023 空に花火
大切が増えていけば
足跡が増えていけば
短し生命は想いを馳せる
もっとカナタの空の様に、
広く、遠く、何も無い空の様に
私は生きたかった
真っ白な城の門前。
2人の門番。
黒毛混じりの白い髪に見たこともない紅い刻印が留められた黒い帽子、金色のツリ目、赤のネクタイはきっちり締められ、リーファージャケットからブーツまで真っ黒という、どう見ても看守らしい2人の青年。
大変よく似ていた。が、片方は何がそんなに嬉しいのかと思えるくらいニコニコしていて、もう片方は初対面でいきなり舌打ちをするほど不機嫌らしく、気怠げで無表情だった。
「取っ付き難っ」
宝石師アンジェリーク・フォン・ブラウン=カルゼン=ブラッカーが第一声を放った。この真っ白な背景に、頭のリボンから足元の靴まですべて黒に統一された彼女は遺憾なく映える。王様の冷や汗が一層、湯水の如く湧いた瞬間、最早仲立ち係と言わんばかりの笑顔と明るい口調で、右手を高く上げながらシスター・アマハが一歩手前に出て、
「こ~んに~ちは~! 私めはシスターをしておりますアマハと申す者にございます~」
挨拶をした。そして猫を手で示し、
「こちらの可愛い猫耳さんは、猫ちゃん」
「にゃあだにゃん! にゃあはちょっと訛っているにゃん! よろろろにゃん!」
次にアンジェリークを示して、
「お隣のお人形さんみたいな可愛いこの子は、リノちゃん」
「ん」
最後に王様を手で示した。
「そして、この可愛らしい子羊の様な崇高かつキリリとしたこの御方は、な、なんと!」
「阿呆か!」
「ひゃんっ……殴られちゃいました」
「全くもって説明できていないではないか!」
「えぇえ~?」
いつものように、困ったように笑った。それらを見て、元から笑顔だった片方の彼の顔はさらに砕けたように花が咲いた。
「あはは、あっはっは! 面白い集団が来たね、兄貴っ。……ったく、そろそろ機嫌直そうよー。えーっと、こほん。皆様は、旅人の方々でございますね。改めて、水の都へ、ようこそおいでくださいました、歓迎致します!」
「ふむ」
もう一人の酷似の門番に話しかけてから、あたかも営業というように文字を並べ立てるカミュの言葉を聞いて、アンジェリークがニヤリと笑った。
「切り替わりがはっきりしていてそれが逆に潔くて良いわー。最近の若いもんにも、こんな奴はいるんだなあ、驚きだぜ」
「宝石師、何故こちらを見る」
「なんだよー、解っている癖によー」
「切り替わりって何にゃ?」
「猫君にはまだ早い話だよ」
そのままの表情で門番の青年の方へ身体を翻した。黒いリボンが揺れる。
「おいおい、カミュの兄ちゃん、ちょっと聞きたいことがあんだけどよ」
「…………」
「ん?」
「……」
「あの、その、カミュ殿。聞きたいことがあるんだが」
王様が呼びかけても、聞こえているはずなのにカミュは反応しない。
「…………」
「……? あの、カミュど」
「あぁ!」
突然彼は目を見開き驚いて、
「そうだった!」
こう言った。
「サガンじゃない、俺、今、カミュだったー!」
今度は王様たちが目を見開く番だった。
「やっぱり名前を使うと大変だなあ……へへ、失礼いたしました」
名前を使うと大変なのではなく、名前を定めていないから大変なのでは?
「やっぱり取っ付き難え」
「ああ……」
名前を隠している私が思うのもなんだが、名前がなくても生きていける者とか、それをいいと思っている者とか受け入れている者とか、名前を定めなくても生きている者とか、皆一様とは言い難いが、何故そう、軽々しいのだろう。
名とは、大切なものではないのか?
名とは……命の様に尊いものではないのか?
この門番の青年たちは――まるで双子のようだから、確かに表情以外に見分けがつかないから、2人の内のどちらかの名前、もしくはどんな風に呼ばれても、特に構わないということだろうか。
名前は、ただの、便利な記号であると……?
