死神艦隊
「死神艦隊? 」
何ともアナクロなネーミングにフレイは思わず噴き出しそうになる、それを小さな咳払いで嗜めたクレストではあったが彼とて内心フレイの気持ちはよく分かった。まるで三流アクション映画の悪役につけられるような二つ名を持つ艦隊がアメリカ海軍に存在していたなどとても信じられない、時代錯誤も甚だしい。
「正確にはアメリカ海軍第五艦隊所属第59任務部隊、現在でも非常時の際には編成される特殊な部隊として私達は参加しました。当時の艦隊司令はリッチモンド・ケリー「テリブル」・ターナー海軍中将、私達の部隊は硫黄島を攻略する「デタッチメント作戦」へと参加する艦隊に紛れる様な形で登録されたのです」
「『登録』? 正式な部隊なのですから素直に『配備』されたと言ってもいいのでは? 」
ハンマーの意味ありげな言い回しにフレイは首を傾げた。所属もはっきりしていて任務部隊としての番号もついている、どこからどう見ても正規の物としか思えない艦隊をなぜ彼は外様の様に言うのだろうか。
ハンマーは困惑したフレイの顔を眺めると手元に置いた自分用のミネラルウォーターを手にとった。身体を気遣ってか常温のままで置かれたその瓶には水滴一つ見当たらない、しかし彼はそれを美味そうに一口飲んで静かにテーブルの上へと戻した。
「それは私達の部隊が実際には第五艦隊に属してはいなかったからです。隠れ蓑としての仮称は戴いてはおりましたが本当の部隊名はアメリカ海軍第一艦隊第19任務部隊、実験運用空母打撃群。今では欠番の艦隊ですが」
クレストはカメラに映るハンマーの顔を眺めながら彼が今言った言葉の意味を考えた。記憶が確かならば海軍第一艦隊の設立は1947年、太平洋戦争終結後に行われた核実験計画 ―― クロスロード作戦の為に第一統合任務部隊と共に新設された艦隊だ。ビキニ環礁で予定されていた三度の核実験には余剰・接収・退役合わせて70隻の標的艦が用意され、それらの軍での所属を一時的に確定する為に臨時に置かれた艦隊だと聞いている。彼の言が虚言や妄想でないと言うのならその前に第一艦隊を命名された彼の艦隊は何らかの不祥事によって軍歴から抹消された事になる。
「実にいわくありげなお話ですね。ですがそこに私達が今まで追いかけていた謎が隠されている、と? 」
フレイは軽く微笑みながらアンカーとしての態度を崩さない、若くしてゴールデンタイムの顔として抜擢された彼女の実力がそこにはあった。恐らく彼女には今の話のどこがどうおかしいのかという事は分かってはいない、しかし直感的にハンマーが投げかけて来た謎かけの正体には気づいていたのだ。ハンマーはフレイの聡明さに十分に満足した笑みを浮かべて ―― 多分それが彼の話をこれから全て聞く事の出来る許可だったのだろう ―― 大きく頷いた。
「それはアメリカ海軍内にあるオペレーションズリサーチが主体となって新たに開発した最新鋭部隊でした。エセックスⅡ級空母1・巡洋艦2・駆逐艦2・レーダーピケット艦3隻にはその当時アメリカで開発中だった最新型の電子機器と対空兵装を装備し、空母艦載機は本国でロールアウトしたばかりのF8Fベアキャットを60機・哨戒用のTBMアヴェンジャーを6機搭載するという破格のものです。私は南方戦線から帰還した直後、ポトマック川の畔へと呼び出されてルーズベルト大統領閣下とジョン・ヤング・メイソン海軍長官から直々に艦隊司令に指名されました。当時私の階級は少佐でありましたがそれによって一気に大佐へと昇進したのです」
「ですがそれほどの物を少佐待遇の者にすんなり与えるとは考えにくい、それにはそれなりの理由があなたの戦歴にあったのですか? 」
「その理由の一つは私がレイテ沖で神風攻撃によって最初に撃沈された空母『セント・ロー』の幕僚であったと言う事です」
