公的な役割を果たしている人に、新たな提案はいくらでもしていい。けど、ただケンカを売ったり、検討可能な代案も出さない、全批判はやめてあげて
僕は昔、友達と遊んでて、地元の連合自治会長にケンカを売ったことがあります。
ケンカを売ったというか、公園でサッカーしてて注意されて、逆ギレしたわけですね。
「権力者、何するものぞ!」
という訳の分からない気概が、少年的にあったわけです。
本当に周りが見えないタイプだったんですね。
まあ迷惑な遊び方をしていました。
広場に置いてある、誰も座っていないベンチをゴールに見立てて、蹴り込んだり。
大人になったら、ときどきそこでゲートボールをしている年配者の人たちが、どういう気持ちで休んでいるとか、理解できるようになるんですけどね……
そして、よくあることかどうかは分かりませんが、長い時を経て、そのツケが見事に返って来ましたよ。
そう。以前から何度も書いてきた、自治会長です。
これがほんとに面倒くさい。
定年してて余裕のある人はいっぱいいるのに、大したお金をもらえるわけでもないのに押しつけられて、近隣70戸の世帯状態をほぼ把握し(もちろん、地区によってはその数倍の規模を)、社協(社会福祉協議会)に関係する福祉委員、主に地域の高齢者に配慮した活動をする民生委員、それに近所の隣保長なんかと、役所等からのお知らせ、自治会そのものの活動をやっていくんですが、とにかく自分の仕事だけなら何とか回せるんですよね。
「あれやって、これやって、はい。書類と連絡は上がり。次の会議の予約はすんでるから、今日は夜の防犯パトロールだけね」みたいに、慣れます。
……で、どこで面倒くさいのか。何でそんなにつまずくのか。
そういった類いの経験がある方はご存じでしょうけど、いつも無意味なブレーキは「他者を理解する気のない人」です。
昔の僕のような、周りと自分は完全にべつの存在だと認識し、ほぼ自分のことしか考えていない人。
たとえば書類なら、丁寧に丁寧に、「こう記入するんです」と説明しているにも関わらず、彼らは「深海魚か!? 目、見えてるのか?」というところに○をつけたりします。
そのために(文書だけの話になりますが)、また次の折には説明が増えたり、雪ダルマ式に引き継ぎが大変になったり……
「俺が会長をやってやる」という人がどんどん減っていくという、もう集落の限界突破的な状況になりかかってますね……
さらに今年度、防災担当になった方には、「定例会議は出なくていいですよね?」とか言われる始末……
(ちゃんと災害時の即応と、防災訓練と防災倉庫の点検さえやってくれれば文句はないんですが……役員の出席責任とか、普段からきちんと受け止めてないと、絶対「いざ」という時に動けませんから……)
そしてまあ、なんでこんなチマチマした活動が必要なのか、ということですよね。
自治会(町内会)なんて、ない方がみんな喜ぶんじゃないの?
と、けっこう多くの働く若者が思っているのではないでしょうか。仕事も忙しいしね。
でも、地域のコミュニティってね、ほんとに「不幸」を防いでくれるんですよ。
『神社祈願祭』『夜間パトロール』『とんど』『グラウンドゴルフ』
そんな地元の活動で出来ていくコミュニティって、すごく防犯性が高いんです。(勝手な経験則)
例えば、ウチの近所では危険を感じる犯罪ほとんどありません。
それほど格差がなくて人の心が荒まないってのもあるでしょうけど、田舎の住宅街で、さほど警戒心がなくても、雰囲気が違う人がうろつけばすぐ話題に上げてくれるような奥さん方がいるんですよね。
詐欺の話なんかも、テレビだとけっこうスルーされちゃう老人がいますが、お互いにしゃべり合って得た情報だと、それをきちんと生かせるーー自分だけが傷つきたくなくて、地域社会に背を向けて生きている人ほどコロッと引っかかるーーケースが多い気がします。
もちろん昨今の犯罪はそんな単純なものじゃないし、ただの僕の思い込みかもしれないんですけどね。
ゴミのポイ捨て等も、「地元、近所」ではなく、すぐそばだけど「他人の土地」だと感じてると、やりやすくなる。
そんな、空き地や人家の前へのゴミ、侵入、浮浪者の空き家住まい、放火、もろもろ……
そういった自分では防げない「不快なこと」「不幸」は、多くはコミュニティが自然と阻止してくれることがあるんです。
だから、面倒に感じて、本当に不要だと思うなら、その責任者に自分が就いたとき、潰せばいい。
ただ、お金をたくさんもらってて「あんた、ちゃんと仕事してんのか!? 実の社会を経験してなくて、民間の感覚がまったく分からず、借金ばかり増やしてんじゃないの?」というような不祥事を起こす役所のお偉方には、文句言っていいと思います。
でも、地元で誰もやりたがらない公的役割をコツコツやってる人には、なるべく協力してあげてね!
とくに、「くだらない」と思えるような書類も、貴方が「いざ」という災害に遭った時や、貴方より弱者のためになるものもあるので、できるだけ正しく書いて、早い提出をお願いします!
もう、ほんとに、修正が大変なんだから!(笑)
大事なことを書き忘れてました……
たまに、ドラマなんかでも見る、「あの人はPTA活動にぜんぜん出てこないのよ」とか言う主婦の言葉がありますよね。
ああいうの、自分の生活で手一杯な人は、あまり気にしなくていいです。
しんどい思いをしてまで公的行事に協力してたら、「自分と、自分が一番大切にしなければいけない人」をおざなりにしてしまうことがあります。
僕が実際にその手の活動に関与してみて思ったのは、その時その時に余裕がある人が、”ちゃんと”協力してくれたら、充分地域は回っていく、ということです。
だから、いま自分のことだけで忙しい人は、そこに文句を言ってくる他人を気にする必要はありません。(その人はこちらの人生に責任なんか取ってくれませんし)
ただ、人は真っ当に生きてたら、必ず余裕が出てくる時期が来ます。
もしそれが来ないなら、それはもう、生き方が間違っている(何らかの形で、他人の気持ちをふみにじり続けている)、努力の仕方が間違っているとしか、僕には言えません。
だから、もし余裕が出てきた時に地域に人手を求められたら、応えてあげてください。
それが、世の中への最高の恩返しになります。
僕も関わるまでまったく気づけなかったんですけど、本当に、地域のために無償で頑張ってくださっている方が、今も各地にたくさんおられます。
その方たちのお陰で、ほとんどの人が普通に働いて、普通に家族を形成していくことができている。
「働いて食いぶちを自分で稼いで、税金を納めてんだ。何の文句がある?」と心から思ってる若者やご老人も、いると思います。
でも、それが普通にできる地域を、ふだんから支えてくださっている方がおられるからこそ、それが可能なんです。
平穏な生活というのは、”自分だけがやっていれば”得られるという、それほど甘いものではありません。
いそがしい日常では意識しづらい多くの方が動いてくださっていて、自分と、自分に不幸をもたらしてくる周りの不幸が抑止されているからこそ、得られるものだと僕は感じました。
……ちょっと説教くさい話が続いてしまったんですけど……死期が近いのかなw
有り難うございました!