頭を抱えていたカミュは、持ち直したのか、ずれてしまった看守帽を被り直し、そして何事もなかったかのように頬笑んだ。
「はいはいはーい、私に解る事でしたら、なんなりとどうぞ、若き王様!」
人懐っこい笑顔だった。しかし王様は一瞬たじろいで、気づく。その言葉から、その笑顔の裏側が、見えた気がしたから。
なぜなら。
何故なら。
「――何故、私が、王、などと……」
一言も言ってはいないのに。
そんな素振りも見せていないのに。
そんな大器ではないのに。
隠していた、つもりなのに。
「や、間違いでしたら申し訳ありません! 我が国の女王からこれからいらっしゃるであろう王様の特徴を言付かっておりましてですねー。小さくて、大層なお召し物をされていてキリッとはしているけれどどこか大人びている子どものようで、潤んだ瞳が可愛らしく、言葉遣いは重々しいがたどたどしい、あと黒髪で黒目、かっちりそっくり合ってしまったものですから、つい素直に!」
全ての言葉は王様に刺さり、苦痛の笑みを浮かべる彼を前にしても、カミュはまったく慌てずに王と呼んだ訳を話し、笑顔で彼らの反応を待った。
「あ、そうそう、そうでした。王様、此度のお国でのこと、ご冥福をお祈り致します!」
とってもあっけらかんと言われた。返す言葉も浮かばず、3人は次の瞬間、少し離れて小さな円を作った。それはそれは、早かった。
「え? なに? 王様ここ来たことあんの?」
「あるわけないだろう」
「王様、有名人なのでは~?」
「有名人? なわけねーじゃん、初代の方が目立ってたくらいだからなあ。それともあれか、この世界の支配者効果ってやつか」
「ええ~、なんですかそれ~、うふふっ」
「こ、この王冠があるだけで、大儀な決めつけはよくない。そんな推測から、突拍子もない仮説を気安く立てるな、宝石師よ」
「つうか女王超口悪ぃな。君のコンプレックスを全て挙げてやがる」
「お前が言うなお前が」
「でも~、この前もお話致しました通り、この世界は、この初代様の世界は滅んではおりませんから~、真っ先に思い付くこの世界の次期支配者は、御子息であり魔法使いの証である小さな王冠を持っている貴方様しか~」
「しかしやはり、それでも確信は持てないだろう。何故もっと支配者をわかりやすくしないのだ」
「普通しませんよ~」
「まあ、あの国の現在を知っているってことは、この都の女王、マジで只者じゃなさそうだぜ」
その間、猫は待ちぼうけだった。ひんやりとした、真っ白な石畳の上に座り込んで毛繕いをしている。そんな彼女に、カミュは笑顔で近づくと、その隣にしゃがみ込んだ。
「どうも、貴女様が、猫さん、ですか。へえ、初めて拝見致しました」
「にゃあ? そうだにゃん、にゃあが猫だにゃん」
「お聞き致しました通り、お美しい毛並みですねえ」
「ほーん! にゃあの毛並の良さが分かるにゃんて、お兄さんびびっとしているにゃん」
「変わらないんですねえ」
「変わらにゃい?」
ちなみにカミュが猫に近づいた瞬間、勿論王様の視線はそちらに動いた。何を話しているのだろうか、気になって気になって、しょうがない。
「…………」
そしてアンジェリークはそれに気づき、何か一言言ってやろーかなーと考えていると、
「……あの~、女王様は、王様にお会いになったことがあるのですか~?」
アマハがゆったりとカミュに質問した。
「あ」
と、アンジェリークが言った。
「あぁ?!」
と、王様も驚きの声を上げたが、
「まあまあ、門番さんくらいにはご正体がバレてしまっても、いいではありませんか~。王様は、女王様に用事がございますでしょう? ならば早く、入都の許可を受けて、連れて行って貰おうじゃありませんか~」
アマハの口から発されたのは最もな意見だった。
「まあ、だよな」
アンジェリークは一瞬で納得した。
「おい王様、18禁シスターにまともなこと言われたぞ」
「だからそのような呼名は止さんか!」
王様は息を吸った、心を落ち着かせるために。
確かに、堂々としていればいいものを、何故私は自らの身分を隠していたのだろうか。
私は、王様。
王様なのだ。
あの国の、小さな王冠を有した、たった1人の。
“あのお方が、王様がやったと申し上げていたであります。小さな王冠を有している、王様を”
カトレア。
復讐を願う人魚の少女。
“滅亡した国、滅亡した街、洪水という共通点と、その理由になり得る人魚という存在の明瞭さ、そして、突如現れた、幻の海”
――――私の国を滅ぼしたのは人魚?
