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中原香恵 ――かくれんぼ

 カズが笑うと、私の心臓はいつも三センチくらい浮く。


「ぎゃー!」


 罰ゲーム(アイスの買い出し)が確定した瞬間、カズの絶叫がリビングに響き渡って、後ろのソファで音楽雑誌を読んでいたノリが「ちょ、うるさいんだけど」と顔をしかめた。イヤホンを引っこ抜いてカズを睨んだノリに、カズは「わりぃわりぃ」と全く悪いと思ってなさそうな態度で平謝りする。


「てかカズ、弱すぎじゃない? 六連敗ってやばいでしょ」

「うっせーよ! Wiiでマリカなんて田舎じゃできねーの!」


 いや田舎関係ないし、と私がつぶやくと、地獄耳のカズは「黙れこいつ~」と私にヘッドロックをかけた。ギブギブギブ、と喚く私をカズはますます力強く締め上げてきて、爆笑しながらフローリングに転がった私たちを、ノリは一段高いところから呆れたように見下ろしていた。それがおかしくて、私はさらにどでかい笑い声を、午後の陽に焼かれている遮光カーテンに投げつけてしまう。


「しゃーねーな、買ってきてやるか。お姫様のために」


 そう言って立ち上がったカズは、財布をジーパンに突っ込んだ。まだ高校生になったばかりなのに、中三の頃と比較してまた一段と身長が伸びている気がする。

 お姫様、という言葉に、私は分かりやすく照れてしまったのだけれど、カズはそんなことには全然気付かないで玄関の方へと歩いていった。


「いってきまーす」


 そうふざけて、私の頭をぽんぽんと撫でてから。


「ハーゲンダッツだからねっ」


 廊下の奥で靴を履き始めている背中に、言う。へいへい、と気のない返事をするカズはもうこっちを見ていないから、私の頰が真夏の車の中みたいに熱くなってることなんて、知るよしもない。


「あ、和宏(かずひろ)。カルピスも買ってきて」

「パシリじゃねえよ!」


 カズがいなくなると、家の中は急に静かになった。テレビに接続していたゲーム機を片付けようと屈んだところで、ノリの指先が私の、肩までの髪をかすめる。


「ほこり。……ついてたから」


 私がお礼を言う前に、ノリはなぜか目をそらした。ノリに触れられても、カズの時みたいな切ないような、痛いような胸苦しさは、襲ってこない。





 ノリとカズは、本当なら私にとって平等な存在のはずだった。

 同い年のいとこ。東京に住んでいる私は、お正月やお盆のたびに母方のおじいちゃんちのある田舎に連れられていって、そこに住んでいるノリとカズと、飽きるまで近所を遊び回っていた。二人は双子だけど二卵性だから、見分けがつかなくなるってこともないし、性格も結構違う。しっかり者で、カズだけじゃなく私の面倒まで見てくれるノリと、死ぬ前のセミみたいにやかましく、始終暴れ倒しているカズ。二人といる時間は、幼稚園や小学校で女の子と遊ぶ時とはまた違った楽しさがあった。


 頼れるお兄ちゃんなノリといたずら仲間のカズ、という認識が崩れたのは、小学二年生の夏休みの時だった。


 城址公園の裏にある神社で、かくれんぼをしていた。四方を囲う高い高い杉の木が空をふさいでしまうそこは昼間でも薄暗くて、神主さんも常駐していないような、ちょっと寂しくて怖い場所だった。

 杉の緑がそよぐ音とノリが数を数える声だけが聞こえていて、私は両手で口元を押さえながら、神楽殿の下にそっと体を滑り込ませた。スカートをたぐってしゃがんだ私は、ノリが「もういいかい」を言い出すのを、息を殺して待っていた。

 でも、ツインテールをぎゅっと引っ張って丸まっていた私のそばに、突然何かが飛び出してきて私は悲鳴をあげそうになった。ネコ、と思ったのは一瞬、正体はカズで、カズはにやにやしながら唇の前に人差し指を立てた。もーいーかい、とノリの疲れたような声がする。

