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005 Float world

 ……長いです。



 

 愛に満ちた時間(とき)は、いつまでも続きやしない

 愛に満ちた時間は、いつまでも続きやしなかった


 けれど、


 (きみ)がいつかふと淋しくて

 振り返るその時に抱きしめたいから、


 どんなに孤独が身共(わたし)を支配しても

 誰かに心は明け渡せない……


 ・


 ・


 ・


 ……たとえ、(うぬ)でも……ね――





『貴様らが何を致そうが、俺様が何を致してやろうが、世界はまわり続け変化など何もない』


 戌威は無愛想で無器用で無遠慮で無口な奴だった。

 戌威は奇っ怪な男だった。 

 戌威はいつもちょっと不機嫌そうだった。

 というか、何と言えばいいのだろうか、見た目からして、喋り方からして、何か、全てが奇妙で、変で、可笑しな男だった。


『世界っつてもお前様のことじゃねぇよ、おいセカイ、そして金架(かなか)、聞け』


 俺の金色の髪を右手でクシャクシャと少し大雑把に撫でながら、胡座を講いた膝にちょこんと座っている小さなセカイにも反対の手で同じ事をする。彼女はきゃらきゃらと可愛らしく笑っていた。

 ゆるゆると着ている萌葱色の着物そして羽織、無地の薄青蛇の目傘を部屋の中でも何時でも差して肩に引っかけている可笑しな背格好。

 いつもはとても、というかかなり寡黙で、無口過ぎて、其処に居ないんじゃないかというほど口を開かない、ただ其処に居るだけの、1日に1回喋るかどうかというくらいのこの男は、たまに突然何の前触れもなくペラペラと饒舌に喋りだす時がある。


『衝動に任せて全てを終わりにしたくなる時はないか?』


 だがそれらはとても納得のいくものでも誰の為になるでも、とにかく利害の一致しないものばかりで、多分聞いても聞かなくてもいいことばかりだった。


『愛情は、友情は、哀情は、真情は、心情は、厚情は、情熱は、情動は、底なく与えてゆける方が良い、そう存じないか?』

『俺様は何を許容(ゆる)してやればいい?』

『足りないモノは何だ?』

『貴様らは未だ知らない場所へ行こうとしているんじゃないか?』

『彷徨えば、違う場所なら、知らない場所なら、何かあると期待しているんじゃないか?』

『だが、その場所へ行くというイメージは、曖昧なんじゃないか?』


 親が子供に教えることでもない。

 ただ俺とセカイに対して言い聞かせているだけで、違う誰かに言うようなことで、ただ彼が言いたいことを言っているだけのようだった。

 誰に言っているのだろう。

 それが気になって、まだ幼い頃から俺達は戌亥が喋りだすと耳をしっかりと傾けるようになった。

 別にそれだけで戌威の傍に居たわけではない。

 その大きな手で撫でられるのが、とても気持ち良かったから、とでも言っておこうか。

 俺もセカイもそうされるのが好きで、戌亥が大好きで、何を考えているのかよく解らないけれど、彼の傍にいつも居た。

 けれどもまあ、そんなことで解るはずもないし、もしその誰かに言っているにしても、その誰かに言っているようには聞こえない時もあった。

 俺達に言っていることなのに、俺達に言うべきことではなくて、俺達に聞かせていることで、俺達は聞いているけれど、でも、独り言のようで。

 声に抑揚はなく感情も感じられず、その狐の面を付けた男の表情は勿論読めず。

 なんたって左目はそのお面で隠れ、右目は包帯で包まれており、頬が染まったこともなく、口元が綻んだこともあまりない。

 それでも義父(ちちおや)である。


『狐に抓まれるんじゃあねえぞ貴様共。人生戦くな、戦え』


 ちょこんと首の後ろにある1つに纏められた黒髪。

 それは、俺のとも、セカイのとも同じような色の髪で。

 孤児であった俺とセカイを育ててくれた、無償に優しく、無性に心配性で、無愛想に、無器用に、無遠慮に、大切にしてくれた家族。

 どこにいるんすか?