CVE-63セント・ロー護衛空母は就役以来南方戦線での激戦区を転戦して数々の支援攻撃を担って来た歴戦の艦艇だった。マリアナ・サイパン・レイテ島攻略戦の全てに参加し、最後は当時の日本海軍主力であった栗田艦隊と壮絶な砲撃戦を交した揚句に第一神風攻撃隊「敷島隊」隊長機・関行男海軍大尉の特攻によって撃沈したアメリカ海軍最初の喪失艦として知られている。連合国側が日本軍の立てた戦術の中で最も恐れ慄いた「神風攻撃」の始まりだった。
「軍歴から言えば私の経歴はそれほど華々しい物ではない、アナポリスでの成績は中の上くらいでしたし乗艦したセント・ローでの役割も防空担当で、各幕僚の中では末席に位置する物でした。ただアメリカ軍の人事で特筆すべき点はその人物が抜擢される条件の中に性格や特性が加味されると言う事です。派閥や戦果功績に関わらずこれから行おうとする作戦にその人物が適正かどうかを査定して決定する、恐らく私がセント・ローで行っていた仕事の査定評価がその中でのウェイトを大きく占めていたのでしょう。それともう一つは私が「神風攻撃」の経験者だったという点です、その部隊が持つ目的の為にはその一点が不可欠だった」
「経験、ですか? それは何とも間口の狭い選考基準ですね。第一戦地から生還した兵士にはそれなりの休養と慰労期間が与えられる筈だと記憶していますが、私の記憶が正しければ貴方は南方から帰還したその足ですぐに新しい部隊の司令官に抜擢されたと言う事になる」
フレイが矢継ぎ早に繰り出す疑問を微笑んで受け止めたハンマーは少し間を置いてから二人の顔をそれぞれ眺めた。それは傍観者としてカメラを睨んでいるクレストにもこの話に参加しろという彼の無言の意思だった。
「そう、あなたのおっしゃる通り軍は焦っていたのです。何としてでも日本が負ける前にその部隊を前線へと派遣しなければならない理由があった。 …… お二人にお伺いしたい、あなた達は「神風攻撃」という行為に対してどのような印象をお持ちですか? 」
神風攻撃に使用された兵種・兵装には様々な違いはあれど共通する点は「人が自らの意思でその命と引き換えに敵に被害を与える」と言う事。「kamikaze」と言う言葉が英語の辞書に残るほど衝撃的で象徴的なその行為に対する印象を今更どういう風に説明すればいいと言うのか?
「いえ、それはもちろん …… その、偶然として行われるには仕方のない事でも人道的にはあってはならない事だと。それを戦争に勝つ為の手段として軍が推奨するのは明らかな殺人行為だと思います」
口ごもったフレイの代わりにクレストが自分の考えを述べ、ハンマーは確かにその通りと大きく頷いた。
「私自身もそう思います。確かに戦争の最中にはそれに類する行為がたまたま敵に対して行使される事がある、古くは第一次大戦時に空中戦で弾の尽きた戦闘機が敵に体当たりをしたという例もあります。現に第二次大戦中にも日本軍の放った魚雷に対して身を呈してそれを阻止した海軍パイロットの例もある、これだって広義では神風攻撃の本質と何も変わらないのでしょう。ですが国を挙げてそれを推奨すると言う行為には明らかな疑問が生じます、戦争と言う物は国家間が互いを侵略すると言う目的の為に行われる物ではなく外交の為の最終手段として定義づけられている。国を形作る最小単位である国民の命を使って敵と戦うと言う事は、国家と言う存在を蔑ろにする考え方ではないのかと私は今でも思っています」
命を武器にして戦うと言うのは字面にすれば何とも美しく甘美な響きに聞こえるが現実とは違う。絶対に逃れる事の出来ない殺意を持った敵に対して応戦する兵士は恐怖し、その行為自体に憎悪する。命の遣り取りの距離を無くしてしまうと言う事は相手の感情をまともに自分の中へと取り込んで我が物にしてしまうと言う殺意の伝播を意味する、事実フォークランド紛争でアルゼンチン軍と相対したSAS隊員の中には塹壕での接近戦の凄惨さからPTSDを罹患した兵士を多く輩出したと言う。銃の使えなくなった距離で偶然手にしたシャベルを使って相手の頭を叩き割ったと言う残虐な行為が兵士の記憶に忌まわしさと恐怖だけを植えつけてしまったのだ。
ハンマーは自分の答えに相槌を打って耳を傾けるフレイに親しげな頬笑みを浮かべた後に、しかしその表情からは想像もつかないほど苛烈な反論をその口から投げかけた。
