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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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婚約破棄されたので、クズ王子に呪いを返品します。身代わり公爵様は私を離してくれません

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/04/03

 

「よしよし……大丈夫。ここにいますからね」


 私はベッドの端に腰掛け、苦しげに身をよじる男の背中を、一定のリズムでゆっくり撫でていた。


 子どもをあやすみたいに。

 怯える獣を宥めるみたいに。

 優しく、静かに、絶え間なく。


「……っ、ぐ……!」


 シーツを握る彼の指は白く強張り、額には脂汗が浮かんでいる。喉の奥で押し殺したうめきが漏れるたび、こちらの胸まできしむようだった。


 彼の身体の中を、今この瞬間も、焼けた鉄の杭みたいな激痛が走っている。


 それは想像ではない。私にも、ちゃんと()()()()いた。


 彼の手を握る私の左手から、同じ痛みが流れ込んでくるから。


 彼にかけられた呪いは、触れた相手に痛みを分け与える性質を持つ。

 だから今、私が手を握っている分だけ、彼の苦しみは軽くなっていた。


 骨の奥が軋むような痛み。

 皮膚の下を熱い針が這い回るような不快感。

 普通の人なら叫ぶ。気絶する。逃げ出す。


 でも私は、眉ひとつ動かさず手を握り続けた。


 前世、看護師だった。

 痛みに呻く人を前にして、自分が先に怯えるような真似は、あの頃に散々卒業している。


「……はぁ、っ……は……」


 浅く乱れていた呼吸が、少しずつ深くなる。

 強張っていた肩から力が抜けていく。

 私は空いている手で、黒髪をそっと梳いた。


「いい子ですね。大丈夫、大丈夫」


 いつの間にか、口調まで看護師時代に戻っていた。


 彼――サイラス・アーヴェント公爵は、冷たい青い瞳を薄く開いた。氷のように澄んだその目は、今は熱に浮かされ、痛みと疲労でひどく頼りない。


「……セシル……?」


「はい。いますよ」


「なぜ……ここに……。離れろと……言った、だろう……」


 弱々しい声だった。

 自分の痛みより、私を巻き込む方を恐れている声だ。


 本当に、この人はどうしようもなく優しい。


「離れません」


 私は指を絡めるように握り直した。


「ひとりで耐える必要はありません。半分は私がもらいます」


「馬鹿を……君まで……壊れる……」


「壊れません。私、見た目よりずっと頑丈なんです」


 にっこり笑ってみせる。


 実際には背中まで汗で濡れているし、全身の骨は痛むし、今立てと言われたらたぶん膝が笑う。

 でも、患者の前で弱るのは三流だ。少なくとも前世の私は、そう教わった。


「ほら、もう喋らないで。目を閉じて」


 髪を撫でる。額の汗を拭う。魔力の流れに、自分の“鎮める”意志をそっと重ねる。


「朝まで私がいます。悪夢も痛みも、半分こです」


 サイラスは何か言いたげに唇を動かしたが、やがて諦めたように瞼を閉じた。


 それからしばらくして、彼の寝息が規則正しくなる。


 眠った。


 私はようやく大きく息を吐き出した。


「……っ、はぁ……」


 全身がずしりと重い。

 でも、目の前の人が朝まで眠れたなら安いものだ。


 ランプの火を少しだけ落として、私は眠る彼の顔を見つめた。


 苦痛に歪んでいない時のサイラスは、驚くほど若く、美しい。

 世間では“冷徹公爵”だの“呪われた化け物”だのと呼ばれているけれど、そんなものはただの言いがかりだ。

 本当の彼は、痛みに耐えすぎて、人と関わる余裕をなくしていただけの、不器用で誠実な青年でしかない。


 私はそっと彼の頬に触れた。


(……絶対に、治す)


