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022 Elysium


 そうね

 明けない夜がないなら

 闇は優しいものね


 そうね

 ずっと消えない光はなくて

 いつかは痛みに変わるもの


 ところで、貴方は変わりたいんですか、このままが良いんですか

 どちらも、選べませんよ






 ***


 むかしむかし、とてもとても綺麗な女王様が、大きくてまっ白なお城に住んでいました。

 雪のように白い肌、輝く紅い瞳、澄んだ淡色の髪、優しい柔らかな頬笑みをいつも絶やさない女王様でしたが、ただ1つ、彼女は、大の嘘吐きだったのです。

 鈴の鳴ったような美しい声で、息を吸うように、純粋に嘘を吐く女王様。人々は、彼女から離れてゆく際、敬意と畏怖を込めて、

 “嘘つきサンドリオン”と、彼女を呼んでいったのでした。

 今でも、女王様は、嘘つきサンドリオンとして、広くまっ白なお城でひとりぼっち、王子様を待ち続けているのです。


 ***


「はい、ということでこちらがそのお城です! 綺麗だね、美しいね! これってあれだよね、聖地巡礼ってやつだよね! うわあ、初めてだよ聖地巡りなんて! 本当に真っ白だね、線路の途中で出会った旅人さんに聞いた伝承伝話、つまりは噂話だったのだけれど、まったく確信なんて無かったのだけれどあったねーお城っていうか国! いっぱいたくさんあれこれと、すっごい穿鑿しようね! なんかもう美しすぎて、このお城が造られた時の思潮が知りたいよ! このパソコン、カメラ機能とか付いてないのかなあ、記憶だけじゃなくて記録にも残したいんだけど! ほら、タカラ言ってたじゃん、忘れたんじゃなくて思い出せないだけって。ナナコは記憶喪失の上になんかあんまり思い出せないみたいだから、記録というヒントを得てしっかりとこの記憶を思い出せるようにしたいんだよ!」

「…………」

「………………」

「そうですか」

「そうですよ!」

 疲れているので口数が少ない宝。いつものように、へらっとした表情だ。

「聖地巡礼に成功して、必ず帰還しようね!」

 魚々子は敬礼するように、ピシッと右手を掲げる。

「そうだね」

 魚々子に返答し、宝はふと空を見上げる。

 高くて、やけに遠いと感じた。

 朝、あの駅から出発するために、改札を抜けたあとに見上げた空と同じ感じがした。

 空へ向かう鳥は、1羽もいない。思えば、空には何も無いのだから、空に向かうとは、可笑しな言葉だと思う。

 冷たい風が吹いた。

 そう、辺りは、一面の銀世界だった。

 そこは一つの国だった。

 降り積もる雪が、教会の屋根を真っ白に染め、煉瓦造りの家々からは暖炉からの煙が煙突からモクモクと上がり、公園の噴水はまるで美しい彫刻のように凍っており、そんな中でも市場は栄えていて、所狭しと様々な物が整然と並べられ、華やかな印象を引き立てていた。

 活気づいたような街に見えるが、ただ1つおかしなことがあった。

 人がいなかった。

 人が住んでいるような風景なのに、人気は全くなかった。

 それは普段は違和感として捉えられるものだが……特に嫌な感じはしなかった。

 それがおかしなことだった。

 魚々子も最初は何故だろうと、疑問と驚きをたくさん飛ばしていたがついに慣れたようで、いまではオモチャ売り場を過ぎて大きな本屋の店先をじっくりと見ている。

「それにしてもこの街、栄えているようだけれど、異様に本屋が多いと思わない? あと図書館。ほら、さっきも入り口で2つと、こことそこにもあるしね」

「なんか、出版系が盛んだったらしいよ、この街」

「へえ、てことは、大きな図書館あるかな? 見に行ってみたいなあ! 本を読むことで、いろいろな知識を取り入れることは、本当に楽しいものだよ、はあ、行ってみたい! 朝からよく歩いたから実の所かなり疲れているけれど、楽しい気分になると、やはり疲れは吹っ飛ぶものだね!」

