008 Picture of world
変わることと、変わらないこと――どっちが大切だと思う?
シャリ、シャリシャリ。
三日月が昇る夜空の下、その小さな帆船はゆったりとその砂漠で囲まれた水辺を走り、弱々しい月明かりと薄緑色のランタンが灯すその中で、3つの影が闇に混ざりながら揺れ動く。
1つはラクダのナディム。
1つは宝船宝。
1つはカーミリアンと魚々子が2人で毛布にくるまり塊となったもの。
「ひーあうあうあう、砂漠の夜は案に違わず格別に寒いね。流石に吐く息は真っ白にはならないけれど、昼との寒暖差が激しいって言うのは体験しないとわからないものだね! 無知よりも、知識を持っているだけでは、知っているだけでは何の得にもならないとナナコは思うよ、やっぱり自分の肌で感じなきゃ! ……うぅ、まだ前向きに考えれば涼しいと言っても過言ではないけれどやっぱり寒いよ……実はナナコは暑さだけでもなく寒さもダメでね、今リアがくっついてくれなかったらきっと何も喋らなくなると思うよ! あぁ、夜の女神・ニュクス様! とっとと世界を巡りに巡ってナナコをその朝陽で温かく包んで!」
「でもナナコちゃん結構元気ね。私は慣れているから良いけれど、外から来た人にとっては大事だものね。そのままなっちゃんに寄りかかっていると良いわ」
「うん、ありがとう、リア! 本当に、親切で気立てが良い娘さんって感じだね!」
「だって友達じゃない、当然よ」
「友達……そっか! 友達かぁ、えへへ、うーれしーなー。ナナコは記憶無いから、初めてのお友達って感じかな!」
「え……あー、そういえば! タカラ君が友達、じゃない?」
「タカラ? タカラ? タカラって……お友達なのかな? どうなのかなぁ、うむむむ。何か、一緒にいるだけって感じなんだよね。なんだろう、なんだろう。まあいっか。じゃあ友達って事で! ねーぇ、タカラ今何しているの? 何それ」
「ん?」
と、宝は顔をこちらへ向けたが、カッターを走らせる左手はそのままだった。彼は相変わらず涼しい笑顔で、その型を削っている。周りにはその破片や粘土、道具箱が置かれていた。
「あぶな! タカラ手止めて! いきなり話しかけたこっちも悪かったけれど手を止めて! 芸術家ワールドが最小限なのは良いけれど、超恐い! 手え切ったらどうするの!」
「あぁ、大丈夫だから気にしないで、慣れてるから」
「見てるこっちが恐いんだって!」
それを聞くと、やれやれというように、彼はカッターを床に置いた。その代わりに道具箱から、肌色のそれを取り出した。それを注意深く見ていたリアはまさかと思い、宝に言う。
「……ねえもしかしてそれ、人の腕?」
ナナコは思わず、ひぃっと小さく吃驚の声を漏らした。左腕だ。爪や筋はないものの指先まで繊細な作りで施されており何故か今にも動き出しそうで、きっとあれで肩を叩かれたら余裕で恐怖を感じるに違いない。綺麗な人間の肌色に近い腕、だが普通の人間のものよりもいくらか小さい。
「はい。石塑粘土と木粘さんを混合させて造りました、まだ途中ですが」
リアの質問に即答し、まるで玩具のように、粘土製とは思えないまるっきりそのまま人から切り取ったような腕の形をしたそれを軽く宙に放り投げてキャッチする。
「タカラ、それ、前から、造っているやつ?」
「うん。球体関節人形の。今削っていたのはスタイロフォームでの展開模型で右足の部分。女の子の身体だから基本的に造りやすいんだ」
震える声で聞く魚々子に丁寧に答える。リアは感嘆の声を上げた。
「へえ、凄いわ。本物の人間とそっくりよ」
「いやあまだまだですよ。この世には不思議なことに、人間みたいに動く人形がいますからね、それに比べたらまだまだです」
「どうして造っているの?」
「大学の課題の1つです」
その質問にも即答した。
「他にもたくさんあるんです。デッサンとか模写とか特に水彩とか有り得ない位に。ほぼ全てのジャンルをコンプリートしなければなりません」
「今学校お休みなの?」
「えへへ。リア、タカラはねえ、優秀すぎて大学から追放されたの!」
「え?」
「ナナコ、違うから」
やはり輝かしくいつの間にかどこかの世界へ飛んでいったような魚々子へ宝は訂正を入れるが、彼女の夢見がちワールドは広がり続ける。毛布から飛び出て、甲板の上を行き来する魚々子。ナディムが小さく欠伸をした。
