HOLD ON 50音順小説Part~ほ~
「ほら、ちゃんと見て。君は何を怖がっているの?怯えているの?
目を見開いてみて御覧、だって世界はこんなにも優しいのだから。」
昔の夢を視た、かつて師と仰ぎ微かな恋心を抱いたひとの夢。
夢の中の彼女の名前をつぶやく。
「カレン――――――――――――――――――――――――――――――――」
「北都、どうしたのですか。ボォーっとした顔して。」
短く刈り込んだ銀髪にまだあどけない顔をしている西洋人の少女が
北都と呼んだ黒髪をだらしなく後ろで結んでいる長身の男に向けて問いかける。
「ユーリ―――、いや何でもないよ。まだ頭が夢の中にいたいってそう我儘を言っていたんでね。」
故郷の日本へは帰郷ではなく仕事で行ったが、まさかそこでこんな拾い物をするとは
思ってもいなかった、ユーリは他ならぬ北都が極東から連れ出してきたのである。
「ねぇ、ユーリ。」
「なんですか、北都。この間の依頼料なら貴方が引き起こした女性とのトラブルに
全て使ってしまって空っぽですよ。」
「いつになったらその髪伸ばしてくれるのかな。絶対長い方が綺麗だと思うけど?」
「そのご質問には何回もお答えしてるはずです。私、伸ばすつもりありませんから。」
かつて自分も戦争孤児としてある人に育てられた環境から
同じ境遇の彼女を放ってはおけなかったのだろう。
だが戦地で偶然見かけて衝動的に彼女を連れてきてしまった大きな理由はこの銀髪であった。
出逢った当初は日本人の女の子と同じおさげ髪にもんぺに袴といういでたちであったが
遠目にでも分かる銀髪は明らかに日本人のそれとは違く、珍しいその髪は彼女を連想させたのだ。
彼女、カレンの長く強いウェーブのかかった髪をひとくくりにしていたあの特徴的な銀髪を。
まぁ連れ帰ってすぐユーリは髪をナイフで散切りにしてしまったのだが。
ソファーから起き上がりユーリの頭をわしゃわしゃと掻きまわすと机に置いてある
次の依頼書へと目を向ける。
「アッペルマイヤー警部からです。標的は近頃ドイツで騒がれている
連続殺人事件の犯人だそうです。こいつは十年前から定期的に殺人を起こしていて
ここ数年は鳴りを潜めていたらしいのですが最近また動き出したそうで。」
「なんだ、犯人が分かっているならさっさと逮捕すればいいのに。
でないといい給料もらってる意味ないじゃないか。」
「それが相手は警視総監の親戚らしくて精神患者として山奥の療養所に入所させたとかで
匿って上が証拠を揉み消そうとして違う罪で捕まった犯罪者に
殺人容疑をかぶせようとしているらしいです。」
「なるほど、それで事実隠蔽が許せぬ警部さんは僕に依頼したと。
しかしあの人も冷血なのか熱血なのか分からない人だなぁ。
それに僕に頼むんだったらもっと殺りがいのある仕事くれればいいのに。」
「でも引き受けるんでしょう。警部には私からもう連絡しておきましたから。」
「おぉ仕事が早いな。出来る部下を持つと上司の気持ちがよく分かるよ。」
つい先日11歳の誕生日を迎えたしかし精神年齢ははるかに上回る少女は大きく溜息を吐く。
「私もだらしない上司を持つ部下の気持ちが手に取るように分かります。」
きっと彼女がこんなにも大人びた子供に育ったのには自分の不甲斐なさが関係しているのだなと思う。
暗殺の仕事を請け負うようになって八年、ユーリと生活するようになって四年が過ぎようとしていた。
「じゃあ早速お仕事といきますか。迅速・確実・高額報酬っていうのが僕のモットーだからね。」
北都はゆっくりと立ち上がると再びユーリの頭に手を伸ばそうとしたが今度は避けられてしまった。
「あぁ、あともう一つ。」
「何ですか。」
「今晩は肉じゃががいいな。」
「・・・了解です。」
