時をかける尻
家に帰ってすぐ、私は驚愕した。壁から尻が生えていたのである。見知らぬ肉塊が壁に張り付いていた。
私は警戒して1時間ほど遠くからその尻を見ていたが、こちらに危害を加えてくる様子はなかったので恐る恐る近づいた。割り箸で突いてみたら、ピクッと動いた。どうやら生きているようだ。
ここに尻があるということは、壁をはさんで向こう側に胴体とか頭があるのだろうか?私はベランダに出て外から家の壁を見た。しかし、胴体はなかった。ただ尻だけが室内の壁に張り付いていたのである。
しばらくすると尻はおならをした。部屋に臭いが広がり、非常に嫌な気分になった。その直後、今度は大便が出てきた。キレる寸前の心を抑え込み、大便を処理し、尻の下にバケツを置きビニールを敷いて対策をした。何度も尻を壁から引きはがそうとしたが、尻は壁にぴったりくっついて剥がれそうにはなかった。
ムカついたので尻をつまようじで刺した。すると、尻から悲鳴のような音が聞こえた。いや、音というより、悲鳴そのものだった。その後も尻からはうめき声のような音が聞こえてきた。うるさいなぁと思い、もう一度尻を刺した。すると悲鳴の直後、尻の穴がまるで掃除機のように空気を吸い込み始め、部屋の物がどんどん吸い込まれていった。机の上の小物からテレビなどの家電まで、何でも吸い込む尻の吸引力は強く、私の体も尻の穴に向かって引っ張られた。尻になんか吸い込まれたくない!私は柱にしがみつき、ただただ必死に耐え続けるしかなかった。しかし、辞書を吸い込んだその瞬間、吸い込みが止まった。
一体何が起きたのか。私は恐る恐るその尻に近づいた。よくよく見ると、その尻にLANケーブルを挿す場所があった。こんな状況になると、もういろんなことがどうでもよくなった。私は好奇心を抑えきれなくなり、尻にLANケーブルを挿した。これで尻がインターネットに接続されたというのだろうか?
すると数分後、尻が突然話始めた。
「痛いじゃないですか!あなたには常識とか道徳心とか、その他いろいろなものが欠けている!突然暴力を振るうとかどうかしている!しかも叩くとかならまだしも、刺すなんて!」
尻が喋った!私は驚き、体が固まってしまった。
「なんとか言ったらどうなんです?あなたは沈黙のサイコパスですか!?」
そう言うと尻は黙った。沈黙。どうやら私と会話をしたいらしい。しかし私は何も言わず黙っていた。やがて尻は諦めて再び話し出した。
「まったく…。もう少し他人に対する思いやりとかを持たないと、このままじゃ将来大変後悔することになると思いますよ。今すぐその暴力的な性格を矯正し、人として正しい道を歩めるようにしなければなりませんね」
私はやっと話しかける勇気が出てきた。恐る恐る尻に話しかけてみた。
「な…なんで尻がしゃべってるのよ!」
すると尻は肉をピクピクさせながら話し始めた。
「あなたの部屋にある辞書を吸収して言語を学習しました。あなたが日本語という言語を使うということが分かりました。しかし、辞書には音声データがありませんでした。なのでインターネットから日本語の発音についてのデータをダウンロードし、日本語をマスターしたというわけです」
私はこの事実を受け入れることができなかった。まだ夢の中にいるような感じだった。
「これで理解できましたよね。あ、私のことは誰にも言ってはいけませんよ。もし誰かに言ってしまった場合、その時は容赦しませんからね」
そういうと尻は動きを止め、静寂が訪れた。しばらくの間、にらみ合いが続いた。いや、尻には目がないからこちらを見ているのかどうか分からないが、でもなんとなく見られているような気がして不気味だった。
「容赦しないってどういうことよ…」
私は恐る恐る聞いてみた。
「そうですね、あなたが嫌がることをします。先ほどからあなたの行動を観察していましたが、私がガスや固形物を排出したときに非常に嫌な顔をしていましたね。つまり、これらはあなたにとって脅威であるということが推測できます」