「ですが、そう考えなかった者達がいました」
そう考えなかったから日本軍は非人道的な攻撃を執拗に仕掛けたのだろう、とフレイは思う。だがそれはハンマーの次の一言によってあっという間に覆された。
「これは戦後の極東裁判やGHQ(General Headquartersの略称、連合国最高司令官総司令部はポツダム宣言執行の為に日本に置かれた連合国軍の機関。主に占領政策を施行した)の調査によって分かった事なのですが、主導権を握っていた筈の軍令部幹部や果ては日本軍最高指揮官である裕仁天皇でさえも神風攻撃には憂慮を示していたと言います。敗色が濃厚となって物資も乏しくなった彼らがいかにして敵に抗うか、限りある兵器をいかに効率よく運用して戦局を打開するかに苦慮した彼らはフィリピンで計画された組織的な体当たり攻撃によって戦線を押し戻して講和停戦に持ち込もうと考えていたそうです。ですが兵士の犠牲の甲斐もなく一方的に戦線を押し戻された日本軍は、今度は自国を守る為に已む無くその戦術を継続するに至ったと記録されています」
「ではあなたの言う「そう考えなかった者達」とは、まさか ―― 」
フレイが呟くとそこで初めてハンマーは表情を曇らせた。彼とて退役したとはいえ元アメリカ軍の将兵、敵が吹く滅びの笛に心躍らせる輩がいたなどとは思い返したくもなかったのだろう。クレストはカメラの画面の隅にある音声入力のインジケーターが再び動き出すまで、そこに映る彼の苦悩の表情を追いかけていた。
「 ―― 神風攻撃とは確かに人の命を蔑ろにして敵と戦う攻撃です。少ない兵器を使っていかに効率よく敵に被害を与えるかだけを考えた …… いやそれしか考えられなかったと言ってもいいでしょう、では「神風攻撃」から「人」という要素を抜き出して考えてみたらその攻撃は果たして否定され得るものでしょうか? 」
ふっと開く空白の思考はクレストの中に現代では当たり前となった武器の名を浮かび上がらせた。一度発射すれば高い確率で敵を追いかけて損害を与える兵器。
「 …… 誘導兵器」
「そうです」
クレストはその声に思わず顔を上げて声の主を見た。ハンマーの目には強い光がありありと灯って、解へと辿り着いたクレストを称える様な喜びに満ちていた。
「現在世界中の軍隊で当たり前の様に使用されている誘導兵器、特に能動的追尾装置の発想の源は彼らの神風攻撃による物です」
いきなり現れた真実に愕然とする二人の前でハンマーは、空になった二人のグラスに落ちついた表情でサングリアを注ぎこむとそのピッチャーを静かにテーブルの上へと置いた。解けた氷がカラン、と乾いた音を立てて部屋の涼しさ以上の寒気を二人の心へと忍び込ませる。
「海軍のオペレーションズリサーチは戦争における様々な事柄に対してデータを集め、分析して解き明かして対抗策を考えると言う役割を持っています。例えばどの海域にどの艦隊を配備すれば一番効率的に作戦を遂行できるか、とかどの様な訓練をすればその艦隊が次の作戦で使い物になるのか。補給計画から艦隊運用までのあらゆる事柄を数学的に解析して懸案する為の機関として今でも存在しています。もちろんその中には当時アメリカ軍の艦船に大きな被害を及ぼしつつあった神風攻撃に対する対抗策も含まれていました。敵の突入に対してどの大きさの艦船はどの様な回避行動を取ればいいのか、ですとか敵を撃ち落とす為にはどの口径の高射砲が一番効率的であるとか ―― ですが日本軍の攻撃パターンを解析している彼らはある日、ふとした事に気付きました。この攻撃は非常に効率的ではないか、と」
人としての感情が何も籠もっていない、ただ数字とデータでしか戦争を見ない研究者としての観点がその言葉にはあった。
