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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女と

魔女と麒麟

作者: AMAB

 コンコンコンッ!

 ドアがノックされ、室内で足を身体に引き寄せ、膝を足の付け根にくっつけるほど抱き寄せていた男は、ハッと顔を上げ、もつれる足で慌てて玄関扉に飛びついた。小刻みに震える手でドアのロックを解除し、意味はないかと思ったが念のためにかけていたチェーンをもどかしそうに外し、勢いよく玄関を開く。

 照明を落としていたせいで暗かった室内に外からの明かりが差し込み、男は一瞬その光に目がくらみ、丈夫な腕でその光を遮った。

「あ。あなたが魔女を召喚なさったギラフェ様でよろしいですか?」

 事務的な声は低く、単調だった。まさかそこに男がいるとは思っていなかった男は、大げさに驚いて後ろへ下がった。あまりにも驚愕したせいで足がよろめいたが、彼を支えるものなど何一つそこにはない。彼は無様に床にしりもちをついて倒れた。

「お間違いございませんか?」

 再三確認するように尋ねる男は、太陽光を背に浴びているせいで細かいところまで見て取ることは出来なかったが、艶めく黒髪に白というよりは真珠の光沢を持つ肌、そして切れ長の両目を隠すようにかけられた黒縁の野暮ったいめがね。そのめがねの下に見える瞳の色は、濃い緑だ。

 しりもちをついた状態で呆然とその訪問者を見つめていた男は、ハッと再び我に返った様子を見せると、そのままずるずると部屋に入り、コクコクと首を頷かせた。

「そ、そうだ。だけどオレが呼んだのは魔女だぞっ」

 めがねの男は持っていたボードに挟んである書類をぺらりとめくり、その内容を確認するように目を落とす。そして一人納得した様子で頷くと、遠慮なしに部屋の中へ踏み込んだ。

「残念ながら、こちらはマザーから遠すぎるため、女性魔女の派遣は物理的に無理です。よって、私が派遣されました。どうぞ、遠慮は要りません」

 そういいながら一番遠慮していないのはその男本人だったが、動揺してしまっている男はそれを指摘する余裕さえない。というより、そのこと自体気づいていない。

「どうしても女性が、ということでありましたら、自らマザーへ出向いて頂かないと難しいですね」

 まるで怯えているかのように尻で後ずさりしている男は、めがねの男をじろじろと上から下まで見遣り、頭を振った。

「い、いや、もう限界なんだ。だから派遣を頼んだのに……」

「あなたが狼だろうと吸血鬼だろうと私は構いませんよ」

 めがねの男は人の話を聞いていないのかと疑うほどにマイペースに、手を差し出した。男はその手がまるで邪悪なものであるかのように怯えた目で見遣り、その腕を辿るようにして濃い緑の瞳を見遣った。

 怯えている男の髪の毛は金の穂、その瞳の色は黒かったが、彼が怯えた様子を見せるたびにその周囲から金色にじわりと染まる。そして彼が自制するように顔を顰めるたと、その色が再び黒に染まる。

「何故そんなに怯えているのですか? そんなに餓えているのに、私ではどうしても駄目なのですか?」

 暗い部屋の中で怯える男の黒と黄色に揺らいでいる瞳は目立った。まるでそれ自体が光を発しているかのようにはっきりと見て取ることが出来る。しかし、光って見えるのはそれだけではなかった。

 後ろ手に部屋の扉を閉めためがねの男の真珠色の肌も、どこからも光源が当たっていないにもかかわらず、暗闇の中でぼんやりと光っているように見える。露出している部分が少ないからか、余計にその光が目につく。

「あんた……、魔女、なのか?」

「男の魔女を見たことがないのですか?」

 意外そうに尋ねられ、怯えている男は萎縮した様子で身体を縮めた。

「普通の魔女と大差ありません。そんなに怯えていないで、さっさと済ましませんか? 今日は予定が詰まっているんですよ」

 苛々した調子で言い、めがねの男は厭味のようにため息を吐いた。外見にそぐわない人間らしい態度に、怯えていた男が興味を持った様子で伺っている。

「何族ですか? 連絡を頂いた際には教えていただけなかったようですね」

 怯えている男は事務的な作業に入っためがねの男をじっと見ているだけで答えない。めがねの男はいい加減にしろと今にも怒鳴りそうな様子だったが、サービス接待業に従事している者として、かろうじてそれを押し留める。

