予知⑤
僧正の居室を辞すると、隣の良晉の居室へと誘われた。
僧正の居室に準ずるほどの広さ。それだけで、良晉の実力と権力の掌握具合がわかるというものだ。
上座に倫鉄を通す。
「時に、倫鉄様!」
良晉はニヤリと笑った。
ーー全く、嫌な奴だ。ーー
倫鉄は、できるだけ真顔を装って良晉の目を睨む。
「昨夜、仰いましたね。説明は後だ。と、」
「先ほど、僧正様にお話しした通りだ。」
「私への説明はまだです。」
「同じ事だ。」
「それでも、」
「あい分かった。」
倫鉄は、余計なことを言わないように頭を巡らせ、かつ、巡らせたことも悟られないようにと、渋面を作って、口を開いた。
「あー、えー、タキは、今手伝っている寺の檀家の・・娘で、西条に親戚があって、そこに・・・」
「先ほど、」
良晉が倫鉄の話を遮った。
注意深く繕ってはいるが、良晉の頬はかすかに動いている。
「ハチロウがある物を持ってきましてな、」
倫鉄がゴクリと唾を飲んだ。
「『これを焼いてくれ。』と、倫鉄様に頼まれたと、そして『くれぐれもこのことは内密に。』と仰った。と、」
良晉は、甚振るように倫鉄を見やった。
歯噛みさえ許されない倫鉄は、良晉のその目から逃れようと必死だ。
「タキさんの着ていらした小袖は、あの年頃にしては艶やか過ぎた。
ハチロウに託されたあの着物は、所々がちぎれていて、乾いた泥にまみれている。」
「うー、行き先が一緒だと、その、頼まれたのだ!」
尚も言い募る倫鉄に、良晉はため息をついた。
「倫鉄様。悪いようにはいたしません。いい加減に白状なさいませ。」
良晉は、静かに耳を傾けていた。
このような大きな寺で、※承仕を束ねる人物だ。
どのような悲惨な話も聞いたことがあるだろうに、
倫鉄の話の最中、ずっと眉を顰めていたのが、とても珍しい。
二人は、間に置かれていた湯呑みを同時に手に取った。
中にはあめ湯が入っている。僧正の大好物だ。
「概ね、僧正様が推し図られていた通りですね。」
「何だ!カマを掛けたのか!」
倫鉄は、照れ隠しに声を荒げた。
スーっと襖が開いた。
倫鉄の声に、争いかと思い違いをしたハチロウだった。
二人の視線に気がつき、「失礼いたしました。」と慌てて襖を閉める。
良晉は笑んだ目元のまま、飴を舐めるように飲んでいる。
「その実のところを言うてもらわねばならなかったのです。」
良晉は倫鉄を見上げた。
「僧侶は、人を助けるのが生業の一つでございますね。
だけれども、その人が自ら助けを乞わねば、こちらも助けようがありませぬ。
倫鉄様は困っておいでですね。タキさんは助けさえ求めていない。」
一気に言って、息を継ぐ。
「タキさんは助けを求めるところまで、辿りついてはいないのですよ。
先行きについて案じることすらままならない・・」
良晉の言葉を聞きながら、顎の無精髭をザラザラと摩っていた手を止めた。
「ままならない?」
良晉は笑いを含まない目を倫鉄に当てたまま、頷いた。
「案じる事は煩わしく、居心地が悪いものです。
誰しも避けて通りたいと願う。
私どもに寄せられる祈祷の大方はそれを目指しておりますな。」
倫鉄は、思案することの少ない性格だ。思い立てば、もうやっている。体が動いている。
元々、学侶として行を積んでいた倫鉄が、古代の聖のように旅をし、仏への帰依を説いて回るのは、そうしたい。という内なる声に、正直だからだ。
倫鉄には分からない。何が言いたい?とばかりに、肩を突き出した。
*承仕、*学侶共に、高野信仰の僧の身分を表す。
学呂は、主に学問を究めるのに対し、承仕は、寺の雑事、炊事、至っては荘園の管理まで行う。