亡くなってわかった、母の大きさ、そして奇跡
ふとした瞬間に、もう会えないはずの人の温もりを感じることがあります。
朝の光、信号待ちの静寂。日常の何気ない隙間に、不意に溢れ出す母の記憶。
これは、宮崎で力強く生きた一人の女性と、その背中を追い続けた息子の、魂の記録です。
朝の光が、やけにまぶしい日がある。
そんな日は決まって、母のことを思い出す。
仕事へ向かう車の中。
信号待ちでふと気を抜くと、胸の奥から込み上げてくるものがある。
気づけば、視界が滲んでいる。
「情けないな、もう59やのに…」
そう呟いても、涙は言うことを聞かない。
母は、宮崎で生きた人だった。
誰にでも声をかけ、誰にでも笑いかける。
近所の人も、親戚も、店の人も——みんなが母を好きだった。
朝から夜遅くまで働いて、三人の子どもを育てた。
弱音なんて、一度も聞いたことがなかった。
そんな母が、78歳のとき、胆管癌と告げられた。
余命3か月。
あの日の空気は、今でも忘れられない。
けれど、母は諦めなかった。
そして家族も、諦めなかった。
病院を変え、手術をしてくれる医師を探し続けた。
ようやく見つかった一人の先生。
手術は、成功した。
——あれは奇跡じゃない。
母が、生きようとした力だった。
そこからの5年間。
神様がくれた、特別な時間。
ただ、母は少しずつ、記憶を手放していった。
アルツハイマー。
帰省すると、同じ言葉を何度も繰り返した。
「お父さんに米、精米してきてもらうから、持って帰り」
「焼酎も買っとるよ。あんたにやらんとね」
5分後、また同じことを言う。
「母ちゃん、それさっき聞いたよ」
そう返す自分に、どこかで苛立ちがあった。
けれど今ならわかる。
母は“忘れていた”んじゃない。
“何度でも伝えたかった”んだ。
——お前のために、何かしてやりたい。
その想いだけは、消えなかった。
酒と米の入った段ボール。
届くたびに、少しだけ面倒に感じていた。
「こんなにいらんのに…」
あの頃の自分に言ってやりたい。
それは荷物じゃない。
母の命そのものやぞ、と。
母は、2月20日。
冬の静けさの中で、逝った。
浴槽の中、正座をしたまま。
まるで、誰かに手を合わせているような姿だったと聞いた。
最後まで、母らしい。
通夜の夜。
不思議なことが起きた。
買い出しに出て、車を降りた瞬間。
触れてもいないスマホが、突然動き出した。
音楽とともに、思い出の動画が流れ始めた。
そこには、母がいた。
笑っていた。
何気ない日常の中で、確かに生きていた母。
その場に立ち尽くした。
「……母ちゃん」
声にした瞬間、涙がこぼれた。
それだけじゃなかった。
遺品を整理していたとき、ふと手に取った一冊の本。
表紙に書かれていたのは——
「ありがとう」
胸が締めつけられた。
さらに四十九日。
静かな部屋で、ふと感じた。
誰かが、そっと髪に触れたような感覚。
振り返っても、誰もいない。
でも、不思議と怖くはなかった。
ただ、あたたかかった。
——ああ、母ちゃんや。
そう思った。
きっと言いに来たんだ。
「ちゃんと見とるよ」
「ありがとうね」
と。
今でも、後悔はある。
もっと優しくすればよかった。
もっと話を聞けばよかった。
でも同時に、確信していることもある。
母は最後まで、幸せだった。
なぜなら、記憶をなくしてもなお、
同じ愛情を、何度でもくれたから。
それは、心が満たされていた証だ。
だから今日も、涙が出るなら出ればいい。
我慢しなくていい。
その涙は、弱さじゃない。
母がちゃんと愛してくれた証だ。
エンジンをかける。
前を向く。
バックミラーの向こうに、
ふと、母の笑顔が見えた気がした。
——「ありがとう」は、まだ聞こえている。
後悔は、愛情の裏返しだと言います。
「もっとこうしていれば」という痛みは、それほどまでに相手を大切に想っていた証拠。
お母様が遺した言葉、そして目に見えない指先の感触は、今もあなたの中に生き続けています。
涙を拭ったあとのバックミラーには、きっと今日も、優しい笑顔が映っているはずです。