なんの、ために?
“――は、この御仁は我々の仇と見受けられ、危険と判断されました”
“吾人は、人魚の生き残りであります。人魚は捕虜や奴隷として多く乱獲され、けれども吾人は、生き残った、生き残ってしまったのであります”
“あのお方が、王様がやったと申し上げていたであります。小さな王冠を有している、王様を”
人魚。
この世界でいうところの絶滅危惧種。
しかし私は見た。
白い、とても美しい彼女を。
初めてあの湖畔で出会った。
だから、あの少女が言っているのは、推測からして、仮説からして、初代。
だが、あの初代が何をした?
確かにふらっとたまに居なくなっていたが、何かそれが、関係があるのか?
初代――父上様……貴方は、一体……。
「王様、早くなんか言って」
「え? あ、ああ。すまない」
また無意識に考え事をしてしまう。
周りを考えずに考え事をしてしまう。
すべて、自分の中で考え事をしてしまう。
はあ、直したい。
「カミュ殿。その、女王への謁見を申し出たいのだが」
「あーはいはい、いいですよ!」
あっさりだった。
「やったー」
棒読みで宝石師が喜んでいた。
「そんでさー、女王様はこの王様と出会ったことあんの? 見た目を知っているような感じだったけれど」
「いえ、お会いしたことはないはずですよ。女王様が都外に出られることは滅多にございません」
「では何故、私のことを知っているのだ」
「ああはいはい、それですか」
カミュは言った。
「それは、我が都の女王がストーリーテラーだからですよ」
「? すとーりーてららー?」
猫が不思議な顔をして王様の方を見る。猫と目が合う前から、彼は頭の辞典を引いていた。
「それは」
「話を創りし、話を書きし、話を読みし、話を集め、話を継がせし者、それがストーリーテラーです」
王様が答える前にカミュが笑顔で答えた。悪気は全くないようだ。
「そう、そういうことだ」
「へー! 宝石師のおねいちゃんみたいだにゃあ」
「あ?」
「そんな感じじゃにゃかったかにゃ?」
「……ああ」
宝石を採り、宝石を磨き、宝石を削り、宝石を創り、宝石を愛でる者――――宝石師。
「あれは言葉の遣い方の話だが、また今度ゆっくり話してやろう」
「ばんばんざい!」
続けて看守の彼は両手を広げて、明るく元気に言った。
「全世界のすべてが女王のストーリー。本の一冊一冊が、誰かの記憶。本と記憶から、登場人物の情報を、容易く得られるのでございます!」
「えーなにそれすっげーい意味わからん。ほほう、だから王様を知っていたとー。単純だが、微妙に納得してやるぜ。ご都合主義万歳っ」
「ということは、とうとうこの都の中へ入れて頂けるということですわね~」
「なんでそんな嬉しそうなん?」
「入れて頂くという響きが好きで」
バコン。
殴る音と痛がって嬉しそうな音がする。もう王様は慣れてしまったのか無視を決めていた。
「では頼む」
短く言うと、カミュは、
「うん、よし、わかったよー俺。……では! さっそく行きましょうか。私共が案内致しますね。ほら行くよ兄貴、早くしないと、俺置いてっちゃうぞー」
立てかけてあったスピアを手に取ると、看守室のドアを開けて、中の彼を呼んだ。
え、サガン・ミハイロフも共に行くのか、というか他に案内係はいないのか、門番が門からいなくなってどうするんだと色んな考えを巡らせながら王様は、さらにまた吃驚する。
サガン・ミハイロフ、彼の腰のフォルダーには、黒光りした鞭が携帯されていた。
何故此奴等は都の中、女王の元へ行くというのにわざわざ武器を持っていく?
