赤い街と、走る男
深夜、街の真っ赤な看板が空を照らす。くたびれたスーツ姿の男性、晃は、片手に一輪のカーネーションが包まれた花束を握り、もう既に止まったはずの駅へと走っていた。
交差点の信号、どこかへと急ぐ救急車、帰る場所のない女の赤い唇。まるで危険信号のようにそれらが目の前を行ったり来たりする。
足はもたつき、意識はくらくらしていたが、間に合えとしきりに心で繰り返すその思いだけはハッキリとしていた。
晃には帰らないとならない理由があったのだ
やっとついたその駅には、深夜一時を回っていたにも関わらず、運がいいのか、晃の時計が狂っていたのか、まだ最終電車は来ていないようだった。
晃は急ぎながらも、慣れた手つきで改札にカードを合わせた。
しかし、改札はいつものように開かず、ビー!!!!!と鋭い音を立て、赤く電子版を光らせた。
晃は不審に思った。彼はその日の朝、自らの手で定期を更新していたのだ。
こんな時に限ってと、苛立つ気持ちを必死に抑えて窓口にたつと、そこにはまだ若い駅員が気だるそうに座っていた。
「ちょっと、すみません」晃がいらだちを隠せない口調でそう呼びかけると、駅員はそれに相反して「はぁーい?」と気の抜けたような声で、のんびりとこちらを振り返った。この男はつくづくあきらの神経を逆撫でする。
「あの、朝更新したはずの定期が使えないんですが?」そう言いながら、晃は定期を窓口へと差し出す。
「はい?定期??」若い駅員はバカにするような目で晃を見た。晃は急いでいる上にこのようなバカにされた態度を取られて、いよいよ怒鳴りだしそうな程苛立った。
「お客さんねぇ、そんなに急いだって今更...あぁ、もしかしてそうゆう感じっすか?」駅員は晃の姿を一瞥すると、馬鹿にしているのか、他に何か考えているのかよくわからないような顔でニヤリと笑った。晃はもう、この駅員の態度について、怒りを通り越し、呆れていた。
「お客さん、身分証とかってあります?」駅員はそう聞くと、小窓の下をトントンと指さした。どうやら出せということらしい。
晃はこのごろ、よく頭痛で倒れ込むことが多かったので、保険証をいつ倒れてもいいように携帯していた。
カバンから保険証を出そうとした時に、カバンの中に入れたアレを思い出した。
カバンを抱えて、こっそりと中を見ると、包装紙に包まれたそれは、しっかりとまだそこにあった。
保険証を駅員に渡すと、カバンの中の空いた空間に、包装を丁寧に直し、優しくカバンを閉めた。
駅員はパソコンと保険証を交互に見ながら、器用になにか打ち込んでいる。
しばらくすると「あー...なるほどね、お客さんは特別列車からお帰りいただくことになりますね。」と駅員が言った。
特別列車とは何だろう。晃はそう思ったものの、やっと帰れると聞いて安心した。
「特別列車はこちらになります。」だるそうに駅員が窓口から出て来て、案内する。
改札横の柵を開け出て、一番奥の方へ。
いつもよりほの暗く、しかし暖かい色の照明で照らされた、ホームへとつづく廊下には、駅ナカからの美味しそうなご飯の匂いがしていた。いつの間に改装工事をしたのだろうか、それとも今まではそんなこと考える余裕がなかったから気づかなかったのだろうか。
下に俯く学生や、穏やかな顔をした老人、大切そうに赤ちゃんを抱える女性まで、たくさんの人間が溢れかえっていたが、誰もが静かにホームへと向かっている。
前を急ぐ若い駅員の背中だけを頼りに、晃はその波を逆に逆にと進んでいく。
そうして着いたのは廊下の突き当たり、13番線の赤い看板がかかった階段。
その階段を抜けると、そこには薄暗いホームの中、真っ赤な電車が待っていた。