「このままじっとしていれば自制が効かなくなるだけですよ。魔女を要請したのはあなたが何らかの理由によって力を補給できないからでしょう? 怯えるのは止めて頂けませんか」

 怯えている男、ギラフェは己をコントロールするために深く息を吸い込み、今度は深く吐き出す。そうすることで黄色にチラついていた瞳が黒に落ち着き、彼自身の身体の震えが幾分か落ち着きを見せる。それでも指先は小刻みに震えている。

 ようやく落ち着いて話をする気になったのを見届けためがねの魔女は、苛ついている気持ちを落ち着かせるように一度だけ深呼吸をする。

「ようやく話して頂けるようですね」

「すみません……。その、ずっとこんな状態だったものだから……」

「いつから飢えを自覚してるんです? 随分と養っていないようですね」

 ジャケットの胸ポケットからボールペンを取り出し、書類に何かを書き込みながら質問する男の姿はまるで医者か何かのようだ。しかしそれが正式な手続きなのか、彼の手に迷いはない。

「もう分からない。国を出てからずっと一人で……」

「何族かお伺いしてもよろしいですか? もし私の手に余るようでしたら、マザーへ行って頂かなければならないかも知れません」

 ギラフェは何かを堪えるようにギュウッと手を握り締め、眉を顰めた。自分の種族を言うのを躊躇っているようだ。

 めがねの男は急かしてしまいたくなる気持ちを押さえつけ、辛抱強く彼が言い出すのを待つ。

「麒麟だ」

「麒麟? どうしてこんなところに四族がいるんですか!」

 男が驚愕した声を上げると、ギラフェは身体を縮めて恐縮した。まるで自分の種族を恥じるかのような態度に、魔女の男はそのめがねの下の濃緑の瞳を細めた。

「……ワケあって追放された、ということですか?」

 図星だったのか、ギラフェは項垂れ、抱えた両膝の間に頭を埋めた。そうしてしまうと、彼の身体が折りたたまれ、小さな塊にしか見えなくなってしまう。

「レッドリストに載ってる麒麟族が追放するなんてよほどの理由なのでしょうね」

 事務的で平坦な声は事実を述べているだけで、ギラフェを責めているわけではなかった。しかし、ギラフェ本人はまるで追放されたことを責められ、恥じ入っているかのように更にきつく自分の身体を抱きしめる。

 魔女の男はボールペンを持ったまま指でめがねをくいっと上にあげ、部屋の隅で丸くなって縮こまっている麒麟の男を一瞥した。その目はなにやら妙案を思いついたという様子に光っていたが、見られている本人は顔を埋めているためにそれに気がつくことはなかった。

「あとどれくらい耐えられますか?」

「どうする気だ……?」

 顔を埋めたままで、呻くようなくぐもった声が聞こえてくる。魔女の男はその丸まっているギラフェの姿を薄暗闇の中から探し出すかのようにじっと眉を寄せながら睨みつけた。そしてそこにその存在を見つけ出すと、にやりとその口元を笑わせた。

「マザーへ行きましょう」


 * * *


 世の中には、精霊や幻獣といった、人間からしてみるとただのおとぎ話や伝説のような生き物が本当に存在している。彼らは古来人間が文明を発展させる以前から地球に存在していたが、人間が力を持ち、文明を形成するようになるにつれて彼らの姿は消えていき、そして人間は彼らの存在を忘れてしまった。

 しかし、彼らは消えてしまったわけではなかった。ただその生き方を時代に合わせて変化させただけのことだった。

 精霊や幻獣、吸血鬼や人狼などは人間の姿を模し、彼らの生活に溶け込んだ。

 彼らは人間を擬態することで上手くその社会に溶け込んだが、一つ問題が生じた。彼らの存在を維持するためにはある力が必要だったのだ。

 妖精や精霊は自然界に存在する天然の力を得てその存在を維持していた。しかし、人間は木々をなぎ倒し、山を切り開いた。人工的に植えられた木や植物では彼らを養うには至らなかった。

 吸血鬼や人狼も同様だ。吸血鬼は上手い具合に人間から力を得る方法を見出したものの、それを吸血鬼の数だけ行っていればいずれその存在がばれる日は近い。彼らは一族を全員餓えさせず生き残らせる手段を考えねばならなかった。

