第0夜
魔術の才能は生まれた時に決定する。
正確に言えば、魂の色によって魔術が決定する。
それ故に
魔術師は己が内面と直接向き合うことになる。
たとえそれがどれだけ醜悪な物であろうと。
午前2時。
街はすっかり静まり返り、人の気配は微塵もない。
やや雲がかかっており、かろうじて空に光るのは月だけだ。
左右をビルで固め、街の中心を貫く大通り。
昼間は賑わうその場所も例に漏れず眠りにつく。
そのはずだった。
「ーーー!」
今夜、そこは戦場だった。
街灯を揺らすほどの衝撃を撒き散らしながら、2つの影が交差する。
「ーーーっ」
それは炎だった。
爆炎は空気を燃やし、己が光で夜の闇を染め上げる。
それは剣だった。
斬撃を飛ばし、地面を裂き、迫る炎をも両断する。
人間の戦いではない。
2つの影は時に離れ時に交差し、その度に夜の静寂を破壊する。
正真正銘、命のやり取り。
それは自分にとって忌むべき行為のはずだ。
恐るべき事象のはずだ。
にもかかわらず
思ってしまった
ー羨ましいと
観客でしかないこの身が、ただ恨めしかった
冷たい風が通り過ぎる。
枯葉を巻き上げながら吹くそれは、冬の訪れを告げている。
「そろそろコートも出さないとな」
うだるような暑さだった夏が遠くに感じる。
今年の夏は最高気温更新がどうだの、地球温暖化がどうだのと騒がれていたが、この分なら日本が海に沈む心配はしばらくなくて良さそうだ。
何十回と歩いた通学路。
木々はいつのまにかすっかり秋模様になっている。
「朝から相変わらずだな茅野」
掛けられた声に思わず顔をしかめる。
振り返るとそこには同級生の黒野が、こちらもまた不機嫌そうな顔で立っていた。
「こんな朝早くから生徒会の媚び売りか?」
「まあな、色々と世話になってるから。そういう黒野はどうしたんだ。朝練に通うようなタチじゃないだろ」
「用事だ。お前見たいな暇人とは違うんだよ。朝からその陰気な顔をみるなんて、最悪な朝だよ」
悪態をつきながら通り過ぎて行く。
黒野良太。
実家が名のある家らしく、本人もプライドがたかい。
体つきは良い方ではないが、整った顔立ちでクラスの女子からは人気がある。
意外にも文武両道で、総じて高いステータスの持ち主だ。
だが、どういうわけか茅野士道は嫌われている。
今の関係は中学の頃からだ。
別段、嫌われるような出来事があったわけではないので、理由についてはいまだ不明だ。
黒野は嫌いではない。
しかし、向こうがあからさまに嫌っている以上、こちらも良い気分ではないのは確かだ。
加えてこんな朝っぱら、ただでさえしたくもない雑用に駆り出されている途中では、何か言い返したくなっても仕方ないだろう。
「っ。いや、やめておこう。どうせ時間の無駄だしな」
ここで言い返しても、黒野の機嫌を損ねるだけだ。
言い合いになって約束の時間に遅れれば、それこそ最悪な朝になってしまう。
黙って黒野の後を歩く。
中学の頃はこの流れで喧嘩になっていたが、なにせ長い付き合いだ。そろそろ黒野との関わり合いもわかってくる。
あいつはプライドが高いから、言い返されると黙ってはいられない。
言い合いになっても疲れるだけだ。
「ちっ」
言い返さないのをみると、それはそれで気に入らないのか舌打ちを残して足早に去っていく。
「はぁ、なんだって言うんだよ、一体」
こんなに気分の悪い朝は久しぶりだ。
ふと時計を見ると約束の時間まであと少ししかない。
ため息をつきながら、この元凶たる依頼主の元へと足を進めた。
目の前には生徒会室の扉がある。
時間は7時半を過ぎたところ。
部活動のある生徒ならまだしも、なんの部活にも属していない茅野が、この時間に登校しているのは不思議だ。
その理由がここな訳だが。
「ー失礼します」
扉を開ける。
生徒会室は小綺麗に片付いている。
小さな棚が左側に、右の壁には物置が、そして中央にやや大きめの机が置かれている。
部屋の位置的に朝日が入りやすく、奥の窓からの日差しで少し眩しい。