 真っ黒に日焼けしたカズは、しゃがんだままちょこちょことひよこみたいに足だけ動かして私の隣に並んだ。なんで来んの、ばらばらに隠れた方が見つかりにくいのに、とムカついて追っ払おうとした私の左手は、カズの右手に捕まった。そのまま、ぎゅっと握られる。

 かずひろー、かえー、とノリが呼んでいる。土のにおいとカズの汗のにおいを嗅ぎながら、どうしたらいいのか分からなかった。繫がれた手がこそばゆくて、だからカズの横顔をじっと見つめていたら、カズと目が合った。カズはさっきまでのいやらしい笑みじゃなくて、口角だけをふっとゆるませるようにして笑ってから、私の耳に口を寄せた。


 なに見てんだよ、香恵(かえ)


 結局、その後ノリにあっさりと見つかってしまった私たちは、なんにもなかったみたいにしていつも通り家に帰った。手と手は、とっくに離れていた。

 でもその日から、私にとってノリとカズは平等じゃなくなった。





 二人っきりの夕飯で、ノリはさっきからずっと、笑顔だ。

 そもそも今回ノリたちが私んちに泊まりに来たのは、ノリの好きなバンドが東京でライブをやるから、だった。はじめはノリだけが来る予定だったのに、GWで暇だから、とごねてカズもくっついてきたらしい。今日はそのライブの日で、帰宅してきてからというもの、ノリはずっと高揚しっぱなしだ。会場での興奮がまだまだ冷めないらしい。


「やっぱいつ見てもギターに持ってかれるんだよね。なんだろ、別に特別派手なわけじゃないんだけどさ」


 私の作った不格好なハンバーグ(お母さんは夜勤で、お父さんは単身赴任中だから、他に作る人がいないのだ)を箸でさばきながら、うっとりとノリは語る。私は適当気味に相槌を打ってたんだけど、少女漫画の女の子みたいにぽわぽわした表情をしているノリが面白くてちょっと笑っていたら、それを見咎めたノリにむっとされてしまった。


「なに笑ってんの?」

「別にぃ? 幸せそうだなあって」


 馬鹿にしてるでしょ、と眉間にしわを作ったノリに、いやいや全然、と大袈裟に首を振ってみせる。


「いいじゃん、夢中になれるものがあって。私そういうのまだないからなー」


 特に意味はない発言だったのだけれど、それを聞いたノリはふっと黙ってしまった。テーブルの、付け合わせ用のドレッシング辺りに視線をさまよわせながら、間を置いて微笑む。


「なれるよ、香恵なら」


 テレビの音もない静かなリビングなのに、それでもノリの声は聞き取りづらかった。ほとんど息みたいな声だった。


「幸せになれるよ」


 え、と一瞬動揺した私に、ノリは「そういえばあいつまだ帰ってこないの?」と不自然に話題を変えてみせた。ちょっと引っかかりを覚えながらも、うなずく。カズは、「観光する」と宣言して今朝ノリと並んで家を出たっきり、帰っていない。


「さっき『今渋谷~』ってメールきた。スクランブル交差点での自撮り付きで」

「気持ちわる……」


 アホだよねえ、とけらけら笑いながら、私はメールに添付された写メを思い出していた。TSUTAYAの電光掲示板を背景に、画面に向かって投げキッスしてるカズ。明らかにただのおふざけ、なのに「これを私に送ってくれたんだ」という事実に一々ときめいてしまう私は、我ながらチョロい。


「ほんとあいつ、なにしに来たんだか」

「えー、ノリと離れたくなかったからでしょ?」

「……その言い方、なんか不気味なんだけど」

「だってカズ、ノリのこと大好きじゃん」


 いやありえないし、とノリは苦虫を一度に十匹くらい噛み潰したような顔をしてご飯を飲み込んでいたけれど、私は知っている。小さい頃からカズはノリに対抗心剥き出しで、ノリのことばっかり気にしていた。私がちょっぴり、ノリにやきもち焼きたくなっちゃうくらいには。