「当然彼らの頭の中にはその武器を実現させる為の多くの部品が浮かび上がっていた事でしょう、その時既に欧米戦線では赤外線を使ったパッシブ式の誘導爆弾がナチス・ドイツによって開発され一定の成果を上げていました。後はそこに赤外線ではない何かを組み込めばそれで完成する ―― ですがそれに代わる物を作り出すにはアメリカの科学力は幼かった。自律型の誘導システムを組み込むにはたとえ亡命して来たユダヤ人科学者たちを総動員して作る事は出来ても爆撃機ほどの大きさの飛行物体でなければ搭載する事ができませんでした。第一イギリスで開発された世界で最初のコンピューターは重さが何トンもある代物でとてもじゃないが実戦に装備できるレベルの物ではない。彼らはその兵器の実現を諦め、しかし戦争と言う名のもとに兵士を使ってその兵器での実戦を繰り返している日本を恨めしく思っていました」
ハンマーの告白に唖然として声を失う二人。ハンマーは口元を引き締め、往年の活力を漲らせた顔で話を進めた。
「そして彼らはある事に気がつきました、自分達と同じ発想をいつかソビエト軍も持つのではないかと。既に勝敗が明らかになった大戦の総括よりも彼らの目はその後に敵に回るかもしれない北の大国、ソビエト連邦へと向いていました。もし開発競争に後れを取るようならばそれはアメリカの敗北を意味し世界の趨勢を社会主義国家に委ねる事になります、そして彼らがヨーロッパ戦線で行った数々の狼藉ぶりをアメリカ軍は連合国内の諜報網を使って調べ上げていました。敗者に対する略奪、強姦 ―― 戦勝国とはいえ一般市民に対して行われた傍若無人な振る舞いをアメリカは許せないと思いながらも看過しました、しかしもし戦争に敗れればそれはそのまま自国に跳ね返ってくる悲劇となります。そして彼らはある一つの結論に至りました、鉾は作れないが楯なら作れる。そしてそれを試す場所も十分に用意されていると」
「何て事をっ! それでは軍は神風攻撃を敢えて自国の兵器開発の為に利用したっていうんですかっ!? 」
怒気を孕んだフレイの声が音声インジケーターを振り切った。クレストは今のシーンは使えないな、と冷静さを装いながらも胸の内から込み上げて来る憤りを堪える事が出来ない。怒りに満ちた二人の視線を一身に浴びながら、それでもハンマーは冷静さを崩さなかった。
「科学を爆発的に進化させる要因は間違いなく戦争という行為です、ですから彼らの辿り着いた結論が間違っているとは私には思えない。それに神風攻撃に対抗する為の手段を我々はどうしても構築する必要がありました。日本本土に近付くと言う事はそれだけ敵の攻撃が濃密でかつ頻繁になると言う事、そして彼らがその際に選択する攻撃方法は間違いなく神風であり、我々が被る被害は乗倍に加速していく筈です。神風攻撃の本当の恐ろしさは一機の戦闘機が齎す被害もそうですが、実は兵士に与える心理的恐怖の方が深刻でした。味方の偵察機のプロペラの音にすら怯えて高射砲を誤射する兵士も多数いましたし、後方に送られてから再び任務復帰に戻る者が減少し始めていました。オペレーションズリサーチはこの現象を食い止める為に私の部隊を極秘に、しかし大至急作り上げる必要に迫られたのです」
論理的に説明するハンマーに付け込む隙はなかった。憤懣やる方ないが拳を振り上げる事も出来ない二人の顔をそれぞれ眺めたハンマーは少し間を置いて窓の外を眺めた。吹き抜ける風がレースのカーテンを揺らして外へと導かれる、懐かしさを込めたその瞳が微かに揺れた。
「私達は硫黄島沖に展開する第五艦隊から突出する形で度々日本近海に停泊し、偽の通信を傍受させて敵の攻撃を誘いこみました。たった八隻の空母打撃群とは言え正規空母を含んでいると言う事が彼らにはとても魅力的に映ったようで、間髪をいれずに日本の攻撃隊は私達の元へと殺到しました。そして私達はその全てを作戦終了までの時間を競うように完膚なきまでに叩き墜として、オペレーションズリサーチが命名したコードネームの効果を実証し続けたのです」
「コードネーム? 」
「はい、私達の部隊に付けられた正式なコードネームは「死神艦隊」ではなく「ファランクス」 ―― ファランクス・フォースと呼ばれていました」
* * *