 そう決めた瞬間、三日前の光景が脳裏に蘇る。


 婚約破棄の場で、勝ち誇ったように笑っていた、あの男の顔が。



 ◇◆◇



「セシル・ヴァレリー! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」


 王城の大広間に、第一王子レイモンドの高らかな声が響き渡った。


 その隣では、男爵令嬢シェリーが彼の腕にべったりと絡みついている。

 砂糖菓子みたいな甘ったるい笑顔、可愛らしいピンクのドレス、あざとい上目遣い。

 いかにも男が好みそうな女だった。


 周囲の貴族たちがざわめく。

 憐れみ、好奇、嘲笑。さまざまな視線が私に突き刺さる。


 けれど私の心にあったのは、悲しみでも絶望でもなかった。


 歓喜だ。


(やっとか)


 心の底からそう思った。


 レイモンド王子は、顔だけは良い。

 だが中身はどうしようもなかった。


 夜更かし、暴飲暴食、公務放棄、浪費癖。


 私が「お酒を控えてください」「睡眠時間を取ってください」「予算書に目を通してください」と言うたびに、「うるさい」「お前は冷たい」と子どもみたいに癇癪を起こす。


 前世が看護師だった私から見れば、あれはもはや婚約者ではない。手のかかる患者だった。


「……承知いたしました」


 私は一礼した。


 あまりにもあっさりした返事だったせいか、レイモンドは一瞬きょとんとした顔をした。

 次の瞬間には真っ赤になって怒鳴る。


「なんだその態度は! 泣いて縋るところだろうが!」


 いや、振ってきたのそっちですよね?