 そう、朝から、あの駅から、遙々と言っていいほどに線路を伝って、彼等は歩いてきた。

 宝は彼女を見つめた。

 魚々子は一度も、足が痛いとは言わなかった。常に笑顔だった。飛び跳ねていた、駆けていた。

 人魚だから、歩くのには慣れていない筈なのに。

 痛い、筈なのに。

 空元気だなあと、それを知りながら、僕は歩き続けた。

 彼女が僕の後をついてくると知りながら。

 知っていたのに、知らない振りをしているように。空々しく、白々しく。

 僕は、どうして彼女が苦しむ選択をするのだろう。ならば、どうして僕は彼女を助けたのだったっけ。

 変わらず風は冷たいが、既にその予兆があったからか、温かな毛皮のフード、マフラーや手袋もあり、彼等は万全の対策で道を歩めた。

 そして線路を伝って辿り着いたのがこの街であり、この城である。

 大きな街。しかし人は誰もいない。

 そんな雪の積もる音が響き渡るような静寂の中、宝と魚々子は、その城の入り口らしい大きな真っ白い扉の前にいた。見上げないと、その全貌はわからないほどの大きな扉。

「巨大だねえ、首が痛いよう。いるかな、いるかな? 女王様」

「人の気配は全く、無いからねえ」

「中には入れないかなあー?」

 魚々子は瞳をきらきらと輝かせながら、同時にわたわたしていた。

 人魚姫の童話を見せてから、童話というものに駄々ハマリである。暖かい毛皮を頬にあて、それはそれは嬉しそうにはしゃいでいた。宝は、困ったように笑った。

「あのね、ナナコ。僕たちの目的は、今日の宿なんだ。雪が降るという珍しい現象がある街で、かつ美しいから、観光の名所として宿は多いと思ったんだけれど何でか見つからないその宿を」

「タカラぁ……」

 彼女を現実に引き戻そうと彼女の頭を軽く指先で突くと、突然弱々しい声で名前を呼ばれた。

「ノッカーに届かないよう……」

「…………」

 ここまで話を聞かない彼女ではないのだが。

 宝は無言で、魚々子を抱き上げた。

「わーい! 届くよー!」

「お伽噺だよ? きっと、もういないって。この街には、誰一人」

「えへへー、でもノックしてみよっと、こんこーん!」

 と、魚々子が元気よくその扉のノッカーで扉を叩くと。

「……!」

 足音が。

 扉の向こうから足音のような音が聞こえた。魚々子は驚いたような瞳でこちらを見上げた。

「た、タカラ?! え、あれ?」

「…………」

 ゆっくりと魚々子を地上に降ろす。足音が途絶えた、あちら側の、扉の前で。

 静寂。

 宝はその一瞬で固唾を飲んだ。

 すると。

 ゆっくりと。

 音を立てて、扉がゆっくりと動いた。そして開かれたその向こうに、一人の女性が立っていた。

 一瞬、服装から女中に見えた。

 雪国だからだろうか、あまり日が当たらないからだろうか。

 足下まで伸びたフリル付きの黒いワンピースに真っ白なエプロン、余すことなく肌を覆ったその女中服から垣間見える雪のように白い肌、前髪から窺うに、澄んだ淡色の髪はすべてキャップ式のホワイトブリムにまとめられ、その無表情な紅い瞳は、どこか遠くの雪原を見ているかのように美しい。