王様の視線に気付いたのか、カミュが言った。
「ああ、なんで持っていくのかって? 趣味ですよー!」
趣味だった。
どんな趣味だよ、とアンジェリークがツッコんだ。
・
・
・
色んな水の、音がする。
さらさらと流れる小川、高く踊る芸術的な噴水、白い屋根と白い屋根の間を駆け抜ける列車のようにうねり走る水道、井戸の底に一雫が落ちる音、とても身近な、当たり前にある音達。
色んな水が、こだまする。
水は、この都では、自然の一部であり、生活の一部であり、心身の一部であり、発展の一部であり、生命の一部であるようだった。
水の都。
水に囲まれた、真っ白な都。水に沈んだあの国とは、似ても似つかない。
そして、水たまりに浮かぶ城を見つけた。
正しくは、小さな水たまりの水面に映る左右上下反対の城。
顔を上げると、遠くに城が見えた。
真っ白な城。どういう構造か、至る所から滝のように水が流れ落ちている。その水が都全土に広がっているのだろうか、しかし、すべての水は、まるであの城を目指して流れているように感じる。
「水が流れているということが、この世の万物の理を説明するうえで、最も適していることらしいぜ」
歩きながら宝石師が口を切った。
「水は流れるのが当たり前、この世の理、自然、変わらないことで変えられないこと、それが秩序であり法則であり、真実なんだとよ。知り合いのじいさんが言ってた」
尖ったアーチ、フライング・バットレスが幾重にも重なり、何本もの太い柱とこの位置からでも厚いとわかる壁に囲まれた、真っ白な城。
そこを目指して、何とも地味に、彼らは歩いて移動しているわけだが。
真っ白な教会の屋根、煉瓦造りの家々からは水道が連なり、水車も多々見え、公園の噴水はまるで美しい彫刻のように華やかな水飛沫を立て、その澄んだ水はまた流れる。
活気づいたような街に見えるが、ただ1つおかしなことがあった。
「水は穢れを撃ち祓いますからね、よろしければ後で観光していってくださいね!」
カミュが明るく喋り出す。
観光、と言っても。
魚さえ、水の中にはいない。
「カミュ殿」
「はい」
歩きながら、くるりと後ろを振り向く彼に、王様は言う。
「ここには、他の、人が」
「そうですね、私達と女王しかいませんね。だからこんなに、賑やかなのです」
その表現は、水の音が、ということだろうか。
携えるスピアで、彼は噴水の一角を突いた。すると、水が一瞬勢いよく跳ねる。
「家族もですか~?」
らんらんとアマハが尋ねる。
「はい。ここには、もう。……まあ、私達事でございますが、家族ならいますよ。妹が、1人」
「貴女方は双子なのか」
「いえいえ」
カミュ・ミハイロフはこちらを振り返り、ニカッと笑った。
「私共は、三つ子です」
ずっと続くのではないかと思われるほどの大階段を昇り終え、兄弟は立ち止まった。その城の入り口らしい大きな真っ白い扉の前にいた。見上げないと、その全貌はわからないほどの大きな扉だった。
「首が痛くなるな……」
「見上げなきゃいーよ。まあ無理か」
「…………」
「はっはっは」
すると、何かの音が響いた。次の瞬間、その大扉が動いている音だと気づき、ゆっくりと開いていく。
「にゃあにゃあ、女王様って、どんな人にゃん? 王様みたいにゃん?」
「どんな、ですか、そうですねえ……なにもかも超越した正直者、ですかね」
「お兄さん訳わかんにゃいにゃん」
「まあ確かに、前例はあるねー」
宝石師はこちらを見てにやにやしている。
「ひゃひゃひゃ、あれは超ウケた。君のコンプレックスオンパレードだったからねえ」
「今回ばかりは少し黙っていろ宝石師」
かくして大扉は開き、また水の音がこだまする。建物の中だというのに水は限りなく中央に向かって流れていた。2人の門番が同時に歩き出したので、彼らも歩を進め始めた。まっすぐ、長く太い柱が幾本も連なり、ガラス越しに空がうっすらと見える高い天井から降り注ぐ幽かな光を頼りに目の前の階段を目指した。
「ねえねえ王様ぁ~」
アマハが王様の肩をちょんちょん突いた。何か知らないけれどイラついたらしい王様は無言で目線を動かした。
「確かにこの国はとても美しい水の都ですが~、人がいないってことは、人魚、見つかりますかね~?」
「今頃気づいたか」
「てへへ~」
舌をぺろりと出しながら右手で頭をこつんと叩いて困ったように笑う彼女に、溜息を吐きながらまるで塵を見るような目で彼は言う。