「やっぱりさぁ、勇者には障害があるんだよ、恋にも障害がないと盛り上がらないしね! 幼き頃に両親に他界され天涯孤独でこの世を涙と共に生きてきたタカラ少年、最初は平凡な学生だったんだよ。でもね、ある日空から女の子から降ってきてねそして覚醒すると目の色が変わるんだよ! 魔界の悪魔と契約を交わしたから! 過去に触れられたくない秘密があるもんね。そんでねそんでねー、敵の女の子は、チェンソーがお友達って子なの。普段はおしとやかなんだけど戦闘になると違う人格がこう、でてくるの! やっぱりラスボスは自分の父を倒した自分の影だよね、だって自分の親父は魔王だもん!」
「まあリアさん、ナナコの冗談と嘘八百で固められた空間は放っておきましょう。それで、もう訊きたいことはないですか?」
再度カッターを持ってスタンバっている宝。これはもう訊くべきではないな、とリアは宝に断りを入れ、魚々子をこちらの世界へ連れ戻しに掛かった。
宝は特に2人を気にする様子もなく、ただただ、その左手を動かした。
語りかけるような眼差しで、1人座って見上げる、その先には――。
ずっと、見ていたんだ。
ずっと、壁の片隅で色褪せた、一枚のポスターを見ていたんだ。
8歳の時である。
とある夕暮れ時。
聖ルーテシア芸術女学院、COD学園と並ぶ世界三大芸術施設。
それは、最大級の、未来の巨匠を育てるキャンパス。
それは、きっかけ。
それは、夢を持つ者達の聖域。
それは、夢を見つけるための舞台。
それは、青春の真っ只中。
その、リリィ・ホワイト学院付属景彩美術大学の学園祭へ、宝船宝は意味も分からず目的もなく何故かそこにいた。
わけでもなく、そこの出身者である両親に連れてこられたわけだが、人の波にのまれにのまれ、いつの間にか1人ではぐれていた。幼い少年だったが特に慌てもせず、けれどもまだまだ年相応の落ち着きなさがあった。
あどけない表情でキョロキョロと辺りを見渡していると、オレンジに染まる壁にふと目が止まった。
見上げて、見る。
青空があった。
青空だった。
その奥まで向こうまで突き抜けるような、目の醒めるような魔法のような大空が広がっていて、今にも届きそうなその空の下に、一人の少女が居た。同い年位の、すみれ色の髪を翻しこちらへ手を差し伸べている笑顔の女の子。
胸が高鳴った。
まるでそこだけ世界が違うと思った。
そこだけ、その世界が創られた。
だから、その子のミッドナイトブルーの瞳を見つめて。
手を、思わず伸ばしてみた。
届くかもしれないと、
左手を、その子の白い手へ――
「――行けないよ、その世界の中には。絶対にね」
「え?」
思わず声のした方へ振り向き顔を見上げると、一人の男性が、丁度宝と相対位置にある休憩用の長椅子に腰掛けていた。白い杖を頬杖置きに、こちらへ微笑んでいる。けれどもその長い前髪でしっかりとした表情は分からず、ただ若いということだけは分かった。どこか、貫禄がある。
と同時に、その左手はその少女に触れた。
紙の感触がした。冷たかった。温かくなかった。人ではない。
絵、だった。
もっと上を見上げると、小さめに景彩大祭という文字があった。どうやらポスターらしかった。
だからとてもビックリした。
まさか、絵だったなんて……。ポスターに描かれているだけの、ただの紙に描かれたはずの蒼い空なのに。
絵の中の少女は、写真みたいに、映像のように、本当に、そこに居るみたいで。
「お前さん、そんな所で突っ立っていないでさ、こっち来て座ったらどうだいよ」
「え? あ、はい。しつれいします」
言われるがままに、ちょこんと行儀良くその男性の隣に座った。家族以外の人と話すのは慣れていないので少し緊張していた。横目でちらりとその白い杖を見て、おじいさんみたいだな、と宝は思った。そしてその髪色はすみれ色だった。そのまま、絵の中の少女のような。
「あの絵ね、自分が描いたんだよ実は」
唐突にその男性は自身を指さして言う。思わず宝は再度絵を見てそのあとその男性へ目を向け、
「と、とってもきれいな絵だと思います」
そのままの率直な感想を告げた。
「まあ嘘だけど」
「え」
「ごめん嘘、本当は自分が描いた。ちょっと昔にね。誰かが剥がし忘れたんだな、いや、自分の絵が凄すぎて剥がさなかったのかな? うわお、夕暮れ時のロマンチックストーリーがそこにあるように目に浮かぶねー」
「はあ」
