第1話:僕はリア充になりたかった。
奇妙な呪いによって一日一時間、手を繋がなければ死ぬ運命を背負うことになった僕たちは、この一か月間、駅前のカラオケボックスの中でノルマをこなしていた。
誰かに見られるわけにもいかず、しかし互いの家で集まるなど言語道断。密閉された人目に付きにくい空間として、カラオケボックスは優秀だった。
ただし、毎回毎回、例外なく、互いに無言。何を言うわけでもなく、何を歌うわけでもない。ただっただ無言で互いにスマホを弄っていた。
会計で割り勘するときも、別に打ち合わせをしたわけでもないのに、きっちり半分、小銭もぴったりと持ち合わせて、会計の時にそれぞれ一言もしゃべらずに皿の上に置いていた。
支出は痛かったが、命を守るためだ、仕方ない。
会計のたびに不思議そうに見てくる店員だったが、そんなことを二週間も続けていると、流石に慣れたのか流れるような手つきで会計を済ませていた。慣れってすごい。
――――そして今日。晴れて僕は、高校生となる。
事前に調べていた通りであれば、徒歩5分の道のりを経て電車に15分乗車し、そこからさらに10分歩くと学校へたどり着く。電車の待ち時間を無視すれば、ドアトゥドアにしておよそ30分。世の中には1時間かけて通学する人間もいることを加味すれば、なかなかの通学環境と言えるだろう。
しかしこの高校への進学を決めたのは、通学時間がなんて小さな理由ではない。なんならこの高校より近いところだってあったくらいである。
――――僕の通う高校の平均偏差値は65という、なかなかの秀才が集まる進学校なのだ。
これは僕が中学1年の、夏休み直前に受けたテストおの結果発表の時のことなのだが、包み隠すことなく赤裸々に告白させていただくと、当時の僕はテストで下から10番目くらいだった。
控えめに言って死んでいた。
カスと言ってもいい。
だが、そんなカスよりもカスな奴がいた。
そいつはとんかつに醤油をかけ、目玉焼きにソースをかける。サラダには専用のドレッシングをかければいいのにポン酢をかけるし、納豆には付属しているタレではなくキッコーマンの醤油をぶっかけるような女だった。
つまりは、水瀬啄木鳥だった。
やつは学年ぶっちぎりの馬鹿。全教科赤点は愚か、全教科一桁台を叩き出したアホである。見た目だけは凛然としていたが、頭の中身は虫に食われたどんぐりの様にすっからかん。しかしそれには理由があった。心底どうでもいい、本当にくだらない理由が。
――――私、勉強なんてしなくてもなんでもできるから。
まるで自分自身が全知全能の神ゼウスであるかのような言い草を放つこの女だが、その実態は学年ぶっちぎりのド底辺。自分は頭がいいと見当違いも甚だしい勘違いをしていたらしく、勉強しなくても地球人類史上の理など知り尽くしているかの様な口ぶりである。無駄に高いプライドが、彼女を底辺へと追いやっていた。
――――いや、勉強しろよ。
そう突っ込んだのは、当時はまだそれほど仲の悪くなかった僕である。むしろ気が合う友人、あるいは見た目だけは美少女だった彼女に好意を持っていた事実さえある。今となっては消し去りたい過去でしかないが、しかし服に付いた墨汁の頑固な染み汚れのように、僕の記憶の中に炭となって残り続けていた。
―――――勉強は馬鹿がやることなのよ。
お前馬鹿だろ、と口に出さなかったことが悔やまれる。中1の時の僕、それは言ってよかった。言わないと後悔する。今の僕のように。
ちなみに彼女が自信満々といった風な雰囲気をだし始めたのはこの頃からで、小学生の頃は教室で常に読書をしている変わった少女だった―――なお、中学の同級生は小学生の頃とほとんど顔ぶれが変わらなかったので、変人が変身した変態扱いされていた。
このテストを皮切りに、彼女はとにかく勉強が苦手だというのが、僕を含めた同級生一同の共通認識となった。
―――ここまで言えば、僕なんかよりもずっと頭のいい、殆どのやつは気がつくだろう。水瀬啄木鳥との悪縁を、無理矢理にでも引き剥がす手段がそれなのだ。
つまるところ、僕は死ぬほど勉強してでも、水瀬と一緒の高校にだけは入りたくなかったのである。
●●●
入学式を終えて、自己紹介の時間が始まろうとしていた。
高校生活が始まって最初、必ずあると言っていいい自己紹介は第一の関門である。ここを潜り抜けられた者だけがバラ色の高校生活を送れるし、抜けられなかったものは灰色の《《人生》》を送る羽目になるだろう。
………物事には必ず対極するものがあるという。
キノコとタケノコ、ポッキーとトッポ、うす塩ポテトとのり塩ポテト。そして―――リア充とぼっち。
この自己紹介を制したものこそが、リア充への階段を上る。すなわち、高校生活を華々しく飾れるというわけだ。
さて、しかしてここで問題がある。それは、やはりというべきか、僕の真後ろの席に、奴がいることである。僕の邪魔をすることに定評のある、偶然という名の悪縁によって結ばれた存在。
