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復讐の果ての、三回目の生。

 二十二歳。


 いい風だ、と思いながら、私は正面の男を見つめた。

 燃える洋館は脆く、ひっきりなしに重々しい破壊音が響き渡る。

 転がった幾つかの死体。

 立ち尽くす、私と、正面にいる男性士官。

 ギラギラした眼差しを私に向け、刀を握るその姿は、まさしく夜叉を彷彿とさせる。口から血を流しながら、彼――犬丸辰巳は五泉組の黒の隊服を身に着け、私に挑んでいた。

 血と死臭と煙の臭い。燃えゆき、灰燼に帰す洋館。

 「決着、付けよーじゃねーっすか」

 好戦的に笑う犬丸に合わせるように、私も口元を緩ませた。


 剣を習い始めたのは、簡単なことだった。

 私が十歳の時、両親が殺された。

 敬愛する、優しい両親だった。お母さんの作ってくれたお握りはどんなものよりおいしくて、お父さんの語る武勇伝は面白くて。

 当たり障りのない日々。第四次世界大戦後で落ちぶれた、貧困街の一角でしかなかった私たち。けれど、それでよかった。それがよかったのだ。この平和が一生続くと思っていたし、そうであるように願っていた。

 けれど。

 強盗に襲われた両親は、私を逃がすために殺された。

 燃える、小さな私たちの家。貧しかったけれど、楽しかった日々の象徴が壊された。

 暴漢の素性は知れている。

 政府の高官の息子だ。

 奴らは金の力で事件を無かったことにしてしまった。

 あんな貧しい連中が一人二人死んだところで、どうだっていいだろう。

 奴が刑務所にいた際に面会した時、殺した張本人の、ごついスキンヘッドの男がそう吐き捨てたのが、今思えば私を構成する全てを破壊した。

 そして、数日後、奴は無罪釈放となった。金が欲しかったから殺したという動機を、司法は黙認したのだ。そういう訳なので、私は裁判官が大嫌いだ。

 だから、決めた。

 司法で裁こうとしないのなら、私が裁きを下してやる。

 何をしてでも成り上がって、奴の死に顔を脳裏に焼き付けてやる。

 ある意味ここで、平和に馴染んだ私は死んだ。

 生まれたのは、非常で冷徹な、復讐鬼となった私だった。


 十七歳


 道場では、休み時間も潰し、睡眠時間を削り、ただひたすら鍛錬を積んだ。まさに憑りつかれているようだった、と後々に後輩に評価されるほどだった。

 周囲の人間関係など作らず、淡々と実力を爆発的に伸ばす私に話しかける人はいなかったし、私だってそんなぬるま湯につかる人間なんかとつるむつもりはなかった。私が道場に入ってから孤立するのは、当然の帰結でもあった。

 辛い日もあったし、風邪の日だって励んだ。

 筋肉痛や、手の豆が潰れ、涙を流す日だってあった。あの地獄が脳内でリフレインし、嘔吐することも珍しくなかった。けれど、奴の苦悶にゆがんだ顔を想像し、激痛に震える体に鞭打って剣を振るった。誕生日も休みの日も、何かとかこつけて修練を積んでいた。それこそ、白い道着が汗でぐしょ濡れになるまで。

 どうしてここまで実力を養うのか。

 すべては五泉組に入隊し、頂点を取る足掛かりとするため。

 五泉組は政府直轄の警察機構である。大きな組織であり、その頂点となればこの国で膨大な影響力を誇ることができる。

 そして、五泉組は一年に一回、国内の道場をめぐり、めぼしい者を登用する制度があるのだ。

 お眼鏡にかなえば、私は晴れて五泉組に入隊し、出世の階段のスタート地点につくことができる。そうなれば、おのずと奴と接近する機会が増えるだろうから。

 だから私は師範以外の人間と口を利くことなく、ひたすら自分の剣を磨き続けた。

 磨いて磨いて磨いて磨いて磨いて磨いて磨いて磨いて磨いて。

 道場内の恋愛とかもかなりあったし、稽古が終わった後には皆で食事に行くことだって多々あった。

 けれど私はそれらに無視を決め込み、剣の腕を磨き続けた。

 仇を取ることが、私の存在意義。

 それ以外はすべて不要。

 「二宮先輩! 一本お願いできますか!」

 道場の新参だった犬丸と出会ったのは、そんな日だった。


 犬丸は犬のような男だった。百七十センチの私の頭一つ分小さい、きらきらした目をしている。誰からにも好かれ、誰にも柔和な態度を取っている男だ。一か月前に入門してきたものの、私は別室で基本鍛錬を積んでいるため――師範の配慮で、私はトレーニングルームという名の個室を与えられていた。――彼の噂は聞き及んでいても、実際目にするのは初めてだった。

 「貴方は?」

 「犬丸辰巳っす!」

 「そう。……ま、いいわ。やりましょうか」

 道場内で話題になっている男が、どれだけの実力を有するのかを確かめたいという意味合いも含め、私は彼との試合を承諾したのだ。

 結論から言うと、私の圧勝だった。

 試合開始とともに、直球で斬りかかってくる彼の動きは読みやすかった。逆に罠なのではないかと疑ってしまうほどにまっすぐで、簡単に私は彼の小手を打ちこむことができた。

 ま、こんなものかと私は思う。所詮は入門一か月だ。

 私に勝てるはずがない。

 「出直してくることね。じゃ」

 「ちょ、ちょっと待ってくれっす先輩!」

 呼び止められるも、私は黙殺する。一分一秒も惜しいのだ、小者に付き合っている余裕なんてないのだ。

 大抵、私に興味を持った奴は、圧倒的な実力差の前に去っていく。そして孤立していく。いつもの流れだし、改善するつもりもない。

 犬丸に至ってもそうだろうな、と思っていたのだけれど。

 「先輩、ご教授お願いします!」

 「先輩、勝負しましょうっす!」

 「先輩、今日こそ勝つっす!」

 犬丸は毎日のように私に挑み続けてきた。

 開始と同時に犬丸は斬りかかってくるのだが、動きがひどく単調であるため、簡単に撃破できた。無論手加減するつもりはない。

 「竹刀の振りが遅いぞ!」

 バゴン!

 「ワンパターンすぎる!」

 ゴシャ!

 「中途半端に打つな!」

 ベキリ!