「それにしても素敵な感想ありがとね」
「……」
読めない笑顔とその言葉で、幼い彼の頭の中は少し混乱し始めている。
初対面なのになんでこんなにおしゃべりしてくるのかな。なんで杖をつかっているのかな。なんでぼくに話しかけてきたのかな。あの絵は……どうやって描くのかな。
絵なのに不思議だなと思った。
どうやって描かれているのだろうと思った。
こんな絵を、描いてみたいと思った。
同じ感動を、してみたいと思った。
「んーとねー、あの絵の中の子は自分の孫なんだよ」
「そうなんですか」
「可愛いでしょう。ていうか、見惚れてたでしょう、空よりあの子に」
「え、いえ、そ、そんなことは!」
「いいのいいの。可愛いから自分もあの子をモデルにしたんだもん。お前さんも可愛いな-。子供は良いな、本当に」
顔を真っ赤にしてたどたどしく言い訳をする幼い少年に、気にすることなく楽しんでいるかのように飄々と語る男性。
「会ってみるー? 何もかも可愛いよー。まあ自分の血筋だしー?」
「そ、そうなんですか」
「あ、そーだ。友達にでもなってあげてよ」
「えっ、友達、ですか?」
またも唐突な提案だった。
「うん、どうせお前さんにはもう一回出会うから、そん時にでも。超人見知り激しいから友達出来ないんだよねー、一般的じゃないから。自分の絵を良いって思うんならきっと話しが合うと思うよ、うん」
「友達……よ、よろこんで、おうけいたします」
「うんうん。あ、そーだ。あとあの空の描き方も教えてあげる。水彩だからすぐ覚えられるよ、お前さんでも」
「え、あ、ありがとうございます!」
トントン拍子でどんどん話が進んでいくのに懸命についていく宝。その顔は喜楽に満ちていた。
「お前さん名前は何て?」
「ぼ、ぼくの名前は宝船宝です!」
「宝船……あぁ、それなら自分の教え子じゃんね、あ、へぇー。うん、お前さん、いつでもここへ来て良いよ、超歓迎、決まり!」
「い、いいんですか? あ、ありがとうございます!」
キラキラした純粋な笑顔でお礼を言う宝。対してその男性は、その杖を勢いよく危なげに振り回しながら言う。
「いやいや礼には及ばないこともないってー。うん、お前さんならよく出来上がりそうだなー。将来が楽しみだー。さしあたってさ、自分、お前さんのお願い訊いただろ? ちょっと自分からも頼みあんだけど」
「は、はい、なんでしょうか!」
「あのね、お前さんは、これから自分の孫に出会って友達になるだろう? それで、もし彼女が突然いなくなったとしても、必ず見つけて欲しいんだけれど」
「え、友達だから、とうぜんできます! そんなことでいいんですか?」
「うん良いお返事だね。いいねえ子供は本当単純で純粋で、羨ましい限りだ。じゃあ指切りげんまん~」
特別でもないことだと思ったので、そしてそれが自然だと思ったので、また子供らしいあどけない笑顔で男性と小指を交わす宝。その笑顔を見て、男性も更に微笑んだような気がした。
「さて、と。じゃあ頼んだよ、たか君。またね」
と、その男性は杖を使ってゆっくりと立ち上がり、背を向けて歩き出した。その背中に向かって、宝は焦って思わず椅子から飛び降り言った。
「あ、あの、あなたのお名前は?!」
「自分?」
その問いにその男性の足が止まる。と同時にこちらへ振り向き、指をこちらへ差した。宝を越えて、何かを指しているようだった。後ろを振り向く。とそこには、宝を困り顔で探している両親の姿が映った。
「あ、おかーさん、おとーさん……あ!」
再度その男性の方へ目を向けると、もうそこには先程の彼はおらず、帰り支度を始めている人々が散らばって歩いているだけだった。壁には一枚のポスターがあるだけ。オレンジ色は、いっそう濃くなっていた。
それから1年経った。
それから5年経った。
そして、あの日から10年経った。
久方のリリィ・ホワイト学院付属景彩美術大学で、彼女に出会った、いや、見つけた。
一目で、何故かあの絵の中のあの子だと解った。
腰まで伸びたすみれ色の美しい髪を白いリボンで結い上げ、ミッドナイトブルーの瞳に光を灯し、清楚で可憐な佇まい、凛としたあの絵の面影が残る横顔で、太陽の光で輝く白い花が舞う人々が散らばる道を、せっかくの綺麗な空が見えるのに、雨も降っていないのに、モノクロの軌跡がはしる傘を差して、ゆったりと上品に歩いてくる彼女と、擦れ違った。
……あの子だ……!