僕とはとことん馬の合わない、自分勝手で自分本位の女、水瀬啄木鳥という厄介者が。
「今すぐ転校してくれないかしら」
後ろから悪魔のようなウィスパーボイスが聞こえてくる。
このクラスの席の並びは凸の文字ようになっており、特に水瀬は丁度出っ張った位置に席が置かれている。教卓からは僕が壁となって見えず、かつ水瀬の後ろには誰もいない。つまり僕は彼女に背後からマウントを取られているということになる。水瀬が何をしようが、正面と後ろからはまず見られることもない、絶好のポジショニング。
はっきり言おう。これは窮地である。
前方に自己紹介の関門、後方に猛獣がいるこの状況で、僕はリア充への切符を手にしなければいけない。そしてきっと、彼女は僕の邪魔をしてくるだろう。
―――だって、僕なら絶対にそうするから。
水瀬と何でもかんでも息が合う……合ってしまう僕だからこそ、彼女が何をするかが読めてしまう。僕が立ち上がろうとした瞬間、まず首元から服の中に何かを忍ばせる。冷たいものか、硬いものかはわからないが、それはきっと僕が「ひゃっ!」とかわいらしい声をあげてしまうものだろう。
いい感じで周りに変な奴という第一印象を与えた彼女が次にやることは、僕が変人だというレッテルを、最低でもこの一年間は張り続けること。座るときに椅子を引くとか、喋ってる途中で吹き矢風にシャーペンの芯を飛ばしてくるとか、その程度は当然のごとくやってくる。
どうしてそんなことがわかるのか?
簡単だ。
僕ならやる。
相手をぼっち生活に追い込み、リア充となった自分との生活圏を乖離させるために。
いくら息が合おうと、ブラジルと日本にいたら会うこともない。リア充とぼっちという境界線をまたいだ場所にいることで、少なくともこの一年間、僕は平穏に過ごせることだろう。逆に言えば、同じ境界の中にいれば、嫌でもかかわることになる。
「ぶっ潰してあげるから」
小さな声でありながら確かな殺気のこもった言葉に、ぞくり、と僕の首元に悪寒が走る。ここから先は弱肉強食、そう突き付けられるかのようだった。
学校生活において、リア充とぼっちとはつまり、勝者と敗者である。
好きこのんでぼっちになりたい奇異な奴などいない。少なくとも、僕と水瀬はそんな人種ではない。群れれば安心できるし、楽しめる。そんな性格だと、お互いに知っている。
故に。
相手をいかにしてぼっちへ追い落とすかが、この場所、この瞬間における、勝利条件。
僕はメモ用にもってきていたノートの一部を切り取ってペンを走らせると、後ろ手に、彼女に見せた。
『強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ』
その直後、僕の耳元に呼吸音が聞こえてきた。どうやら、前のめりにして僕の方へと顔を近づけてきたらしい。
水瀬は耳元で囁きかけてくる。
「視力と聴力が弱いみたいね、おじいちゃん」
『認知症治療は最近進んでるみたいだぞ』
「え? 自虐?」
『頭は弱いみたいだな、おばあちゃん』
「いてっ!?」
そのメモを渡して数秒後、僕は頭に走る鈍い痛みに、思わず声をあげる。痛みと同時に聞こえてきた『ぶちっ』という骨に響くような音は、僕の毛根が悲鳴を上げたものだとすぐにわかった。
周りからは、不思議そうな視線が向けられてきた。
後ろから聞こえてくる、ほくそ笑むような声。
「頭が弱いみたいね、おじいちゃん」
このアマ……。
「はーい、次は三柳君お願いねー」
どうしてくれようかなどと考えていると、担任の女教諭から順番だと告げられる。仕方ない、この続きは後だ。ここからは公式戦、騙しあい足の引っ張り合いなんでもあり。どちらがぼっちに堕とすかの真剣勝負である。
僕は背中からの攻撃に対して過剰に反応しないように身構えながら、椅子を引く。さあ、なにがくる? ペンの先でついてくるか? また髪を引っ張るか? 覚悟はできているぞ、かかってくるがいい。
ただし、失敗したが最後、僕はリア充の階段を上る。後ろを取られてしまったのは確かに厄介だが、先手をとれたのは大きい。僕がリア充になってしまえば、水瀬に残された道はぼっちになることだけだから。
僕は全身を強張らせながら、すっと足に力を込めた。
その瞬間のことだった。
「(ぁんっ)」
「!?」
まるで予想していなかった、耳元から聞こてきた甘ったるい声に反応して、僕の足に自然と力が入る。しかし、立ち上がる寸前だったのが悪いのだろう。その拍子に足がもつれてしまい前のめりに倒れてしまう。当然、僕の顔が近づいていくのは前の席の人の頭。そして運の悪いことに、《《彼女》》はこちらを見上げていた。
「え?」
なかなかに可愛い子だった。愛嬌のある、誰からも好かれそうな顔に小さな体。庇護欲を煽られるような気さえする。
そんな彼女の顔を目の前に、僕はぴたりと止まった。
―――――あ、あっぶねええええええええええええ……!!