 行く日も行く日も返り討ちにし、普通だったら音を上げるほどの罵声を浴びせても、犬丸は勝負を挑み続けた。私に一撃を与えられることなく、無残にフルボッコにされていく彼の道着は、見る間に埃で汚れていく。

 「先輩!」

 「なんだ?」

 三戦三勝した私に、犬丸はボロボロになりながらも駆け寄ってくる。

 「俺、どうすれば先輩に勝てるっすか?」

 「知らん。大体鍛錬の量が違いすぎるだろう」

 十二時間越えの練習を基本別室で一人で行うのが、私の日常だった。格が違う。

 朝から竹刀を振り、昼からは誰彼構わず試合をし、夜は改善点をこれでもかというほどに繰り返し練習する。誰とも関わることなく、たった一人でこなす工程。

 そこに、犬丸が増えた。

 「おはざーす! 先輩」

 「……帰れ」

 「えーー! こんなかわいい後輩が一緒に練習しようといってるんすよ!」

 「一人で充分」

 「まーそーいわずに、やりましょうって、先輩!」

 「殺す」

 結局その日から私と犬丸は――途中で犬丸はぶっ倒れるが――朝から晩まで黙々と練習を積んでいった。最初は筋肉痛がひどいっす、とか、手の豆が潰れたっす、とか喚いていたが、いつの間にか私の過酷な鍛錬にも耐えられるようになってきてくれた。

 「先輩! 竹刀の振り方とかあっているっすか?」

 「もう少し顎を下げてやったほうがいいわよ」

 「あざっす!」

 なんだかんだ面倒を見てしまうのも、自分がお人よしなのだろう。正直目障りな奴はぶっ殺したいけれど、あいにく慕われているのだ、容易に無下にはできない。

 「甘いわ」

 ゴシャ!

 もちろん、試合は百戦錬磨。手を抜くつもりは毛頭なかった。年数と実力差は覆い隠せない。どれも一撃で犬丸を下す。

 「先輩強すぎっすよ~!」

 「何年やってると思ってるの」

 午後八時には同門は引き上げ、私たちが終了を宣言したのは十時を回ろうかというところだった。

 

 「すごいっすね、先輩は!」

 「そんなことないわ。私なんてまだまだよ」

 「なんで先輩ってそんな鍛錬積むんすか? 失礼っすけど、度を越してないっすか?」

 「それは――」

 復讐のため、とは言えるはずもない。

 「……惰性?」

 「ぜってー嘘ぉぉぉおおおお! あ、そうだ、先輩、一緒に飯に行きましょうよ! 近くにうまい団子屋があるんす!」

 話の転換が早い。人懐っこいニカッとした笑みに、私は思わず眉を寄せる。

 「遠慮するわ。明日早いし」

 「決まりっすね! 徒歩五分ほどのところにあるんすよ! めっちゃうまいっすよ~」

 「人の話――」

 「じゃ、行きましょか! きっと二宮先輩も気に入ると思うっすよ!」

 殺意が湧いたが、確かに朝、昼と最低限の食事しかしていないため、腹は減っていた。

 「分かったわ。案内して」

 「了解っす!」

 たまにはこの後輩の要求を呑んでもいいだろう。


 団子は予想以上にうまかった。たちまち一串平らげてしまうほどで、柔らかい触感と、掛かった濃厚な飴がおいしすぎる。

 「おいしいっすか?」

 「ああ。……何見てるの?」

 三本追加でお替りする私を見ながら、ニマニマと笑う後輩。

 「え、いや、いつも死んだ魚の目してるのに、食べてるときはめっちゃいい顔してるっすねーって」

 「変態」

 「違うっす! あーでもなんつーか、可愛いっすね! 先輩。なんか見てるだけでお腹一杯になるっすよ! うん」

 「殺すわよ?」

 私が可愛い? 目が潰れているのかしら。

 「軽口叩くのは私に打ち勝ってからにしなさい」

 「あ! そうっすよ先輩! 見ててくださいよ! 俺、絶対先輩をぶっ倒すっすから!」

 ギャンギャン喚き散らす犬丸をしり目に、私は微笑を浮かべる。

 「できるといいな」

 絶対にありえないだろうが。

 覚悟が違うのだ。私は強すぎる。所詮は私の一撃で沈んでいくような男に、勝機があるはずがない。

 復讐のために身を捧げる私と、妙なライバル心を燃やすだけの雑魚。

 鼻から勝負になりはしないのだ。

 けれど、彼の紹介した団子屋は、またいつかいきたいな、とは思った。


 毎日、戦った。

 朝から晩まで鍛錬を積み、たまに団子を食べに行き、試合を行う。

 一方的な展開。

 どうしてここまで食い下がるのかと疑問になるほどに、私はぼこぼこに犬丸を殴りまくった。

 けれど、犬丸は離れようとはせず、執拗に食い下がり、私に教えを請い、竹刀を切り結ぶ。

 アドバイス求めてくるし、弱いくせに勝負を申し付けるし、その割には一撃で昏倒するし。

 彼と初めて勝負してから、恐らく百回ほど。

 全勝。

 ただ全勝。

 なのに必死に私についてくる犬丸を、いつしか私は見下しながらも、少しだけ、親近感を持つようになっていた。

 そんな矢先のことだった。

 「五泉組に、入れるんですか!」

 ある日師範に呼び出され、私は念願の五泉組の登用条件を満たしたことを知った。

 これで、私の復讐の足がかりを築いたことになる。

 最高のタイミング。ようやく私が五泉組の末端に籍を置くことが認められた。

 私の出世の階段の扉が開いた。

 奴を殺せる。ぐちゃぐちゃに殺せる。

 なのに。

 私は躊躇した。

 五泉組入隊には、この道場を去ることが条件だ。

 犬丸にも、二度と逢うことができない。

 そんな感傷に浸れる心がまだ残ってたんだ、と驚くと同時に、ずいぶん脆い心持だなと自分を侮蔑した。権力を持った奴を殺すには、権力を持たなければならない。奴に接近するために。

 復讐が、私の存在意義。

 「お願いします」

 理知的な私の心の奥底には、どうしたってあいつの豪快な笑顔がちらついているのだ。


 旅立ちの日。

 師範と別れた私が、五泉組の隊士と一緒に駅に来た時に、犬丸に追いつかれた。

 「先輩!」

 涙声の彼は、目からぼろぼろと大粒の涙を流し、鼻水を伸ばしている始末。

 「犬丸……」

 「よ、よかったじゃないっすか! 五泉組っすよ! 出世コースっすよ!」

 わんわん泣きながら、それでも私の門出を祝ってくれる、唯一の後輩。数か月の時を共にしただけの関係なのに、さぞ暇なこった。

 「……犬丸も元気で」

 何故だろう、鼻の奥がツンとする。下唇を噛み締めながら、私はなけなしの表情筋を使い、微笑を作る。心の音がズキズキした。

 「さよな――」

 「さよならなんて言わないっす!」

 ギャン泣きの顔を袖で覆いながら、愚図愚図と犬丸は言い放つ。

 「俺も、いつか絶対追いつくっす! リベンジするっす! だから――」

 待っててくださいっす! と犬丸は声を張り上げた。大衆の視線が私たちに集中する。

 私は溜息を漏らす。ずいぶん懐かれたものだ。

 「待ってるわ。期待はしてないけど」

 私は犬丸の頭に手をのせ、よしよしと撫でる。昔、お母さんにやってもらった時、とても安心したから。

 「先輩は、一言、余計なんすよぉおぉおおお!」

 私の手をつかんでぎゅーーと握る犬丸に、私はまたな、と告げる。

 「強くなってね。そしたらまた相手してあげるわ」

 列車に乗り、私は窓の外の彼を見つめる。

 ギャンギャンと嗚咽を漏らしながらも、ありったけの笑顔を作る犬丸が、見る間に小さくなっていく。

 完全に見えなくなってから、私は五泉組の隊士によりかかる。

 「……だっさいわね、私も」

 私が、両親が殺されてから嗚咽を漏らしたのは、これが初めてだった。

 