「まあ、女王が何か知っているかもしれないと踏んでおくのが妥当だ」
王様は瞳を閉じた。
「なんたってストーリーテラー、私のことを知っていたのなら、私の国のことを知っていたのなら、おそらく何か、知っているはずだ」
広く、高い階段を上がり、踊り場を2つ過ぎた頃、またもや大きな扉が見えてきた。その間中、カミュは観光や女王のことを喋りっ放しで、サガンはやる気なさそうに不機嫌そうに歩いているだけだった。猫は行儀悪く階段の手すりを軽やかに昇って行ったが、特に何も言われない。
王様は、何かがあったら困るのでこれからに猫を連れて行くのは些か不本意であったが、なんの手立てもないまま、独り悶悶としていた。
そして。
また先程よりも大きな、何か荘厳な雰囲気を感じる巨大な扉の前へと辿り着いた。
「さあ皆様、心の準備はよろしいですか? とうとう、ご対面でございますよ!」
なんだか、カミュはわくわくしている。王様は咳払いをすると、全員を見渡した。
みんな、いつも通り。
ただ、私だけが、張り詰めている。
いったい、どうしたのであろうか……。
「…………ほあ?!」
突如、耳がくすぐったかった。また、おかしな声を上げてしまった。頬を赤らめて、少し涙目になって、彼は叫んだ。
「まああああああおおおおおおおおおお!」
幼い、子どものような叫び声。まあ実際、子どものような風貌だが。
「にゃはははは!」
猫はコロコロと笑った。彼女を捕まえようと手を伸ばすが、するりと逃げられてしまう。瞳だけ合わせて、2人は一定の距離で対峙した。
「まったく」
アンジェリークが口を開く。
「君は猫君がいねーとなんもできねーんだからさー」
「……なぜ今そのような話が出てくるのだ!」
やれやれと首を横に振る宝石師。猫はくぁーっと欠伸をした。相も変わらず、どこでもどこまでも暢気である。
「女王様だからってそんな固くならなくていーんだよ」
ポンッと王様の肩を叩き、王様を扉の方へ向かせる。
なんなんだ……この茶番は……はあ、ふう。
ともかく、落ち着きを取り戻したらしい王様が再度咳ばらいをしたとき、2人の門番も扉の方へ向きあった。
聞きたいことはたくさんある。不行儀のないよう、明確に、的確に、要領良く、しっかり前を見て――
――しかし。
しかしいつまで経ってもその大扉は動かない。
「?」
その場にいる全員で疑問符を頭の上に浮かべる。双子がお互いを見合った。そして少し経つと、カミュからは笑顔がこぼれ、サガンからは溜息がこぼれた。
カミュは首を捻って、少ししてこちらへ振り向くと、突如その場に跪いた。
「申し訳ございません。誠に恐縮ですが、女王は本日、ご都合がよろしくないようでございます。大変勝手ながら、謁見の方を明日に延期させて頂きたく存じます」
そして深々と辞儀をした。
「………………」
都合?
「都合とかあんのか、へー」
髪を弄りながら、アンジェリークが呟く。
「………………」
王様は唖然としていたが、アマハの方に視線を向けた。アマハはちょっとびっくりしたのか肩を上下に揺らしたが、手をポンと叩いて微笑んだ。
「まあ~かなりどうしてもすっごい急いでいる旅でもないですし~。女王様のご都合とあらば、致し方ないと思います~」
「そう、だな」
まあ急いでは、いないし。
逆に、ゆっくりで、いい。
真実を知るのは、明日でも、別に――。
「カミュ殿、承知した」
「ありがとうございます!」
やっとカミュの顔が上がったかと思うと、彼はやはり満面の笑みだった。
「いやこちらこそ、突然の訪問を詫び入る」
「そんなこちらこそ、数年来の来訪でしたので、至らない点が多々あり、申し訳ありませんでした」
「ともかく、御苦労であった。多忙の中、悪かった」
「だーからやだったんだよ、ったく」
突然、左側からカミュの声がした。いや、カミュではない。それは、双子の兄の、サガンのものだった。
「今朝仰ってたじゃねーか、女王は今日は誰にもお会いにならねーって。女王のお言葉を忘れるとか阿呆かお前は。いくら女王のストーリーに沿ってるからってどこの馬の骨かもわからねー謎のおちゃらけ集団を勝手にテキトーに入国させやがって、この間抜け共が」
どーん。
そんな感じの文字が彼の背中に見えた。
…………。
誰もが思った。
……もっと早く言えよ!!