 だが、その視線は、とても、とても冷たいような雰囲気がした。

「お客様で、ございましょうか」

 その声は、とても澄んでいて、無感情な感じで。

「この城に、女王に、何用ですか」

 彼女は何か……キツい印象があった。

「あの、僕らは」

「人がいたー!」

 魚々子が、声を上げた。両手を上げて、口をパクパクさせている。

「お姉さん、お姉さんが、女王様ですか? とっても、とってもお綺麗なのですが……!」

 輝かしい、碧い瞳である。宝は、魚々子と彼女は、対だと思った。

「いえ」

 彼女は瞳を閉じた。

(わたくし)は、ただのメイドにございます」

 取り澄ましたような、静かな声で、やはり彼女は女中ではあるようだが。

 その静かな厳かな雰囲気を醸し出すその何かに、宝は何かを思った。

「あの、僕は、宝船宝と申します。旅人です。こちらは」

「ナナコだよ! よろしくね!」

 とりあえず自己紹介をした。聞いてみたいことは山ほどあるが、それよりも突然来た我々を当然のごとく警戒しているだろうこの彼女のために、まずはそこから始めた。

「…………」

 逡巡後、彼女も口を開く。

「私は、……アーシャ、と、申します」

「アーシャさんかあ、綺麗な名前だねえ」

 魚々子は、うっとりと感嘆していた。宝は続けて口を切る。

「アーシャさん、それでこの街には貴方以外に、他の人はいらっしゃるのですか。その、この街では」

 誰一人見かけない。けれども、人は住んでいる気配はある。でも、誰一人見かけない。

「愚問ですね」

 キツイ視線の上、使う言葉も、なぜかキツく聞こえた。

「?」

 そして、そのまま規則正しいというような動きで、後ろに向き直し、歩き始めた。

「せっかくですから、お会い致すとよろしいでしょう」

「え? 誰に?」

 魚々子が当然の疑問を挙げると、彼女はそのまま、歩きながらの後ろ姿で答えた。

「とてもとても噓吐きな、今の、女王ですよ」




 まっすぐ、長く太い柱が幾本も連なり、ガラス越しに空がうっすらと見える高い天井から降り注ぐ幽かな光を頼りに、先を歩く彼女についていく形で歩を進める2人。魚々子はかなりきょろきょろと周りを見回していた。

 ほんと、好奇心の塊だな。そう宝が思った時、

「ひいっ」

 魚々子が小さく叫んだ。宝のローブの裾を掴んで、くっついてそのまま歩く。

 まるでそのまま石化したかのようなドラゴンの像。少々錆びれていて、所々綻び、もともとの凛々しいデザインから退化してしまったことがうかがえる。子どもなら、怖がって当然だろう。

「へえ、ほう。僕だったら、もう少し目を大きくするな。それにこんなに幅を作らない」

「さ、流石タカラだね。タカラにとっては全てが芸術品で、全てが自身の領分に値するんだね! な、ナナコは頑張って感心するよ!」

 自然に感心すればいいのにと宝は思った。

 広く、高い階段を上がり、踊り場を2つ過ぎた頃、またもや大きな扉が見えてきた。

「あの先かな」

「来た、来たんだね、女王様の御前とやらに来たんだね!」

「ナナコ、良い子にしていようね」

「大丈夫なんだよ!」

 楽しみだねえと、彼女はウキウキしている。普通、上位に値する人間に会う行為は、酷く気まずく、重ったらしいことなのに。知らないって、いいなあ。

 3人でその大扉の前に立った時、突然、その扉がひとりでに、自然に、重々しい音を立てながらゆっくりと開いていった。

「なんですとぉー?!」

 魚々子はかなり興奮気味である。厳かな迫力に、つい大扉を見上げてしまうが、宝はそのまま前を見据えた。

 最奥のバラ窓が、まず見えた。

 そして、本、本、本、本が。

 本が、もう少しでバラ窓を覆い隠してしまう程堆く積み上げられ、まるで階段のようにシンメトリー調に色んなサイズの様々な色の本が並べられていた。

 続いて微かなインクの香り。

 さらにバラ窓の外で舞っている雪、ステンドグラス、白く太い柱を明るく照らすのは壁に掛けられている蝋燭の群れ、ぱちぱちと薪を燃やす暖炉、白い壁には大小様々な絵画や仮面などの骨董品、大理石の床の中央にはまるで身廊の様に青く長い絨毯がそのバラ窓の下までのびていて、そこに一つの金色に輝く椅子があった。そしてその隣に、一人の少女が立っていた。

 メイドが歩を進めたので2人もついていく。少しづつその少女に近づく。途中、また音を立てて扉が閉まっていくのが分かった。大扉が閉まった時、少女がこちらを向いた。

 ニコニコしていた。

 赤いリボンが結わえられた黒毛混じりの白い髪、金色の瞳、フリルやリボンの付いた可愛らしいデザインのローブモンタントドレス。

「うそぅ?! お客さんなのです?!」

 驚きの声を上げ、彼女は、突然走ってきた。太陽のような笑顔で、えらく楽しそうに、軽やかに。そして、宝と魚々子の手を取ると、

「お久しぶりなのですね、タカラさん、ナナコさん!」

 挨拶をした。

「え、あ、どうも! ん? お知り合いだっけ?」

 魚々子は首を傾げる。

「ご気分悪そうで何よりなのですー!」

「ひょわわわわわ、ここここちらこそ!」

 そのまま上下にブンブンと手を振られ、合わせて上下する魚々子。混乱しているらしい。

「この暑い中、近い所からいらっしゃいなのです! この街は騒がし過ぎですし城もセンスのない真っ黒黒ですし、空も陸もアクセスがたくさんなのですが何言ってんだかもうよくわかんないのですが、とにかく! お待ちしてはいなかったのですが、でも、心から歓迎させて頂くのです!」

