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長谷川理央 ――アルトサックス

 あたしの専用スタジオである昼休みの部室に、変な男子がいた。

 ドラムの前に座った三河(みかわ)の、隣に突っ立っていたそいつは肩からギターをさげて、ドアを開けたあたしに小さく会釈した。楽譜を繰っていた三河が、こっちを向いてくっさい肥料を嗅いだみたいな顔をする。


「女王様が来やがった……」

「うっさいデブ。つーかなんでいんの? 目障りなんだけど」

「あーあー。ほんっと性格わりぃ!」


 ぐちゃぐちゃ喚いている三河と謎の男子の横を通り過ぎて、あたしは窓際に立った。窓からは駐車場と北門、あとはびっかびかに青い山だけが望める。

 今朝持ってきておいたケースからアルトサックスを取り出して、まずはマウスピースだけで口を慣らした。日光はGWが終わった途端強烈になって、あたしの首裏に一瞬にして汗を浮かせるけど窓を開けるわけにはいかない。それは音漏れしたら怒られるからだけど、北校舎の最上階、最西端という僻地にある狭い部室は、夏にはサウナと化すし冬は冷凍室になる。軽音部員があたしと三河以外幽霊なのは、この不快な環境のせいもちょっとはあると思う。

 弱小軽音部で自前のサックスだぜ、あいつ協調性ねえんだよ、この部ベースもキーボードもいねえのに、とかなんとか文句垂れていた三河の声も、あたしが演奏し出すとぱっと消えた。いや実際三河はまだ騒いでるのかもしんないけど、あたしの耳にはもう聞こえない。楽器に息を吹き込んでしまいさえすれば、あたしは自分の音で戦国時代の城塞並みに強固なバリケードを築ける。

 ……はずなのに、今日は違った。背中に無遠慮な視線が堂々投げつけられているのが気になって、イライラして、あたしは振り返ってしまう。ギターの男子と目が合った。よく見るとそのギターは、何年前から置き去りにされているのか分からない、部室のぼろいギターだった。


「なんか用⁉」


 キレ気味に突っかかってやると、男子は少しだけ肩を跳ねさせた。でも、それから口元の筋肉をほぐすみたいにして、笑った。


「かっこいいなあ、って思って」





「それで惚れたの⁉」


 昨日の顚末を報告すると、麻美(まみ)は「チョロすぎ!」と盛大に笑い飛ばしてくれた。


「だってさあああ。なんかかわいかったんだもんー……」


 あたしは机の天板に額を置いて暴れた。麻美はあたしの後頭部をぺかぺか叩きながら「にしてもやばい、チョイスがやばい」とツボから抜け出せずにいる。


「弟ならまだ分からんでもないけど、よりによって兄貴の方ってのがさあ」


 まあひねくれ者のあんたらしいけど、と麻美が失礼なことを宣いやがるので、「『ひねくれ者』じゃなくて『個性的』なんだっつの」と反論して顔をあげた。あたしの前の席を借りて座っている麻美は、早くもあたしの恋バナに飽きたのか、脚を組んでスマホをいじり始める。

 教室を見渡すと、窓際に、あからさまな人気者オーラを放つ二人を見つけた。さっき麻美の言った「弟」――浅野(あさの)和宏と、その彼女の小泉(こいずみ)さやかさんだ。学年では美男美女カップルで通っている二人は、何かこそこそと話しては楽しそうに笑っている。そこだけ暴力的にまぶしいのは、朝日が注いでいるからとか、あたしの網膜が狂っているからとか、そんな理由じゃない。「存在感レベル」が違うのだ、人間としての。


「つーか、ぶっちゃけイケんじゃない? 理央(りお)なら。なんか女慣れしてなさそーじゃん、兄貴の方」


 麻美が、彼氏との写メを加工しながら適当に言った。その、麻美のデコラティブな爪と、浅野弟に梳かれている小泉さんのエナメルみたいな黒髪ロングを交互に見やって、「落としてやる」とあたしは決める。まずは、この伸ばしっぱなしの髪をばっさり切ろう。ボーイズライクなスタイルが、あたしには一番似合うから。





「そういえば訊いてなかったけど、長谷川(はせがわ)さんはなんで吹部入んなかったの?」

「バンドメインにやれないし。まあ一番は練習多くてかったるそうだったからだけど」


 正直だねえ、と苦笑する浅野兄――宏典は、弦の張り具合を一本一本確認している。モノクロのボディカラーをしたギターは、浅野の私物らしい。綿ぼこりだらけの部室の床にあぐらをかいている浅野の、脳天を使って三河はドラムスティックでロールしていた。

