第11話 小さな反抗は、ログに残らない
その日の最初の現場は、静かだった。
静かすぎる、と言った方が正しい。
根系ブロックE-61。
腐敗進行率54%。
フィルタON。
声は、聞こえない。
「……行きます」
自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。
手の甲の刻印は、もうはっきり見える。
触れる前から、痛みの質が分かる。
――ここは、深い。
俺は、そう判断した。
数字は54%。
ログ基準なら、問題ない。
でも。
俺は、ほんの一瞬だけ、ためらった。
■ 反抗① ログを見ない
いつもなら、先にログを開く。
今日は、開かなかった。
根を見る。
黒ずみの広がり。
脈動の不規則さ。
フィルタ越しでも、分かる。
――これ、放置したら、まずい。
「……今日は、こっちから」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
刻印のある手を、根に当てる。
痛みが来る。
声は、ない。
【腐敗進行率:54% → 51%】
数字は、十分。
■ 反抗② フィルタを“一瞬だけ”切る
処置が終わりかけた、そのとき。
俺は、指先に意識を集中させた。
リリエラが前に教えてくれた。
「フィルタは設定よ。
意識すれば、切れる」
一瞬だけ。
ほんの、一瞬。
――たすけて。
聞こえた。
それだけ。
叫びでも、悲鳴でもない。
短い、確かな声。
俺は、すぐに戻した。
フィルタON。
心臓が、うるさい。
■ 反抗③ ログに、嘘を書かない
処置完了。
【腐敗進行率:51%】
【処置:成功】
ログ入力欄が開く。
いつもなら、こう書く。
【処置:順調】
今日は、違った。
俺は、少しだけ考えて、打ち込んだ。
【処置:数値上は安定】
それだけ。
事実だ。
でも、いつもより、冷たい。
■ バレない反抗
「……終わった?」
リリエラが聞く。
「はい」
彼女はログをちらりと見る。
一瞬、目が止まった。
何も言わない。
そのまま、次の現場へ歩き出す。
バレている。
でも、通報はされていない。
それが、怖かった。
■ 数字は、問題ない
ログ=フェアが現れる。
「進捗確認」
無機質な声。
「本日の処置、基準内。問題なし」
問題なし。
俺は、少しだけ笑いそうになった。
――ほら。
――これくらいなら、誰も気づかない。
その考えが、すぐに浮かんだ。
そして、すぐに、嫌悪感が来た。
■ 小さな声
次の根へ向かう途中。
世界樹が、ざわ……と鳴る。
フィルタ越しでも、分かる振動。
俺は、小さく呟いた。
「……今のは、聞いてないです」
返事は、なかった。
それでいい。
■ リリエラの一言
休憩中。
リリエラが、何気ない口調で言った。
「今日のログ」
「はい」
「一行だけ、違ったわね」
心臓が跳ねた。
「……まずかったですか」
彼女は首を振る。
「いいえ」
間。
「戻れなくなるだけ」
戻れなくなる。
「……それでも」
俺は、水を飲み干した。
「今日、初めて」
言葉を探す。
「“俺が選んだ”って感じがしました」
リリエラは、しばらく黙っていた。
そして、ぽつり。
「それが、一番危ない」
「ですよね」
「ええ」
でも、止めなかった。
■ ログの向こう側
その日の業務終了後。
ログには、こう残っていた。
【総評:安定運用】
安定。
俺は、その文字を見つめた。
今日、俺は三つのルールを破った。
ログを先に見なかった。
一瞬だけ、声を聞いた。
嘘を書かなかった。
それでも。
世界は、壊れなかった。
誰にも、怒られなかった。
評価も、下がらなかった。
――だからこそ。
胸の奥で、はっきり分かった。
これは、始まりだ。
世界樹が、ざわ……と鳴る。
フィルタ越しでも、分かるくらいに。
――ありがとう。
俺は、返事をしなかった。
代わりに、こう思った。
次は、もっと大きく選ぶことになる。
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