つれない彼女に微笑みかけ一人部屋を出る、もちろん懐に愛用の拳銃を忍ばせて。
昼下がりの午後、一仕事終えた後はビールと言いたかったが残念ながら
この時期カフェには置いてないらしい。
依頼されていた仕事はあっという間に片付いてしまい実に殺りがいのない仕事であった。
ここのところ興奮する仕事も本当に探している奴らの情報もまったく無いので
ただ生活するためだけに生きている気分であった、普通の人間ならそれで
十分なのだろうけどスバルにはそれ以上に生きている目的がある、
それを達成した時初めて今まで生き延びていた意味が出てくるのだ。
ただそれには八年という月日をかけても未だ到達していないが・・・。
長い脚を組みそっと目を閉じカフェのテラス席で一人コーヒーを飲んでいると
何の声掛けも無しに誰かが向かいの席に座ってきた気配がして相手を真正面から迎える。
四十代の額が広い男で糊の利いたスーツにシワ一つないコートを着ている。
「あららー警部、いいの?こんな白昼堂々と僕に会っちゃったりして。」
能天気な北都には返事をせずアッペルマイヤー警部は胸ポケットから煙草とライターを取り出すと
火を点けゆっくりと煙を吐き出す。
「その言葉そのまま返す。賞金首がカフェで優雅にお茶してる方がどうかしている。
というかな後をつけられていて気が付かないのは問題だ。捕まったらどうするんだ。」
「大丈夫大丈夫。ちゃーんと警部がついて来ているのを確認した上だから。
で、直接会いに来るなんてどういう風の吹き回しかな。」
「最近一層ベルリンらは物騒になってきている。敗戦色が濃厚になっている今、
一番犯罪が多発する時期だからなお前には増々働いてもらうぞ。」
「はいはい、僕は貰える物がちゃんと貰えればそれでいいですよ。この帝国も終わりかな。」
味の薄いコーヒーを一口すすりながら通りを歩く人々を見ると
誰もかれもが疲弊しきった顔で早歩きに去っていく。
戦争が始まる前はあんなにも華やかで多くの人が笑顔で闊歩していたのに。
ここのコーヒーも以前は濃く街一番の珈琲だと言われていたが・・・
全ては戦争による影響だ。
「あとは?ほかにもあるんでしょ。」
「なんだ分かるのか。」
「アッペルマイヤー警部がそんな激励するためにわざわざ来ちゃう程
優しい人ってわけではないことを重々承知しているからね。」
警部は煙をくゆらせ、しかし言葉は単刀直入にきっぱりとスバルに告げる。
「この仕事を請け負わせる代わりに報酬ともう一つ取引したことの最新情報だ。」
それだけを聞いただけでカップを持ち上げていた右手がピクっと微かに今までにない動きをした。
今まで貼り付いていた笑顔が剥がれ瞳の奥には殺意ともとれるものが蠢いていた。
「例の組織の残党が東南アジアにいるらしい。そこで一儲けしているそうだ。
詳しいことはここに書いてある。」
一片の紙をスッと北都の方へ押し出すと警部は煙草を灰皿に乗せそのまま立ち去っていった。
スバルは紙片を開き書いてある内容に目を通すと灰皿の上に置き煙草の火を押し付けた。
じわじわと黒い波紋が紙に広がっていくのをただただ見つめる彼の目からは憎悪の意だけが見られた。
いつもと変わらない足取りで帰るとユーリが読んでいた本から顔を上げこちらを見た、
読んでいる本はドイツ語で書かれている何やら分厚い本だ、それはかつて北都の師が
所持していた本で彼は一度も目を通したことが無かった。いや、一度は開いてみたものの
そこには哲学の何たるかや理論などちんぷんかんぷんな内容で結局読むのを放棄したのだ。
「おかえりなさい。」
「ただいま、おなか減っちゃったな。」
「夕食の準備はすでに整っています。」
テーブルの上にはパンとサラダ、スープという洋風のサイドメニューに囲まれ
湯気を立ていかにも美味しそうな肉じゃがが中央を占めていた。
