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フリーアドレスの行方

作者: 緋色
掲載日:2026/08/23

よろしくお願いいたします。

 俺が勤めている会社はフリーアドレスだ。

 そう、出勤時に座る席を自由に決められる、というアレ。

 気分次第で変えられるから毎日新鮮……と、ささやかな夢を見ていた時もあった。

 しかしそれは、出勤時間次第で狙った席につけないということでもある。

 だから俺は、今日も指定席のようなそこに近づいた。

「おはよう、高瀬(たかせ)くん」

 すると斜め前の席から、背中合わせのモニターの間を縫うように、挨拶を投げかけてくる人物がいた。

 細まった目が、じろりとした印象を与えてくるのは、同期の桐谷(きりたに)志穂(しほ)さんだった。

 柔らかな響きの名前に反して、バリキャリが服を着て歩いているような貫禄(かんろく)があり、とても同年代とは思えない。

「――ああ、おはよう」

 俺が一瞬、返事を遅らせてしまったのは、桐谷さんに咎められているような気持ちになったからだ。

 同期で一番仕事ができる桐谷さんに、俺は引け目を感じていた。

 そしてその引け目は、俺にあと一歩を踏み込ませずにいる。

 俺は、「高瀬悠真(ゆうま)」のラベルが貼られた、無機質なロッカーへと足先を向けた。

 昨日、退勤時にしまったノートパソコンを取り出すため、という言い訳は今の俺にとって都合がよかった。



 わたしこと桐谷志穂は、ロッカーに向かう高瀬くんの後ろ姿を、目を細めて見やった。

 ――今日も和やかに挨拶できた。

 そんな風に自画自賛。

 わたしの熱視線に彼もメロメロのはず。

 だから、もうそろそろ告白してきてくれるはず。

 それとも、わたしから屋上に呼び出して、舞台を整えてあげるべきか。

「どう思う、真琴(まこと)?」

 わたしは隣の席の同期に、そっと話しかけた。

 呼びかけにポニーテールが緩やかに揺れる。

 いつもは跳ね馬のように活発な彼女は、呆れの視線を向けて、ため息をついてきた。

「屋上は鍵がかかってるから入れないよ」

「残念」

 さすが、同期にして親友の相原(あいはら)真琴。

 明らかに言葉足らずだったわたしに、的確な返答をしてくれた。

 せっかくの名案が日の目を見ず、わたしは眉を寄せる。

 そんなわたしをどう見たのか、真琴は視線をモニターに走らせて興味なさそうに囁くのだった。

「あと彼、睨まれただけだと思ってるよ、きっと」

「うそ」

 思わず、座席に戻って来た高瀬くんに視線を投げかける。

 彼の顔はいつも通りよく見えるものの、その表情はどこか強張っているようだった。

 なぜ。

 あれこれと、外堀は埋めていってるはずなのに。

 わたしの手は半ば自動的にメーラーを立ち上げるものの、頭の中は疑問で埋め尽くされたのだった。



「なあ、相原。ちょっと相談があるんだが」

「180円で手を打つよ」

 という交渉で、俺は同期の相原真琴を、オフィス外の廊下にある自販機まで呼び出した。

 少々値の張る、相原ご所望のペットボトルが落ちる音が響く。

 対して俺は、世知辛く120円の缶コーヒー。

 お互いの飲み物を開けて一口飲んだところで、俺はおずおずと相原に視線を投げかけた。

「……桐谷さんだけど。俺のこと、なんか聞いてないか?」

 相原の性格はさっぱりしている。

 だから単刀直入に聞いたわけだが、予想に反して相原はなにやら温かい視線を向けてきた。

「どういう意味なんだ、その視線は?」

「ふっふー。まあ、あれよ。頼もしい人、という話は聞いてるけどね」

「……そうなのか?」

 プラス評価だったと胸を撫で下ろす反面、なら桐谷さんのあの視線はどういうことなのかと、訝しく思ってしまう。

 俺の表情が続きを促していたのか、相原は続けた。

「手首の骨のでっぱりがたくましいとか、重い荷物を持ってくれたとか、声がチェロみたいとか、意見を聞いてくれたとか、まあ色々?」

 俺の首は傾くばかりだ。

 でっぱりとかチェロとか、なんのことやら。

 そんな俺を、相原はニマニマとした笑みで見上げてくる。

「そういう高瀬はどうなのさ。志穂のこと、どう思ってんの?」

 ぎくりとどきりが同時に押し寄せる。

 普段は「桐谷さん」としか意識しない彼女の名前が飛び出してきたとなれば、なおさらだった。

 相原の瞳には、からかいだけでなく真剣さも浮かんでいて、俺は思わず廊下の窓の外を意味もなく見てしまう。

「……知ってんだろ」

「うーわ、ずっるい返事」

「……仕事が丁寧で早い、よく気がつくし、考え込んでいる横顔が凛々しくて、キーボードを叩く指先が綺麗だ。これでいいかっ」

 半ばやけくそになって吐き出すも、上がる体温はどうしようもなかった。

 それを冷ますように一気に缶コーヒーを飲み干すと、俺は空き缶を雑にゴミ箱に突っ込んだ。

「桐谷さんには言うなよ」

「へえへえ」

 俺は逃げるように、その場を後にした。



 わたしは、お昼ご飯を買いに行くと言って、真琴をオフィスから外へ連れ出した。

「――何の話をしてたの、真琴」

「どうやったらそんな冷凍庫みたいな声出せんの?」

 真琴はまるでこたえない。

 元気にポニーテールを揺らして、わたしの横を歩く。

 彼女は朗らかで人当たりが良く、そして愛嬌がありスタイルもいい。

 そんな真琴が高瀬くんに呼び出されて、おそらく個人的な話をしていた。

 わたしの視線に力がこもる。

「……フレネミーなの?」

「またよくない言葉を拾ってきてからに。あたしのことをなんだと思ってんの?」

「親友だった」

「過去形?」

 信号が赤だったので、横断歩道の前で立ち止まる。

 わたしの強まる視線を真琴はしなやかに受け流し、肩をすくめた。

「志穂を売り込んできたあたしに、なんてことをいうのかね」

「……どうだった、親友?」

 答えは温かな視線だった。

 わたしの頬は、熱が伝播したように緩む。

「しっかしあんたも、高瀬が座りそうな席をあらかじめ埋めるように仕組むくらいなら、さっさと告白すればいいのにね」

「それは恥ずかしい」

 横断歩道の信号は青になったけど、わたしは頬の熱を味わうのに忙しく、足を踏み出せない。

 確かに、真琴の言う通りではある。

 真琴とわたしの人脈を駆使して、高瀬くんの出勤前に座席を埋めて、彼が座る位置を固定する。

 それはわたしの席の斜め前で、モニターに遮られず、視線が絡む場所。

「せめて隣にすればよかったのに」

「無理。そんなに近くだと溶けちゃう」

「お熱いこって」

 真琴は胸焼けしたように舌を出して、横断歩道の白を踏んだ。

「いつまでもあいつのアドレスがフリーとは限らないのにねー」

「わ、わかってる」

 点滅しだした青信号に急かされながら、わたしは真琴を追いかけたのだった。

読んでいただき、ありがとうございました!

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