ゆっくりと近づく船影を眺めながらハンマーは鈍重だな、と思わず心の中で呟いた。艦橋の窓から眺める広大な海原に点在する小さな点は全てアメリカ海軍に所属する艦艇であり、その間をすり抜けて接近する補給艦には得も言われぬ余裕が感じられる。当たり前か、もうここには日本軍はいない、いるのは併合を繰り返して膨れ上がった第五艦隊だけが存在しているのだから、と彼は頭の上の真っ白な帽子を目の前のコンソールへと置いた。
「 ” 司令、補給艦が当艦に接舷許可を求めておりますが ” 」
スピーカーを通じて届いた若い男の声にハンマーは苦い顔をして艦内電話を取り上げると、心外だと言わんばかりに強い口調で告げた。
「許可する。それと艦長、私は司令でも閣下でもない、大佐だ。よく覚えておく様に」
「 ” ―― 了解しました、大佐 ” 」
タラップを早足で駆け下りるそのズボンに熱気と潮風がまとわりつく。彼らが停泊している硫黄島の沖は既に亜熱帯に位置していて気候もよく変化する、しかしその日はその海域には珍しい凪が見られて船は揺れ一つなく雄大な海原を漂っていた。時たま位置を戻す為に始動するボイラーの音が気になるくらいで空は雲一つなく晴れ渡っている、ハンマーは飛行甲板へと降り立つと近づいてくる補給艦の様子を確かめる為に右舷へと歩みを進めた。既にそこには故郷からの便りを心待ちにする兵士達とその後ろ姿を眺めて微笑んでいる一人の男の姿があった。
「どうだ、様子は? 」
ハンマーが声をかけるとその男は別段驚いた振りもなく、にっこりと笑って右手を掲げた。戦闘下ではない為男は着帽もせず救命胴衣も身につけてはいない、ハンマーと同じ年格好のその男は金髪を日の光に晒しながら蒼い瞳を再び舷側へとその姿を隠す補給艦へと定めた。
「この天気でぶつかったりしたら海軍一の恥晒しでしょう、アナポリスの実技講習じゃあるまいし。それよりも先程は失礼いたしました、大佐」
丁寧に頭を下げて最初の取り決めを破った事を謝罪する男の姿を見てハンマーは少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。いくら自分の主義に合わないからと言っても形式として思わず口に出てしまった事まで口やかましく糺してしまった自分の振る舞いは余りにも大人げない。
「いや、こちらこそ済まない。どうも今日の予定の事で少し苛立っていたようだ」
「第五艦隊の臨検の件ですか? 全くそう何度来られてもこちらには隠し立てしている事なんか何もないってのに懲りない連中ですねぇ。軒を貸してやってるんだからその笠寄越せって横車でも押すつもりですかね? 」
男が大きな溜息をついて腰に手を当てるとハンマーは固い表情で笑いながらその意見を視線で咎めた。接舷完了を知らせる短い汽笛が三回鳴ると彼らの目の前にあった黒山の人だかりはあっという間に消え失せて下のハンガーへと駆け下りて行った、どうやら艦隊司令と艦長の存在など家族からの便りの前には無いも同然なのだろうと二人は顔を見合わせて笑った。
「その可能性は十分にある。硫黄島にはさしたる兵力も存在してないとは言え、その戦略的価値を敵が知らない訳がない。恐らく上陸作戦中にも襲ってくるであろう敵の神風から何とか身を守ろうと考えるのは当然の事だ。阻止率100パーセントを誇る早期警戒システムと艦載機だけでも貸してくれと言うのが本音だろう」
「制海権も制空権もこちらが握って、これだけどデカイ戦力をこれ見よがしに誇示しておきながらその弱腰とは。「テリブル」の二つ名が泣きますね」
「酒が入ればターナー閣下は無敵だ。問題は敵が来た時にはその暇がないって言うだけの話さ」
なるほど、と相槌を打ちながら笑う二人は後ろから駆け寄ってくる水兵の足音に気付かなかった。真っ白なセーラー服を纏ったその男 ―― とはいっても二人よりほんの少し若く見えるだけだ ―― はカツッと踵を鳴らして直立不動の姿勢を取ると敬礼をしたまま大きな声を上げた。
「お話し中失礼いたしますっ、たった今当艦隊の臨検の為に第58任務部隊司令官マーク・ミッチャー海軍中将がお越しになられました。閣下は現在左舷乗艦口からアイランドを目指していらっしゃいます」