まあその、先程からの態度から見てまったく裏切らない中身であることにも驚いたが。
「あっはっは!」
そんな中、やはりカミュは笑っていた。
「兄貴は相変わらずだなー。もう、だから妹が変な喋り方になっちゃうんだからな!」
つんつんと弟は兄の頬を突く。ああ、いらついているなーみたいな顔をしていた。
「さて!」
再度こちらに向き直り、双子の門番は口を開く。
「改めて、謁見を先延ばしにさせて頂いたこと、深くお詫び申し上げます! その代わりと言っては何ですが、今晩は皆様を、当都最上級の宿へご招待させていただきます!」
「やったー。最上級って何事よ」
「なんだかわくわくする響きでございます~」
「お、お? にゃんだかにゃあ達の時代が来た感じかにゃ?」
3人組は、姦しく。
王様はその状況で、とても安心しきっていた。なぜかわからないけれど、鼓動はいつも通りの速さになり、特に異常はなくなった。
「ではカミュ殿、引回し願おう」
「了承いたしましたー! それではともかく城外へ!」
また双子を先頭にして、入り口の大扉まで歩いていく。途中、王様は後ろを振り返る。
遥か大階段の上にある巨大扉。
その向こうにいる存在。
その向こうにある真実。
明日はその真実に、辿り着けるのであろうか……?
外に出ると、涼しい緩やかな風が吹き渡っていた。空はオレンジ色に染まり、夜を知らせようとしていた。噴水を、滝を、水道を、水たまりを、至る水面をきらきらと照らしていた。
「あら~、綺麗な空ですね~」
「そうだな」
すると彼が後ろを振り向く。
「あ。ああ、よろしければ、女王のプライベートビーチにでもご案内いたしましょうか? この時間なら夕日を真正面から、いちばん美しくご覧にいただけます! この都の観光スポットの一つでございます!」
「プライベートビーチなのに観光スポットかよっ」
やはりニヤリ顔でツッコミを入れる彼女である。反対に王様は少し吃驚顔で尋ねた。
「ビーチとは……海でも、あるのか、この都は……」
「何を仰いますやら!」
その反対に彼は上機嫌である。
「海なんてあるわけないじゃないですか~。皆様上空からご覧になったでしょう!」
と、言われたものの。
案内されたそこは明らかに海のような場所だった。
柔らかな砂浜、風、小さな波飛沫と静かな波音、湖に流れ込む川、川に流れ込む水、上空からはこんな場所は見えなかった気がするが……真っ白すぎて、見えなかったのだろうか?
「海みたいでしょう? でも、ただの大きな湖なんですよ。まあ、ただのと申しましても、この都の中核に当たる場所でございますが。それでは、ごゆっくり御見物くださいませ!」
サガンは遠くで腰を下ろしていた。カミュはニコニコとそこに立っている。
「にゃー! たくさん足跡ついて楽しいにゃぁー! いーち、にー、たーくさーん!」
来た道を走り回って、猫は足跡を数えているようだった。風と水でどんどん消えたり増えたりするのが面白いようだった。
雲一つない空の下、湖は、沈む夕に照らされて、どこもかしこもオレンジ色で、元も太陽の色ではないかと思うくらい、元の色を忘れるくらいの美しさで、波を揺らしていた。
「きゃ~冷たい~!」
「さかにゃ、さかにゃ!」
きゃいきゃいと騒がしい。靴を脱いで、彼女たちは水の掛け合いをしていた。
「全く、子どもか」
「同感ー」
アンジェリークはちょこんとしゃがんでそこらに落ちている石を眺めていた。流されて、削られて、そんな石たちを時に手の上で転がしながら、珍しそうに、しかし楽しそうに過ごしていた。
夕陽の光で、砂が真っ赤に輝いている。ゆらゆらと揺らめく赤い水面、赤い空。
まるで。
まるであの戦火の時のようで。
ああ、駄目だ。
すぐに、国のことを思い出してしまう。
カトレアと出会った時もそうだった。湖を見ただけで、水を見ただけで、あの日を思い出してしまう。
普段当たり前に傍にあった水に、こうも、体も心も反応してしまう。
水が流れるは、世界の理、法則。
いけない、考えてはいけない。
もうあそこには何もない。
あの、湖の下に、全て沈んだのだ。
湖の中へ、その忌々しい戦禍を隠して。
忘れさせるように。
なにもかも、なにもかも。
“ううぅ……王子の方がまだマシだ! ……私なんて王妃という重役だぞ、なんだ、王妃って!”
“そんなこといったらひーちゃん、俺なんて王様だよ?”
“黙れ! 張本人の癖にい! ノリノリの癖にい!”