運命なのかなと思った。
まさか本当に出会えるとは思えなかった。
手にしている画材を全て落としそうになった。
可愛かったから、思わずそっぽを向いた。
必死に、桜に見惚れているフリをした。
けれども、目が合ってしまった。
僕が彼女の方を見たら、彼女も振り返ってこちらを見たから。
深い青に、捕まったような感覚。
そして、彼女は笑った。
「貴方、宝船宝?」
「え? あ、はい!」
力んでしまった。
ゆったりとして、落ち着いた雰囲気の、澄んだ音色のような声。
話しかけられてしまった。
会話をしてしまった。
どうすれば、いいのだろうか。
しかし宝が思考を巡らせている間に、
「そう」
と彼女は一言、じっくりと上から下まで宝を見つめると、一礼して直ぐさまその場を立ち去ろうとした。
まるで興味が無くなったかのように。
彼女の瞳から彼は消えた。
けれども、宝はいつの間にか、歩んでいた。
「あ、あの!」
彼女の足は、
「その傘、僕がデザインしたんです!」
ピタリと止まった。
「あ、ああああの、それで、きき君がこの大学の入り口にある大きな白い花の木の絵を描いたん、でしょう? どうやったら、あんなに綺麗に描けるんですか? その、君と話がしたいんです……」
景彩美術大学内は、至る所様々な創作作品で飾られ彩られている。どこへ行っても誰かしらの創った素晴らしき世界がある。自然と調和してそこに在る作品たち。大学内には自然も溢れかえっている。そしてその花緑の中でも一際大きな白い花の木が、大学の西側に聳え立っている。
太く強固な幹のはるばる上空に、満開の白い花。誰でも見上げなければその姿は拝めない。樹齢七千年以上の、母なる大地に根付く大樹。それは、景彩美術大学のシンボルでもあった。そしてやはりこの大樹は幾万人以上もの人々によって描かれている。そしてその玄関口の壁にも、実物大で巨大な白い花の木の絵が咲き誇っていた。縁に入った絵ではなく、直に壁に描かれた、本当にそこで咲いているかのような、白い花の絵。
誰でも最初にこの絵を見る。
誰でも見上げて、感動する。
宝船宝もその一人。
だから彼女は、その意味でも有名だった。人としても、能力でも、存在でも、色々で、有名だった。知っていたから。きっと知らなかったら、もう彼女と一生会えないかもしれないと思ったから。
話繋ぎの為の話なのだろうが、思っていることも言っていることも本当で、少しでも彼女のそばに居たいと思ったから。これが吉と出るか凶と出るかまで全く考えず、ただ叫んだ。
「僕と、友達になってください……!」
その手を差し出した。下を向いてしまう。赤い顔を、見られたくなかったから。彼女の足がこちらへ向いたのが見えた。
「私と?」
「はい!」
そして、彼女は開口二番にこう言った。
「手、逆」
「あ、わわ、ごめん!」
焦って、いつも通りに左手を出してしまった。何とも失礼な態度を取ってしまった。慌てて右手に換えて顔を上げると……
「……嬉しい」
彼女も下を向いていた。そしてゆっくりと僕の右手を掴む。
とても、あったかい、というか、僕の熱や鼓動の速さが伝わるんじゃないかと心配になったが、そこまでいかず、彼女の右手もとても熱かった。
「ねえ」
そして次の瞬間に。
「その……キミが、ボクの持っているこの傘をデザインしたって…………それって、ほんとぉー?!」
満面の笑顔。
満開の白い花のように、突然その顔を上げて、女性らしい朗らかな笑みから先程とは打って変わって子供のように無邪気にその目を輝かせて、興味津々という風に、天真爛漫に、繋いだその手をブンブンと振り回す。勿論宝はされるがままに上下へ揺れた。
「うわわわわわわわ」