 パッと突然手を離されたので、

「にょおおおおお」

 反動で跳ねて数回転して、ユラユラと、やっと床に魚々子は落ち着いた。絨毯の上にペタンと座り込んむ。

「は、ははあ、なるほどぉぉ」

 魚々子は唸った。

「あべこべなのね、天の邪鬼なのね! これが、噓吐きサンドリオンの正体だったのね!」

「ナナコさんもうちょっと相手のことを考えて物を言おうか……まあでも、それでも名前は知らないと思うけれど」

 宝はチラッと女中の彼女を一瞥する。少し目線を泳がせて、彼女は答えた。

「女王は、ストーリーテラー」

 相変わらず、凛とした佇まいで。

「全世界のすべてが女王のストーリー。本の一冊一冊が、誰かの記憶。本と記憶から、登場人物の情報なんて、容易く得られるのでございます」

 その隣の彼女は両手を広げて、明るく元気に言った。

「私の名前は、アーシャ・ミハイロフ、なのですー!」

 堂々としているなあ。

 宝と魚々子は同時に思った。

「それは、メイドの名前にございます」

 女中である彼女が、澄ました顔で訂正を入れた。

「えー、じゃあしょうがない、旅人さんたちには、特別に嘘の名前を教えてあげるね! コールド・ブラッド・サンドリオン! とっても醜い名前でしょ?」

 兎角、終始嬉しそうに、その美しい言葉の並びを言った。

「サンドリオン! 本物おおお!」

 魚々子の嬉しさがMAXに達したようだ。宝は、子どもが名づけたような適当な名前だなあと思った。

「お目にかかれて光栄です。貴女が、サンドリオン女王ですか?」

「そうじゃないですかね!」

「うわ……どっちだろ」

「女王は噓吐きですので、会話に差し障りがあるのは仕様が無い事でございますわ」

「人は、諦めていた……」

 さて、そろそろ見学も終わりにしたいなあ。

 宝はそう思っていたが、興奮気味の魚々子は彼女たちに輝く視線を送らずにはいられない。

「あのあの、ストーリーテラーってことは、女王様は、お話をお書きになられるのですか?」

「あんまし書かないですよ! 忙しいからあんまし書かないですよ! この街はずーっと、いつもとっても騒がしいのです!」

 溌剌としているなあ。

 若いって、いいなあ。

「これから起こる出来事も、過去に起きた出来事も、それだけ、頭の中に一つの物語が詰まっているのですが、つまり記憶力がバリバリやばいのです! 何か、いくつか紹介してあげるのですね!」

「ええほんと?! やったあー!」

「うふふ、ナナコさんは悪い子なのですねえ」

 後ろに振り返り、本の山を見上げる。ちょうど彼女の頭の高さにあった一冊の白いカバーの本を手に取った。パラパラと広げる。

「あらあ、これはこれは、真新しいのですね」

 楽しそうに読み始める。

「昔々、それはそれは美しい魔女様がおりました」

 魔法使いは、世界に憧れ、愛すべき鬼と共に、旅に出ました。大切なモノと、引き換えに。世界は今でも――彼女を愛しています。めでたし、めでたし。

「次のタイトルは、『湖に沈んだ王国』」

 それは、たったひとつの、あわくてちいさな、せかいとせかいのせんそうを、おわらせたウタ。

「逢いたい気持ちだけを抱いて、君のいない町で暮らし続ける」

 いつかこの距離、心まで連れ去ってくれるよう。永遠なる愛なんて信じていない、それでも心は、寂しがるみたい。何も待たないでいれたなら、少しは楽なのに。

「それはいつ書かれた物語ですか?」

 突如宝が問いかける。パラパラと、最後のページまで探して、彼女は答える。

「えーっとぉ。先々先代くらいが書いたお話ですかね? どうかなさったのです?」

「いえ」

 直立不動、碧い瞳で、バラ窓の奥で舞う雪を見据える。

「その主人公と同じような、似通った少年が、僕たちの通ってきた、線路の先にいたなあと」

 魚々子は、何かに気付いたように口に手を当てた。

「ずっと、待っているんです。有り得ない未来を想像して、真実を知りたくないから、その街で暮らし続けているのです」

 碧い瞳がきらめく。

「真実から目を背けて、自ら動かずに、ある意味、楽な方法を取って」

「へええ、そんなこともあるのですねえ」

 本を片手に、笑顔で彼女は受け答えする。

「その本の主人公は、彼女は、いったいどういう思いだったんでしょうねえ。貴女は読み手として、どう思います?」

「かのじょ?」

 本を持つ彼女は疑問符を頭に並べた。んー、と唸るが答えが全く浮かばないらしく、助けを求めるように女中姿の彼女に目を向ける。視線を向けられた彼女は、なんで私に聞くんですかという台詞が浮かぶような無表情の後、その紅い瞳を伏せて答えた。