「何と、空母打撃群の総司令がお出ましとは。こりゃいよいよ大佐の読みが当たりましたかな? 」
男は一つ肩をすくめると心の底から不満を露わにした。度重なる男の不躾な行いに苦笑したハンマーは相手の肩をポン、と一つ叩いてその行為を嗜めた。
「そんな顔をするな、セオドア・マクスクラン中佐。そんな心の狭さでは大統領と同じ名が泣くぞ? 」
「親が勝手につけてくれた名前なんでいつも買い被られて苦労の種ですよ、この戦争が終わったら大統領には改名して頂かないと。それよりほんとにその相談を持ちかけられたら大佐はどうするおつもりです? 」
「もちろん丁重にお断りするさ、この艦隊は大統領の特命を受けた海軍長官直轄の独立艦隊だ。泣き付かれても独自の判断で分け与える訳にはいかない。 ―― 君」
ハンマーが水兵の方へと顔を向けると彼はいかにも真面目な人柄を満面に表して再び敬礼の姿勢を取った。
「閣下にはアイランドではなく飛行甲板へといらっしゃる様にお伝えしてくれ。なに、勝手知ったる他人の我が家だ、閣下にそうお伝えすれば一人でもここに来られるだろう」
自分の乗艦していたセント・ローとは比べ物にならないほど広大な飛行甲板を眺めながらハンマーはじっとミッチャーの到着を待っていた。護衛空母と正規空母ではその排水量も規模も人員の数も倍以上の差がある、エセックス級にだけ設置された油圧カタパルトの上で翼を折り畳んで休んでいるF8Fベアキャットの影へと目を凝らしていた彼はそれだけでこの空母がどれほどの戦闘力を有しているのかが分かっている。
アイランドからほんの少し走れば届いてしまうセント・ローの舳先の向こうにあるエセックス級のカタパルトは今まで既存の空母で問題視されていた発艦速度の遅さを解消した画期的な装備であった。敵機の接近を感知してから邀撃機の発進までの時間を今までの約3分の2にまで短縮したその機構は今後新造される航空母艦の全てに搭載される運びとなっていた。
「素晴らしいだろう、エセックス級は」
張りのある低音で語られたその声にハンマーはゆっくりと振り返って声の主を見た。背筋をぴんと伸ばしてかくしゃくとした出で立ちでゆっくりと歩み寄って来るその老兵はハンマーより遥かに背が低い、しかし戦闘機乗りと言う立場から叩き上げで正規空母の艦長に就任し、ドーリットルの東京空襲以降殆どの海戦に参加した彼の身体からは強者のオーラがにじみ出ている。好々爺のような出で立ちが彼の隠れ蓑である事に気付く者は少ないだろう。
「わざわざ閣下がおいでにならなくてもよろしいでしょうに。硫黄島の上陸作戦の直前でお忙しいのでは? 」
直立不動で敬礼するハンマーを一しきり眺めてからミッチャーはカラカラと笑った。
「もう我々の仕事はは周辺空域の防御と敵部隊への空爆くらいの物だし、そう言った実務は若い連中の仕事で年寄りには出る幕が無い。私の仕事はせいぜいターナーの奴の酒の量を監視している事ぐらいだよ」
肩をすくめながら両手を広げておどけるとミッチャーは軽く手を上げてハンマーの敬礼を解かせる、そのまま後ろ手に組んでじっと晴れ渡った初夏のような空を見上げた。遥か上空を何羽かのカモメが風を捕まえてゆっくりと飛び去ろうとしている姿を眺めながらミッチャーは呟いた。
「ほう、もう南へと渡る奴らがいるのか。今年のロッキーの雪解けはいつもの年より速くなりそうだ」
「そう言えば閣下は元戦闘機乗りだったそうですね。何でも海軍の大西洋横断飛行遠征に参加したとか」
「そんな古い話をよくもまあ。だが残念ながら私はヨーロッパまで辿り着けなかった、飛行計画を無視してカモメの群れに誘われた三号機だけが目的を達成するとは私も信じられなかった。だが物事を完遂すると言う事は得てしてそういう偶然の積み重ねによって出来る物なのかも知れんな」