まさに文字通りの一触即発。あと0.1秒、体を止めるのが遅かったら、まず間違いなく唇同志が接触していた。
目の前の彼女―――最初、教室に入ってすぐ、黒板にある張り紙で席順を確認したとき、僕の前の席にあった名前、そう、確か、杏あかり。彼女の見開いた眼がまさに目の前にあった。
「ご、ごめんっ!」
体を起こすと同時に謝るが、つい声が裏返る。周りからは『何してんだあいつ』という視線。終わった………。
これで僕のぼっち生活は確定。
「……三柳川柳です。よろしくお願いします」
絶望の淵に立たされた僕の自己紹介は、何も言葉が出てこないまま、名前だけを言って終わった。
席に着く際、正面の杏さんと改めて眼があった。顔を赤らめて、そっぽを向いてしまう。これから水瀬の自己紹介があるというのに、その視線は延々と窓側の方を向いている。完璧に嫌われた……。
変人変態と言われて過ごすであろうこの一年間のことを想うと、僕の胃がキリキリと痛くなっていく。とても平静ではいられない。恥ずかしくて恥ずかしくて、つい、見たくもない後ろ―――水瀬の方を向いてしまう。
水瀬はたった今、丁度立ち上がるところのようだった。この女のせいで、僕の人生は灰色に変わる。
なぜ僕だけなんだ?
この女が悪いのに?
この時の僕は、平静ではなかった。それが逆に良かったのか悪かったのか、僕の無意識ともいえる行動は、水瀬に読まれることもなかった。
「私は水瀬と――――は?」
自己紹介の途中だというのに、それを途中でやめてこちらを見やる水瀬。その目はまるで信じられないものを見ているかのよう。そりゃそうだ、僕だって僕の行動が信じられない。
僕は、水瀬の手を握っていた。
それは恋人結び。縁絶ちの神もとい、縁結びの奇妙な神によって施された呪いという名の呪い。一日一時間、相手と手を結び続けなければその日の0時に死ぬ呪いである。
つないだが最後、向こう一時間は外せない。僕たちはこの自己紹介が終わるまで、あるいは終わってもなお、時間が来るまでは手を繋ぎっぱなしとなるだろう。
「な、なにして――――はっ!」
水瀬は僕の無意識化レベルでの自爆や道連れともいえる行動に察しがついたらしい。僕だって行動に移してから気が付いた。
水瀬と僕が周りを見渡すと、そこには不思議そうにこちらを見やるクラスメイト達。
――――なにしてんだあれ
――――やだ、もしかして彼氏?
――――こんな時に手つないでるよ? もしかして恥ずかしいのかな?
――――見てるこっちが恥ずかしくなるわ……
はい、自爆完了。
「…………!!!」
はかったなああああああ!!!!
―――なんて、水瀬の心の声が聞こえてくるようだった。まさか呪いのことを言い訳に使うわけにもいかない。言ったが最後、今度は頭のおかしいキチガイとして扱われるだけである。
こいつは今、自己紹介をする時に彼氏と手を繋いだうえ、離す様子もないメンヘラ女というレッテルが張られたのだ。そしてそれは、そのまま僕にブーメランがごとく帰ってくる。
即ち、ただのバカップル。
「な、なんかごめんね……」
水瀬の方を向いている僕に、後ろから杏さんが誤ってきた。多分、さっきの急接近ことを言っているのだろう。もしかしたら、彼女がいるのに……みたいなことを考えているのかもしれない。
だが、安心してほしい。
こいつは、僕にとってただの疫病神である。