 そこで登場したのが魔女の一族だった。魔女はマザーと呼ばれる土地に住み着く女系の人間だ。彼女たち魔女は、人間と精霊や妖精、幻獣といった者たちとの間に生まれた不思議な力を持つ者たちで、超自然的な力を他者に与えることが出来る能力を有している。そのため、魔女たちは力がなくなり、餓えている者たちに力を与える役目を担うこととなった。

 世界にはそれこそ伝説の数だけ超自然生物が存在しているが、その中でも四族と括られる四種族のみ、己の種族だけですべてを完結する国を有している者たちがいる。

 その中の一つが麒麟族だ。某ビール会社のトレードマークにもなっているその伝説の生き物は、長い鬣に鋭い蹄、竜にも似た姿をしている。麒麟族は穏やかな性格をしており、殺生を非常に嫌う。多種族との、特に殺生に対しての感覚が鈍い人間との交流を嫌い、まるで隠居をするかのように自らの世界に引きこもっている。

 麒麟族はその存在が謎に包まれているため、彼らについて詳細を知る者は少ない。人間社会に出てくることも滅多になく、ほとんどの種族と関わりを持つ魔女族でさえ、彼らとは親しくないほどだ。

 魔女は彼女たちの土地、マザーを崇め、マザーはその恩恵を彼女たちに分け与える。そうして彼女たちは力を得、多種族へそれを与える。

 マザーは不思議な土地で、弱った超自然生物がその地に滞在すると、その地から発生する力によって、その身体を癒し、飢えを満たしてくれる効果がある。そのため、魔女はマザーを他者の手から守り、その地を維持する任務も背負っている。

 魔女たちはマザーに生えるマザーツリーと呼ばれる木の枝を使って空を飛び、その木からとれるマザーリーフから薬を調合する。マザーリーフからは、一時的に飢えを抑制するものや、麻薬的な効果をもたらしたりするものなど、様々な効能の薬を作ることが出来る。しかしそれらを操ることが出来るのは魔女だけだ。

 魔女は超自然の生き物たちにとっていなくてはならない存在だ。彼女たちがいなければ、彼らは生きていくことが出来ない。だが魔女たちは自分たちが特別な存在だとは考えず、ただ奉仕するのが当然だと考えている。だからこそこの共存関係が成り立っている。


「ウルカ。今から出かけるところかしら?」

 三十センチもないマザーツリーの枝を持ち、晴れわたってさわやかな空へと飛び立った直後、その背後から美しい栗色の髪の魔女が追いついてきた。黒髪の魔女はその黒縁のめがね越しに彼女を振り返り、スピードを緩めた。

「グラナ。どうしました?」

 栗色の髪の魔女グラナは妖狐の血が混じっているため、東洋系の美しい顔立ちをしている。外見こそは二十代そこそこに見えるが、妖怪の血は彼女に長命を与え、彼女に歴史を語らせるとそれこそ教科書が一冊以上出来上がる程度には生きてきている。

 彼女は魔女の中でも出産管理を行っているグループの長にあたり、彼女の許可なくして妊娠すれば追放される可能性さえある。

 マザーの外に力のデリバリーを行っているウルカにとってはあまり縁のないグループの魔女だが、互いに会えば話をする程度には友人だ。

「この間はありがとう。麒麟を見たのはもう何年ぶりだったのよ」

「お役に立ててよかったです」

 ウルカが連れ帰ったはぐれ麒麟族の男は、力の不足を癒す目的とほんの少しの代価のためにグラナの手に渡され、その後の行方はウルカも知らない。彼が魔女たちに何をされたのだろうということは想像ついたが、ウルカは厄介ごとには関わらないをモットーに生きてきているため、何も言わないし、何も聞かない。

「それでね、あなたに頼みたいことがあるの」

 かわいらしくニコリと笑ったグラナの笑顔の裏にあるものを察し、ウルカは一瞬顔を顰めたが、すぐにそれを取り繕う。

「あのね……」

 グラナがウルカが頼みを断るハズがないといわんばかりの態度で口を開いた直後、ドガシャァアアンと何かが崩壊する音があたりにこだました。二人は同時に音のした方向を振り返った。

