僧正①
僧正はこの寺の最上位に位置する僧である。名を良顕と言う。
以前、倫鉄は霊山石鎚に向かう祭礼の列に臨んだことがあった。その前日の宿に近隣の八坂寺の宿坊を求めたのだが、前もって願い出ていたのにも関わらず、手違いで満杯となってしまっていた。
時は皐月、凍える日でもなく、何も床の上に拘る事もなかろうと、倫鉄は宿坊を早々に諦め、本堂の出入り口の庇の下に寝転がっていた。
漸く、ウトウトとし始めた刹那、
「あの、もし、もし、」話しかける者がいる。
「ああ?」
さすがの倫鉄も腹に据えかねた。
「何じゃ!」
声をかけて来たのは、小坊主と呼べるほど年若い僧であった。
沙門らしからぬ形相の倫鉄に怯みながらも、
「私は、師僧のお供で石手寺から参りました者にございます。
師が、『我々の寝床を詰めますゆえ、あなた様もこちらへいらっしゃいませんか?』と申しております。」
と言う。
倫鉄にとってその申し出は、有り体に言えば、面倒の一言であった。
前もって文を出していたと詰め寄る事も、相手の非を追い求める事もしなかったのは、ひとえに面倒だったからなのだ。
なるべくの事、人と交わりたくないのである。僧として如何にと、思わぬでもない。しかしいつの頃からか、それも生来の質であり、余儀なしと諦めている。
よっぽど『構ってくれるな。」と言ってしまおうと思った倫鉄だったが、
倫鉄が断ることなど夢にも思わないこの若い僧の顔を見ていると、そう言う気も失せてしまい、密かにため息を吐いた。
案内されたのは、書院造の一室で、正しくは宿坊ではない。畳の敷かれた豪奢な部屋の*書院、帳台構えを背に、その人は居た。
控える弟子たちが何か言うのに答えたり、頷いたりしている顔にほとんど動きはない。その風情が、※四尺八寸ほどの小さな体をいくらか尊大に見せている。
しばし佇んでいると、高僧はやっと倫鉄に気がついたようで、ぱっと広がるように笑い、手のひらを*円座に差し伸べ、そこに座るように勧めてきた。
高僧の誘う眼力に贖えず、部屋の中に足を踏み入れた倫鉄だったが、すぐにその場を辞したい衝動に駆られる。
いくつもの、怨とまではいかぬであろうがそれ相応の念が込めた目は倫鉄を射抜き、焼き尽くすかの様だ。
弟子にしてみれば、高邁な気色を漂わせた師僧が一転、何処の馬の骨とも知れない悪僧風情の大男に笑みを見せたのであるから、これも致し方ない人情というものだが、
人との交じり合いを殊更嫌悪する倫鉄にとって、それは忍び難き有り様と言えた。
書院、帳台構え…書院造の建築様式の客間における装飾。押し板と共に、後の床の間の原型となった。
*四尺八寸…148㎝ほど
*円座…藁やイグサを円形に編んだ敷物。社寺で好んで用いられた。