「まあ、そうですわね、たかが記憶の中なので」

 全ては幻だったのかもしれないですわと、彼女は凛と言った。

「何も待たないでいられたら、何も持たないでいられたら、少しは……――いえ、なんでもございません」

 鞠躬如として彼女は一歩下がった。宝は、こんなところで長居しても仕方がないなと考え、笑んで口を切った。

「あの、もう一つよろしいでしょうか」

「なんなのです? なんなのです?」

 嬉しそうだ。常に、何がそんなに、嬉しいのだろう。

「この街の宿は、どこにありますか」

「宿……?」

 そう言ったきり、彼女は黙ってしまった。

 この国を統括しているから知っているだろうということと、女王程の者が庶民の常識に関心を持っているわけがないだろうという考えが、一瞬頭を過った。

「あ」

 少し経って、笑顔が広がった。

「この街の1番最低の宿があるのですね!」

「最低の?!」

 魚々子が声を張る。

「あ……ああ、最高の、だよね? そ、そういうことだよね」

 ちょっとこんがらがっているらしい。

「感謝してもしなくてもいいのですよ!」

「はあ、ありがとうございます。ほら、いくよナナコ」

「ふえー……もっといろんなお話聞きたかったなあ、名残惜しすぎるよ、後悔するよ。はうん」

「まあ、また、いつでもくればいいのですよ!」

 彼女の一言に、沈んでいた魚々子の顔がぱあっと輝いた。

「門までは、まっすぐ進めばいいですわ」

 2人で大扉の前に立つと、重々しく、大扉は開く。その本の間から外に出ると、また動き出した。

「今度、お茶でもしましょうなのですよ!」

「またお越しいただければ幸いですわ」

「ふあーい! また、遊んでねー!」

 一礼し、最後まで宝は無言のまま、2人を見据えていた。

 大きな音を立てて、その扉が閉まった直後。2つの足音が遠くなるのを聞きながら、二人はお互いを見合った。

「…………」

「…………」

「変わりたかった、ですわ。捨てたかった、ですわ。でも」

 彼女は呟いた。

「もう疲れました」

 そして本を受け取る。

「勝手に読み上げましたね」

 本を渡した彼女は嬉しそうに首を傾ける。

「うふふ、嬉しそうなのですね」

 しかし当の彼女は心寂しそうだった。 

「でも、ね、気分悪いですよね、いつものお客様なんて。この街のテンション下がりまくりじゃないですか?」

 彼女は溌剌と言った。

「まさか」

 彼女は冷徹に、言った。

「そんなわけ、ないですわ」




 王女謁見後、彼らはというと、言われたとおりに、例の宿屋を探していた。しんしんと雪が降り積もる中、子犬のように走り回る魚々子の後ろを、白い息を吐きながらゆっくり歩く宝。

 血染の犬(ルビードッグ)の、名無しの彼女のように純粋だと彼は思った。

 まあ、この2人は、本当に何もかも似ているのだけれど。

 子どもなところ、無邪気なところ、記憶喪失なところ、純粋なところ……――。

「あんまり歓迎されていなかったね」

「んん? え、そうなの?」

「や、いいよ。知らない方が幸せな時もある」

 その宿とやらを探しがてら、街を探索することにした。

 最後は帰れって言ってたようなものだ。宝は小さなため息をついた。言い方がキツい人って、苦手なんだよなあ。冷たい風に煽られ、視線を前に向けると、

「あ、画材屋」

「お、タカラの反射神経がいつになく鋭いね。タカラのホームグラウンドだもんね。寄ってこ寄ってこ!」

 流石は女王の統括する街。2人が入っていったのはかなり広々とした画材屋であった。色取り取りの絵の具やインク、デザイン系から機械的なものまで、様々な事務用品や製図用品が所狭しと手の届かないところまで、たくさんの商品が陳列されている。