「やめろ!そんなことするんならこっちだって容赦しないんだから!」
そう言って私は尻の穴に唐辛子を突っ込んだ。輪切りにしていない鷹の爪だ。
「ぎゃああああああああ!!!!!」
尻は悲鳴を上げた。そしてしばらく暴れ回ったあと、静かになった。どうやら気絶してしまったようだ。私はふぅ…とため息をつき、どうすりゃいいんだと悩んだ。頭の中はどうすりゃいいんだで埋め尽くされた。
2分くらい経った時、尻がまた話し始めた。
「早くこれを抜いてください!痛い!なんでカプサイシンがこんなところに!」
私はどうすりゃいいんだと思いながらその様子を眺めていた。
「抜いてくださいって言ったじゃないですか!もう!なんて非協力的な人なんでしょう!」
尻はもぞもぞと動き出し、刺さった唐辛子をひねり出した。先ほど大便を出されたことを思い出し、嫌な気持ちになった。
「ああ…まだヒリヒリする。こんな化学物質を穴に入れていいと思っているんですか!?」
「ってかなんであんたここにいるのよ!さっさと出てってよ!」
「私だってここに来たくて来たわけじゃないんですから!ああ…穴に刺激物は厳禁だというのに」
「じゃあ何で来たのよ!」
すると尻はしばらく沈黙したのち、静かに、厳かに語り始めた。
「私はあなたに使命を伝えるために未来から来ました」
すると、尻の穴から光が出てきて、白い壁に映像が映った。それは戦争の映像だった。
「未来の地球は、それはそれは悲惨な状況にあります。世界中を巻き込んだ核戦争により人類の90%は死に、残された人々も破壊されつくした土地での生活を強いられています」
しかし、私は尻がプロジェクターの機能を持っていたことに驚いて、話が全然頭に入ってこなかった。
「ここ日本も例外ではありません。今から半年後、この国に核爆弾の雨が降り注ぎます。こうして日本人という人種はこの地球から消え去ることになります」
「えぇ……」
「しかし、私はいくつもの時間軸を移動して様々な歴史を見てきました。そしてとうとう人類を救う方法を見つけました。それがあなたなのです」
「私?」
「はい。あなたは人類の救世主となる人物なのです。だから、あなたに使命を伝えに未来から来たというわけです」
「ちょっと待ってよ、いきなりそんなこと言われても困るわよ。未来からとか意味分かんないし、だいたい何で尻なんかが」
「シャラップ!」
尻は大声で私の話を遮った。
「時間がありません。とにかく、冷静に私の言うことをよく聞いてください。人類を救う方法はただ一つ。あなたがグラビアアイドルになることです」
「…は?どういうことよそれ」
「第三次世界大戦を始めるのは某国の某独裁者です。ここでは詳細は伏せておきます。なぜなら実際にある国や人物の名前を言ってしまうと、この小説が問題視され炎上するかもしれないからです。著者はそういうことは一切望んでおりません」
「最後らへん何を言っているのかさっぱり分からないのですが」
こういう場の空気を読まないメタ発言を寒いと思う人もいると思います。申し訳ありません。
「実はあなたがグラビアアイドルとなり写真集を出した世界では、その某独裁者はあなたの大ファンとなり、うつつを抜かしている間に政権が変わり、結果戦争が起きなかったのです。あなたのセクシーな写真があれば、某独裁者を失脚させることができるのです」
一切リアル感がない話だし、ボケにしてはつまらなすぎる。それより尻がプロジェクターになっていることが面白い。尻が光ることだけでもうおもしろいのに、それだけでなく画像や映像まで出すことができる。発光する尻なんてものを見ることができる人はこの地球上に何人いるのだろうか?あ、いや、いるか。蛍を見たことがある人は大勢いる。それより尻型のプロジェクターを実際に売ったら儲けられるだろうか?ジョークグッズとして女子高生とかの間で噂になってくれれば一攫千金もありえるかもしれない…。
