第12話 それをやると、戻れなくなる
その日は、処置の合間に妙な空白があった。
忙しくないわけじゃない。
むしろ、根の状態は悪い。
なのに、指示が来ない。
「……今日、珍しく静かですね」
俺が言うと、リリエラは歩きながら答えた。
「上が会議中」
「ああ……」
それで納得してしまう自分が、もう現場側だ。
■ 何も言わない時間
次の根へ向かう通路。
いつもなら、リリエラは何かしら言う。
注意とか、最低限の説明とか。
今日は、何も言わない。
俺の胸の奥が、じわじわ落ち着かなくなる。
「……あの」
我慢できずに口を開いた。
「昨日のこと」
「うん」
「やっぱり、まずかったですよね」
リリエラは、すぐに答えなかった。
足を止める。
振り返る。
「……まずい、というより」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「越えた」
喉が鳴った。
「一線、ですか」
「ええ」
即答だった。
■ リリエラの“止める理由”
彼女は、根の絡まる壁に手を置いた。
触れていないのに、そこに“ある”と分かっている手つき。
「ねえ、カナタ」
「はい」
「あなたは、昨日」
間。
「誰にも強制されてない」
俺は頷いた。
「命令もなかった」
頷く。
「評価のためでもなかった」
……そうだ。
「それでも、やった」
「……はい」
リリエラは、静かに言った。
「それが、危ないの」
危ない理由が、まだ見えない。
■ 昔の話(でも語らない)
「前にもね」
彼女は、遠くを見る。
「“同じこと”をした人がいた」
胸が、きゅっと縮む。
「その人も、言ってたわ」
――これくらいなら、誰も困らない。
――数字も問題ない。
――むしろ、現場のためだ。
俺の昨日の思考と、完全に重なった。
「……その人は」
聞かずにはいられなかった。
「どうなったんですか」
リリエラは、少しだけ笑った。
笑顔ではない。
「評価は、上がった」
「え」
「現場判断ができる、優秀な人材だって」
胸が冷える。
「じゃあ……」
「仕事は、増えた」
想像できる。
「裁量も、増えた」
それも。
「最後は」
一拍。
「誰にも止められなくなった」
止められなくなる。
「……壊れた?」
俺が聞くと、リリエラは首を横に振った。
「違う」
違うのか。
「残った」
残った?
「世界が、切り捨てられた後も」
言葉が、理解を拒んだ。
■ 選ばれる側になる、ということ
「優秀な人はね」
リリエラは続ける。
「“選ばれる”」
嫌な言い方だ。
「選ばれて、任されて」
「結果を出して」
「気づいたら」
彼女は、俺を見た。
「切る側に立ってる」
俺の背中を、冷たいものが流れた。
「……俺は、そんなつもり」
「分かってる」
即答。
「最初は、みんなそう」
みんな。
「だから、止める」
「でも」
俺は、言葉を絞り出した。
「昨日の俺、間違ってました?」
リリエラは、すぐに答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
■ 正しさは、危険だ
「間違ってない」
やっと出た言葉。
「でもね」
彼女は、低く言う。
「正しい判断が、全部を壊すこともある」
「……神みたいなこと言いますね」
皮肉のつもりだった。
リリエラは、少しだけ目を細めた。
「ええ」
短く。
「だから、嫌いなの」
その一言に、全てが詰まっていた。
■ 約束でも命令でもなく
「じゃあ」
俺は聞いた。
「俺は、どうすればいいです?」
リリエラは、少し考えた。
「止めない」
「え?」
「でも」
彼女は続ける。
「一人でやらない」
一人でやらない。
「選ぶなら」
「必ず、誰かに見せる」
「聞かせる」
「共有する」
それは、現場のルールじゃない。
逃げ道だ。
「それを破ったら」
彼女は、はっきり言った。
「私が、止める」
俺は、息を吐いた。
「……それ、脅しですか」
「忠告」
彼女は肩をすくめた。
■ 戻れなくなる、という意味
次の現場へ向かう。
歩きながら、俺は言った。
「戻れなくなるって」
「うん」
「元の世界に?」
リリエラは、首を横に振った。
「人として」
その言葉が、重い。
■ 今日の処置
根系ブロックE-68。
腐敗進行率59%。
俺は、ログを見た。
それから、根も見た。
「……リリエラさん」
「何」
「今日は」
一拍。
「一緒に、判断してください」
彼女は、少しだけ驚いた顔をしてから、頷いた。
「ええ」
それだけで、胸の奥が少し軽くなった。
処置は、問題なく終わった。
【腐敗進行率:59% → 56%】
ログには、こう書いた。
【処置:共同判断により実施】
評価は、どうでもいい。
今日、俺は一つだけ、守った。
一人で、選ばなかった。
世界樹が、ざわ……と鳴る。
――だいじょうぶ。
俺は、小さく返した。
「……一人じゃないです」
リリエラが、ほんの少しだけ笑った。
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