「タカラと色んな画材屋さんに行ってきたけれど、どこも同じような匂いがするねえ」

 無論、人はいない。

 大小様々な照明は、ただ商品を明るく照らし出し、ここはまるで博物館かと言わんばかりの巨大空間の中で、宝の短いショッピングがスタートする。

「A画か……」

「どうかしたの、タカラ」

「M画が欲しいんだよね」

「そっちのほうがいいの?」

「水張りしやすい。あ、あったあった」

「なあにそれ? パソコンで調べたら出てくる?」

「そうだね。あ、ケント紙と……筆買わないとな、8本くらいでいいか」

「タカラさん筆いっぱい持ってなかったっけ」

「油絵に使うとなんか折れるんだよ。あとはレンダリング用のコピックと……」

「……相も変わらず、超買うね」

「課題の量がおかしくてね。もう停学分じゃないよね。あの理事長何考えているんだろ」

 短時間でたくさん買う。これだけ買っても肩掛け鞄には入りきる。パソコンとかいろいろ入っているのに、超コンパクト。魚々子が宝に尋ねてみると、整頓の魔法だよ、とテキトーに答えたきりであった。会計皿にお代を置き、店の外へ出た。

 通りには煌びやかな電飾が軒を連ねて飾られており、風の音と重なって小さく揺れていた。雪が降り続いているので、店に入る前の足跡は消えていて、空を見上げれば、あの真っ白な城が聳え立っていた。

「どこからでも見えるね、あのお城!」

 尖ったアーチ、フライング・バットレスが幾重にも重なり、何本もの太い柱とこの位置からでも厚いとわかる壁に囲まれた、真っ白な城。

「まあ、街の中央に位置しているからなあ」

 2人は城の反対側に向かって歩き始める。辺りはだんだん民家が増え始め、食器屋や小さな果物屋、小さな本屋と大きな本屋、そして雪に溶け込んでいるような、白いポストの立っている角を曲がったときだった。

「お、ナナコたちが辿ってきた、いわば、軌跡だよー!」

 あの線路が、駅の前を通り過ぎ、まだまだ続いていた。この線路を伝って、この街に辿り着いた。

 この線路は、本当に、一体全体、どこから続いていて、どこまで続いているのだろう。この街の向こうまでまだまだ続いているのだろうか。もう廃線したにもかかわらず、この道しるべは、まだまだ続いているのか。

「色んな所が、色んな綺麗な物が見れて、旅って楽しいね!」

「そうだね」

 宝は微笑んだ。

「うん! タカラが居なかったら、こんなに楽しめなかったし、えへへ、タカラのおかげで幸せだなあ!」

「大袈裟だな、ナナコは」

「だってナナコ、タカラが大好きだもの!」

 魚々子は笑った。

 誰のものでもない、誰のものとも同一でない、彼女だけの笑顔。

 僕が、持っていないもの。

「あれ、アーシャさんだぁ!」

 彼女は彼の横をそのまま通り過ぎた。宝が振り向くと、魚々子の視線の先には、フルーツ売り場を見ている彼女がいた。買い物だろうか、小さなバスケットを持って、店頭にこんもりと並べられている見ただけでもみずみずしそうで大振りのフルーツたちをじっと見つめている。