 十八歳


 一番隊隊士・二宮涼音。

 真剣で人と相対するのは、もう慣れた。

 最初は真剣での斬りあいが怖くて仕方がなかったし、練習と本番の乖離に心を病みそうになったこともあった。

 五泉組は十五番隊、計百五十名の隊士を抱え、それを統括するのが副長、その上にいるのが局長である。それこそが権力そのものだ。しかも屯所が馬鹿でかいため、一人一人に個室があてがわれるほどの豪華っぷりだ。

 やはり、私は強かった。より多くの敵と戦い、峰打ちでノックダウンに追い込む。五泉組でも、やはり私は浮いた。

 けれど皆は仕事さえやってくれれば過干渉してくることはないため、気が楽だった。たまに話しかけてくれるレベルで充分。

 昔のように、私は一人で稽古を続ける。

 復讐を実行するには、相応の強さを得なければならない。私の修練は永遠に続く。朝から晩まで、時として負傷していたとしても。

 犬丸がいない一人の稽古に、最初は寂寥感があったものの、いずれは慣れていった。

 何物にも染まらない黒の隊服の胸元には『一』と彫られている。五泉組隊士の証。

 奴と、最も近い組織。

 私は最も実力が高く、それでいて頂点に最も近い一番隊の末端に籍を置くことができた。

 私は他の人よりも働いた。政府に仇成す不穏分子をとらえ、負傷しながらも斬りかかってきた。誰よりも長く戦場に残り、己の剣を磨き上げる。

 五泉組は暗殺部隊ではないため、ほとんどが捕縛のケースが多いし、人を殺すケースはまれだ。

 そして。

 「リベンジっす! 先輩!」

 「執念深いわね……」

 三番隊隊士・犬丸辰巳。

 あれから二年。

 久方ぶりに、私は犬丸と邂逅を果たすこととなった。


 「あれから感動の再会と言いたいけれど、相変わらずね、そのあほみたいな能天気な顔は」

 「俺強くなったんすよ!」

 「どうかしら」

 実力をつけたのは分かるが、けれど一撃で撃破できるだろうと心の中で打算していた節もあった。というより、何より彼と再び戦えるという事実が、少しだけ嬉しくもあった。

 剣道場には鍛錬を積む隊士たちが大勢いた。端の試合場に、双方構える。

 試合開始とともに、やはり直線的に斬りかかってくる犬丸。

 甘いわねと内心笑いながら、思い切り竹刀を振り下ろす。この一撃で、何度犬丸を下したことか。

 今回も、と思った刹那。

 パァンという乾いた音ともに、私の剣が、はじかれた。

 あの衝撃を、私は生涯忘れないだろう。犬丸がにやりと不敵な笑みをこぼす。即座に戦術を切り替えて、面ではなく下腹部に一撃を叩き込んだ。

 ぐぇ、とカエルの潰れたような声とともに倒れる犬丸が、また負けたっすー! と喚いている。

 けれど、私はそんな余裕がなかった。

 防がれた。私の復讐のために鍛え上げた修練の賜物が。

 私の剣が。遅れて唖然とする。

 こんなことは初めてだった。

 「立て! 犬丸」

 「へ?」

 「もう一回勝負しろ!」

 「えーちょっと休憩――ハイ分かりました!」

 睨みつけると瞬時に立ち上がり、再び竹刀を構える犬丸。

 再び私は全力で犬丸に攻撃を加える。けれど、やはり偶然ではない、私の剣と犬丸の竹刀が交差する。犬丸の攻撃は当たらない物の、それでも二、三回はしのがれてしまうのだ。

 五泉組に入隊する実力はあるらしかった。

 「俺強くなったっすよね、先輩!」

 「……」

 「せーんぱーい、顔真っ白っすよー!」

 「……犬丸」

 「なんすか?」

 「特攻して死んで来い」

 「ええええええええ!」

 憤慨するこの後輩の頭を撫でまわすと、彼は顔を赤くする。さては女を知らないな? 遊んでそうな顔をしてるのに。

 「ひどいっすーーめっちゃ俺頑張ったのにー!」

 「声上ずってるわね。意識してるの、私に」

 そうだと面白いなと思う。さらに赤面する犬丸。一矢報いることができ、さぞ最高の気分だ。

 「先輩マジでそれ他の人にやんないでくださいっす……つーか、いつまで頭撫でてるんすか!」

 「愛玩動物っぽいじゃない。ギャンギャン吠えるし」

 「先輩ってぜってーSっすよね。もう十回今日試合して、俺の体ぼろっぼろ。布雑巾だわ」

 「そういう貴方はマゾかしら」

 「ちっくしょー! 先輩、絶対このリベンジしてやっからな!」

 「楽しみにしてるわ」

 復讐に命を懸けた私だけれども、この後輩の成長を願うことくらいは許されるだろう。私の刀を防ぐことができても、やはり彼は私の心臓を止めることができない。

 私の勝ち。

 その事実は覆らない。


 あの時のように、私と犬丸は共に鍛錬を積んだ。

 以前のような余裕はない、死に物狂いに、彼に追いつかれないように。

 剣を振るう回数が増えた。攻撃手法を増やし、文字通り朝から晩までぶっ通しで鍛錬の日々。

 けれど、苦ではない。

 隣に犬丸がいるだけで、能率が格段に上がる気がするのだ。

 そして任務の時は実践として思う存分真剣を振るい続ける。

 たまに三番隊と共闘する際は、犬丸の補助に回り、彼に安全な任務の遂行を強要した。そのたびに一人で戦えるっすとかほざくけど、やっぱり振りが甘いのだ。


 「先輩、何やってるんすか!」

 夏の日のことだった。汗が傷口を刺激する。

 「何って、鍛錬だが」

 うす寒いある日、犬丸が眉を八の字に曲げる。

 「怪我、してるじゃないっすか」

 この前の任務で、私は背中を切り付けられていた。激痛はもちろんする。けれど、鍛錬は一日休むと心に甘えが生じる。だからこそ、私は今日も鍛錬する。

 復讐を終えるために、私は人間をやめた。だから、こんなところで休めない。

 犬丸は許そうとしなかった。

 「先輩は休んでくださいっす!」

 「そういうわけにはいかない。私は強くならないと」

 「駄目っす! こういう時は無理は禁物っす! 化膿したら」

 「そんな余裕なんてない。私は強くならなきゃいけないの!」

 「動けなくなったら元も子もないんすよ、先輩!」

 「けど――」

 「いいから、休んでくださいっす! 俺もそばにいるっすから」

 「私に勝てない分際で、しゃしゃるな、犬丸」

 わざと煽るも、彼は乗ってくることなく、むしろむっとした顔をする犬丸は、大きなため息をつく。