 生きてるっすか?

 俺を許して、くれますか……?





「…………」

 ふわりふわり。

 ふわふわり。

 たゆたうように、漂うように、浮かぶように。

 朦朧と混沌とする真っ白な空間の中で、流れていくように。

 その心地良さを感じる空間で、心も身体もユラユラ軽い……そんな中で金架という名の少年は、目を覚ました。

「……あれぇ?」

 と呟く。えらくはっきりとした、呆けた呟きだった。

 彼は仰向けに寝ていた。

 目に見えるのは真っ白い天井で回る麦色のファン、大きく広く白いベッドから体を起こし、その明るい日射しが降り注がれる窓の向こうに目を移すと、青い空、太陽の恵みを受けサンサンと輝く巨大な樹木は風で揺らめき、空を舞う鳥たち、ユラユラ波打つプール、そして、遠くには、碧々と海が広がっていた。

「お、おー」

 南の島?

 ナニコレ外国?

 すげぇ、テレビん中みてぇ……。

 涼しい部屋の中、窓から視線をゆっくりと白い壁へ、前に戻すと、

「え」

 少年がいた。

 一言で言えば、真っ黒な少年だった。その真っ白な部屋の中に墨を落としたような。

 その言葉通りの漆黒の髪、かなりのハネッ毛で、猫の耳のように跳ねている、そして後ろで長く1つに縛っており、猫の尻尾のように伸びている。歳は10歳位、小柄で、まるで肌を隠しているような黒い無地の大きめの長袖のなどの全身黒ずくめの装い。

 その漆黒は、純白とは、真逆のもので。

 シルクとは、正反対。

 そして、でも、瞳は金色で、太陽のようにギラギラと輝いていた。まるで、獲物を狙うかのように。

 漆黒の中に佇む金。

 瞳の中には、金架が映えていて、彼の紅い瞳には、自分の首筋にナイフを当て、鋭く睨み付けるその少年の姿があった。

 ……え?

 気配とか? 重さとか?

 感じなかった……。

 ていうか、世界最大大ピンチって、やつですか?

 と。

 危殆に瀕する、あわやと思った瞬間。

 どんっ!

 と。

 何かが落ちた音がした。金架がそちらへ目を向けた時には、その少年はもう動いていた。

「しるく!」

 幼い声色。

 しるく?

「おい、大丈夫か? 怪我はしていないか? だから言っただろう、お前は寝相が悪いんだから、ベッドは向いていないと……」

 かなり取り乱していてまごついている、そのベッドから落ちたモノへ必死に問いかける少年。それに対して、その者は無言だ。金架は自身のベッドからおり、隣のグシャグシャと乱れているベッドの上へ乗り、その少年達を覗いた。

「あ……シルク」

 これまた真っ白なシーツにくるまれた、もう周りが真っ白で保護色過ぎて真っ白すぎる女性、クルシマ・シルクが、その少年の腕の中で小さく寝息を立てていた。

 とても無防備に。とても無邪気に。子供のように、女神のように。

 彼女が無事なのを確認した後、少年はホッとして、柔らかな顔つきになり、静かに溜め息を吐いた。

「良かった。怪我はない。全くお騒がせな奴だよなぁ、シルクは」

 まだ年端もいかぬ幼い子供に、心配されているぞ、シルク……。

 そんな金架もとりあえず安心して、その少年に声をかけた。

「なぁお前、シルクの知り合いか? お前、誰だ? えっと、俺は、シルクをたす」

「五月蠅え餓鬼黙れ死ね」

 その朗らかな表情から一変。

 少年の顔は歪みに歪み、躊躇なく呪詛を吐いてきた。

 ?

