第1話 配属先:世界樹管理局・保守課(非正規)
世界樹を守る仕事だと聞いていました。
世界の命を支える大切な役目で、
神様からも感謝されて、
きっとやりがいのある仕事なんだろうと。
でも実際に配属されて分かったのは、
「どこを切れば、世界が一番安定するか」を
毎日考える職場だということでした。
しかも、切るほど評価が上がります。
これは、
世界を救う英雄の話ではありません。
正しい判断を続けた結果、
だんだん「選べなくなっていく」
管理人の話です。
目を開けた瞬間、天井がなかった。
正確に言えば、天井の代わりに――枝があった。
空を覆うほど巨大な幹から無数の枝が伸び、葉の隙間から白い光が降ってくる。風が通るたび、葉が擦れて、ざわ…ざわ…と海みたいな音を立てた。
「……え、ここどこ」
声がやけに乾いて聞こえる。喉の奥が痛い。身体も重い。徹夜明けの帰宅途中、駅の階段を上るところまでは覚えている。いや、違う。階段の最後の一段で視界がふっと暗くなって――。
そこから先がない。
足元は石畳だった。けれど石畳の隙間から、淡い光が糸みたいに滲んでいる。地面の下で何かが脈打っているのが、靴底越しに伝わってきた。
ざわ…ざわ…という音に、耳鳴りのような高いノイズが混ざる。
「うわ、何だこれ……」
頭の奥がキリキリする。まるで、巨大な機械の中に迷い込んだみたいだ。
そのとき、前方の空間が“割れた”。
ガラスがひび割れるみたいに、空中に幾何学模様の亀裂が走り、白い光が漏れる。亀裂がゆっくり広がり、そこから人影が一人、すっと現れた。
人影は、白いローブをまとった青年だった。髪は淡い金。顔立ちは整っているのに、妙に「感情」が薄い。笑っているはずなのに、笑っていない――そんな感じだ。
「初めまして。ご足労いただき、誠にありがとうございます」
青年は胸に手を当て、深々と頭を下げた。
礼儀だけは完璧だ。
「……いや、こちらこそ? え、すみません、ここどこですか。あと、俺――」
「あなたは選ばれました」
被せるように言われた。
あ、これ、アレだ。異世界召喚のテンプレ。勇者、聖女、救世主。そんな単語が脳内に浮かぶ。
俺は、反射的に背筋を伸ばした。
「世界は今、危機に瀕しています。世界樹の稼働率が低下し、多世界の安定が――」
言葉が難しい。稼働率? 多世界? いや待て、世界樹?
俺は頭上の巨木を見上げた。枝の向こうに、さらに上の幹が見える。どこまでも続いている。確かに“樹”だ。樹というか、世界そのものが木の形をしている。
青年は続けた。
「この危機を乗り越えるため、あなたには――」
来た。勇者任命。剣と魔法。チート能力。可愛い仲間。冒険。逆転人生。
俺は喉を鳴らして、頷いた。
「……俺に、何をすれば」
青年は微笑みを崩さず、両手を差し出した。
「雇用契約の締結です」
「……は?」
差し出された両手の上に、光の板が出現した。紙じゃない。薄いガラスみたいな、透明な板。そこに文字がびっしり並んでいる。
契約書だ。どう見ても契約書。
「え、勇者じゃなくて?」
「はい。勇者という制度は、現在の運用ではコスト対効果が低く……失礼、効率がよろしくありません」
効率。コスト対効果。聞き慣れた単語が、異世界の口から出てくると怖い。
青年はにこやかに続ける。
「あなたには、世界樹管理局にて保守運用業務を担当していただきます。職種は――」
光の板の文字が、すっと大きくなった。
【配属:世界樹管理局 保守課(非正規)】
「……非正規?」
俺の声がひっくり返った。
青年は頷く。
「試用期間を経て、適性が認められた場合、契約更新の可能性がございます」
「いや、可能性って……」
俺は文字を追った。給料、勤務時間、休日……。
【勤務時間:不定(世界樹の稼働状況に応じる)】
【休日:原則なし(緊急時はこの限りではない)】
【残業代:規定により支給対象外】
――対象外?