 「顔色悪いんすよ、先輩! ……こんな先輩にリベンジしたって、意味ないっすよ」

 必死の形相でそう言われれば、私も断ることができなかった。

 「本当に私の部屋に来るなんてな」

 結局私は強制的に自室で養生することとなった。布団に寝転がり、犬丸に介抱される。情けないやら、恥ずかしいやら。

 「先輩は頑張りすぎなんす」

 私の汗を拭きとる犬丸に、私はなんて言葉を送ればよいか分からなくなる。

 「すまないな、犬丸」

 「こんなことくらいしか恩返しできないっすから。いつも練習見てもらってるっすし」

 ニカッと笑う彼は、甲斐甲斐しく介護をしてくれる。

 「……懐かしいわ」

 「何がっすか」

 「私が高熱出したとき、両親が私を看病してくれた。お父さんなんて仕事ほっぽり出してくれてさ」

 体調を崩した影響で寂しかった時、両親はそばにいてくれた。あの安心感を、今私は再び覚えている。

 どうして、今こんなことを思い出してしまったのだろうか。

 「……嬉しかったなぁ。お母さん、おかゆ作ってくれたんだけど、くっそまずかったんだ。気が動転して何故か七味唐辛子をいれちゃったんだって」

 「いい両親っすね、先輩のところ。今度会ってみたいっすわ! 超クールビューティーな先輩がどう生まれたか、とかさ!」

 センチメンタルな私に、彼はゲラゲラと言い放つ。

 「……もう、この世にいないんだ。暴漢に殺された」

 しかし、次の瞬間には彼の顔が真っ白になった。

 「悪い……無神経なことを聞いたっす」

 「ふふ。貴方らしくないわね、犬丸。しおらしい姿なんて」

 「だって、今のはさすがにひどすぎるっす。マジで、申し訳なかったっす」

 「……はぁ」

 私は笑ってしまった。本当に、調子が狂うわ。犬丸は馬鹿みたいに喚き散らすのが似合っている。しょんぼりされるなんて無理の極みだ。

 熱で羽化されていたせいなのかもしれない、私は狂ったことに、彼にすべてを打ち明けたのだ。

 両親が殺されたこと。復讐に命を捧げたこと。そのために剣の腕を磨いてきたこと。

 今なら、何を話したっていい気がした。彼なら、受け入れてくれるという無条件な信頼がその時生まれていたのだ。

 全てを聞き終えた彼は、単細胞の犬丸らしからぬ、鬱蒼とした表情をしていた。

 「だから、あんなありえんほどの練習量を積んでいたってわけっすか、先輩は」

 「ええ。強くなることしかできなかった。復讐のために、全てをなげうった。だから――」

 「正直に言うっす」

 犬丸は感情を隠すように、淡々と言い放った。

 「もし、先輩が復讐することがあったら……俺は、それを止める義務がある」

 それは、私と犬丸の関係を破壊するに充分な威力を伴っていた。

 「五泉組の隊士として、反逆者は粛清する。それが掟っす」

 「ええ。知ってるわ」

 「だから、俺は先輩についていくことができないっす」

 「それが正解だ、犬丸」

 私の復讐に、犬丸を巻き込みたくない。

 「きっと、両親は望んでないっすよ。命がけで守った娘が復讐鬼になるなんて。幸せになってほしいって考えるっすよ」

 「知っているさ。私の両親はそんなクズじゃないってことくらい。けれど、これはけじめなの。お父さんやお母さんがどう思うかなんて、埒外。必要なのは、私が死神となって断罪する事実と決意のみ」

 「先輩って生き辛そうっすね、不器用っつーか」

 「自覚はあるわ」

 両親の気持ちを尊重しない、落とし前をつけたい私の殺意が、復讐のすべてだ。

 「……もう、私にはかかわらないで」

 「どうしてっすか?」

 「私は五泉組を裏切るつもり。下手したら組織を破壊する羽目になる。私のことは、もう放っておいて」

 犬丸には、それなりの情はある。私の復讐は片道切符だ。もう戻れない。そして、その修羅に彼は私を阻む要素として立ちふさがるのだ。

 犬丸を突き放せば、存分に彼は情に流されることなく、私に斬りかかることだってできる。それが彼の義務だ。変な情なんかでそれを妨げてはならない。

 そしてこの復讐の遂行は、成功しようがしなかろうが、私は反逆罪として殺されるのが定めなのだ。

 「いやっす」

 「そう、じゃ、帰って――え」

 「俺からしたら先輩は先輩っす! ……裏切るのは、よくわかったし、復讐する理由もわかるっすし。けど、だからと言って先輩を嫌いになることができないっすよ!」

 「馬鹿じゃない? そんなことしたら、共謀したとなっちゃうじゃない――」

 「俺は聞かなかったことにするっす! 大体俺、まだ先輩に一度も勝ってないっす!」

 最後は怒鳴り込むように、犬丸は言い切った。

 「だから、先輩、一人で勝手に自己完結しないでくださいっすよ……」

 「けど――」

 「いやっす! だから、お願いっすから、そばにいさせてください」

 しょんぼりする犬丸。

 やめてくれよ、と私は心底思う。どうして彼は、こうも私の核心を突くような言動をとるのか。

 「そうね、早計だったわね、犬丸」

 「……! とにかく、先輩はさっさと傷直して復帰してくださいね! 頼むっすから!」

 いつも通りのテンションに戻った犬丸は、先ほどのように介護を始めた。

 「……甘いわね、犬丸」

 「先輩の人生に比べれば、そりゃそうっすよ」

 「いつか、その甘えが命取りにならないことを祈るわ」

 「俺も祈ってるっすよ。……ほら、ゆっくり、寝てくださいっす」

 ベッドの上に手を置き、ポン、ポン、と一定の速度で叩いてくれる犬丸。

 「苦しかったっすね、先輩」

 あやすような口調に、舐めているのかとキレることなんてできない。

 暖かい、生の感触。

 お父さんとお母さんを思い出しているうちに、私はいつの間にか微睡み、やがて意識を手放した。


 二十歳


 犬丸は強くなった。

 まず、竹刀の速度が飛躍的に上がった。しかも多彩な攻撃を繰り返すようにもなった。

 犬丸の竹刀が私の皮膚を掠る。私の攻撃を犬丸がはじき、時に受け流してカウンターを狙ってくる。

 激しい動きに汗が散り、一瞬一秒が命取りとなる激動の瞬間を駆け巡る。

 不定期に鳴り響く竹刀がぶつかる音。雷光の如く飛ぶ二本の竹刀。

 「おら、ごら、てぇああ!」

 「叫ぶな喚くな集中しろ!」

 ボコン!