 理解に遅みがかかった。

「ごちゃごちゃゴチャゴチャ五月蠅えなぁ、黙るか静かにするか出来ないワケ? 全くダメだなお前みたいな餓鬼は。猫は抜き足差し足が得意なんだぞ、お前がボクを認識するなんて百年早えんだよ」

 ……子供(ガキ)に餓鬼って言われたぞ……。こいつ可愛い顔して飛んでもねえ奴だ……。

「ったく、シルクも苦労するぜ。お前のような野蛮な野郎が勇者とは、世も末だな。鬼なんぞ、劣った邪悪な存在がどうしてボクの眼前にいやがるんだ。人に誇れるような経験なんてない癖に、処置無しな感じに救われやがって……本当に不愉快だ。……だが、シルクを救ってくれたことだけには感謝してやる、ボクに感謝されることに感謝しやがれよ。そしてそれごときで図に乗るなよ、ほんとは過大評価も甚だしいわ」

 その幼い声色で、流暢に完璧に一度も噛まずにガンガン上から目線で来る少年。

 ……あぁ、こういう、キャラか……OK、理解した。それと……ほんとになんだ、こいつ。やっぱりシルクの何らかの関係者か?

「なあ、アンタ、なんていう名前なんだ?」

「……人の話全っ然聞いてねえだろお前。それと愚問だな、偉大なるボクの名を知りたいのなら、自ら名乗りやがれド阿呆」

 うっわ-。そういう台詞、本当に言う奴いたんだ、初めて見た。ほんとにマジでこいつのテンション丸わかりしてきたぞ。

「あ、あぁ、悪ぃ。俺の名は金架、金の架け橋って書いて金架だ」

「ふーん、架け橋、ね……」

「で、で、アンタはなんて名前だ?」

「あ?」

 聞き返された。

「何っ故ボクの大切な真名をお前に教えてやらなきゃいけないんだ。お前に名乗ってやる名など無いわ」

 本日最大の歪み顔で言い放つ少年。

 ……こんのガキ……。

 ヒョイッ。

「うっわぁ! 何しやがるこのやろっ、降ろせ降ろせ、死ぬ、死ね、この盆暗、鬼、餓鬼、鬼畜野郎ー!」

「五月っ蠅ぇ、黙るか静かにするか黙るか出来んのか、こんのガキが!」

 金架はその少年の首根っこを右手で掴むと、ヒョイッと持ち上げた。少年はジタバタじたばたと激しく抵抗するが、軽すぎる少年がどう足掻こうと、金架のモチベーションは特に変わらない。

「黙って聞いてりゃ年上に対する態度がなってねえし口も悪いなあ、どうやってこの部屋に入った!」

「何ほざいてやがる! ボクは123歳だぞ!」

「あぁ? 妙に語呂が良いなぁ?!」

「お前より年上だ、お前より偉い!」

「嘘付け嘘を吐くのが下手なんだよ!」

「敬え、年上敬えー!」

「あぁ?! やる気かこの野郎!」

「ボクに勝てる奴なんて、この世に2人しかいねぇよ! そしてそれはお前はじゃねぇ! 馬ぁー鹿!」

「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ、マヌケ!」

「フーッ!」

「ガー!」

「やれやれ喧しいよ、汝達。朝っぱらの方だし、隣の、お部屋の方に迷惑に、なるから、とりあえず静かに諍いなさい」

 と。

 もう途中で子供同士の喧嘩のようになり始めた頃、朝だからなのか、矢庭に、いつもよりかなりゆったりとした彼女の声が流れた。その瞬間、彼らの口は止まる。

「シルク!」

 と、その瞬間に、少年は金架に宙吊り状態にされながらもその浮いている宙で一回転、さながら逆上がりをするように一回転し、そのままの勢いで金架の顔面に黒のスパイクシューズで華麗に蹴りを入れた。読めなかった突然の出来事に金架の理解はすぐには及ばず、咄嗟に右手を放した。そして少年は床に着地すると、シルクの元へ駆け寄った。金架は唸るでも怒鳴るでもなく、ただ蹲っているだけだった。よほど痛かったのだろう、なんたってスパイク以前に靴。