「殿下のご判断を尊重したまでですわ。どうぞ、その方とお幸せに」


「ふん! 強がりを! だが、ただ婚約破棄して終わりだと思うなよ」


 嫌な予感がした。


 レイモンドは口元を歪め、みんなに聞こえるように宣言した。


「貴様の嫁ぎ先は、すでに決めてある! サイラス公爵家だ!」


 会場の空気がざわ、と揺れた。


 サイラス公爵。


 王国随一の名門にして、誰も近づかない呪われた公爵家。夜ごと屋敷から唸り声が聞こえるだの、嫁いだ女は三日ともたず逃げ出すだの、そんな噂ばかりが先行している場所だ。


「まあ、怖い……」

「あの化け物のところへ?」

「気の毒に……」


 好き勝手な囁きが飛び交う。


 シェリーはわざとらしく身を震わせた。


「きゃあ、サイラス公爵って怖い方なのでしょう? セシル様、お可哀想ぉ」


 うるさい。

 あなたに可哀想と言われる筋合いはない。


 私が黙っていると、レイモンドがすっと近づいてきた。周囲には聞こえないよう、小声で囁く。


「……なぜあいつが誰も寄せつけないか、教えてやろうか?」


「興味ありません」


「王家が受けるべき呪いを、あいつが代わりに背負ってるからだよ」


 一瞬、意味が分からなかった。


「幼い頃、あいつは俺のことを親友だと思っていた。だから“痛みも分け合おう”って言えば、簡単に契約した」


 レイモンドは愉快そうに笑った。


「実際は共有契約じゃない。一方的な譲渡だ。王家が受ける穢れも痛みも、ぜんぶあいつに押し付けてやったのさ」


 私は息を呑んだ。


 何それ。


 それじゃあサイラス公爵は、呪われているんじゃない。

 この男の身代わりにされているだけじゃないか。


「最近は痛みが強くなってきたらしくてな。誰も嫁ぎたがらん。だからちょうどいい。用済みのお前をくれてやる」


 ぽん、と肩を叩かれる。


「地獄の苦しみを味わえ。どうせ似合いの夫婦だろう?」


 そこで私は理解した。


 この男はただの馬鹿じゃない。

 人の善意に寄生して生きる、腐った病原体だ。


 幼馴染であり、忠臣でもある公爵を騙し、自分の痛みを押し付け、そのうえ笑いものにする。


 怒りを通り越して、静かな殺意が湧いた。


 だから私は、微笑んでやった。


「承知いたしました」


 そして、彼にだけ聞こえる声で告げる。


「どうぞ、後悔なさいませんように」



 ◇◆◇



 その日のうちに、私はトランクひとつで公爵邸へ送られた。


 初めて会ったサイラスは、噂とはまるで違った。


 冷たくも高慢でもない。

 ただ、顔色が悪すぎた。


 青白い肌、深い隈、痩せた頬。美貌がどうこう以前に、明らかにまともな睡眠を取れていない人間の顔だった。


「……俺に関わるな」


 彼は低い声で言った。


「離れで暮らせ。食事も必要なものも不足なく用意させる。だが本邸には来るな」


 突き放すような物言い。

 でも、その奥にあるのが拒絶ではなく配慮だと、元看護師の勘が教えてくれた。


 巻き込みたくないのだ、この人は。


 そんな人が夜更けに苦痛で呻いている気配を感じて、放っておけるほど私は薄情じゃない。


 だから私は、その夜、離れを抜け出した。


 主寝室の前には誰もいなかった。

 中から漏れてくる荒い呼吸と、押し殺した苦鳴だけで十分だった。


 扉を開けた時、サイラスはベッドの上で身体を折り、ひとりで痛みに耐えていた。


 あの瞬間の光景は、たぶん一生忘れない。


 私は迷わず彼の手を取った。

 すると、焼けるような痛みが自分の身体にも流れ込んできた。


 でも同時に分かったのだ。

 この呪いは、接触した相手へ痛みを分けることで、宿主の負担を軽くする。


 なら話は早い。


「半分、もらいます」


 それが、私たちの最初の夜だった。



 ◇◆◇



 翌朝。


 カーテンの隙間から差し込む朝日で、サイラスが目を覚ました。


 彼は数秒ぼんやり天井を見つめ、それから勢いよく起き上がった。


「……朝……?」


 信じられない、という顔だった。


 そりゃそうだろう。何年ぶりかで眠れたのかもしれない。


「おはようございます、旦那様」


 私が椅子に座ったまま声をかけると、彼は弾かれたようにこちらを見る。


「セシル……! 君、昨夜ずっと……?」


「ええ。手を離さないと約束しましたから」


 つないだままの手を軽く持ち上げて見せると、彼の顔がまた青ざめた。