 吟味しに集中しているのか、こちらに全く気付かない。宝は雪の上にも関わらず無音で近づいた。そして、

「確かこの街では、天然の冷蔵庫と言うことで、雪の中で果物を保存することによって甘みを出すそうですね」

「!」

「わーい、こんにちはー!」

 唐突な挨拶をしてみた。

 もちろん彼女は今気づいたという風にこちらを見たが、表情は特に変わらず、相変わらず凍てついたままという表現が似合うほど無表情だった。

「…………」

「買い物ですか?」

 そのままこちらを見つめているだけだったので、聞いてみた。すると彼女は、

「家畜も」

 唐突な返しをしてきた。

「はい?」

「家畜も豪雪の中外に放つので、寒さで身が引き締まり、とても美味ですわ」

 どうしたのだろうか。

 どういう話題選択だろうか。

「えー!? ゆ、雪の中に、こんな寒い中に放っちゃうのぉ?!」

「あちらにたくさんいますわ」

「じゃあナナコ見てくるー!」

「あ、ナナコ、走ると危な……」

 案の定だった。

「わぁ!」

 そしてゆっくりと起き上る。

「おお、雪がふかふかで助かった! よし! 今度は負けないぞー!」

 首輪の銀の鎖をジャラジャラ鳴らしながら、女中の彼女が指差した方向へと曲がって行ってしまった。

「ああ、あんなに燥いじゃって……意味、ないのになあ」

 その宝の言葉に、彼女はピクリと反応した。

「迷子になったらどうしよ?」

 困ったように笑う彼。そんな彼に問いかける彼女。

「何故、ですか? 迷うわけ、ないではありませんか」

「まあそうですね」

 宝は空を見上げた。

「憶測ですがそれは……もうこの街ではやっていない手法ですよね」

 僕知っているんですよ、そう言って更に言葉を続けた。

「第一に、この街には家畜はおろか、あの城以外に人が存在していませんから」

 風が音を立てて雪を巻き上げた。イルミネーションが大きくユラユラと揺れる。

「………………」

 すると彼女は、

「貴方は」

 小さく笑んだ。

「貴方は……大変な、嘘つきさんなのね」

 あの冷たい表情からは想像できない、柔らかな、優しい微笑みだった。

「貴女もですよ」

 その碧い瞳で、彼女を捕らえる。

「貴女が、この国の女王でしょう?」

 この問いに、

「…………」

 彼女はそのままの表情で、答えた。

「いいえ?」

 金色の瞳が、綺麗に光った。




 むかしむかし、とてもとても綺麗な女王様が、大きくてまっ白なお城に住んでいました。

 雪のように白い肌、輝く紅い瞳、澄んだ淡色の髪、優しい柔らかな頬笑みをいつも絶やさない女王様でしたが、ただ1つ、彼女は、大の嘘吐きだったのです。

 鈴の鳴ったような美しい声で、息を吸うように、純粋に嘘を吐く女王様。人々は、彼女から離れてゆく際、敬意と畏怖を込めて、

 “嘘つきサンドリオン”と、彼女を呼んでいったのでした。

 今でも、女王様は、嘘つきサンドリオンとして、広くまっ白なお城でひとりぼっち、王子様を待ち続けているのです。

「で、今でも待っているんですか、王子様」

「ええ」

「ですよね」

 この物語は何百年も昔のものだ。それに、おとぎ話というからには実証性も全くない。

 フィクション。

 この物語は、フィクションなのだ、きっと。

「けれども、お城と街はちゃんとあるんですよねえ」

 まあ、案の定女王は、今も昔も嘘吐きさんだったのだが。

 しかしこの女王、たまにしか(・・・・・)嘘を吐かない(・・・・・・)というのが厄介だ。

 本物の女中のように、完全にあべこべだったら話しやすかったのにな。

「あ、そうだ、そういえば、この街に来たときからの、数々の無礼ってお許し頂けますかね?」

「ええ、いいですよ」

「えー……即答ですか、駄目ですか……何されるんですか、僕達……」

「冗談です」

「……それはちょっとわかりにくいです」

 首を傾げながら、宝は微笑んだ。そんな彼を見上げて、彼女も微笑んだ。

「貴方、色んな嘘がお上手、わたくしよりも」

 そう言った。

「あの小さな女王は、とっても正直者で……だからって、別段羨ましくなんかありませんわ。本当に、息を吸うように嘘を吐く。だからとっても正直者。でも、貴方はただの、嘘吐きさん」

 雪が、まるで晴れたように止んだ。

「だから、苦しそうですわ」

 雪の降る音が消え、後ろから、雪をザクザクとかき分けながら走る音が近づいてくる。

「タカラー! どこの畜産場的なところも開いてなかったー!」

 そのまま、抱きついてきた。

「そう、それは残念だったね」

「うんー! でもとっても楽しいな、雪がいっぱいで。でもナナコ、お腹空いちゃったよー」

「しょうがないですわね、暇ですから、例の宿の場所をお教え致しましょう」

「わーい!」

「ナナコ、その人忙しいらしいから……それに、ついて行ったら違う方向に行きそうだしね」

「え? なんで? でも、それはそれで楽しそう!」

「…………」

「大好きなタカラとならね、どこでだって、楽しいのよ! ほら、行こうよ、タカラ!」

 彼女は。

 右手を差し出した。

 その、小さな小さな、真っ白な手を。

 瞬間。

 とても自然に、取りそうになった。


“ふふふ、宝ちゃんってさ、本当は、魚々子ちゃんのこと嫌いなんじゃないの?”