「ちょっと待って。これブラック企業では?」
青年は柔らかく首を傾げた。
「ブラック、とは?」
あ、概念がないやつだ。
「えっと……えげつない、みたいな」
「なるほど。では、適切な表現に修正いたします。えげつない企業ではありません。神聖な機関です」
修正になってない。
俺は喉の奥が冷たくなるのを感じた。目の前の青年が“神”なのか“天使”なのか分からない。でもこの空気、知ってる。会社の説明会で聞いたやつだ。丁寧な言葉で、条件の地雷を埋めるやつ。
「そもそも、断れます?」
「もちろんです」
青年は即答した。即答すぎて怖い。
「ただし、あなたが断った場合、代替要員の確保までの間、世界樹の崩壊リスクが上昇します。あなたの良心にお任せいたします」
良心に任せるという名の脅迫。
俺は口を開けたまま固まった。
青年はさらに、さらりと言う。
「現在、世界樹の稼働率は――」
光の板にグラフが浮かぶ。見覚えのある棒グラフ。右肩下がり。現実でも嫌というほど見た。
【稼働率:62.4%】
【危険域:60%以下】
【推定到達:48時間以内】
「……あと二日でアウト?」
「はい。誠に遺憾ながら」
遺憾って、遺憾って言い方が腹立つ。
俺は頭を抱えた。さっきから耳鳴りが止まらない。ざわ…ざわ…という葉擦れの音の奥で、確かに“何か”が呻いている気がする。
――助けて。
そんな声が混じったような、混じらなかったような。
「……っ」
青年は、こちらの反応を“観察”している。急かさない。急かさないが、時間がないのは分かっている。こういうのが一番逃げ場がない。
俺は契約書の末尾に目を落とした。
小さな文字がびっしりだ。読む気が失せる。だが、視線の端に引っかかる一文があった。
【世界存続に関する最終責任は、管理補助者に帰属する】
管理補助者。俺のことだ。
「……え」
「何か?」
青年が穏やかに問う。
俺は笑ってしまいそうになった。いや、笑うしかない。
「責任、全部こっち?」
「最終責任、です」
「最終って何……。上がいるでしょ。神様とか」
青年は、にこりと笑ったまま言った。
「我々は管理者です。責任は、現場にあります」
現場。
現場って言った。
その瞬間、俺の中で何かが決定的に終わった。異世界に来て人生逆転、なんて夢は砕け散った。ここは異世界じゃない。職場だ。しかもクソ重たいインフラの運用現場だ。
――世界規模の。
俺が固まっていると、青年の背後の空間が再び揺らいだ。
今度は割れるのではなく、影が滲むように現れた。
現れたのは女だった。黒に近い銀髪。目つきが鋭い。ローブではなく、動きやすそうな黒い装束。腰には工具みたいなものがぶら下がっている。
彼女は俺を見るなり、鼻で笑った。
「新入り? 運が悪いわね。今週、当たり週よ」
「当たり週?」
俺が聞き返すと、彼女は肩をすくめる。
「根が腐ってる。枝も二本、逝きかけ。ログは欠損。上は“想定内”って言う。いつも通り」
いつも通り……?
俺は青年を見る。青年は相変わらず丁寧な笑顔だ。
「こちらは保守課の先任担当者、リリエラさんです。今後の業務は、彼女がOJTとして――」
「OJT? 言うじゃない」
リリエラは青年に視線を投げ、冷えた声で言った。
「引き継ぎ資料は?」
青年は瞬きもせず答える。
「ございません」
「でしょうね」
会話のテンポが完全に“現場”だ。俺の胃が痛くなる。
リリエラは俺の目の前まで来て、契約書をちらりと見た。
「サインした?」
「……まだ」
「じゃあ、読んだ方がいい。小さい字で死ぬほどヤバいこと書いてあるから」
「今まさに見た……」
リリエラは口元だけで笑う。
「でもね。読んでも結局サインすることになる。世界が壊れるって言われたら、人は逃げられない」
それ、経験談だ。
俺は息を飲んだ。彼女の言葉の端に、重いものが混じっている。
青年が手を差し出す。
「それでは、最終確認です。カナタ・シグレさん」
いつの間に俺の名前を。
「あなたは、世界樹を救いますか?」
救いますか、じゃない。働きますか、だろ。
俺は光の板を見つめた。稼働率62.4%。48時間以内に危険域。耳の奥の呻き。地面の下の脈動。
それを放って帰れる場所なんて、どこにもない。
「……救うって言い方、ずるいな」
俺は小さく呟き、指先を光の板に触れた。
サインした瞬間、板がふっと消える。代わりに、手の甲に淡い紋様が浮かび上がった。枝の形をした、小さな印。
リリエラが目を細める。
「刻印、出た。あんた、適性あるわ」
「適性って……」
青年が深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。これよりあなたは世界樹管理局・保守課の一員です。世界の安定にご協力いただけること、心より感謝申し上げます」
感謝じゃなくて給料くれ。
喉まで出かかったが、飲み込んだ。
リリエラが俺の腕を掴む。
「立って。初日から悪いけど、もう現場」
「え、研修とか――」
「ない」
即答。
彼女は俺を引っ張り、石畳の奥へ歩き出した。巨大な根が絡み合う回廊のような場所。そこに近づくにつれ、耳鳴りがひどくなる。葉擦れの音の奥に、確かに“声”が混ざる。
――やっと、来た。
俺は背筋が凍った。
「今、何か言いました?」
俺が尋ねると、リリエラは一瞬だけ足を止めた。
そして、ほんのわずかに視線を逸らして言う。
「……気のせい。世界樹は喋らない」
言い切り方が、妙に硬い。
青年――神様らしき存在が、背後から穏やかに告げた。
「それでは、業務開始です。まずは根系の応急処置を。稼働率が60%を下回る前に」
俺は口を開けた。
「……あの、工具とか、何使うんですか」
リリエラは振り返らず、低い声で言った。
「あなたの命」
その言葉が冗談に聞こえないのが、いちばん怖かった。
ざわ…ざわ…と、葉が鳴る。
世界が、妙に静かだった。祝福も、奇跡も、ファンファーレもない。ただ、巨大な樹の下で、現場が回っている。
俺はその現場に放り込まれた。
しかも、非正規で。
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