「あら……」

 もくもくと砂煙を起こしているのは、グラナの統括する建物の一つだ。

 その屋根を突き破って、太陽の光にきらめく五色の金の鬣が見えていた。その大きさは優に五メートル近くはあるだろう。金色のうろこのような背中と、龍族のような立派な角。威嚇するように上がった二本の前足には、黒光りする蹄が見える。

「もしかして、アレですか?」

 暴れ狂うその生き物は、遠目からでも麒麟だということが分かる。排他的で多種族と交わらない麒麟がこうして外の世界にいるというのは些か不思議な光景だが、それ自体が暴れまわっていてはあまりありがたみもない。

 グラナは日の光にキラキラ輝いているその神々しい姿を遠目に見遣りながら、はあとため息をつく。

「さっきまでは大人しかったのに……。マザーリーフが切れたのね」

 何気なくこぼれたその台詞は、知っている者からすれば人格も無視した扱いだ。ウルカはギョッとしてグラナを見たが、彼女ならやりかねないと思いを改める。

「あの子、同性愛者だったの」

 あまりにも動揺したウルカは、ブッと吹き出して口を押さえた。

「でも大丈夫よ。取れるものは取れるだけ取ったから」

 うふふとかわいらしく微笑むグラナの笑顔は花のように美しかったが、その言ってる内容は壮絶だ。ウルカは同じ男として、暴れ狂っている麒麟に同情した。

 魔女の出産管理を行っているグラナは、どんな種族にしろ、男を見たらその男の種が使えるかどうかでしか判断しない。特殊な能力の有無や、病気、寿命などから鑑みて、適切だと思われた男に対しては人格を無視して取るものを取る。それはもちろん、子種のことだ。そして搾り取ったそれを用いて、魔女は子孫を作る。

「だから大人しくさせてくれないかしら?」

 魔女の繁栄はそういった厳密な管理が行われているからこそ成し得る。常に人数を調整し、多くなりすぎず、かといって少なくなりすぎないよう調整するのは、重要な役目だ。

「……わかりました。やってみましょう」

 暴れている麒麟をつれてきたという責任と、それ以上にグラナの威圧に負け、ウルカは掴んでいた枝の向きを変え、麒麟のほうへ向かった。グラナはそこを動く気配がなかったが、それは当然だ。彼女は決して手荒なことには参加しない。

 問題の麒麟に近づけば近づくほど、その見事な身体に目が引き寄せられる。黄金の毛並みは手を伸ばして触ってみたくなるほどだ。しかし、現状では触れるほど近くに寄るのは命の危険に関わる。ウルカは慎重に麒麟に近づいていった。

「ええと、聞こえていますか、そこの麒麟の……」

 暴れ馬のように前足をじたばたと動かして暴れている麒麟の手が届かないところでなるべく丁寧な口調で呼びかける。傍目にも効果はないような気がしたが、驚くことに麒麟の顔がぐるりとウルカのほうを向いた。

 もしこのまま彼の鬱憤を晴らす標的にウルカが選ばれれば、ウルカは生きてはいないだろう。しかし、麒麟の黄色の目には理性が浮かび、じっとウルカの姿を食い入るように見つめていた。

「あの……」

“魔女か”

 狭いトンネルの中で喋っているようにこだました声が脳内に響き、それがテレパス能力を使って直接頭に叩き込まれているのだということはすぐに分かった。しかしウルカにはそんな能力はない。彼は多少顔を顰めたものの、平静を保って会話を続けた。

「ええ、そうです。暴れるのは遠慮していただけると助かるのですが」

 宥めるというには程遠い、まるで怒っている人間に更に膝蹴りを加えるような一言だ。しかし、理性をとどめた麒麟は空中に浮遊しているウルカにじっと目を向けたまま、暴れる気配を見せない。

“魔女はいつもこんな犯罪まがいのことをしているのか?”