 取りそうになって、彼は、その左手を、引っ込めた。

「どうしたの? タカラさんやー」

 彼女はそのまま、笑っていた。

 何も知らない、純粋な笑顔で。

「……その、ね」

 宝はやっと言葉を絞り出した。

「追いかけるから」

 笑った。

「先に行ってて」

 笑った。

「ほえ? なんで? それ、大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫だから」

「いやほらだって、全然見つからない宿だか」

「大丈夫だから」

 大丈夫じゃない、全く。

「お願い、先に行ってて。お願い」

 宝は、魚々子の小さな肩に手を置いて、しゃがみ込んだ。

「りょ、了解したよ! タカラ!」

 宝がこんなに懇願してくるなんて、きっと何かあるに違いない。

 純粋に、彼女はそう考えた。それが、魚々子、彼女である。

「うん、先に、いってらっしゃい」

 彼女を後ろに向かせ、背を軽く押した。

「はーい! わかったよー! じゃあタカラ、追いかけてきてね、まったねー!」

 すでに歩き始めている噓吐き女王を追いかけて、彼女は駆けて行った。すると、また滑って転ける音と小さな悲鳴がした。

 すぐさま、宝は顔を上げた。

 やっぱり彼女は転けていたけれど、またゆっくりと起き上って、遠くの彼女へ並んだ。そして、元来た方向である城へ続く道を、曲がっていった。

「後戻りしているよ……」

 宝は、ふにゃっと笑った。

 しかし、泣きそうな顔だった。

 いつもの自分じゃ、ないと思った。

 “だってナナコ、タカラが大好きだもの!”

 “大好きなタカラとならね、どこでだって、楽しいのよ!”

 泣きそうになる。

 大好きと、言われると、泣きそうになる。

 宝船宝は、彼女から目を背けた。

 魚々子は一度も、足が痛いとは言わなかった。

 常に笑顔だった。飛び跳ねていた、駆けていた。

 痛い、筈なのに。

 この僕に、ついてきていた、信じて、この僕を。

 それは、空元気ではなく、彼女の本当の気持ちであると言うことを。

 それを知りながら、僕は、歩き続けた。

 知っていたのに、知らない振りをしているように。

 空々しく、白々しく。

 僕は、どうして彼女が苦しむ選択をするのだろう。

 ならば、どうして僕は彼女を助けたのだったっけ。

 答えはわからない。

 全く、わからない。

 いや、本当は、真実を、ぼくは知っているはずなのだ。

 彼女は、海に行きたいから、僕の後をついてくるのだろう。

 僕が海への行き方を知っていると言ったから。

 記憶を取り戻せば、自分が何者かわかるから。

 僕は、彼女の正体が(・・・・・・)人魚であると(・・・・・・)知ってしまったから(・・・・・・・・・)

 それじゃあと、僕は彼女の願いと引き替えに、彼女に僕の願いを託した。

 行きたいところがあるんだ。

 海に。

 あの子が行きたいと、好きだと行っていた海に。

 あの子が、河魚が、消えたその楽園へ、海の中へ連れて行ってくれと。

 死にたいと。

 この世界から抜け出したいと。

 

 楽に、なりたいと。


 いつか、君の元へと行くのなら

 畏れずにこの時を、生きていけると思っていたのに。

 早く、この闇の中から抜け出したいのに。


 けれど。

 永遠なる愛を、持っていた。

 けれど。

 信じていられなかった。


 それでも、心は。

 それでも、心は。


 ああ、

 僕はいつまで、知らない振りをしていればいいのだろう。

 僕はいつまで、嘘を吐き続けていればいいのだろう。


 このままで、よいのだろうか?


 願いは、変わってしまうものだけれど。

 想いは、変わらない。


 希望の闇よ……哀しい光を、消しておくれ。


 頬に雪が落ちて、染みて、消えた。

 魔法使いであり、芸術家であり、噓吐きであるその青年はただただ――――立ち尽くしていた。

 ただただ、真っ白な空を、笑って、見上げていた。




 嘘吐きが統べる国とか嫌過ぎる。

 読了ありがとうございました。


 この曲は絶対ファンタジー要素ではないだろうと思っていたんですが、まさか使うとは。

 童話みたいにしたら案外ドンピシャ、ビックリしましたどーしてなかなか。


 一番好きなところは曲調。

 歌詞で好きなところは、もちろんサビ。

 あと考えさせられるのは、

 哀しい光と希望の闇。

 何この虎穴に入らずんば……ち、違う。

 ていうか希望が闇って……希望じゃないじゃん……。

 と、凡人の著者は単純に考えてます。

 まあ光の中にはもう希望がないから、闇に縋るんでしょうね。

 それが愚行だと判っていても。どうせなら藁に縋りましょうぜ。

 ともかく、カラオケで歌うと気持ち良い曲です。


 GARNET CROW filmscope 2014 ~Smile & Jump~

 大阪後半組です。

 今回も泣くから、今回は2013live scopeのタオルを持っていこうと思います。

 ファイナルのを持ってけよ。

 あとついでに、先輩が大阪の美味しいスープカレー屋さんに連れて行ってくれるらしいです。

 楽しみです。

 復活いつかな。

 それでは。



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