002 日々のほとり
前置き。
この作品はあくまで私の創造ですので。
七さんの世界観と異なる場合がございます。
ご了承よろしくお願いいたします。
主人に手を引かれ、歩いていたこの道。
“遥か大きなこの空を舞うあの鳥達は、
迷わず皆、同じ海へ帰るんだよ”
教えてくれたそのことを、その優しい声をずーっと、私は今でも、覚えている……――。
その夕暮れ。
その巨大な水たまりに、その景色は似付かわない。
その畔に聳え立つ石造りの堅固な城壁が連なるその白亜の城は、その陽で赤く優しく染まっていた。
その一角の、高い高い天守に、その瞳に赤を宿している者2人。
彼等は正に、あべこべな2人だった。
その小柄な方の影は、漆黒の瞳、あどけなさの残る幼い、子供のような――10歳位の容姿、だがその表情にはどこか大人びていて閑雅な雰囲気を持っており、漆黒の髪には金色の小さな王冠があった。
そのまだ若過ぎるくらいの少年の頭2個程の背の影、キラキラと輝いているパッチリとしているツリ目、というか猫目、ウェーブのかかった青い色のセミロング、スレンダーで長い手足がよく窺える……一見野性的な服装、大人っぽい――20歳位の容姿、だがその表情はどこか子供のようで無邪気な女。
その見た目だけ大人過ぎる女は短くゆったりと口を開いた。
「にゃあ、王様」
「なんだ、猫」
その――王様などと呼ばれた彼も短く口を切った。
まだまだ舌っ足らずで背伸びをしている口調。そしてやはりどこか、まだまだ年に相応しない落ち着き。
猫。
猫と呼ばれた彼女には……その青の中に同じ色の耳、ピンと立った毛並みの美しい猫のような耳があり、そして、何か嬉しいのか、その猫のような尻尾をゆらゆらと揺らしている。
「この王国終わっちまったにゃあ。第2代目国王としてどんな心境にゃ? 猫は猫だから解らなんにゃっ、にゃはっ」
女性の声色で、楽しそうに、悪戯好きなその訊き方。
「この状況で笑うか、猫よ。元気だな。今なお、まだ猫は子供だからな……無理もない。それに、私がこう蕭やかなのも可笑しい話か」
その年長者のような、若い若い、その少年。笑みをこぼして、その天守からの眺めを瞳に映す。
その、碧い碧い海のような――巨大な湖に囲まれた王国。湖の周りは、木々と緑と、レンガ造りの小さな家々によって彩られ、生き生きと人々が行き交う盛んで活気のあった街――。
――は、もうない。
昨日まで、自身が王子であった王国。
昨日まで、初代国王がいた王国。
昨日まで、平和で優しかった王国。
もうその跡形も欠片もなく、痕跡もなく、ただの不毛の大地と化した湖の周りの景色。
大きな山々。
昨日までと変わらないことと言えば、実際よりも小さくなった白亜の城壁、そして彼等のいる一角の天守、広がる空、そして、風で波が岸辺を張り相変わらずその水の奥の真っ白な砂までが見える透き通る湖のみであった。
夕陽の光で、砂が真っ赤に輝いている。
まるで、あの戦火のように。
その美しい湖に、本当に似付かわしくない、大地。
「心境とか、何の気持ちも湧いてこんよ。王国が滅びたという実感もな。だが……そうだな。只、まだ私は生きているのか、と思っているよ」
「そかにゃ。それにしてもにゃんだろにゃ。風が気持ちいーにゃあ。今は、昨日のように平和だにゃあー」
そう、身体全体で伸びた後、少しづつ微睡む猫を見つめる王様。
……遠く見つめていた2年前より、あの日より、昨日より、臆病になっているのかもしれない。
湖の畔で、密かに彼は思っていた。
密かに猫のことを、想っていた。
初めて出会った2年前から。
王国が始まった2年前から。
妃が亡くなった2年前から。
街の一角に棲んでいた、彼女に。
……いやいや、いくら何でも、年に差がありすぎるだろう。
そういう考えがあるところ、まだまだ彼は子供らしい。
それにきっと猫は、初代王のことを好いている。
知っている。
知ってはいけないことを知ってしまった時。
緩やかな風が吹き抜けて、2人の距離を知った。
何かを知ることが、こんなにも恐ろしいこととは……な。
心の中で苦笑していると、右腕に何かが巻き付く感触がした。
「うぉぅ?!」
声が裏返ってしまった。
それ位の驚きだった。頭の上の王冠が落ちるところだった。
くすぐったいのは苦手なのだ。
見ると、猫の長い尻尾がくるくると巻き付いている。その先っぽは、相変わらず揺れていた。そして、彼女とは言うと、その真っ白な長い手をぺろぺろと舐めていた。愛らしい動作だった。
「にゃあー、王様ー王様ー。猫が尻尾を巻き付かせる相手ってのは親愛の情がある奴だけにゃあ」
「ほう。それがどうした」
本当はかなり動揺しているのだが、彼は嘘を吐くのが上手いのか否か、いつも通り平然としている。先程から猫と2人きりというだけでも緊張して頭の中や心臓がパニックを起こしそうだというのに。
その敏感な尻尾からの小さな温もりに気づかれぬように装う。
「昔はよくにゃあを追いかけて巫山戯てくれたにゃあ。懐かしいにゃあ」
「確かに、久しいな。そして捏造が混じっている、お前が私を追いかけ回したんだ」
「そーだったかにゃ? まぁまぁ、で、話変わって、あれ」