 「私の勝ち」

 「あああああもう何回負けたんすか俺!」

 千八百四十九。

 私が犬丸に勝利した回数=犬丸と戦った回数だ。

 「俺は一生先輩にリンチにされ続けつづけるんだぁあ」

 「マゾだもんね、犬丸」

 「先輩ひどいっすよぉおおおお!」

 あれから、二年。隊服がなじみ、仕事も円滑にこなせるようになってきたころ合い。

 犬丸と私が試合中長期に渡り打ち合うことのできるほどの成長を遂げていた。

 どう見ても、犬丸は強くなっている。実力差は未だにあるものの、実際はぎりぎりだ。初めて犬丸と対峙した時のように気を抜いたりすれば、すなわち敗北の未来が待っている。

 猛スピードで攻守が入れ替わり、入り乱れた試合は、いつしか五泉組の名物っぽくなってきていた。

 犬丸が私に勝てそうで勝てないじりじり感が気に入っているらしく、隊士の間で私を彼が倒せるかの注目が集まっているらしい。私と犬丸の試合では、常に多くのギャラリーが詰め寄ってきていた。

 「あーーーーもう蕩けそうっすよ先輩。汗でどろっどろ! もうやべぇよ死ぬっすよ!」

 「そしたら私の道着どうなってるのよ」

 「せんぱーい、女の子の汗まみれの道着はある一定の人々に人気があるすよ。これが世の摂理っすよ」

 「知りたくもない世の摂理ね」

 「あ、そうっす、先輩!」

 「何?」

 「副長昇格、おめでとうございますっす!」

 副長。

 前任の副長が辞職したため――嫁一筋で生きていくらしい。おめでとうございます――、そのポストに私が収まったということだ。

 順調に、私の復讐は果たされようとしている。あとは局長に成り上がれば、私の復讐の前段階が終了する。

 「ありがとう、犬丸」

 ぞくぞくする。

 両親を殺した男が、絶望しながら血潮に沈んでいく。性的快感すら覚えてしまうほどの高揚感。

 それがより一層の励みになり、私の鍛錬はさらに熱がこもることになった。

 犬丸は、あれ以降全く態度を変えることなく、私に接してくれた。私の復讐に関してもノーコメント。上層部に密告した様子もない。ただ一緒に鍛錬し、命を削り、試合を行う、いつも通りの関係。

 「先輩先輩! 団子屋行きましょう!」

 「いいわよ」

 この頃になると、私は彼を全面的に信用していた。弱さをさらけ出したからだろうか、プライベート――ほとんど鍛錬だけど――では一緒にいることが多く、逆に一人でいることは珍しいほどだった。

 というより、孤立しがちな私を、犬丸がそばに置いてくれているといったほうが正しいだろう。

 あの一件以降、犬丸はぴたりとお供のように私の傍について離れようともしないのだ。それこそ立派な忠犬のように、誰よりも私の傍にぴたりとくっついていてくれて、さりげなく私に寄り添ってくれる。

 「おいしいわね」

 「でしょ! めっちゃうまいっしょ! 絶対先輩連れてこようと思ったんすよね!」

 「どうやったらこんなおいしい店を発掘できるのかしら」

 「ひたすら足で稼ぐしかないっすよ、先輩! けど先輩はしなくていいっすよ! その役割は俺っすから」

 「食事面では感謝しかないわ」

 もし犬丸に出会わなかったら、きっと私は一生貧相な食事をし続ける羽目になっていただろう。

 「先輩一人だと干物とか超絶軽い物しか食べないっすしね」

 こればかりは私の敗退だ。

 「いいの。今では犬丸がおいしいものを紹介してくれるしな」

 「昔とは大違いっすよ! 先輩、前はめっちゃいやそうだったじゃないっすか」

 「そうだったな」

 いつから私は彼に態度を軟化させたのだろうか。明確な日付は覚えていない。

 「相変わらず私には勝てないようだけど」

 「うっさいっす! 絶対先輩打ち倒すっすから!」

 ぷんすかと団子を口に放り込みむせ返る彼。

 「すまないな。最近は稽古の時間も短くなってしまったから」

 「いいんすよ先輩! 先輩が五泉組を運営しなきゃいけない立場っすし。それに、ここで一気に差をつけてやりたいっすから!」

 ウェルカムっすとゲラゲラ笑う犬丸。

 いつしか犬丸のあほ面を拝むことが、鍛錬の合間の休み時間の、ささやかな楽しみとなっていった。

 

 五泉組の職務をこなしながらも、私はターゲットが住まう館の密偵を並行して行っていた。

 どういう侵入経路が一番効率よく奴の部屋にたどり着けるか。見張りは何人か。実力は。奴の逃げ道は。隠し扉は。

 金をつかませ断片的な情報を獲得し、具体的な復讐方法を練っていく。

 私もそろそろ権力者という枠の隅っこには入ることができたのだろう、現在の局長とともに重役会議や軍法会議に出席することも多々あり、老齢な局長は、私を後継者と決めて様々な技術や取り決めなどを丁寧に指導してくれる。

 それに伴い稽古の時間は減ってしまっており、必然的にその時間帯に稽古をコツコツ積み上げる犬丸に差を埋められそうになっている。

 ある会議で、私は奴の姿を見ることができた。醜く肥え太った中年のおっさん。

 奴が殺した両親の娘であることは、当然わかるはずがない。愛想よく振舞っておいた。

 血反吐を吐く思いで貧困の身から道場に入り、五泉組に入り、副長まで上り詰め、次の局長の第一候補。

 「殺せる」

 すっかり愛用となった、私の真剣の手入れをしながら、そこに奴の薄汚い血がこびりつく想像をする。

 犬丸も強くなってきた。

 反逆の時も近い。

 「お父さん、お母さん」

 反逆したら最後、遅かれ早かれ私は死ぬ。

 五泉組の隊士一人と戦えば、もちろん私が勝つ。しかし隊単位だとすれば、私は討ち取られるに違いない。

 この復讐は、大規模な自殺と言い換えても、差支えがない。

 「けれど、やっぱり最期は犬丸に看取ってほしいものだな」

 犬丸は私にいまだに一勝もしていない。しかし実力は伸びている。遠くない将来、きっと私は犬丸に追い越される。

 「先輩! 今日も稽古のほど、よろしく願いするっす!」

 職務の合間に、三十分ほど時間が空くと、道場の時のように犬丸からの誘いが来る。

 「……いいわ、やろうかしら」

 最初見た時、私より頭一つ下だった彼は、いつの間にか私の身長を超えて、逆に頭一つ分大きくなっている始末。いつから、私は見下ろされるようになったのだろうか。

 けれど、犬丸の人懐っこいところは相も変わらずそのままで。

 「あああああ強すぎるっす!」

 「頑張りなさい、犬丸」

 圧倒的に減少した試合の時間。その中でも、やはり、私には勝てない。


 二十二歳


 局長になった。

 強くなった。

 奴とのコンタクトも築いた。

 ――すべての準備は、整った。


 「犬丸」

 「なんすか?」

 実行の日の昼に、私は犬丸を呼びつけた。この頃は職務に忙しく、鍛錬の時間はほとんど隊を動かしたり折衝を重ねたりする時間にシフトした。ここら一年は、比喩ではなく数回しか犬丸と試合を行うことしかできなかった。