 ごちそうさま、と手を合わせてから、ノリは言った。


「俺は、香恵に会いたかったからだと思うけどね、和宏が来たの」

「えっ、なにそれほんとっ⁉」


 反射的に身を乗り出した私に、ノリはびっくりしたようにのけぞってから「いや知らないけど」と言葉を濁した。それでも私は、ハンバーグのソースにキャベツを浸しながら、にやにやしてしまう。

 カズは、私に会いたかったんだ。ノリがそう思うなら、それはきっと真実だ。


 ――幸せになれるよ。


 ノリは言った。私は、幸せになりたい。カズと一緒に。





 カズが走っている。校庭のトラックを、たすきをたなびかせて爆走するカズは、全てを意のままに操れる王様みたいな存在感を放っている。

 ノリとカズの小学校の、運動会の日、私はカズに釘づけだった。クラスリレーでアンカー走るから観にこいよ、とカズが電話を寄越してくれたから、東京からわざわざこの一日のために、お母さんに駄々をこねて応援に来ていたのだった。

 レーンは全部で三つ、三着でカズの手にバトンが渡って、そこからカズは下り坂を転がる自転車のタイヤみたいに脚を回転させて、白線の内側を疾走した。一人抜いて、二人抜いて、一着でゴールテープを切ったカズはみんなの拍手喝采を一身に浴びていたのに、そんなことにはお構いなしにきょろきょろしていた。そうして、応援席の一番前に立っていた私を見つけ出すと、黄ばんだ歯を露わにしてピースサインをぐっと突き出した。私は泣いた。

 カズを大好きだ、と思った。とてもとても、大好きだと思った。





 目覚めたらベッドの中にカズがいて、私は卒倒しかけた。

 叫び出しそうになった私の口を片手で覆ったカズは、しっ、と「静かにしろ」のジェスチャーをした。カーテンの隙間からこぼれる外光の筋がカズの顔に投げかけられていて、電気を落とした私の部屋の中で、そこだけ不自然に浮き上がっていた。


宏典(ひろのり)が起きるだろ」


 囁いたカズは、逃げる私に平然とくっついてくる。とうとう壁際に追いつめられてしまった私は、「なにしてんの⁉」と小声で抗議した。私の背中に密着している壁の向こうでは、ノリが寝ている。


「だって帰ってきたら香恵も宏典も寝てんだもん。つまんねーなー、と思って、いたずら」

「『だって』じゃないし!」


 ばか、あほ、変態、と思いつく限りの悪口を飛ばす私の手を、掛布団の下でカズはきゅっと握ってきた。それだけで私は、何も言えなくなってしまった。

 お風呂をあがったばかりなのか、カズの髪は湿っていた。横たわっているせいか前髪は流れて、おでこが丸出しになっている。もっさりとしたノリの眉毛とは対照的に、カズのそこは適度に手入れされていた。


「なんか、前にも似たようなことしたよな」


 独り言みたいに、カズが言った。


「すっげえガキの頃。宏典に隠れて、二人で」


 優しく笑ったカズから、私は思わず目をそらそうとしたけれど、カズに頰を掴まれてしまって叶わなかった。ノリとカズは似てないところの方が多いのに、笑った時の目の形はそっくりだ。

 覚えてたんだ、と思った。あんな些細な出来事、カズはもうとっくに忘れていて、この記憶は私だけがずっと先まで保存していくんだと思い込んでいたのに。


「香恵のにおいがする、って思った」


 今もするけど、と冗談めかして言うカズの喉仏はぐりんと盛り上がっていて、繋いだ手に触れる指先や甲のでこぼこは、あの時のカズにはなかった。すう、と微かに感じられるカズの息遣いが熱くて、愛しくて、泣きそうになった私はそっと瞼を閉じた。

 狭いベッドの中でくっついて、手を握り合って、お互いの顔はすぐそこにあって、それでもそれ以上を求められることのない私は、きっとカズにとってその程度の存在だ。

 でもカズは、明日にはまた田舎に帰ってしまう。


「――ねえ、カズ」


 目を開けたら、真顔のカズがこちらをじっと見ていた。整った、綺麗な顔。


「私に会いたかった?」


 一瞬だけ驚いたような反応を示したカズは、でもすぐに微笑んで、私の頰を撫でた。


「会いたかったよ」


 明日が来なければいいのに。

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