フリーアドレスの行方
よろしくお願いいたします。
俺が勤めている会社はフリーアドレスだ。
そう、出勤時に座る席を自由に決められる、というアレ。
気分次第で変えられるから毎日新鮮……と、ささやかな夢を見ていた時もあった。
しかしそれは、出勤時間次第で狙った席につけないということでもある。
だから俺は、今日も指定席のようなそこに近づいた。
「おはよう、高瀬くん」
すると斜め前の席から、背中合わせのモニターの間を縫うように、挨拶を投げかけてくる人物がいた。
細まった目が、じろりとした印象を与えてくるのは、同期の桐谷志穂さんだった。
柔らかな響きの名前に反して、バリキャリが服を着て歩いているような貫禄があり、とても同年代とは思えない。
「――ああ、おはよう」
俺が一瞬、返事を遅らせてしまったのは、桐谷さんに咎められているような気持ちになったからだ。
同期で一番仕事ができる桐谷さんに、俺は引け目を感じていた。
そしてその引け目は、俺にあと一歩を踏み込ませずにいる。
俺は、「高瀬悠真」のラベルが貼られた、無機質なロッカーへと足先を向けた。
昨日、退勤時にしまったノートパソコンを取り出すため、という言い訳は今の俺にとって都合がよかった。
わたしこと桐谷志穂は、ロッカーに向かう高瀬くんの後ろ姿を、目を細めて見やった。
――今日も和やかに挨拶できた。
そんな風に自画自賛。
わたしの熱視線に彼もメロメロのはず。
だから、もうそろそろ告白してきてくれるはず。
それとも、わたしから屋上に呼び出して、舞台を整えてあげるべきか。
「どう思う、真琴?」
わたしは隣の席の同期に、そっと話しかけた。
呼びかけにポニーテールが緩やかに揺れる。
いつもは跳ね馬のように活発な彼女は、呆れの視線を向けて、ため息をついてきた。
「屋上は鍵がかかってるから入れないよ」
「残念」
さすが、同期にして親友の相原真琴。
明らかに言葉足らずだったわたしに、的確な返答をしてくれた。
せっかくの名案が日の目を見ず、わたしは眉を寄せる。
そんなわたしをどう見たのか、真琴は視線をモニターに走らせて興味なさそうに囁くのだった。
「あと彼、睨まれただけだと思ってるよ、きっと」
「うそ」
思わず、座席に戻って来た高瀬くんに視線を投げかける。
彼の顔はいつも通りよく見えるものの、その表情はどこか強張っているようだった。
なぜ。
あれこれと、外堀は埋めていってるはずなのに。
わたしの手は半ば自動的にメーラーを立ち上げるものの、頭の中は疑問で埋め尽くされたのだった。
「なあ、相原。ちょっと相談があるんだが」
「180円で手を打つよ」
という交渉で、俺は同期の相原真琴を、オフィス外の廊下にある自販機まで呼び出した。
少々値の張る、相原ご所望のペットボトルが落ちる音が響く。
対して俺は、世知辛く120円の缶コーヒー。
お互いの飲み物を開けて一口飲んだところで、俺はおずおずと相原に視線を投げかけた。
「……桐谷さんだけど。俺のこと、なんか聞いてないか?」
相原の性格はさっぱりしている。
だから単刀直入に聞いたわけだが、予想に反して相原はなにやら温かい視線を向けてきた。
「どういう意味なんだ、その視線は?」
「ふっふー。まあ、あれよ。頼もしい人、という話は聞いてるけどね」
「……そうなのか?」
プラス評価だったと胸を撫で下ろす反面、なら桐谷さんのあの視線はどういうことなのかと、訝しく思ってしまう。
俺の表情が続きを促していたのか、相原は続けた。
「手首の骨のでっぱりがたくましいとか、重い荷物を持ってくれたとか、声がチェロみたいとか、意見を聞いてくれたとか、まあ色々?」
俺の首は傾くばかりだ。
でっぱりとかチェロとか、なんのことやら。
そんな俺を、相原はニマニマとした笑みで見上げてくる。
「そういう高瀬はどうなのさ。志穂のこと、どう思ってんの?」
ぎくりとどきりが同時に押し寄せる。
普段は「桐谷さん」としか意識しない彼女の名前が飛び出してきたとなれば、なおさらだった。
相原の瞳には、からかいだけでなく真剣さも浮かんでいて、俺は思わず廊下の窓の外を意味もなく見てしまう。
「……知ってんだろ」
「うーわ、ずっるい返事」
「……仕事が丁寧で早い、よく気がつくし、考え込んでいる横顔が凛々しくて、キーボードを叩く指先が綺麗だ。これでいいかっ」
半ばやけくそになって吐き出すも、上がる体温はどうしようもなかった。
それを冷ますように一気に缶コーヒーを飲み干すと、俺は空き缶を雑にゴミ箱に突っ込んだ。
「桐谷さんには言うなよ」
「へえへえ」
俺は逃げるように、その場を後にした。
わたしは、お昼ご飯を買いに行くと言って、真琴をオフィスから外へ連れ出した。
「――何の話をしてたの、真琴」
「どうやったらそんな冷凍庫みたいな声出せんの?」
真琴はまるでこたえない。
元気にポニーテールを揺らして、わたしの横を歩く。
彼女は朗らかで人当たりが良く、そして愛嬌がありスタイルもいい。
そんな真琴が高瀬くんに呼び出されて、おそらく個人的な話をしていた。
わたしの視線に力がこもる。
「……フレネミーなの?」
「またよくない言葉を拾ってきてからに。あたしのことをなんだと思ってんの?」
「親友だった」
「過去形?」
信号が赤だったので、横断歩道の前で立ち止まる。
わたしの強まる視線を真琴はしなやかに受け流し、肩をすくめた。
「志穂を売り込んできたあたしに、なんてことをいうのかね」
「……どうだった、親友?」
答えは温かな視線だった。
わたしの頬は、熱が伝播したように緩む。
「しっかしあんたも、高瀬が座りそうな席をあらかじめ埋めるように仕組むくらいなら、さっさと告白すればいいのにね」
「それは恥ずかしい」
横断歩道の信号は青になったけど、わたしは頬の熱を味わうのに忙しく、足を踏み出せない。
確かに、真琴の言う通りではある。
真琴とわたしの人脈を駆使して、高瀬くんの出勤前に座席を埋めて、彼が座る位置を固定する。
それはわたしの席の斜め前で、モニターに遮られず、視線が絡む場所。
「せめて隣にすればよかったのに」
「無理。そんなに近くだと溶けちゃう」
「お熱いこって」
真琴は胸焼けしたように舌を出して、横断歩道の白を踏んだ。
「いつまでもあいつのアドレスがフリーとは限らないのにねー」
「わ、わかってる」
点滅しだした青信号に急かされながら、わたしは真琴を追いかけたのだった。
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