 犬丸は、強くなっていった。

 最後に戦った時は、実に十分以上打ち合っていて、ギリギリの粘り勝ちで私が勝利した。しかし双方有効打突になっていない一撃を数えきれないほど受けていたため、しばらくは疲労困憊になったものだ。

 「今日、私は復讐を行うつもり」

 私の宣言に、犬丸はへらへらした顔色から一転、真剣な顔で返した。

 「そうっすか」

 「私は十二時丁度に奴の邸宅に侵入する。一時間で奴を殺して私は脱出する。雑だけど大筋はそうなるわ」

 「なんでそれを俺に話すんすか?」

 「……五泉組を率いて。あんたならできるでしょ? 誰よりも近くにいたんだから」

 犬丸の頭をなでると、彼は躊躇している様子だったが、分かった、と私に力強く返してくれた。


 私の寿命は、今宵、終わる。その事実は、私の指示を受けた犬丸は察しているはずだった。


 真夜中。

 冬の風は寒く、呼吸すると白い息が漏れる。けれど、体はひどく高ぶっていた。この高揚感は犬丸と試合を行う時と同等レベルのそれだった。

 十二年。

 十二年私はこの日のためだけに生きてきた。剣を磨き、こうやって成り上がった。

 失敗する未来が見えない。

 「……始めるか」

 十二時ぴったりに、私は館の四方に張り巡らせた爆弾を遠隔で爆破した。轟音が、あたり一帯に響き渡った。

 正門に多くの雇われ兵士がぞろぞろと出てくる中、私は即座に裏門へ回り込んだ。

 もちろん私に気づき斬りかかってきた兵士もいた。片っ端から切り崩し、裏口から侵入する。

 見張りはやはり二人。

 一人を不意打ち気味にノックアウトする。

 もう一人は薙刀で襲い掛かってきた。数回切り結んだあと、薙刀を跳ね飛ばし、柄で腹部を突いて気絶させる。

 メイドを蹴飛ばし、実戦経験が浅そうな雑魚どもを屠る。崩落しつつある洋館の炎の巡りは早く、一部の生き残り兵士は退避を選んでいる。隊服があっという間に血に濡れ、重くなってくる。

 大きなリビングを通り過ぎる。ほとんどの兵士が表門に出ていると見える。極端に敵兵が少ない。比較的楽に進むことができた。

 そして、果たして、奴はいた。私がリサーチした通りの、シャンデリアがついた豪華な部屋だった。暖炉の火が揺らめく中、奴は待ってくれと命乞いをしている。

 復讐は、かなりあっさりしたものだった。

 泣きわめき、失禁した奴を、私は一閃のもとに首をはねる。両親の仇を名目に、跳ねた首の双眼を抉りだし、頭蓋骨を割り、舌を切り取り、暖炉に残りをぶち込んだ。醜悪な奴に似合った最期。

 「もっと痛めつけてやればよかったかしら」

 剣についた血を振り払いながら、私は刀を脇に添えた。

 「……そろそろ、一時になるわね」

 私の指定した時間だ。ここからでは外の様子は不明だが、恐らく犬丸が五泉組を収集し、ここを囲っているだろう。

 「お父さん、お母さん」

 復讐、果たしたよ。

 そして、もう少しで私もそちらに行く。

 リビングに出ると、既に炎に包まれつつあった。

 「いたぞ!」

 「局長!」

 もともと味方だった隊士たちが、今はこうして斬りかかってくる。

 三番隊だ。

 立て続けに二人の首を抉り、瞬時に絶命させる。

 三番隊は十人いる。

 あと八人。

 「ひるむな、掛かれ!」

 次々と襲い掛かってくる隊士。

 彼ら一人一人は、確かに私より格下だ。

 けれど連携などを加えられてしまえば、私の包囲網は完全に整ってしまうのだ。

 腕に激痛が走る。

 太ももに血がにじむ。

 世紀の大発明の拳銃が、私の肩を撃ちぬいた。

 「……クッ!」

 そろそろヤバいかもしれないなと内心舌打ちをしながら、必死の抵抗を試みる。

 一人、二人、三人、四人。

 必死の思いで刀を振るう。

 隊士を殺し、私は三番隊を壊滅させていく。

 外には、三番隊以外の隊が控えている。

 たった一つの隊にここまで疲弊するなんて。

 「最強を目指した私が、こんな手負いになるなんて、ね」

 けれど、私の目的は完遂したのだ。

 あとは、戦い続けるだけ。

 自分の血が、私の軌跡につづられる。

 「あと、三番隊は、四人……」

 左肩をかばいつつも、私は剣を引きずりながら脱出を試みる。

 燃えていく洋館。

 窓の外から見ると、五泉組の隊士たちが控えていた。総勢百人超え。

 「彼らを斬り伏して逃避する、か。いずれにせよ、現実的じゃないな」

 荒い呼吸を繰り返しながら、私がどう逃げようかと考えつつ、私は廊下に出た。

 広い廊下には、先ほど私が殺した兵士や隊士の死体が転がっている。

 私は立ち止まり、微笑を浮かべる。

 「……待ってたわ」

 「派手にやったっすね」

 黒の隊服を身に着け立っていたのは、犬丸だった。


 「ぶっ殺したっすか?」

 「ええ。醜く泣き叫んでいたわ」

 「三番隊とかほとんど壊滅状態じゃないっすか。……生き残るためには仕方がなかったとはいえ」

 大理石の丈夫な柱が立ち並んでいるため、そこだけ倒壊が遅れているようだった。

 おかげで、犬丸と私はのんびりと話す時間が設けられていたのだ。

 「ここだけの話、どうだったっすか? 復讐を果たした気持ちは」

 「……やり遂げたという感覚はあった。けど、つまらなかった」

 こんなもんか、と思ってしまう自分がいた。それと相反し、犬丸と戦うという近くない未来のほうが、私にとっては重要だった。

 ぱちぱちと遠くで物が燃える音が響く。

 「こんなことしても、両親は帰ってこない。わかっていたはずだったのに、やっぱり、苦しい」

 「……死ぬつもりなんすか?」

 「ええ。……ま、ギリギリまで生きる意志は持っているけれど」

 「矛盾してるっすね」

 「死ぬ気だったら、私は犬丸と本気で戦うことができないでしょ?」

 手を抜きたくないから、と私は茶化すように笑う。こうも笑えるのは、全てを知り、なお傍にいてくれた彼のおかげだ。

 そして、犬丸は私がわざと打ち取られる結末を望んでいない。

 「……高官の反逆は、五泉組隊士の視点からすれば、粛清の対象っす」

 「知っているわ。……手加減はしなくていいから」

 体が興奮する。痛みが遠ざかっていく。

 犬丸は刀を抜く。私は真剣を犬丸に向かって構える。思えば、竹刀でなく、真剣での斬りあいは初めてだった。

 「覚えているっすか、道場にいた時のこと」

 「ええ。ただの雑魚だった貴方と、ここまで長い付き合いになるとは思っていなかった。気づけば、両親よりも長い時間を共有していたわ」

 師弟関係だった、私たちは、ここですべてが決着する。

 「私が去る時、貴方言ったわよね。リベンジするって」

 「ああ。……手加減無用っすからね」

 真剣を構える。

 殺し合いという物騒な物にもかかわらず、私は心の底から歓喜していた。久方ぶりに、犬丸と戦える。おのずと獰猛な笑みがこぼれた。それは犬丸も同様だったらしい、ギリギリと柄に両手で圧力をかけた。