その大きな山々、おびただしい数の、死体の山。
この王国の全ての民の、沢山の屍達。
もう、動かない、ただの山。
それを指さして猫は笑顔で訊いてきた。
「あん中に、初代王様はおらんかったにゃあ。何処にいるにゃん?」
子供がするような、純粋な質問だった。
彼女もまだまだ若い方だ。本当に、無理もない。
「そうだな……」
彼は知っている。
この王国滅亡の理由は初代国王、彼の父親。
その者がこの世から居なくなったことで、戦いは鎮火した。
破片も、肉さえも、身につけていたモノも、骨さえも、全て消滅した。
何処にも、居ない。
だから。
「空に、いった」
そう、一言だけ言った。
そして、空を仰いだ。雲1つ無い、何もない、空。
空、空。
だから、何もない、空。
きっと、其処にも居ないだろうに。
人は流れの中で、何かをとどめていけるだろうか。
移ろうモノばかりならば、この心をポトリと落としたい。
「猫、お前は何がしたい?」
知っているのに。
猫の気持ちを知っているのに。
「にゃ? にゃー、そーだにゃあ」
不思議に。
何度もその声を聞きたくて。
「だったらにゃあも、空にいきたいにゃ」
忘れたフリをした。
知っていることを、知らない、と嘘を吐く。
「王様、にゃあは困っているにゃー、助けてほしいにゃっ。――空に行きたいにゃ」
その無邪気な笑顔。
思考も行動も何もかも子供。
そうだ。
私は、猫の保護者なのだ。
大人が最後まで責任を取るのは、当然だ。
「ならば、旅に出ねばならん」
猫に顔を引き寄せ、静かに言った。
「あらま。そんにゃに……空は遠いところなのかにゃ?」
「あぁ。お前の故郷の辺りだと思惟する」
「遠っ! てことはおみゃあと初代王と歩いてきたあの道をまた逆戻りかにゃ?」
「そうだ」
「はふわー、たいへんだにゃあー」
欠伸をする猫。
何も知らない、無知な猫。
何でも知っている、嘘吐きな、愚かな王様。
ただ。
ただその嘘は。
その“ぬくもり”をずっと感じていたい。
触れて言葉を交わしたい。
一緒にいたい。
と、とめどなく湖のように溢れてしまう願いが引き起こした私の、子供のような我が儘に満ちた心。
もう、そのような歳ではないのにな。
「じゃあさっさと行くかにゃ! にゃあは早く初代王様に会いたいにゃ! 猫は夜目が利くんにゃよ」
ハイなテンションの猫。
それでも、もう夕日は沈んでいる。
「残念ながら私は夜目が聞かないのだよ、猫」
「そーなのかにゃ」
「あぁ、だから出発は明日だ。支度もせねばな」
「わかったにゃー。あー、魚とか食べたいにゃー。そーいやぁこの世界、人魚とかいたかにゃ、美味いのかにゃ?」
気まぐれで気分屋だけれど、物分かりが良くて素直な彼女。
そんな、微笑む君の傍で見た茜色も、ずーっと僕は覚えているだろう。
彼女にも、覚えていて欲しい。
彼女の心の中の、ほんの少しでも、初代国王への想いの中の“ほとり”のようにでも良いから、覚えていて欲しい。
私と同じ事を覚えていれば。
私も同じ事を覚えていれば。
いつか、帰る場所を探す時、猫を思うだろう。
そういえば、彼女の故郷の近くには、あの幻の『海』があるらしいな。
そして、白い花が咲き誇り、『海』の匂いが届く場所。
この湖より、広く、大きく、碧い、『海』。
たくさんの雨で創られた存在。
旅の中で、日々は雨のように降り続けて、私と彼女の心に溶け込み広がると、信じている。
「さて」
彼は、小さな蝋燭に火を灯し、小さな紙に何かを書き留め始めた。
「何してるにゃ王様」
「ただの実録さ。この王国は滅びました、というこの王国の短すぎる史実だ。猫、生き残りということで、お前の名も記載してやろう」
「マジかにゃ! わーいわーい! じゃあ、にゃあは、猫というとっても可愛い3歳のおんにゃのこって書いといてくれにゃぁー!」
「いいだろう」
「王様はあれかにゃ? 20歳という若さにして国王になった凄ぇ王様って書くのかにゃ?」
「それは一見混乱せぬか? 確かに私の母方の一族は成長が遅く、猫、お前の種族は成長が普通の人間の7倍と言うだろう」
「んー、じゃあ見た目年齢でいいにゃあ。どうせ写真も一緒にあるんにゃろ? 混乱混乱しちゃうにゃ」
「ならば私はやむを得ん、十、ということに、猫、お前は21だ」
「にゃあの方が年上にゃぁー」
「私の揚げ足を取るとは何事だ」
終わりの遠い旅が始まる。
嘘が入り交じった、真実の旅。
複雑に絡み始める、復讐の旅。
同じ空へ帰ること。
王国を滅ぼした者を見つけ出すこと。
一緒にいるために。
波の音で、この優しい想いが消えないように。
そんな感じで。
目的も。心情も。順序も。表裏も。方向も。
何もかもあべこべに成立する2人。
若すぎる王様と、若すぎる猫。
大人な王様と、大人っぽい猫。
王様と、猫。
王様は、空を夢見て。
恋する王様と恋する猫は、空を夢見てカナタを目指す。
この曲は、聴いているといつも涙が出てきてしまいます。
何時の間にか口ずさんでいて……なんて優しい音色なんだろう、と心の底から温かくなります。
王様一途だなぁ……猫も一途だなあ。
さて、あと残り1組ですね!
頑張ります!