「何をしている! 君まで呪いに当たる!」


「当たっていますよ」


「なら、なぜ平然としている!」


「平然ではありません。全身痛いです」


 正直に言うと、サイラスは固まった。


「……でも、耐えられないほどじゃない。少なくとも、ひとりで全部抱えるよりずっとましでしょう?」


「それは……」


「昨夜、眠れましたよね?」


 彼は黙ったまま、ゆっくり頷いた。


 私はそこで、水差しからグラスに水を注いで彼へ渡した。


「飲んでください。かなり脱水気味です」


 彼は素直に飲んだ。

 こういうところが、本当に患者としては優秀だ。どこぞの王子とは大違い。


 彼が少し落ち着いたところで、私は本題を切り出した。


「レイモンド殿下から聞きました」


 サイラスの手がぴくりと揺れる。


「王家の呪いを、あなたが身代わりに引き受けていると」


 沈黙。


 やがて彼は、自嘲するように笑った。


「……そうだ。俺は幼い頃、あいつの言葉を信じて契約した。“親友なら痛みも分け合える”と」


「実際は?」


「一方的な譲渡契約だった」


 その声に怒りはなかった。

 ただ、長年諦め続けてきた人の、乾いた疲れだけがあった。


「逃げることもできない。王家の呪いを拒めば、この国に災いが満ちると教えられてきたからな」


「それ、嘘です」


 私が即答すると、サイラスが目を見開いた。


「……なぜそう言い切れる」


「だって、あなたの身体が拒絶してますもの」


「拒絶?」


「ええ」


 私は彼の手首に指を当てた。脈を診る。


「あなたの症状は、ただ()()だけじゃない。身体の芯が、ずっと異物を追い出そうとしている反応です。熱、冷え、発汗、脈の乱れ、睡眠障害……全部そう」


 前世で嫌というほど見た。

 適合しないものを無理やり身体に入れられた時、身体は悲鳴を上げる。


「身体だけじゃありません。魂も同じです」


 私は彼を見上げた。


「本来あなたのものじゃない痛みを、あなたの優しさだけで無理やり受け入れていた。だから壊れかけた」


 サイラスの瞳が揺れる。


「でも、もうその必要はありませんよね?」


「……セシル」


「あなたが背負っていたのは責務じゃない。あの男が捨てたゴミです」


 言い切ると、彼は苦しそうに目を伏せた。


 それでも私は容赦しない。


 ここで遠慮したら、この人はまた自分を犠牲にしようとするから。


「私に少しだけ、あなたの治療をさせてください」


「治療……?」


「ええ」


 私は彼の手を両手で包んだ。


「呪いは流れです。今まであなたが受け取る側であり続けたから流れ込んできた。なら、受け取るのをやめるんです」


「そんなことが……」


「できます」


 根拠は、半分ある。半分は賭けだ。


「大事なのは、あなたが心から拒むこと。『親友だから』『国のためだから』っていう優しさを、全部切ることです」


 私は少し身を乗り出した。


「その優しさ、これからは私にだけ向けてください」


 言ってから、自分で少し照れた。

 でも撤回はしない。


 サイラスは呆気に取られた顔をしたあと、ふっと笑った。


「……君は、ずいぶん大胆だな」


「元看護師なので。命がかかると強気になります」


「命は……もう、君に預けてしまっている気がする」


 その言葉に、胸がやわらかく熱くなる。


「なら、なおさら大人しく患者さんをしてください」


「善処する」


「善処じゃなく従ってください」


 その日から、私たちの治療が始まった。




 ◇◆◇




 それからの日々は、まさに治療とリハビリだった。


 私は離れを引き払い、本邸に移った。

 サイラスが「夜だけでは足りない」と真顔で言うので、昼間の経過観察も必要だと判断したのだ。決して彼がひどく寂しそうな顔をしたからではない。……たぶん。


 昼間、彼は驚くほど仕事ができた。

 痛みに削られながらも公爵家を完璧に回していたのだから、本来の能力は凄まじい。


 でも、合間合間に必ず私の様子を見に来る。


「セシル、顔色が悪い」


「少し眠いだけです」


「寝ろ」


「私にも仕事があります」


「俺が抱えて運ぶ」


「大袈裟です」


 本当に、呆れるほど過保護だった。


 夜になると、私たちは同じベッドで眠った。

 手をつなぎ、時には身体を寄せ合って、痛みを分ける。


 最初はあくまで治療だった。

