p.01 突然の一報
『――これは彼が、探偵王子と呼ばれるきっかけになった事件の話である。
「探偵王子の事件簿」R・P・エデン著より』
婚約者であるエルシー・マルティネスが倒れた──
その一報を聞き、ダリルはへえ、と思った。
エルシーは見た目こそダリルに見合う女だが、それ以外はつまらない女だった。
ダリルと会っても控えめな笑みを浮かべ、一歩後ろに従い歩く、淑女のお手本を体現したような女だった。
ダリルが好き勝手をしても困った笑みを浮かべるだけ。一応注意らしいことは言うが、ダリルがあれこれ言い訳をすればそれで黙り込む。
まあ、そんな婚約者のおかげでダリルは好き勝手にできているわけだけど──それはこの際置いておこう。
ダリルにとってエルシーは都合の良い婚約者だった。
情なんてまったくないけれど、それでも一応婚約者──それも、いずれは彼女の家に婿入りする身とあれば、見舞いに行かないわけにはいかないだろう。
ダリルは使用人に適当な花束を買うように頼み、それを持ってエルシーの家へと駆けつけた──ように装った。
「ああ……ダリル殿下、我が娘のためにわざわざ来てくださり、ありがとうございます……」
エルシーの父、マルティネス侯爵が頭を下げた。
いつも見る侯爵よりもいくつか老けて見えた。きっと頭の痛いことが多いのだろう。大変だなあ、と他人事のように思いながら、ダリルは気遣うような表情を作った。
「ああ、なにをおっしゃるのです、侯爵閣下。我が愛しの婚約者の一大事に駆け寄らない道理があるでしょうか。それで……エルシー嬢は……?」
「はい……医者が言うには、幸い命に別状はないそうなのですが……意識が戻らないのです……」
「そうなのですか……なぜエルシー嬢がこんなことに……」
悲壮な顔を作って嘆いてみせたダリルに侯爵は「殿下にここまで気遣っていただけて娘も幸せでしょう……」と涙ぐんだ。
そういえば、この侯爵は娘を溺愛していたんだったな、と頭の片隅で思い出す。
最愛の娘が意識不明になったとならば、それは父親として辛いだろう。
ダリルにはまったく関係ないが。
「どうか娘に声をかけてやってください……」
侯爵はそういうと、色々とやることがあるからと、いつもよりも重い足取りで去っていった。
これは重症だな、とダリルは思ったあと、侯爵家の執事のあとに従い、エルシーの部屋に入った。
大きなベッドの中心ではエルシーが眠っていた。
ダークブロンドの少し癖のある長い髪がベッドに広がっている。エメラルドのような緑の瞳は今は固く閉ざされ、あちこちに巻かれた包帯が痛々しい。
彼女のベッドのすぐ横には、ダリルが持ってきた花束が飾られていた。渡してすぐにメイドが生けたのだろう。
執事は気を遣ってか、部屋から出ていった。
どうしたものかとダリルは考え、彼女のベッドの横に座った。
「……まったく、とんだ面倒だ」
都合のいい婚約者であった彼女の事故。仲の良い婚約者を装っていたから、きっと多くの心配の声がかけられるだろう。それにいちいち対応しなければならないかと思うと、正直なところ、面倒という気持ちが優った。
ダリルは人に囲まれるのは嫌いではない。むしろ大好きだ。
だけど、その中心が自分でないと我慢できない。自他ともに認める自分勝手な性格だった。
今回の件も、きっと心配されるのはダリルを装いつつ、エルシーだろう。
彼女は密かに人気があるのだ。これを機に彼女に近づこうと目論む輩が出てもおかしくはない。
それはそれで別に構わないのだけれど、こんなに麗しいダリルを差し置いてエルシーが誰かと──なんてことになったら……。
(……いや、それはないか)
なぜなら、エルシーはダリルに惚れているから。
だからこそ、ダリルに嫌われないように、なにをしても許してくれるのだ。そうに違いない。
まあ、エルシーがダリルに惚れるのも無理はない。ダリルは誰もが羨む美男子だから。
サラサラのプラチナブロンドに、まるで春の空のような淡い水色の瞳。
切長の目、高い鼻、薄すぎず厚すぎもしない、完璧な唇。
小さな頃は天使が舞い降りたかのようだと、皆から賞賛されてきたこの美貌。
これに惚れない女がいるだろうか。いや、いない。と、ダリルは自信を持って断言する。
「美しすぎるのも罪、かな」
そんなことをつい口にしたとき、
『はあ? なにを言っているのかしら、このバカ王子。頭が膿んでいるのかしら? 病気? 病院で診てもらった方がよいのではなくって?』
とダリルを嘲笑う声がした。
ダリルはハッとして辺りを見回した。だが、誰の姿もない。
(気のせい、か……? いや、気のせいにしては悪意に満ちた声だったな……それもどこかで聞き覚えがある……)
『本当に誰も彼も役に立たない輩ばかり……! わたしの心配する前に、わたしをこんな目に遭わした犯人を見つけなさいよ! 動揺する前に行動なさいったら! これもどれもあのバカ王子のせいだわ! きっとあのバカ王子の信奉者がわたしを……許せない、あのバカ王子! いつもいつも自分の顔自慢ばかり……あなたの顔なんて見飽きているの、もう見るのもうんざりだわ!』
……おかしい。最終的になぜかバカ王子のせいになっている。
そもそもそのバカ王子というのはダリルのことなのだろうか。いや違うよな。違うと信じたい。
だってダリルの顔を見飽きるなんてことが起こりえるわけがないのだ。
いや、それよりもこの声の主を探さなくては。
この部屋にいるのはダリルとエルシーだけのはずだ。だが、声がするということは第三者がいるということに違いない。声からして女だろう。いったいどこに潜んでいるのか……。
注意深く部屋の中を見回し、何気なく上を向いた。
そしてダリルは気づいた──半透明のエルシーが宙に浮いていることに。
目をごしごしと擦り、再び上を向く。
するとそこにはベッドで寝ているはずのエルシー(※なぜか半透明)が宙に浮いていた。着ている服も寝ているエルシーと同じだった。そしてばっちり目が合った。