「お、おはよう。げ、元気か? てょ、ち、調子はどうだ?」

 噛み噛みの噛みっ噛みの少年。

 どうも多重人格の恐れがあるぞこいつ……。

 金架はそう感じ取った。そしてそれに対しての答えを、シルクはいつも通りの笑顔で言った。

「お早う、調子かね? 身共は低血圧だからね、最も低いよ、あぁ、金架もお早う」

「…………」

「ん、返事がないね、汝はただの金架かね。あぁ……この金架、どこに廃棄すれば、良いものかねぇ。困った困った」

「…………」

「その辺のカラスかアリが、片付けてくれるだろうか」

「……鬼……」

「何をほざいているのだね。鬼は汝だろう、身共は人間だ」

「そっちじゃねっすよ。危うく卒倒するところだったっすよ……」

「ざまーみろっ」

「様を見ろ」

「なんで2人して言うんすか?!」

「はは、でもまあ冗談はさておき、汝よ、しっかり金架に謝意を表しなさい。悪気あっての身体を傷つけるという行為は、身共は、悪いことだと思うんだ、悪いことをした時に何て言えばいいか、賢い汝には解るだろう?」

 その少年の肩に手を置き、優しく静かに言う。まるで、母親が子供に、親が子供に言い聞かせるかのように。だが対する少年の方は、やんちゃ盛りの時期のようにすぐには素直にならず、なかなか謝ろうとする気配がない。そして。

「い、いくらシルクが言ったって、ボクはこんな木偶の坊に言う言葉なんて、ましてや謝るなんて……天地が引っ繰り返っても一切もうない!」 

 突然一目散に部屋の入り口の方へ走り出していく少年。が、一瞬ピタッと止まり金架の方へ目を向け、

「馬鹿阿呆餓鬼」

 と、一言ドライに捨て台詞を吐いてドアから出て行ってしまった。

 その時、首からチラ付く首輪に付いている鈴が、シャラシャラと音を立てる。

 鈴の音と共に走っていった少年を呆然と見送った後、金架はシルクに問いかけた。

「あのー……あの少年って、誰っすか?」

「そうそれは丁度二千年前の昔の戦役の第一次世界大戦とかその辺りのこと身共はまだ十にしか満たぬ小さな子供だった時出会ったあの子は」

「今21世紀っすよ」

 今度は一度も言葉を切らず、だがゆったりとわざと輝かしく語るシルク。金架はそう言いながらバスルームへ向かい、掛けてあった白いタオルで顔の汚れを拭った。

 本当に何だったんだあいつは……。

 久しぶりにあんなに叫んだ気がする。

 バスルームから戻ってきた金架に、シルクは視線を向けた。

「……あの子は、稀生(きき)だよ」

「キキ? 稀生って、あの、もしかするとあの黒子猫?」

「いえぁー、正解」

「123歳?」

「まさか、言っただろう、子供だから、0歳だって」

「なんか人間なんすけど」

「そりゃそうだよ、稀生だもの」

「姉さん絶っ対ぇー寝惚けてる……あー、それーにしても」

 視線をシルクから奥の窓へ移す金架。

「なんか超南国っすよねー、外とかめっちゃ良い気候じゃないんすか?」

 その稀生のことで少々苛ついている心を抑え、気晴らしとでも言うように、数本のヤシが生えているのが見えるその透明で大きなガラス窓の取っ手に手を掛け、金架はノリノリで勢いよくそのバルコニーへ続くドアを開け放った。すると、部屋の涼しさと外の温暖と言うより熱帯な湿度高温過ぎるその蒸し暑さが相俟って、