 その麒麟の身に起きたことを思えば、そう尋ねたくなる気持ちは分からなくはなかった。しかし、ウルカはそれを認める認めない以前の問題の解決を優先する。

「もし落ち着かれたのなら、ここを離れませんか」

 ちらりと視線を下に向けると、崩れた屋根の建物から数人の魔女がこちらを見上げてなにやら囁きあっているのが見える。

 遠目にコソコソされるのに慣れているウルカでも、それを甘んじているほど優しくはない。無意識にムッとした表情になっていたのか、麒麟が釣られた様子で顔を動かさずにそちらに目を向け、再びその黄色い目をウルカに向ける。

“オレは飛べない”

「ええ、知ってます」

“とりあえずここを退いたほうがいいのか。動くなよ”

「え?」

 何を言われたのか理解できずにいると、麒麟はグッと足に力を込めたと思うと、一息で建物を飛び出し、樹齢の高いマザーツリーの植わっている庭に音も振動もなく着地した。

 その動きはほかに類を見ないほどに優雅で、軽やかだった。しかし同時に力強く、肉体全体を使った動きは目を惹いた。ウルカは思わずその動きに見惚れていた。

“魔女”

 頭の中で変わらぬ声が聞こえ、ウルカはハッとしてマザーツリーの横に降り立った。

 麒麟は見上げるほど大きかったが、キラキラと輝く金の穂が美しく、恐怖は感じなかった。しかし、その黄色の瞳はまっすぐに見つめられるとその心中さえも見抜かれるような不安を覚える。

“魔女”

「魔女魔女言わないで下さい。ここには魔女しかほとんどいないのですから、名前で呼んで頂けますか」

 苛立たしげに要求するが、麒麟はその長い髭をくるりと動かした。

“アンタの名前を聞いた覚えがないんだけどな”

 恩着せがましい声だったが、ウルカは逆に相手を疑うように眉を顰め、仕方ないとばかりに小さく息を吐いた。

「ウルカです。あなたの名前はええと……」

“昨日は呼んでたのにもう忘れたのか? 随分な頭だな”

「うるさいですよ。魔女にはいろいろあるんです。あなたが四族だからといって特別扱いはしませんよ」

 機嫌が悪いのか、それともそもそもそういう性格をしているのか、ウルカは偉そうに踏ん反り返って持っていたマザーツリーの枝でピシリと麒麟を指した。

“ギラフェだ。ギラフェ。ちゃんと覚えてくれ”

 ウルカはその名前とギラフェの顔をセットで覚えようとしているのか、じっと真剣な顔で黄色の瞳を見つめる。

 その真剣なまなざしをまっすぐに受け止めていたギラフェは、その眼鏡越しに見える濃緑の瞳に金色の光彩が輪になって差していることに気がついた。

“金の輪が……。美しい”

 思わず呟きがもれたといった様子の声に、ハッと我に返ったウルカは驚いた様子で身を引き、ギラフェから距離をとった。その態度は怯えているかのようだ。

“どうした? なにか悪いことを言ったか?”

 ウルカは怯えているような目つきで屋根が崩れている建物に目を走らせ、そこから覗いていた顔を見てしまったと顔を強張らせた。

「しまった……。またやった……」

 グッと後悔するように奥歯をかみ締めたウルカの視界から、体長五メートル以上あるはずのギラフェは完全に除外されていた。存在を完璧に忘れられてしまったギラフェはやり場なく髭をくるくると回している。

 眉を寄せて口を噤んでいたウルカがキッとその視線をギラフェに向けると、神々しいまでの外見に威圧感まで併せ持っていたはずのギラフェは一瞬ビクリと身体を震わし、何事かとウルカを見遣った。

 ウルカは再び手に持っていた枝をピシリと突きつける。

「あなたが同性愛者だからといって差別しているわけじゃありませんが、私に言い寄るような真似はしないで頂けますね?」

 かなり自己中心的な暴言だ。しかし、ギラフェは困ったように髭をたらす。

“どうしてそんなことを……”

「私はなぜか同性から言い寄られることが多いんです。そのせいで同族から爪弾きにあってるんですよ」

 かなり自己中心的で自意識過剰な台詞だったが、ウルカの輝ける黒髪に濃緑に金の輪の瞳、そして真珠の肌を見れば、それを否定する気持ちも薄れる。

 魔女は混血によって生まれた種族だ。そのため、彼女たちの外見はまちまちだがそれぞれに美しい。男の魔女はその存在が表立っていないために知られていないが、このウルカを見る限りでは、その方程式は男にも通用するものらしい。

“だが……”

