげて問いかけた。
「いえ。……あ、あの! もしかして、ダリル王子では……?」