「少し遅かったわね、茅野くん。悪魔にでもあったのかしら」
その机に肘をついているのがこの部屋の主、御影京子。
この学園の生徒会長にして、この地区一帯の大地主だ。
「毎度思うけど、なんなんですか、その言い文句」
「まあ、深い意味は無いわよ。強いて言うなら、キャラ作りかしら」
この人の考えていることは、正直よくわからない。
弟子入りして5年が経つが、いまだに腹の底がつかめない。
とにかく不思議な人だ。
「さ、1限目まで時間もないし、さっさと仕事を終わらせましょう。ほらまだこんなにあるの」
「はいはい。了解です」
机の上に置かれた紙の束を見る。
昨日から全然減ってない。
今日何回目かのため息をついて、ノートパソコンを起動する。
「御影さん、昨日からずっと仕事してましたよね。なんでまだこんなに残ってるんですか」
「あら、失礼ね。まるで私が仕事をサボっていたような言い方」
「へー、違うんですか?」
「違うわよ。私が機械類が苦手なのは知ってるでしょ。だから、それ以外しか出来なかっただけ」
仕事を始める。
といっても、紙に書かれたデータをパソコンに写すだけだ。
面倒ではあるが、難しい作業ではない。
話しながらのほうが、気が紛れて丁度いい。
「機械類が苦手って、これくらい苦手でも得手でも大差ありませんよ。これを機に、タイピングくらい出来るようになろうとは思わないんですか?」
「思わないわ」
きっぱりと切り捨てる。
横目で見ると、いつのまにか入れたのか、ティーカップを手に、紅茶を飲んでいる。
ほんと、いいご身分だ。
「私、無駄な努力はしない主義なの。そんなのが出来るようになったって、結局は私に必要のないものだもの」
「今、必要になってるわけですが」
「そのためのあなたでしょう。分担できさえすれば、なんでも出来るようになる必要なんて無いのよ」
めちゃくちゃなことを言ってるが、この人が言うと妙に説得力がある。
だが騙されるな。
結局、この人はサボりたいだけなのだ。
「ときに茅野くん。今日の放課後は何か用事でもあるのかしら」
「今日、えっと、なかった、と思いますけど」
「そう、なら今日は大人しく帰って寝なさい。明日は土曜日だし、魔術の稽古でもしてあげるわ」
「え、本当ですか!?」
キーボードを叩く指が止まる。
この人が自分から稽古を提案するとは珍しい。
自分としてはありがたいが、どういった心境の変化だろうか。
「私も卒業後は家業に専念することになるでしょうし、それまでに最低限の能力は身につけてもらわないと。ま、どれだけ物になるか疑問ではあるけど」
卒業、か。
あまり意識していなかったが、そうか。
この人が学生であるのもあと数ヶ月だけなのか。
それが終われば、御影京子は本来の、魔術師としての役目に戻ることになる。
そう、魔術師。
現代では異端とされる知識の保管者。
世間から隠れ、裏の世界の秩序を守る守護者。
それが魔術師だ。
魔術は普通の社会では決してあり得ない。
しかし、魔術は現として存在しており、またそれを生業とする魔術師も存在する。
これが現実だった。
御影京子はこの街の大地主であり、一帯を統括する魔術師でもある。
そして、茅野士道は魔術師を志し、御影京子に弟子入りしており、魔術師見習いだったりする。
加えて言うなら、この雑務も彼女に言わせれば授業料のようなもので、茅野に断る権利はなかったりする。
キーンコーンカーンコーン
「あ」
時計をみると8時15分。
授業まであと15分しかない。
「少し喋りすぎたか。すみません、残りは昼休みにでも」
「いえ、そこまでする必要はないわ。どうせ土曜日には私の家に来るんだし、そのときに終わらせればいい」
御影はせっせと後片付けを始めている。
急ぎの用でないなら朝から呼び出すなといいたい所だが、稽古をつけてくれるのなら何も言うまい。
「じゃ、お先に」
荷物を片付けた御影はとっとと教室をでていく。
紙の束は机の上にそのままだ。
誰が片付けるのか。
それは言うまでもないことだ。