「暑うっっ!」

 金架は一瞬で窓を閉めた。

「んなここ暑っ! や、ここ日本じゃねぇ、沖縄でもねえ、マジで外国?! な、なんすか此処どこっすか?!」

「Singapore」

「?」

 かなり巧妙な英音が聴こえた。身体をシーツで包んだシルクからだった。……ミノムシのようだった。

「まあまあ、聞いて驚いて、見て笑いなさい。いやあ、とりあえず、汝の在宅がある日本にでも、行けたら良かったんだけどもね、うっかりうっかり、熱帯の島国、シンガポール共和国、通称シンガポールに飛んでしまったよ」


「し……?」


 暫くしてからの金架の反応だった。

「うん。汝から見たら外国だね。でも大丈夫、汝が住んでいた、そして身共の住んでいた世界だよ」

 …………。

 ……俺の? 住んでいた……生きていた?

 頬をつねってみた。痛い。

 夢じゃ、ない。

 ……帰って、来れた……!

 あの空間にいたのはほんの少しだけの時間だったのに、17年間暮らしていた日本でもないのに、何故だかとても懐かしく感じた。

 そしたら。

「あ……れ」

 目頭が熱くなった。

 なんで、だろう。

「本当に済まないね。でも、シンガポールは飛行機でなら、7時間位のフライトで、日本に行けるはずだからね……ん、どうかしたのかね」

「な、なんでもないっす! 続けてください」

 持っていたタオルで顔を覆っている金架を不思議に思ったシルクだが、立ち上がり、こちらへ歩きながら、そのまま言葉を続ける。

「汝には悪いのだけれど、諸々の準備が、必要な為、とりあえずはもう1週間程滞在して、その後は飛行機で、日本に行くつもりだよ」

「……ってか、飛行機? あれ、魔法とか使わないんすか……」

「なんでやねん」

 ようやくタオルから顔を離した金架。その目が赤いのは、瞳が紅いからではなく。

「まあ、先ず助けてくれた、ささやかなお礼だと思ってくれたまえ。外国旅行、初じゃないのかね」

「おぉ……はい! 外国は行ったこと無かったっす! 遠出って面倒で」

「だね、それには賛同するよ。大丈夫、偽造パスポートと、偽造出入国カードに、抜かりはないよ」

「……それ、魔法っすか? もしそうだとしたら、かなりしょーもないことで使ってるっすよ……」

「まあまあまあまあ。細かいことを気にする男は、嫌われるよ」

 少しの笑みを浮かべてそう言う金架に、シルクは間一髪入れずに言葉を返した。

 彼は本当に、嬉しそうだった。

「んんー……じ、じゃあ観光観光! 海行きやっしょう!」

「無駄に丁重に断ろう」

「え、なんで?!」

「私は泳げないのだよ」

「……マジ?」

「私を殺したかったら海へ、連れて行くと良いよ……あ」

「物騒っすよ……」

 と、彼がシルクの方を向いた時、驚愕のあまり金架は目を見開いた。

 先程シルクが嘆詞を上げたのは、彼女は歩いている途中、まるで自身を守るように包み込んでいた長いシーツに足を取られて躓いたらしい。世界最高の魔法使いというわりには、結構色々ズレているしボケボケだ。

 重要なのはそのあとである。

 彼女は起き上がる為に自分の手で床をついて顔を上げた。当然シーツは床に落ちたままである。自身を包んでいたシーツの下にはまた白い服……と思ったのも束の間、白い服ではなく白い肌だった。

 クルシマ・シルクは何も纏っていなかった。

 すっぱだかだった。

「って、なんで服着てねえんすかああああ!」

「ん? ……おー……さぁ?」

 マジ顔だった。マジらしい。

「アンタ何でも知っている世界最高の魔法使いでしょうがぁ!」

「無知な方が、幸せなこともあるもんだよ。真実、ばかり、追い求めて彷徨うより、愚かでいたいもんさ」

「なんっでそう飄々と喋れてんすか!」

「汝はよく叫ぶねえ。それにしても、何故身共は、服を着ていないのだろう……ん、もしや、汝が身共を全裸に剥いたのかね」

「んなわけあっかー!」

 顔を真っ赤にしながら、金架はダダダダとクローゼットの方へ突っ走り、勢いよく開け、中にあった真っ白いバスローブを持つと、わざとらしい笑みを浮かべるシルクの元へ乱暴に投げた。