 でも、夜を重ねるほどに、それだけではなくなっていった。


「……痛くないか」


 暗い寝室で、サイラスがいつも聞く。


「最初の日よりずっとましです」


 それは本当だった。


 彼の中に根を張っていた呪いは、日に日に弱まっている。

 その代わり、窓の外へ抜けていく黒い霧のような魔力が見えるようになった。


 契約が崩れているのだ。


 サイラスが心からレイモンドを拒み、私が“返せ”と強く願うたび、呪いは居場所を失って発生源へ戻ろうとする。


「……いよいよですね」


 ある夜、私は窓の外へ流れる黒い靄を見ながら言った。


「ああ」


 サイラスが私の肩を抱き寄せる。


「正直、少しだけ思う。レイモンドは痛みに弱い。耐えられないだろうと」


「あら。ご心配ですか?」


「まさか」


 彼の瞳は静かで、もう迷っていなかった。


「俺はもう、あいつの身代わりになるつもりはない」


 その声は低く、確かだった。


「俺の命は、俺のために使う。……君のためにも」


 胸がいっぱいになる。


「救われましたね、旦那様」


「君に?」


「ええ」


「……ああ」


 サイラスは、私の指先へ口づけた。


「君が来てくれて、ようやく人に戻れた」


 そう言われると、泣きたくなる。


 でもしんみりした空気は長く続かなかった。


「セシル」


「はい」


「もう一か所、触れたい」


「どこに?」


 問うた瞬間、彼の指先が私の唇をなぞった。


 熱い。


「……断る理由があります?」


 そう返したら、次の瞬間には唇が重なっていた。


 最初はそっと。

 でもすぐに足りなくなったみたいに、何度も、何度も。


 痛みを分け合うためじゃない。

 ただ、お互いを欲しいと思って触れ合うキスだった。


 その夜、私たちはかなり寝不足になった。

 治療に支障は出ない範囲で、だけれど。




 ◇◆◇




 その頃、王城の離宮では、別の意味で甘い夜が続いていた。


「ああん、レイモンド様ぁ」

「そうだ、もっとだ」


 婚約破棄して以来、レイモンドは好き放題だった。

 シェリーを侍らせ、公務は最低限、昼から酒。私という管理者がいなくなって、完全に箍が外れていた。


「あの女、今頃どうしてるかなぁ」


 レイモンドは葡萄酒を煽りながら嗤った。


「きっと公爵家で泣いてるぞ。いい気味だ」


「セシル様ったら、本当にお可哀想ぉ」


 シェリーもくすくす笑う。


 その時だった。


 どくん、と、部屋の空気が不穏に震えた。


「……ん?」


 最初は胸の違和感だけだった。

 次の瞬間。


 バギ、と骨の内側から砕けるような衝撃が、レイモンドの全身を貫いた。


「――ぎゃあああああああっ!?」


 グラスが床に落ち、真っ赤な葡萄酒が絨毯に飛び散る。レイモンドはソファから転げ落ち、床の上でのたうち回った。


「痛い! 痛い痛い痛い!! なんだこれ、熱い、裂ける、死ぬ!!」


 今まで一度も自分では味わったことのない痛み。

 自分が他人へ押し付けていた地獄が、まとめて戻ってきた。


「レ、レイモンド様!? どうしたんですの!?」


 シェリーが悲鳴を上げて後ずさる。


 レイモンドは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま、彼女へ手を伸ばした。


「助けろ! 触れろ! 痛みを分けろ!!」


 その本能だけは覚えていたのだろう。

 この呪いは、触れた相手に分散できる。


「いやぁっ! 気持ち悪い!」


「来いっ!!」


 死に物狂いで腕を掴む。

 その瞬間、呪いの一部がシェリーへ流れ込んだ。


「ぎゃあああああっ!?」


 今度はシェリーが床に崩れ落ちる。


 半分になったことで、レイモンドはどうにか息を継いだ。

 そして本能的に悟る。手を離したらまた地獄だと。


「離さん……!」


「嫌ぁ! 離してぇ!」


「お前が引き受けろ! 一生だ!」


 もはや恋人でも何でもない。

 ただの痛み除けだ。


 二人が床で醜く掴み合い、罵り合っているところへ、騒ぎを聞きつけた国王と衛兵たちが踏み込んだ。


「何事だ」


 重い声が響く。


「父上! 助けてください! サイラスの呪いが戻ってきたんです!」


 国王の視線が凍る。


「戻ってきた、ではない。本来お前が背負うべきものが、あるべき場所へ帰っただけだ」