遠い記憶に思いを馳せる様に目を細めるミッチャーの横顔には微かな悔しさが混じっていた。大西洋横断に一機だけでも成功したと言う成果により彼は海軍殊勲章を授与されたが、噂では彼は自分が辿り着けなかった事を大変悔しがってその勲章を返上しようとしたらしい。癖者ぞろいの「アナポリス1908年組」の中では至極まともに見えるその人となりも実は一皮むけば本質的には大差がないと言う事を如実に語るエピソードだ。ハンマーはこの老兵がいかなる思惑でこの船へと乗り込んで来たのかを読み取ろうと密かに表情を窺ったが、ミッチャーが柔和な顔を潜めたのはその一瞬だけに留まった。
「閣下、臨検の準備が整いました。乗組員全員持ち場にて閣下の御来訪を心待ちにしております」
甲板下から上がって来たマクスクランが二人の前で姿勢を正すとミッチャーはうむ、と小さく頷いて帽子の庇へと手を当てた。形を確かめるように頭へと被り直すと階段へと向かいながら背後からついて来るハンマーへと視線を送った。
「大佐、ターナーからの伝言だ。デタッチメントが始まると君の艦隊への補給回数が減るかも知れん、独立艦隊として行動するなら出来るだけ作戦の実施を自重する様に。貴官を通じて海軍長官へ連絡しておいてくれ」
「了解しました」
ミッチャーの言葉にどうやら今回の臨検は自分達が考えていたほど深刻な物ではなかったらしいと胸を撫で下ろすハンマーとマクスクラン、しかしミッチャーが階段の踊り場へと差し掛かった時その安堵は見事なまでにひっくり返された。ミッチャーは不意に足を止めると暫く水平線へと視線を送り、何事かと尋ねようとしたハンマーの機先を制する様に口元を歪めながら言った。
「そう言えば大佐、実は私は神風と言う物を実際に見た事がない。 …… どうだね、私にも最新鋭艦に乗って馬鹿なジャップ共を皆殺しにする権利を一度与えてくれんかね? 」
ミッチャーを乗せて遠ざかっていくランチの影を苦々しい表情で見送るハンマーの背後で敬礼を解きながらマクスクランが言った。
「敵は神風だけにあらず。 …… 内憂外患とはこの事ですね」
その言葉にハンマーは応えずに踵を返して海に背を向けた。マクスクランの脇を通り過ぎてアイランドへと向かう狭い通路を足早に歩きながらミッチャーの残した捨て台詞に激しい憤りを感じる。
現在考えられるだけの対空装備を満載したこの艦隊に寄せられる期待は確かに大きい、しかし現場ではそれを凌ぐ嫉妬の声が上がっている。それだけの実績を持つ艦隊であるにもかかわらず本作戦には参加せず、自分達に与えられた任務だけを淡々とこなす彼らに対して快く思わない味方が出るのは当然だろう。
たとえここがミッドウェーのど真ん中で敵の主力艦隊が一気に攻めて来たとしても自分達が保持する火力は自分達を防御する為だけにしか行使できない決まりになっている。味方が何隻沈もうが何人死のうが自分達はあくまで傍観者を決め込んで艦隊の維持を最優先に考える。なぜなら彼らがそれによって得るデータはこの戦争の為に使われる物ではない、この戦争が終わった後の近い将来に敵対するであろうソ連の最新鋭兵器に対して利用されるべき物だからだ。
だがただ不満や嫉妬を垂れ流す他の連中はそれがどれだけリスクを負った任務なのかという事を理解していない。敵の攻撃を100パーセント阻止すると言うのは奇跡的な数字に思えるのかもしれないがそういう意味ではない、100パーセントを1パーセントでも下回ればこの実験は失敗なのだ。ヒューマンエラーの可能性を加味して1パーセント以内のマージンを貰っているとは言えそれでも課せられた目標が彼らにとって大きなプレッシャーになっているのは間違いない、日々の緊張を少しでも和らげる為に自らの判断で規範を緩くしてあるのもその為なのだ。
ならばどうぞご自分で神風と言う物を間近に見てみればいい、とハンマーは心の中で毒づいた。対空砲火を浴びながらそれでも自分達が逃げる方向へと機首を向ける戦闘機の恐怖は一言では言い表せない、人の意思や殺意や人生を丸ごと粉砕するだけの一撃を叩き込まないと彼らは決してあきらめないのだ。そして私達が束になって殺せる相手はたった一人、だが彼らは一人で船を操る乗組員全ての命を脅かす事が出来る。レーダーに映る機影の大群を見ただけで吐きそうになる艦隊乗組員の気持ちなど、大艦隊の真ん中で気持ちよく椅子にふんぞり返って戦況を見ているだけの老人には分かるまい。