 浅野が女慣れしてないかどうかはともかく、あたしらの距離は簡単に縮まっていった。クラスメイトの三河にギター趣味がバレた浅野は、あの日強引に連行されてこの部室にいたみたいだけど(本来は帰宅部らしい)、それからは昼休みや放課後にちょくちょく顔を出してあたしと三河とダベるようになった。浅野もあたしらに負けないくらい、もしくは(認めたくないけど)あたしら以上に音楽バカで、邦ロックはもちろん、海外のニッチなバンド事情まで網羅している。そしてその趣味があたしとものすごく合った。もう魂レベルではあたしの方と双子なんじゃないか、と目を血走らせて食い気味に熱弁された時はさすがに引いたけど、でも、いやじゃなかった。好きなバンド、おすすめの曲、あのバンドはメンバー変更で「間」の取り方が変わった、今度一緒にライブ行こう――いろんな話をした。浅野が笑うと、単純に嬉しかった。

 浅野は野暮ったい眉毛をしているし、ビートルズを真似て失敗しましたみたいな(つまりダサい)キノコ頭してるし、全体的に影が薄い。曲がりなりにも「弟」の方と双子だからよく見ると綺麗な顔してるんだけど、今んとこそれに気付いている女子はあたしだけみたいだ。廊下ですれ違ったり、移動教室のついでにクラスを覗いたりしてみても、浅野があたし以外の女子とつるんでる現場なんて見たことがない。

 まあ、あたしもブスじゃないし? 三河なんかには「地顔がヤンキー」とかほざかれるけど、麻美は「下唇がチャーミング」とか(「(笑)」付きでだけど)言ってたし? 今もこうやって、三人でバンド演奏してみよう、とか、誘われちゃってるわけだし?

 正直、手応えはありまくるわけですよ。


「ごめん、おまたせ」


 そう言って立ち上がった浅野は、「あたしフィルター」を通していることを抜きにしてもイケてる感じがした。もさいけど背は高いから、ギターを抱いた姿がさまになっている。


「じゃあやるか~」


 間延びした声で、三河がスティックを十字に構えた。かん、とカウントが終了した直後、音があふれ出す。

 あたしたち三人が好きな邦ロックバンドの、サックスを使用している曲のコピー。ボーカルは音痴の三河が担当だし、ベースとか、他にあるべき楽器の抜け落ちた演奏はちぐはぐで、いまいち締まらなくて、でも、精一杯だった。全身を駆け巡る血が、天ぷらを揚げた油みたいにぷつぷつ飛び跳ねて、やけどしそうに熱せられて、大きく波打つ。心臓は働きすぎで、頭は霞がかってきて、うまく息ができなかった。溺れながらどうにか取り入れた酸素は、全部全部サックスに送り込んで、あたしの音になった。

 残響さえ消えて演奏が終わると、あたしたちは顔を見合わせてハイタッチした。ぎゃーっ、と意味不明な奇声をあげてしまう。


「ちょっと、やばくなかった⁉」

「やばかった! パッションやばかった!」


 紅潮した三河と「曲自体はくそだったけど、なんつーの? 音楽の奥にあるものっつーの? 通ってたよな!」「いやくそっつーかあんたの歌が一番やべえわ!」とか言い合っていたら、それまで黙っていた浅野が、両頰を挟み込むようにして口元を押さえてから、つぶやいた。


「やっべー……超楽しい」


 キャラ変わってますよ浅野さん、と突っ込んだ三河に「興奮してんだよ!」と言い訳した浅野は、今までで一番、いい笑顔をしていた。火力最大の花火を同時に十発ぶちあげたみたいな、笑顔。

 見とれていたあたしに、浅野は「あっ」と叫んでずいっと顔を寄せてきた。一気に、至近距離。


「ピアスホール。初めて気付いた!」


 反射的に左右の耳たぶを隠したあたしを、浅野は笑った。恥ずかしくって目をそらした先にいた三河は、今にもひやかし出しそうににやにやしている。「蜂蜜を食べるクマ」似のデブのくせに。

 体中熱いのは、さっきまでの演奏の、余韻のせいだけじゃない。





「あんたさあ、カルピスばっか飲んでるとデブるよ?」

「しょうがないじゃん、好きなんだから」

「中毒かよ」


 一口ちょうだい、と手を出すと、浅野はペットボトルを放って寄越してきた。キャッチして、遠慮なく飲む。間接キス、とか、近しくなきゃできないようなことも、今のあたしらにはできてしまう。