“……でもお父上様は全く仕事しないじゃないですか。誠に困っています”
“くーちゃん酷いな! 俺立派だよ! ちゃんと立派だよ!”
“それだけでは意味がありません”
“だけ?!”
“にゃーんの話をしているにゃー?”
“お、まーちゃん! 聞いてよー、俺のマイスウィート達がああああ!”
――なにもかも、なにもかも。
すべてを、忘れた方が、良いのに――
遊び疲れたのか、いつの間にか王様の隣で猫が寝息を立てていた。背中を丸め、尻尾をふらふらさせながら幸せそうな寝顔で、いい夢でも見ているかのようだった。
彼女の故郷の夢でも見ているのだろうか。
白い花が咲き誇り、『海』の匂いが届く場所。この湖より、広く、大きく、碧い、たくさんの雨で創られた、そんな場所。
そこから猫は私たちについてきた。
国を捨て、国を築きにいく私たちについてきた。
無邪気に、その金色の瞳をきらきらと輝かせて。
何も知らない、無邪気で、凛としていて、亭々たる、子供のような、猫。
何でも知っている、嘘吐きな、弱く、小さく、子供のような、愚かな王様。
私は。
私はそっと彼女の頬に触れた。風に揺られて、空色の髪がまとわりついてくる。くすぐったくて、目を伏せたその時、なぜか、涙が零れてきた。
始まりは忘却の荒野。
終わりは青の桃源郷。
この旅の終着点である予定の空。
終着点――嘘をついたのがバレる場所。
だから大人は子供に嘘をつく。
今までを壊さないために。
今までを続けるために。
いつまで私は、知らない振りをしていればいいのだろう。
愛は未だに、この世界を苦しませる。
どうして、こんなに綺麗な世界なのに。
どうして、こんなに悲しいのか、分からなかった。
楽しいばかりじゃいられない、優しいばかりじゃいられない。
堅実に、謙虚に、不条理を受け止め、理不尽の中を生きて、不都合に従って……。
空を見上げると一つの星が煌めいていた。雲一つないその空に他の星はなく、そして闇は静かに迫りくる。
輝いて見えるけど、誰も傍にいない星。
涙を止めようと、瞳を閉じたその瞬間だった。
その世界が、明るくなった。
「!」
王様が瞳を開けた瞬間、こちらを振り向くアマハとアンジェリークの姿が見えた。アマハは驚いて指で何かを指しており、アンジェリークは珍しく口を少し開けて見上げていた。それは、私を見ているのではなく、私の後ろを見上げていた。私が、後ろを振り向いた瞬間、先程の城が聳えているのが見えて、そして。
そして光、そして破裂音。
それは空を明るく照らし、空に広くその音を響かせ、地上へ降り注いでいた。
一瞬で、心奪われた、そんな気がした。
城の周りで、たくさんの花火が、色とりどりの花を咲かせていた。
なんなんだ、これは、これは、一体。
その光は、すべてを浄化するように。
その音は、すべてを純化するような。
光っては消え、輝いては消え、激しい音を出しては消え、轟いては消え、しかし終えることなく。
“初代王様はぶっちゃけ1人で輝いていた人だったからにゃー。マジウケるにゃ、みんにゃ初代が何かすると、決まってそっちの方を向くんだにゃ。その光と声に惹かれるんだにゃ。あの歌声とかにゃ、マジでやばいにゃ”
空を見上げ、立ち尽くした。
美しいなあ、と。
儚いなあ、と。
また一滴、雫がこぼれた気がする。
と同時に、そこで、何かが砂に落ちた音がした。見ると、スピアのようだ。カミュの携えていたものだ。彼の方を見ると、青い顔をしていた。
「やっべーよ、兄貴ぃ」
頑張って、笑みを作ったようだった。サガンが立ち上がり、頷いて、間抜け、と言った。
「まじやっべ! あれ早く来いって御命令じゃんか! ほら兄貴、兄貴!」
叫びながら、彼らは、こちらのことはお構いなしという感じで、全速力でビーチを出て行った。
「わー強さ増してきたー!」
走っていく彼らの後ろ姿を見ながら、なおも続く花火。確かに数が増えてきた気がする。カミュの言葉から恐らく、これは女王の呼び出しの合図なのだろうか。なんとも滑稽である。2人は駆けて行った場所はきっと城で、まさか、あやつらが辿り着くまで連続するのか、この花火……?