「本当にキミが“光と色彩の魔術師”と謳われる宝船宝なんだね! じゃあたかくんって呼ぶっ、ボクは、河魚・リリィ・ホワイト、河魚って呼んでも良いよ! うわぁうわぁ、ボクのなかで一番の有名人というか憧れというか凄い人と凄い偶然に出会っちゃったぁ! たかくんこそ、このデザインはあまり見られない稀なモノだと思うんだけれど、どうやって頭の中で想像したの? どんな辞典にも本にも載っていないでしょう? 基本の応用? インスピレーションが有り得ない位だし独特なのになんだか色んな類の人達に愛されそうなデザインだね! キアロスクーロ素描だよね? とりえあず、ボクはこの傘を一目見たときから一目惚れしちゃっておじいさんにお強請りして貰っちゃったんだよ! それにしても、画壇の楽園、ボクの庭へようこそ! ボクにも視える人が来てくれて嬉しいよ、これからよろしくね、たかくん!」
「あ、はい……河魚さん」
「んー、確かにボクの方が1つ年上だけれど別に敬語なんていちいち使わなくて良いよ。どちらかといえばボクは名前オンリーで呼ばれる方が好きなんだよね! 河魚で良いよ! 遠慮し過ぎるのも遠慮しなさ過ぎるのもどっちも嫌いだから、その辺の塩梅は頑張ってね! じゃあさっそく大学へ行こうよ! 本当はボク、朝一で帰ろうと思ったんだけれど、気が変わったよ、さぁさ、はやくはやく!」
こうして僕とキミは友達になった。
こうしてボクと君は友達になった。
心の奥底から、こんなにも人を想ったのは初めてだった。
心の奥底から、こんなにも感動したのは久しぶりだった。
そう、欲しいだけあげるよ。
君が全て持てるというのなら、
そう、欲しいだけもらうよ。
僕は全て、持てるから。
そして、1年が経った。
河魚・リリィ・ホワイトは、僕の目の前から姿を消した。
「あとの烏が先になるとは、このことだ。いい巨匠になったもんだよね、お前さんは。はぁー、やれやれ全く困ったモノだよ。未来が本当になるなんて。どこ行っちゃたのかなあ、河魚は。大体の検討って言ったら、この世界のどこか、としかわからないなあ」
「本当ですね。貴方の予想はいつも大当たりでとても感銘を受けます。しかし、貴方は解っていて、知っていて何もしないなんて、それには如何せん煩わしさを感じます」
「だからちゃんと頼んだじゃんか、頼ったじゃんか。たか君、怒るのは解るけれどしょうがないだろう? あの子は普通じゃないんだって。だからお前さんに色々頼んだんだ。もう一族では、あの子も、あの子の中も手に負えないんだよ、この自分でもね。でも大丈夫、あの子が居なくなったのは気紛れに近いからさあ、お前さんが嫌いになったとかこの場所が嫌いになったとかは絶対に有り得ないから安心してね」
「いえ、1度目の再会をしたときから貴方のことはよく解っていましたから、貴方の言葉は信じられます。けれど、貴方の心は相変わらず信じられません。虎にして冠す、貴方はあの頃から全く変わりませんね」
「いっやーそれほどでもないこともないよ! ということでまー、2度目の再会を祝して、自分との約束きちんと守ってね……宝船宝君。成績体力共にオールファーストクラス、無遅刻無欠席、滾滾と泉のように溢れるアイディアからの最高傑作の創造、完全無欠で非の打ち所がなさ過ぎな君だからこそ、あの子と友達になってあの子の世界に入り込んでくれたお前さんだからこそ、頼めるよ」
リリィ・ホワイト学院某所。
景彩美術大学からかなり離れた場所に位置する名門。
世界の五本指である大富豪。
その一角に宝船宝は居た。
正確には呼び出しをされた。
その部屋は、広すぎず狭すぎずけれど違和感など一切与えないとても居心地の良い空間、そこでその声と宝は2人だけだった。
しかし宝と対峙する相手の姿は、見えない。位置は判る。そこにいるのは判る、けれども見えない、変な人だった。