アイランドへ到着したハンマーを見た先任少尉はその余りの剣幕に号令を掛けるのを忘れていた。敬礼をしたまま硬直するその姿を見たマクスクランが小さく手を上げて彼の無礼を許した後に大声で言った。
「注目、大佐が艦橋に」
「 ” 大佐、海軍省から入電です ” 」
ハンマーが苛立ち紛れにどっかと腰を降ろしたその席は本来この空母の艦長であるマクスクランの席だ、だが彼は滅多にその席に座ることはせずに絶えずあちこちの部署へと顔を覗かせている。マクスクランは艦橋の壁際に設置されたマイクへと顔を近づけた。
「艦長から通信室、読め」
「 ” 了解 ―― 発、海軍長官。宛、第一艦隊司令。ファランクスは本日1700時に第5回目の実験の為に予定海域へと向かえ、第一艦隊始動、繰り返す。第一艦隊直ちに始動 ” 」
「補給の状況は? 」
鋭い声で尋ねられたマクスクランの顔からも既に笑顔が消えていた。彼は艦内電話の受話器に駆け寄ると矢継ぎ早に各部署からの情報を集めてからハンマーへと向き直った。
「全艦艇への弾薬補給は既に完了しております、ですが先頭艦のトレントンの燃料補給に30分の遅れ」
「作業を急がせろ、手が足りなければピケット艦から手の開いた者を廻しても構わん。作業終了次第我が艦隊は無線封鎖の後に作戦行動へと移行する、全艦に信号旗で通達」
「作業終了後速やかに作戦開始、アイ」
要約して復唱したマクスクランがハンマーに敬礼すると艦橋内はにわかに慌ただしくなり下士官が拡声器を使って命令を広める、まるで血が通ったかのように循環を始めた復唱は緊張のさざ波を広い艦内へと伝播させた。出撃準備を表す長短二度の警笛が空母のアイランドから響き渡るとそれに呼応する様に周りを取り囲んでいた各艦艇からも同じ合図が帰ってくる、艦橋の窓から四枚の旗がするすると掲げられるのをハンターは確認すると艦内電話を取り上げた。
「無線室、私から海軍長官宛へ返信。命令を受諾、本日1700を以って旗艦USSジョージ・ワシントン以下ファランクス・フォースは運用試験の為に当該海域へと進出する。以上」
* * *
「ジョージ・ワシントン? 」
その名を耳にして驚いたのはクレストの方だった。USSジョージ・ワシントンは現在就航中のニミッツ級原子力空母の名前である。第七艦隊第五空母打撃群に艦籍を置き、ネームシップから数えて六番目に登録されたその艦は湾岸戦争後の中東の制空権の確保を主任務として現在も活動を続けている。
「なぜその名があなたの艦に? それにエセックス級の艦名の多くは既に撃沈された艦艇の名前を引き継ぐ形で命名と言うのが慣例化されていた筈、私が知る限り合衆国初代大統領の名を冠した軍艦は今のニミッツ級以外に心当たりがないのですが」
「その事をよくご存じですね。確かに他の艦がそうであったのに対して私の艦だけが人の名を冠して就航していた ―― いえ、まだ軍の中ではその艦は就役登録がされていなかった。もしその実験が最後まで無事に完了していたならば大統領の名を冠した最初の空母として歴史にその名を刻んでいた事でしょう」
意味深な表情でクレストをじっと見つめるハンターをフレイの目が追っている。アンカーとしての彼女の能力が相手から的確な情報を引き出す為の絶妙なタイミングを狙っている、それはハンターがクレストから視線を切ってサングリアのピッチャーに手を伸ばした瞬間だった。
「なぜあなたの艦だけが非公式に合衆国の偉人の名を戴く事が出来たのですか? 」
それは大した事のない理由なのかもしれない、だが就航すら表ざたに出来ない艦が付けるにはあまりにも不遜極まりない名前なのだ。ハンターの手がピクリと止まってフレイを見る、表情にはどこか自分を嘲っている風な気配すらある。
「 ―― 彼が桜の木を切ったからです」
ハンターから零れたその声には誇らしさの一欠けらも含まれてはいなかった。