彼は早速席に腰を下ろし行儀よくいただきますと日本語で言うとジャガイモに手を付けた。
「お味は如何です。」
彼女の言葉と表情はより一層仏頂面である。鉄面皮といってもいいだろう。
「んー、かなりしょっぱすぎるかな。」
これは決して辛口コメントなどではなく本当にユーリの作る肉じゃがはまずいのだ。
だが北都はそんなことを口にしてもパクパクとしょっぱい肉じゃがを食す、
そんな彼を見てユーリは頬を膨らませる、彼女が子供っぽい表情をするのは珍しい。
「あなたはおかしい人です。何故私の不得意料理をあえて頼み食べるのですか。」
「そりゃあ、まぁ、僕日本人だし。
やっぱり肉じゃががお袋の味ってものなんだよ、ニッポンジンって。」
「母というよりは恋人なのではないですか。」
ユーリの発言に北都は眉をピクリと動かし彼女を見た。
彼女の発言の意図が全く読めないからだ、こんなことは稀なので
北都は相手の出方に慎重に待った。
「―――カレンという女性はひょっとして北都の思慕していた方のお名前ですか?」
「・・・寝言で呟いてたのかな。」
「時々。その方の名前を呼ぶ貴方は優しい笑みを浮かべる時もあれば
苦しげに呻いている時もありました。」
カレンの名が出たところで北都は合点した、しかしユーリの前では彼女のことも名前も
一切出したことがなかったので知られているのは思わなかった。
そもそも北都はユーリと出逢う以前の自分の過去についてほとんど話したことが無い。
「私には教えられないような人なのですか。」
無表情なものの彼女の瞳には寂しげな感情が見て取れる。
「なんていえばいいのかな。君には余計な心配をかけたくないと思っていたけどこれからの僕の
生きる目標とでもいうのか、そういうのに深く関わっている女性だよ。
今はここまでしか話せない、君はこちら側にまだ落ちていないから。」
答えが彼女の望むような明確なものではなかったのかいまだ不満げなのが
彼女の目を見ただけで分かるようになった、既に彼女と共同生活をはじめて
それほど長く居たのだとあらためて気づいた。
そして彼女も自分の意志で自分のことを決められる年に成長していた。
フォークを置きユーリをまっすぐに見つめる、いつものおちゃらけた雰囲気を
封印してこれから大切な話をする父親のように。
「この際だからユーリ、君には決めてもらおう。普通の少女のように平穏な生活か
それとも暗殺者の僕と一緒に過酷な道に進むか、君には選ぶ権利がある。」
「唐突ではないですか。」
ユーリの言い方はまるで反抗期の娘のようであった。
「確かに今君には突然言ったけど、これは前から考えていたことなんだ。
そもそもユーリは僕がここまで連れてきちゃったからこれでも責任を感じているんだよ。
だから君までこんな汚い道に進む必要なんてない。」
「貴方が責任を感じる必要なんてありません。
私はあそこから連れ出してくれたことに感謝しているんです。
けっして憎んでなんかはいません。」
口調は相変わらず一本調子だが北都には彼女が真剣であるのがわかる。
「答えはもう決まっています、
私は―――――――――――――――――――― 北都と生きていきます。」
どうやらユーリには最初から一択しかなかったようだ、やれやれと思いながら
けれど北都は彼女のこんな頑固な所も気に入っている一つである。
「ですから教えてください、カレンのことを。
あなたの生きる目的を。私はその手伝いがしたい。」
「君の気持ちはよく分かった。じゃあ話してあげるよ彼女のことを。
上手く話せるか分からないけど聞いてくれるかな。」
目の前の少女をある日の女性に重ねながらかつて彼女が幼い少年に語ってくれた
優しい世界についてそして無残にもそれが壊されたことを
北都は一度頭の中で思い巡らしてから重い口をゆっくりと開けた。