「それ着ててください! ったく、ビックリっすよ全く!」

「汝よ」

「なんっすか!」

「これは、大きすぎる。開かる率が、上昇するぞ」

「知らねーっすよ!」

 単調な口調。だが、かなり悪戯好きに面白がっているように聞こえる。

 そんでもって、いちいち可愛い。

「じゃあ、服を、調達してきてくれたまえ」

 そのほんとに大きいらしいバスローブを着込んだあとシルクは言った。

「…………」

「この宿泊施設から、出るために、身共は、バスローブを拝借するわけには、いかないだろう? 身共を助けておくれ。汝は身共の為に、生きているんだ。人は弱さ故に、誰かの為に生きて、いるんだよ、頼む」

「……あー」

「まあ、そんなつもりなって、綺麗事を並べているようだけど、綺麗な方が良いと思わないかね。その方が、人は欲しがると思うよ」

「はあ」

「ついでに、稀生も、とっ捕まえてきておくれよ、腹が減っては戦は出来ぬらしいし」

「え、あの黒子猫食用……?」

「非常食だよ」

「え!」

「冗談だよ」

「…………」

「稀生は初めての場所では、迷いやすい子なんだ。それに、あの空間から、出たばかりだしね」

「…………じゃあ、行ってくることにします」

 感嘆の言葉も出ない金架に、シルクは言った。

「金架金架、身共はね、空間(あそこ)には、百年位いた気がするんだよ」

「冗談に聞こえません」

 また黄昏れるシルクにそう言って、金架はベッドから立ち上がった。そしてバスルームへ向かう彼を目で追いながら、シルクはそのまま語り出す様に口を切る。

「そうそう、たまに、あの世界には月が通ったよ」

「月……? それは一体どうゆう……」

 蛇口から水が勢いよく出る音がした。彼が洗顔をしている。

「よく解らないけれど、あの真っ白い空間(せかい)に、時々、灰色の三日月がぽかん、と浮き上がることがあって、夜空を通過するように、現れて、消えていくんだ。身共はそれを、夜が来た、と思うようになった、と言うか、自己暗示のようなものをした」

「…………」

「その月が次に現れたら、きっと外に出られると、そんな幻想を抱いて、月がくる度に、あと一夜で? もう一夜? と、祈るように月を眺めていた。月が沈んで、きっと、太陽が現れて、それまでに、夜明けまでに、生まれ変わりたいなぁ……って、何度も、何度も」

 先程までというか、呑気で可笑しな事しか言わなかった彼女は、どこへ行ったのだろうか。

 今では、何かに思いを馳せているかのように、うっとりとした表情で、幻想的で神秘的な世界を漂っているようだった。

 何か、とは、やはり、あの真っ白い空間のことなのだろう……彼女を縛った、彼女を愛した、あの世界、漂う空間。

「めぐり来る明日を迎え撃てれば、私の心は満ち足りる……いいかい、金架。良い薬があるからといって、毒を飲んではいけない。明日があるからといって、今日をいい加減に生きてはいけないのだよ」

「う……は、はい」

 突然の悟りにドキリとはしたものの、しっかりと返事を返した金架は、少し髪を整えた後、黒のチョーカーを付けて、エナメルのロングブーツを履き、シルクを少し気にしながらも、本格的に出かける準備を始める。そして、気分的に外したいアクセサリ達を外していると、

「ところで汝も若いねぇ。そのギンギラギンは、付けてて、傷みとか、感じないのかね」

「ギンギラギンて……え、えー、慣れたっすよ」

「おやそうかね。慣れは怖いよ、愛にも慣れちゃいけないよ、あっはっは。それにしても汝、そんな稀生のような、全身真っ黒な装いでは、この炎天下の中、結構苦しいと思うんだがね」