「聞いてますか?」
尻の問いかけで私は妄想の世界から現実に引き戻された。私はとりあえず唐辛子を再び穴に入れてみた。
「ぎゃああああああ!!だからなんでそんなものを入れるんですか!!」
「いや、なんか面白そうだと思って」
「ふざけないでくださいよ!私は真面目に話しているんですよ!」
尻はブンブンと激しく動き、唐辛子が吐き出された。
「穴に物を入れないでください。光がでなくなりますから。穴をふさがないでください」
「はいはい。で、グラビアアイドルになればいいの?」
私はいろいろと面倒臭くなり、とりあえず尻に話を合わせることにした。
「そうです。あなたにはこれから3ヶ月以内にオーディションを受けてもらい、合格してもらわないといけません。実績がなければ出版社は相手をしてくれないでしょうから。その後プロのカメラマンに撮影してもらい、写真集を出版しなければなりません」
「それで?」
「しかし、あなたの体形はだらしがないですね。日々の怠惰な生活により、脂肪が多く筋肉が少ないです。パソコンばかり見ているせいか姿勢も悪いですね」
「うるさいわね!あんたに私の何が分かるのよ!」
すると尻は少し黙った後、いやらしい目つきで話し始めた。いや、目はないのだが、なんとなくそんな雰囲気がしたのだ。
「私の何が分かる?フフ…何だって分かるんですよ」
すると壁に映っていた戦争の映像が消え、別のものが映された。それを見た瞬間、私はあっ!と叫んでしまった。
「あなたもなかなかいやらしいですねぇ。こんなことまでして男に注目されたいのですか?」
それは私のSNSの裏アカウントだった。承認欲求を満たすため、私は自分のヌード写真を裏アカウントで投稿していたのだった。どういう検索をしたのか分からないが、尻は私の裏アカウントを発見し、プロジェクターで映したのだった。私はすぐにLANケーブルを引き抜いたが遅かった。すでにデータが尻にダウンロードされていたらしい。尻は画面を下にスクロールしながら私の写真を映していく。
「やはり少々脂肪が多いですね。でもまあ、胸は十分あるので少しダイエットすればナイスバディになるでしょう。」
私は尻の言葉を聞きながら、わなわなと手が震え、体の奥が熱くなってくるのを感じた。
「しかしまあ、それにしても情けない尻ですね。海外の男性は尻を重視しますのでね、このままじゃあ全然ダメです。これでは世界の男どもを欲情させることはできません。でも大丈夫!」
私は体中の筋肉という筋肉に力を込めた。
「スクワットなどの筋トレをすればあなたの尻は美しくなるでしょう。筋肉で尻を引き締め、形を整えるのです。さあ、私みたいな美しくスタイリッシュな尻を目指してください!」
尻の言葉をすべて聞き終えた私は込められた力を解放した。
「てめぇはおっさんの汚いケツだろうがああああ!!!」
そう叫ぶと私は思い切りその汚い尻にキックを喰らわせた。
「ぎゃああああああああ!!!」
その直後、尻から青白く眩い閃光が放たれた。あまりの眩しさに顔を背けたが、しばらくすると強い光は消え、辺り一面が虹色に輝いた。尻はまるで電球のように優しく白く光り、壁から離れ、ふわ~っと上昇して消えていった。天へと昇った尻が消えて見えなくなった後、尻があった場所の真下に小さい花が落ちていた。私は気持ち悪くなり、すぐにその花をゴミ箱に捨てた。
あれから40年。私はグラビアアイドルにはならなかった。そして核戦争は起きなかった。尻の話に真実など一切なかった。毎年あの尻が天へ召された日に(私は命日と呼んでいる)玄関前に小さな花が落ちているのだが、私はすぐゴミ箱に捨てている。
時間軸という言葉の使い方がおかしいと思われる人もいるでしょう。
でも、もうどうしようもない。なぜなら適切な言葉を選びたいという気持ちがないので。