「これだけ言っといて寝鳥をさすようだけれど……1、2年の猶予をあげるからこのキャンパスから外の世界へ行ってくれ。けれどもお前さんの才能を持続させる為に度々というか定期的にお前さんに課題を課すからね。お前さんはある意味で自由、ある意味で縛られている、つまりそれは自由って事なんだけれど。いやあまさかこんなにもお前さんを下に使えるなんて思いもしなかったよ。これからもずっとよろしくね。久方の外の世界であり、お前さんが好きになろうとした、君が嫌いだった世界だけれど、その中で……あの子を見つけて、連れ戻して、自分を安心させてね、必ず」
「はい」
「絶対無いと思うけれど、サボったり、何か可笑しいことしたり何か命令に背いたり、とりあえず自分の計画を狂わせるような動きを隠れてしたとしても、自分はいつでも視ているからね。あ、何か特に怪しいことはないからね! ただの監視だから! 疚しいことは何も無いよ! ついでに絵の具買ってくるくらいの勢いで頼むよ!」
「どうぞ。いくら貴方が虎視眈々と僕たちを狙っていても、奪っても、見つめていても、期待していても、何もしてやりませんから。彼女にとって、過去でも未来というモノでも、僕は決して無くしはしないし、貴方にも何一つ渡しません。でも、貴方は一応僕の一番の恩師ですからね。どうせこの先も視えているのに、貴方は一体何をしているんです? 全く、貴方がその立ち位置ではなかったら、余裕で何万回も殴っていますよ。……そして、そろそろ絵の具くらい自分で買ってこれるようになってください」
「……やばいなー、今日自分どれだけ誉められるんだよー。くくく、さぁ! 光と色彩の魔術師、絶遠の黒、芸術家、宝船宝君。お土産にはそうだね、健康グッズが良いかな。あれ? 絵の具じゃね? あはは、お留守番は任せてくれよ、じゃあいってらっしゃーい!」
そうやって、無邪気に手を振る姿が見えたとき、その姿が彼女と重なって、本当に腹立たしくなった。
自分には出来ないことだから。
君にしか出来ないことだから。
自分は束縛を受けているから。
君は自由を受けているから。
自分はもう諦めようと思っている最中だから。
君はまだ、当分諦めないつもりらしいから。
自分は年だから。
君は若者だから。
自分は忙しいから。
君はいつも暇そうだから。
自分はあの子を愛しているから。
君はあの子を自分より愛しているから。
次々と立て続けに止まらないほどの、彼の聞き分けの良い言い訳を散々に聞いて、軽すぎる身体と軽すぎる僕の心を背負って、彼女の心を、身体を見つけて、彼女の瞳にまた、僕は映らなければ――そうしなければ――
――彼女の世界は。
「凄いの凄いの、凄いのが来たよ! リア、あれ何? キラキラキラキラ、凄い! まるで、不思議の世界へ迷い込んだみたいだね!」
「砂漠の蝶ね。ということは、喜んでクルーのみんな! 森が近いわ。だから、砂漠の終わりも近い!」
「うわーお、やたー! 始まりが来れば終わりもある……終盤にこんなサプライズ的ノリがあるなんて、ナナコは心の底から感激するよ。苦しみの後には幸せがやってくる、良いことも続かないけれど、悪いことも続かないんだね! なんだか、これが終わりということに気が付かなければ、いつまでこのきらめきの世界にいられるのにね、超絶名残惜しいよ。ね、タカラ!」
「うん、そうだね」
笑みを浮かべて応える宝。
そしてそれ以上の、とても嬉しそうな、満足げな笑顔。
その光の中で、魚々子はきゃらきゃらと駆け巡る。ナディムがくるるーと気持ち良さそうに鳴いた。
本当に、あの子に似ているなあ。
ずっと聞こえている、その声。
“……きやああー! 見て見てよ、たかくん! まるっこくて弾んでておっきーのが行進してきたよ! 何あれ何あれ、白くて緑でクルクル回ってる! まるで首の長い金魚のよう、うん、もっと近くで見たいし聴きたいし触れたいし愛でまくりたい!”
子供のように、傘を振り回しながら無邪気に叫ぶあの子。
今日だって、聞こえてくる。
“このボクの溢れまくる好奇心を止められる人なんて、この世に1人としていないと確信するね!”