「ま、でも」
花火は水面に多々に映り、美しく咲いては美しく消え、しかしなかなか途絶えない。
「これはこれで」
宝石師は目を閉じて、その音を聴いているようだった。花火の爆裂音はとてもリズミカルに、まるで歌っているようだった。
「今日は会わないとか、早く来いとか、気紛れな女王だな。猫君の方がマシだわー」
過去は輝かしく、未来は暗闇で見えない。
そう思っていた。
「にゃー?! 何の音にゃ、びっくりしたにゃ! 敵かにゃ!」
猫がやっと起きた。
いつもなら少しの音だけで目をぱっちりと覚ます彼女だが、いい夢でも見ていたのだろうか、まだ微睡んでいるかのようにゆっくりと立ち上がると、
「お? お?」
彼女も、見つけたらしい。
「あ、あれは! えーっと、そう! あれだにゃ! は、花火かにゃ!? うおー! にゃっつー!」
君も今みつけたね、空に花火。
同じものをみつけたね。
同じものをみつめられる日々を重ねて、その場所へ行きたいよ。
どこに辿り着くかわからない、そんな波のような日々を重ねて、その場所へ、帰りたいよ。
「んー、よーわからんけど、あのままずっと咲いてたら、ずっと輝けるのににゃー。花火は星を目指せばいいにゃ。そしたらずっと輝けるにゃよ! にゃ、にゃ? そう思うにゃろ? 王様ー!」
ノリノリ、という感じで、猫が肩に手を置いて、頭に顔を乗せ、懐いてくる。ニヤニヤしながら、案宝石師がシスターを引き摺って西の方へ向かっているのが見えた。あとはお若いお二人でー、と口が動いているのがすぐわかった。
しかしその時は、彼の心はまるで無心だった。
ただ、その花火だけが、心を支配しているようだった。
星になりたいと願う花火が目指した北の夜空。何もない空だからこそ、あんなにも他のモノと輝ける。
切ないばかりではなく、哀しいだけなんてことない、もっと 彼方の空のように、今もまだ忘れられぬ夢をみてしまう夜空。
「あーかー、しーろー、きーいーろー!」
心地よい風が吹き始めても、花火は終わらない。
このまま。
ずっとこのままでいられたら、どんなにいいだろうか。
人は、ただ振り返らずに生きてゆけないものなのかな。
空が明るくて、先程の一番星を見失ってしまったけれど、誰からも愛される、けれども誰も知らない星を、目を凝らして探す。
「猫」
「にゃー?」
「お父上様に、逢いたいな」
「そうだにゃー」
「お会いして、話をしたい」
「にゃあも!」
でも、もう会えないんだよ。
そう言おうとして、言えなかった。
もう一度言おうとした、しかし、言葉にならなかった。
「王様?」
私の口は、真実を告げることを許さなかった。
どうしても、どうしても。
ああ、言えることが出来たらどんなに良かっただろうか。
ああ、忘れることが出来たらどんなに良かっただろうか。
「なんでもない」
そうやって、また嘘を吐いた。
日々を重ねれば重ねるほど、嘘も重なっていく。
大切が増えていけば
足跡が増えていけば
短し生命は想いを馳せる
もっとカナタの空の様に、
広く、遠く、何も無い空の様に
しかし噓吐きは、生きてはいけなかった。
それが世界の、理で、法則で、あるべき姿だった。
眩しい。
私には、あの光は眩しすぎる。
そして王様は、ゆっくりと、目を閉じて――――
王様の黙考タイム最多記録。
読了ありがとうございます。
王様回は他の回より地の文が多いのでお疲れになったと思います。
これからもがんばってください
ガネクロの曲は基本原曲が好きなのですが、
空に花火はオーケストラバージョンが好きです。
サビラストは壮大で、涙が出るほどで、なぜか人生の儚さを割とマジで考えながら聴きます。
歌詞が前向き過ぎてもうどうしようかと思うくらい鬱が晴れる歌です。
人生喜怒哀楽すべてが当たり前、みたいで本当に良い歌だと思います。
1年前のこの時期に、ラストライブがありました。
今でもその記憶は大いに蘇ります。
またライブ、行きたいなあ。
関係ないですけれど最近は、
Holy groundのライヴの映像を見ていてブワッときました。
やはりいつまでも、本当に好きなものは離れませんね
それでは、案外まだ寒いのでお気御つけて
失礼いたします