「ええ、四族と違って我が一族は同性愛に寛容です。ですが、私に引っかかるのが貴重種ばかりだから問題なんですよ」

 ウルカにどれだけのフラストレーションが溜まっていたのかギラフェには分からなかったが、これだけ苛立たしそうに言い募る姿から、相当溜まっていたのだろう。それをギラフェに当たるのは間違っていただろうが、それはそれを聞き出したギラフェ本人の責任だ。

“だけど……”

「私が同性愛者なら良かったんでしょうがね、麒麟殿。生憎とそうはならなかったのでね!」

 あまりにも頭にきたのか、ウルカは持った枝に飛び乗ると、そのまま呆気に取られて動けずにいたギラフェを残して空を遠ざかっていく。

 完全に置いてけぼりを食らったギラフェはその姿を目で追っていたが、人が近づく気配にピクリと髭を動かし、ゆっくりとそちらに目を向けた。

 そこにはたっぷりとした栗色の髪の毛を肩に垂らした魔女が立って微笑んでいた。その姿を見るのは初めてじゃないギラフェは、警戒したように目を細め、彼女と向き合うように身体を動かした。

「あら、そんなに警戒しなくてももうあなたにはなにもしないわ」

 華奢な身体にかわいらしい顔立ちのグラナの顔が悪魔のように見えるのは、彼が受けた仕打ちを考えればあながち否定できない。しかし実際にはグラナは美しく、魅力的な魔女だ。

「あなたがあの子に興味を持ってるのは分かるわ。でもあの子はあなたのものにはならないの」

“どうしてそう言い切れる?”

 グラナは綺麗に手入れされ、派手ではないが地味でもないネイルを見せるように人差し指を立てた。

「あの子は今まで四族以上に貴重な種族の男に言い寄られてるわ」

 次に人差し指に並んで中指を立てる。

「それに、あの子は純血種なの。だから子供を作る義務があるの」

 そして薬指を上げる。

「あと、男の魔女は純潔じゃないといけないのよね」

 どうやってもその三つの条件は相反して矛盾していたが、そのどれもがグラナの言葉を照明する裏づけとなっている。ギラフェはウルカが持っている恋人の条件を一つもクリアできない。つまり、彼を手に入れることは出来ないということになる。

“純潔って……”

「女の魔女は純潔じゃなくてもマザーとつながっていられるの。でも男の魔女は純潔じゃないとマザーを感じることは出来ないのよ」

 マザーというものが魔女の管理する超自然的な力を有する土地のことだと認識しているギラフェは彼女の言っている意味が分からなかった。グラナはそれに気づいた様子でクスリとかわいらしい笑みをこぼした。

「この土地には不思議な力があるでしょう? わたしたちにはこの力の意思が分かるの。わたしたちはそれをマザーと呼んでいるのよ」

 そんなことを言われたところでギラフェにはそれが伝わらないので理解できなかったが、魔女には魔女のルールが存在している。ルールは、一族を守るためには絶対に守らなくてはならない。そのルールを守らなかったら、この現代で超自然の生き物が生き残ることは叶わない。

 超自然の生き物において、ルールがどれほどまでに重視されるかを身をもって知っているギラフェは、グラナの言葉を否定することは出来なかった。彼自身、そのルールを破った結果ここにいるのだ。

「だからどんな男があの子に言い寄っても、あの子は絶対に同性を選ばない。たとえあの子がその中の誰かを好きになったとしても、ね」

 ラグナの声には同情と、同じくらい楽しそうな色合いが含まれていた。ギラフェは彼女が何を考えているのか瞬時に悟り、髭がピクリと蠢いた。

“人の不幸が楽しいのか?”

 蔑むような問いかけに、グラナは心外だという顔をしてみせる。

「わたしはあの子がルールを守るいい子だって知ってるだけよ。誰も強制なんかしてないわ。あの子が自分でルールに従うって決めたんだもの」

 グラナの言葉にフンッと笑い飛ばすように髭を動かしたギラフェは、彼女がまた何かを言い出す前に前足に力を込め、息をつく間もなく空高く跳躍していた。グラナは驚いてその優美な姿を目で追ったが、決して彼についてくる真似はしなかった。

 金色に輝くその麒麟は、まるで空を飛んでいるかのように跳躍し、空のかなたへと走り去っていった。

 それを見送った栗毛の魔女は、クスクスと笑みをこぼしながら崩れた屋根の修復を目のあった魔女に指示出した。


<了>

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