笑顔が可愛くて、清楚に振る舞う癖に珍しいモノがあれば直ぐに突進していく。
全く、あの子の傍にいると本当に疲れる。
“……ほら、たかくんも早く、来て……!”
そう言って僕の横を駆けていってしまって。
それで、
それで。
彼女は、
彼女の世界は、
赤く、紅く、赤く――。
「…………はは」
宝は力無しに薄く笑った。
あぁ、そうだ。
「本当に、悪い子だなぁ……」
思い出したくないのに。
あんな、あんな、
息が苦しくなってきた、
目が重い、
体中から、熱が奪われていくよう……
あんな、あんな、
一面の、あの子の、赤、なんて――。
――ねえ、君はいつからそこにいて、僕の心に住みついていたんだ――?
「ターカラ?!」
「……ぁ、ぇ?」
「タカラ、どうしたの? 大丈夫? 汗かいてるけど……もしかするとやっと、最後の最後でこの気候の恐ろしさでも分かってきた……?」
冗談交じりだが、自分の世界から出てきたとても心配そうな魚々子の声に、宝はハッとした。
「あぁごめん。大丈夫、全然」
「ちゃんとした言葉喋ってよー、タカラ。全然っていうのは、否定語だよ!」
「うん、大丈夫だよ、ほんと……」
目に見えぬモノ、築き上げたんだ。不確かだけどね、全部在るから。
いつの時代でも似たようなもんだ。
自分の立った位置で正当化していく、醜い人間。
僕は人間だ。
だから君と仲良くなれるかとても不安だった。
君も人間だ。
だから僕と仲良くなれるかとても不安だったろうね。
でも大丈夫。
僕は必ず、君を見つけるからね。
君は必ず、僕を見つけて笑ってね。
だから、待っててね。
世界の果てまで、例え異世界の果てへ、行ってでも……。
「はい! ナナコは今から宣言します! お腹が空きました、だから寝ます!」
「意味が分からないよ……」
「だってさ、この光と星をダブルで寝転んでみるとか至福過ぎない?! 今にも届きそうな、光だよね!」
「うん……そうだね」
「こんな景色を、世界中の人に見せたいね!」
大丈夫だよ、魚々子。
僕かあの子が、いつか、この美しい景色を、世界中の人に見せるから。
僕はまだ描かないけれど。
美しいその考え方は、とても好きだよ。
美しいその生き方が、とても好きだよ。
人間って、綺麗だね。
人間の形をした、人間の心を持った君は、とても綺麗だね。
だから君は、僕の旅の終盤には、絶対、いないから……――せいぜい楽しんでくれると、嬉しいな。
「それではナナコはベッドへ直行します! おやすみなさい!」
最後まで元気な魚々子へ、リアと宝はそれぞれおやすみの挨拶をした後、走る魚々子を見送る。
それにしても、魚々子は眠くなってくると言葉数が減る。それはそれで静かでよいのだが。
すると、リアが遠くを指さして静かに言った。
「ほら、見てみて。本当に少しだけれど、森が見えてきたわ。青々と広がる森、あれが一応砂漠の終わりよ」
「はい、本当にありがとうございました、リアさん。とても素晴らしい運転でした。この先も良い未来が見えます」
「ふふっ、ありがとう。まあとりあえず、別れの、そして再会出来るよう祝杯として、盃でも酌み交わしましょうか!」
「お手柔らかにお願いします。それと、ナナコが起きてきても飲ませないでくださいね……面倒なので」
久しぶりに楽しい酒になりそうです、と宝は付け足し、道具などを全て鞄へ片付けながら、しっかりと微笑んだ。
朝陽が昇る頃に辿り着くらしい、海のように広がる青々とした森。
そこを越えたら、海へ行けるだろうか。
そこを越えたら、2人はどうなってしまうのか。
その先は、あるのか?
芸術家と人魚は……願いを、叶えられるだろうか?
それはきっと、神様にしか、ワカラナイ。
はいっ、お疲れ様でしたぁ!
この曲はですね、歌詞も勿論好きですが、一番はこのメロディー構成です!
初視聴で心を奪われました。
歌詞が、メロディーが、心の奥底まで染み渡ります、そんな一曲です。
サビ最高です!
そして、とても綺麗な曲だなあと思いました。
流石GARNET CROW!
ライブめっちゃ行きたいです!
暑い日が続きますが、皆さんも毎日ガーネットで楽しんでくださいね!