 一瞬の、極限まで金武町が達した静寂の後。

 私と犬丸の剣が交錯した。


 剣撃が飛び交い、目まぐるしく打ち合う私と犬丸。刀が交わる度に火花が散り、けたたましい音が乱反射。

 犬丸は一切手加減していなかった。人間と殺しあうなんて、普通は躊躇するものだろうけれど、彼にはそれがない。もちろん私も遠慮なく、目の前にいる後輩を斬り殺そうと努める。

 犬丸の剣が頬を掠る。私は彼の胴に切り込むが即座にふさがれ、そのまま犬丸は下から上へ刀で切り上げる。

 一歩引き私はそれを避け、相手の喉元に剣先を突き抜く。

 秒単位で攻守が変わり、浅い切り傷が増えていく。

 「強く、なった、な!」

 「先輩も、腕、なまって、ないじゃ、ないっすか!」

 最初は、たった一撃で死んでいた。

 次に、一撃はしのげるものの、即座に切り伏せられていた。

 そして、やがて強くなり、私との持久戦に持ち込み始め。

 やがて、こうして一進一退の戦いを繰り広げるまでに成長した。

 「犬丸!」

 炎に囲まれた、最高のバトルフィールド。

 命と命を削る、泥臭い試合。

 楽しかった。

 私の傍にずっといて、やがて強くなっていった犬丸と戦うことが、やがて楽しみになっていたんだ。復讐にしか価値を見いだせなくなった私の、唯一の娯楽。それは、殺し合いも含まれるのだ。

 疲れは感じない。それどころか、徐々にヒートアップしていく。一秒が一分にも感じられるほど。かつてないほどに冴えている!

 「やるっすね、先輩!」

 「犬丸もな」

 いったん距離を取り、呼吸を整える。猛禽類のようにぎらついた彼の瞳には、同じような目をした私自身が映っている。

 気持ち良い汗が頬を伝う。

 「……後悔、していないんすか?」

 「後悔?」

 「ここで、俺たちはどっちかが死ぬんす。もし俺を殺したとしても、きっと、他の隊士の集団が先輩を殺すっすよ」

 「知っているさ。……けど、そんなのはどうだっていい」

 お前の強さを、体全体で感じられるのだから。冥土の土産としては、十分だ。疑いようもなく、彼の成長を見られただけで、それは私にとっての価値あるものだった。

 私が舌なめずりをすると、犬丸はゲハゲハと笑う。

 「先輩」

 「何?」

 「俺、先輩が好きっす。恋愛とかもあるっすけど、単純に人間として」

 「それは、どうも」

 突然の告白に、私は苦笑で返す。

 「先輩って何故か俺の頭を撫でたりするっすし、たまにむかつくんすけど、けど、ふとした時に見せる弱さがあったんすよ。ほっとけなくて、だから、道場で先輩を付け回してた」

 「変な趣味しているわね」

 「貴方についていけば面白いという予感があったんすよ、先輩」

 おかげで、強くなれたっすから。

 「最初は、孤立してる陰キャだな、と思って居たっす。先輩のこと。けど、対峙しているうちに、何とかして一勝したいって思いが強くなったっす。だから、ここまできた。ここまで命を懸けられた」

 犬丸が剣を握りなおす。

 「……私も、最初はうざかったわ」

 なんで近づくんだろうとうざったくあった。けれど、ずっと時を共有し、いつの間にか私のほうも懐柔されていた。五泉組での再会では紛れもなくうれしかったし、私の人生に、追いつかれないようにしないとというプレッシャーと張り合いを与えてくれた。