 もうすぐ夏休み、という日の放課後、あたしは浅野と二人きりで部室にいた。あたしたちの演奏を録音したい、と浅野が言い出したからで、当然三河も呼ばれてるんだけど、委員会で遅刻するとのことだった。グッジョブ三河。


「つーかさ、なんで急に録音?」


 部室に一台だけある机に座りながら訊くと、窓際の壁にもたれてPCMレコーダーをいじっていた浅野は「んー」と低くうなった。


「俺たちの話したらさ、演奏聴きたいってうるさいやつがいて」


 いとこなんだけど、と浅野は目を細めた。あれ、とあたしは思う。浅野が、唇を噛み込んで鼻にしわを寄せる、変な顔をしたからだった。

 机のふちを掴む手のひらで、汗が噴き出してくる。カルピスで浮かれていた気分が、急速にしぼんでいく。いやな予感がする。


「……なにそれ、もしかして女の子?」

「そうだよ」


 浅野は生真面目だから、夏でも制服の第一ボタンまで閉めている。腕まくりしたシャツから伸びた腕は真っ白で、もろ文化系だ。あたしはわずかに逆光になっている浅野の輪郭を、じっと睨んだ。

 やだやだ、やめて。

 口が渇く。腰のところで折ってミニにしたスカートから、さらされた膝頭が冷たくなった気がした。この部屋は、三十度近くあるはずなのに。

 でも、いとこだし。近すぎだし。ありえないし。

 でも、でも。


「す、好きだったりしてーえ?」


 声が、あからさまに震えていた。やば、と思っても、もう撤回はできない。カルピスを、ぐっと握りしめる。

 音出す時閉めればいいよね、と独りごちて、浅野が窓を開けた。風がなだれ込んできて、浅野の髪を揺らす。部屋の空気が底から引っ掻き回されて、浅野のにおいをあたしに届けた。浅野からはいつも、青葉みたいなにおいがする。

 ゆっくりと振り返った浅野は、卑屈に笑っていた。


「あいつは和宏が好きなんだけどね」





 だって、地味だし。さえないし。オタクだし。どちらかといえばキモい部類に入るし。

 だから、大丈夫だと思ってた。あたしならイケると思った。麻美の言った通り、なんだかんだ、あたしはあたしに自信があった。――なのに。

 バカじゃん、あたし。

 ベランダの柵に寄りかかって、校庭を見下ろす。放課後、三階からの景色では、あちこちに散らばって練習している運動部のやつらが、点になってくっついたり離れたりしていた。かけ声なんかはぼんやりとくぐもって響いて、野球部の飛ばす、きん、というボールの音だけがそれを切り裂いていた。

 錆びついた柵が臭くて鼻先を歪めていたら、校門へ向かう人影の中に、浅野和宏と小泉さんを見つけた。並んで歩いている。

 例えばもしあの二人が別れることになって、浅野和宏が「いとこ」とやらと付き合うことになったなら、浅野は諦めてあたしの方を見てくれるかもしれない。

 ……と、考えてみたけれど、あたしは浅野和宏といる時の小泉さんの笑顔がほんとに幸せそうなのを知っているから、そんな願望は速攻で捨てた。


「理央帰ろうぜー」


 背後から、担任に呼び出しを喰らってた麻美の声がした。おう、と返事して、振り返る。

 教室のドア口に立っていた麻美は、一瞬怪訝そうな顔をして、こっちに歩いてきた。理央、と深刻そうな声色であたしを呼ぶ。


「あんた、なんで泣いてんの?」


 え、と固まったあたしのほっぺたを、水が伝い落ちていった。次の瞬間それは滝になって、どばどば流れていく。

 たかだか失恋で号泣するなんて、女々しい。超ダサい。キモいウザいあたしのキャラじゃない。そう思うのに、嗚咽が止まらない。ついでに鼻水も止まらない。

 窓から身を乗り出した麻美が、ベランダにいるあたしの頭を撫でた。麻美の、どぎつくて臭くてしょうがない香水のにおいが、今のあたしをなぜか無性に、安心させる。


「……カラオケでも行こっか」


 発散しまくろ、と提案した麻美に、うなずく。でも、浅野はどんな歌声してんだろ、とか自然に連想していたあたしは、やっぱり浅野のことが好きみたいだ。

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