「これしかないでしょうが」

「吸血鬼なのに、大丈夫かね」

「知ってるっしょう、十字架とか大蒜とか、そういうのは大抵映画とかの影響で世界中に広まっているだけで、俺らが怖いのは……怖いのは銀の弾丸とか位っすよ」

「じゃそのギンギラギンは耐性づけかね」

「え? いやー、趣味っすけど」

「……まあ、汝は本当に、うん、吸血鬼らしくない吸血鬼だね、汝、どこぞの子爵かね」

「なんでそうなるんすか……」

 一通り支度が終わった後、財布を持って入り口のドアに向かおうとした彼に、

「朝食バイキングが、終わるまでの時間に、帰ってきておくれよ。朝食時に、観光とか魔王についてとか、話してあげよう。問題事は程々にね、行ってきなさい」

 そう言って柔らかな笑みで手を振るシルク。

「い、行ってくるっす!」

 しどろもどろに彼女に言い、バタン、とドアを閉めた後、カチャ、と幽かにロックのかかる音がした。自動ロックだった。

 …………。

『行ってきなさい』

 行ってらっしゃい。

 なんか……久しぶりに言われた気がするなぁ。

 明るい廊下を歩きながら、1人考え事を始める金架。

 不意に右手の甲を見る。

 何の変哲もない、だが稀生により流血していたはずのその場所。

 今回は、治るの早かったな……。

 いつもはどんな損傷でも最低でも半日はかかっていた、怪我の治り。短時間による自己再生機能と自己防御機能のフル活動、マクロファージの大量発生……のような。

 人間の自然治癒能力ではなく、人間をはるかに凌ぐ吸血鬼の治癒能力、高度な再生能力。

 健康優良児なのは確かに素晴らしいんだけれどな。

 生まれてこのかた風邪も麻疹にさえもかかったことのない彼は、次の心配をする。

 そっか、家に連絡しなきゃな……戌亥、に。……ちゃんと、家帰ってるよな……。多分この時間は起きてねーだろーし、ぶっちゃけあの空間に入った次の日だから、今日は、平日か。だからセカイは学校だし……てか俺完璧学校サボりだわ……学校にも連絡しねえとなぁ。1週間だから、インフルエンザにかかった、とか? シルクのことだから、偽の診断書とか用意出来そうじゃね? ……。ロビーとかで電話借りねーとな、携帯家だし。飯食ったあとで良いかな……。

 …………。

 ……あれ、シンガポールって事は日本円通じんのじゃね? あ、換金? えっと、シンガポールドルにしてもらえば……って、そういやあ俺、英語喋れねーぞ!

 1番の問題だ!

 うっわぁ誰か知ってる人いねえかな……! ……いねえよなんたって外国だよ。

 シルクはあんなんだし……今から部屋に戻るとか、やべえ。

 誰か、誰か!

 そう、長い長い廊下で右往左往四苦八苦しているところだった。

「あれ?」

 無調子な、知っている声がした。

 無表情な、知っている人がいた。

「……カナちゃん?」

 昔、屈託のない微笑みをくれていた、あの可愛いかった頃からがらりと色々変わってしまった、小さな彼女。

 相変わらずクールでドライな表情を浮かべている、現在日本にいるはずの家族が、そこにいた。


 神藤(しんどう)セカイだった。



 

 ご一読、ありがとうございました。

 何か今回は無理矢理な感じがします。稀生は、シルクは、戌亥は、そういう奴らです。


 さてさて、この曲は本当に大好きな曲の1つです。

 ゆりっぺの優しい歌声、素晴らしい音色、大絶賛っ。

 七さんの作詞は凄いなぁ……と改めて感嘆出来ます。

 大好きだ、GARNET CROW!



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