 「一勝もできなかったけどね、あんた」

 「恥ずかしいっすよ~。……けど、その日々は、今日をもって終わる」

 私と同じくらいに血に塗れた犬丸は、重心を前へ押し出す。

 「だから、先輩、俺がすべてを終わらせてやるっす」

 「できるもんなら、やってみなさい」

 剣も、そろそろボロボロだ。鈍色を放ちながら、刀の寿命がそろそろ尽きることを予見している。もう少しで、折れるだろう。無茶な使い方をしたからな。

 「……行くっすよ!」

 「来い!」

 刀を構え、一気に加速をつける。犬丸もだ。距離が縮まっていく。この一太刀で、全てを終わらせる。

 全てを逃避して勝たせてやろうという考えはなかった。

 ただ、無我夢中に、私は相手の命を刈り取りにかかった。


 ひときわ高い音が洋館に響き、私たちの影が交わった。


 折れたのは、私の刀だった。

 クルクルと刃が飛び、遠くへ突き刺さるのが、スローモーションのように映った。

 地に伏す私の首元に、犬丸は刀を向ける。

 泣き出しそうに目元を下げた彼は。

 「通算二千百六十二戦中、二千百六十一敗、一勝」

 なすすべ無い私に向かい、彼は剣を振り上げた。

 「俺の勝ちっす、先輩」

 「……強くなったわね、貴方」

 「……逃げないんすか、先輩」

 「悔しいけど、もう動けないの。痛みがひどくて」

 足も斬りつけられてるし、ここから逃げたとしても、犬丸には容易に追跡される。それに、館を出たら最後、私はどのみち殺されるのだ。

 「俺もそうっすよ。先輩容赦なく斬りかかってたっすから」

 「……殺しなさい」

 私は懇願した。

 「他の隊士じゃいや。殺されるなら、私は貴方に斬られたい」

 「……!」

 「ヤンデレであったよね。好きな人を、殺してやりたいと考える。私はあんたのこと、嫌いじゃなかったから」

 私はあの日、一度死んだ。蘇ったのは、復讐に身を捧げると誓った私。

 「俺は、先輩を超えたかった」

 「超えたじゃない。……最初に会ったころは考えられなかった」

 「……後悔はないっすか? 死ぬのに」

 いつしか、彼の表情は暗かった。目が涙の膜に覆われているのは、気のせいだろうか。

 「本来なら私は死んでいたわ」

 「……それはそうっすね」

 振り上げた刀を、犬丸は振り下ろす。

 燃え行く洋館の中、私の意識はフェードアウトしていった。


 一度目の死は、両親が死んだときのことだった。

 私は復讐鬼になる道を選び、再生した。

 そして、二回目の死は、復讐を達成し、犬丸に初めて敗れた時だった。

 最初見た時、こいつは雑魚かったはずだ。けれど、強くなった。何もなくなって、復讐しか考えられなくなった私の傍にいてくれた。目標としてくれた。

 犬丸がいなかったら、私の一生はひどくつまらないものだったはずだ。けれど、犬丸がいてくれたから、剣の道に励めた。おいしいものを食べれた。

 犬丸の成長を楽しみにするという、私の中に価値あるものが生まれた。

 犬丸が強くなる過程を見るのは、まるで師匠目線で嬉しかったし、越えられたことも恥辱ではなく、むしろ喜びすら覚えていたのだ。

 理解者となって、私を支えてくれた。

 決して、健全な関係じゃなかった。けれど私は少なくとも犬丸のことを信用していた。

 空虚な私を、犬丸は埋めてくれた。

 だからこそ、私の最期は、犬丸に看取ってほしかった。私を超えた彼に、殺してほしかった。


 「で、どうして生きてるの、私」

 「そんながっかりしないでくださいっすよ、先輩」

 五泉組からも、道場からも離れた、田舎の屋敷に、私はいた。

 「ぼろっちいっすよね、すいません、俺のじいちゃんが亡くなる前まで住んでたんすよ。廃墟同然っすから、五泉組隊士の目に入ることはないっすね」

 あれから大変だったんすよ、と犬丸は言った。

 犬丸は、刀で私の頭を殴りつけ、一時的に気絶させた。

 その後洋館の地下室――私が奴が逃走するルートの一つだと見立てていた場所――に監禁し、ほとぼりが冷めるまでそこに私を置いた。

 一か月後に、私は犬丸の屋敷に連れ込まれていたのだ。

 「どうして、殺さなかったの?」

 五泉隊隊士ならば、裏切者は粛清だろう。けれど、どういうわけか私は生き残っている。それと、犬丸も。

 「……私の復讐は終わった。だから、もう死んだって良かった。私は死ぬ前提の復讐に身を乗り出した」

 「前に言ったじゃないっすか。一人で自己完結しないでくださいって」

 前。……私が手傷を負った際に看病してくれたときだろうか。

 「でも先輩止まらなかったっすよね。だから、俺も好き勝手にやらせてもらったっす」

 「私が生きていたところで意味なんてない。一生お尋ね者だろう。それに、私をかくまったらお前に不利益があるはず。五泉組にいられなくなるぞ」

 「もうやめたっすよ、俺」

 「……! 愚かな」

 「別に俺は五泉組に愛着なんてなかった。俺は先輩を追いかけただけだったんすよ」

 これからは団子屋の時間っす、と犬丸はエプロンをかけた。『おいしい団子屋!』と記されている。

 「何? 私と一緒に営むの」

 「そっすよ。先輩団子がお気に入りじゃないっすか。五泉組の給料使って立ち上げようと思うんす。一緒にやりましょう、先輩」

 「私なんかでいいのか?」

 「先輩がいいんす! 俺先輩のこと好きっすから!」

 「だ、だから、そんな好き好き連呼するな」

 照れるんだけど。あの時はアドレナリン全開の殺し合いだったから、なんだかんだスルーすることができたけれど、素面だとかなり、恥ずかしい。

 「何度でもいうっす。生きたいというまで言い続けるっす!」

 グイッと顔を近づける

 「それに、先輩、悔しくないんすか?」

 にやにやとムカつく笑いを顔に張り付けた犬丸は、私に竹刀を差し出した。練習試合の時にいつも使っていたものだった。

 「俺に、初めて負けたんすよ? このまま俺の勝ちってことでいいんすか?」

 「それは――」

 「死んだら俺の価値のまま覆らない。先輩それでいいんすかねー」

そう煽ってくる犬丸。

 「表出ろ。相手してやる」

 私は彼のことを認めている物の、さすがにイラつく。

 「一度勝利したくらいで調子に乗るな。次はぶっ殺してやるわ」

 「それこそ、俺の先輩っす! あ、それと、先輩」

 「なに?」

 「結婚するっすよ。あとで書面にサインしておいてくださいっす」

 「……は」

 思わず間抜けな声が出た。

 「け、っこん?」

 「いやっすか?」

 「ちょ、ちょっと待って! あんたそれでいいの? 私で」

 「言ったじゃないっすか。人間として好きだし、それは恋愛的な意味もあるっすし。それに、先輩一人でいさせると危なっかしくて仕方がないんすよ。それなら手元に置いて、ゆっくり愛でたいんすよ」

 顔に熱が集中する感覚。突然の宣告に絶句する私。というか、犬丸がそういう視点で私を眺めていたのかといまさらながら気づかされる。

 「大丈夫っす! 先輩のこと、絶対幸せにするっす。もちろん先輩の両親に挨拶に行くっすし――」

 はっと我に返った犬丸は、打って変わっておずおずとした表情になる。

 「先輩はいやっすか? 俺と」

 「……いやじゃ、ない。どうせ復讐に捨てた命だ、それに、ここまで強い女なんて貰い手いないし」

 「ほらー先輩、そう言うところっす。先輩、自分がどうなってもいいとか考えてないっすよね。負傷しても休まないし、復讐のために前半生パーにするし。挙句に自己評価低いっすし」

 犬丸はやれやれと首を横に振った。

 「悪かったな、そういう人間で」

 「……先輩は、甘えるのが足りないんすよ、ホント」

 犬丸は私の手を取った。ごつごつした、温かい手だった。至近距離で初めて、私は犬丸の耳が真っ赤であることに気づいた。

 「……犬丸」

 「愛してる」

 「ちょ……」

 「愛してる。可愛い。大好き。逃がさない。エロい。俺の物」

 「や、やめろマジで! ちょっと……」

 鼻血出る。

 「ほら、甘えてくださいっす、先輩」

 「後輩に対し、そう言うわけには」

 「……ま、今日はいいっす。いずれ、先輩から甘えてくるようになってくれるようになるのを待つっすから。それに、そんなつっけんどんな先輩が好きなんすけどね……。じゃ、そろそろ団子を作るっす」

 私の背中を見せる犬丸に、私は待てよと声をかける。

 「なんすか、先輩、甘える気になったんすか」

 「甘える気は毛頭ないし、結婚も、まあ、えっと、承諾はする。……けれど、それよりも大切なことあるだろう」

 竹刀を手に取り、私は挑発的な笑みを浮かべた。

 「リベンジだ。先輩の威厳を取り返してやる」

 犬丸は驚いたように目を見開いたが、やがて不敵な笑みを浮かべる。

 「やっぱり色恋沙汰より先輩はそれっすよね」

 先ほどの優しい顔ではない、五泉組隊士だったころの、闘争本能を隠さない、どう猛な眼差し

 「表出ろ。……手加減はするな」

 「いっすよ、先輩。今日はずっと稽古に付き合うっす!」

 犬丸も竹刀を取る。

 

 一度目の死は、両親が死んだときのことだった。

 私は復讐鬼になる道を選び、再生した。

 そして、二回目の死は、復讐を達成し、犬丸に初めて敗れた時だった。


 さて、私の三回目の死は、果たして幸せの結末になるのか。

 そんなこと、今の私にはどうでもいい。

 「ああああああああああああああ! せっかく、せっかく勝てたのに」

 「敗者が」

 「次こそ必ず勝つっすよ! 先輩」

 今こうして、犬丸といられるならば。

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