「で、ですが痛すぎるんです! 死んでしまいます!」


「死にはせん」


 国王は冷たく言い放った。


「その程度で死ぬ呪いなら、サイラスはとっくに死んでいる」


 レイモンドが言葉を失う。


 国王の手には、一通の封書があった。公爵家から届いた報告書だ。


「公爵夫人より、詳細な報告を受けた」


 そこまで聞いて、レイモンドの顔が引きつった。


「こうある。『公爵が苦しんでいたのは、王家の呪いそのものではなく、不要な他者の穢れを受け入れ続けたことによる拒絶反応が大きい』」


 国王は淡々と続ける。


「つまり、お前が押し付けていた分だけ、サイラスの苦しみは増幅されていたということだ」


 空気が凍りついた。


「王家の責務を臣下に押し付け、その上、婚約者まで人身御供にした」


 国王の声は低く、怒りを押し殺していた。


「恥を知れ、レイモンド」


「ち、違う、父上、これは……」


「黙れ」


 一喝で黙らされる。


 国王はシェリーにも視線を向けた。


「お前もだ。事情を知らぬとはいえ、王家の呪いに接触し、干渉した以上、外に出すわけにはいかん」


「そ、そんなぁ! 私は悪くありませんわぁ!」


「うるさい」


 衛兵が二人を取り押さえる。


「この二人を塔へ。王家の監視下で、生涯隔離する」


「父上ぇぇっ!!」

「嫌ぁぁぁ!!」


 叫び声が響く。


 国王は最後に、淡々と告げた。


「ちょうどよい。どうせ痛みは分けられるのだろう。仲良く一生支え合え」


 それは、救済ではなく処刑宣告だった。


 こうしてレイモンドとシェリーは、王城の塔へ閉じ込められた。


 その後、毎晩のように塔から罵声と絶叫が響くようになったという。


 痛みを分け合えば救いになる。

 でも、憎しみ合う者同士では、ただの地獄にしかならない。




 ◇◆◇




 季節が巡り、春になった。


 公爵邸の庭園では花が咲き、柔らかな陽射しがテラスに差し込んでいる。


 私は紅茶を片手に、ようやく穏やかな午後を楽しんでいた。


「セシル。風が少し冷たい」


 背後からショールがふわりとかけられる。

 振り返れば、サイラスが立っていた。


 もう顔色は悪くない。目の下の隈も消えた。青い瞳は穏やかで、痛みに削られていない本来の美しさを取り戻している。


「ありがとうございます」


「寒くないか」


「大丈夫です。それより、王城からまた報告が来ました」


 私が笑いを含んで言うと、サイラスはほんの少しだけ眉をひそめた。


「塔の二人か」


「ええ。今日も仲良く大喧嘩だそうです」


 私は紅茶をひと口飲んだ。


 もう関係のない話だ。

 過去に私が管理していた問題患者は、いまや誰にも管理できない厄介物になっただけのこと。


 因果応報である。


「……呪いは消えたのに」


 サイラスが隣に座り、私の手を取った。


「こうしていないと落ち着かない」


「あら。まだ後遺症ですか?」


「違う」


 彼は真面目な顔で、私の手の甲に口づける。


「これは俺の我儘だ」


 少しだけ頬が熱くなった。


「君に触れていると、生きていてよかったと思う」


 そんなことをさらりと言う。

 前よりだいぶ甘くなったと思う。たぶん治療の成果だけじゃない。


「愛している、セシル」


 真っ直ぐに見つめられて、胸の奥があたたかくなる。


「私もですよ、サイラス様」


 私は彼の肩に頭を預けた。


「もう痛み分けは必要ありませんけど……幸せなら、いくらでも分け合えますね」


「一日で溢れそうだ」


「その時は、もっと愛して上書きしてください」


 言った瞬間、彼の腕が私の腰をさらっていた。


「では、今すぐそうしよう」


「へっ?」


 ふわりと身体が浮く。

 お姫様抱っこだ。


「ちょ、ちょっと、サイラス様! 紅茶が!」


「使用人が片づける」


「そういう問題ですか!?」


「問題ない。今は君の方が大事だ」


 そのまま彼は私を抱いたまま屋敷へ向かう。歩幅が大きくて、私は首にしがみつくしかない。


「ずいぶん情熱的ですね?」


「痛みがなくても、君に触れたい」


 耳元で囁かれ、くすぐったくて顔が熱くなる。


「優しくしてくださいよ?」


「君の方こそ」


 さらりと返されて、私は言葉に詰まった。


 結局、呪いが消えても、私たちが寝不足なのは変わらなかった。


 でもまあ、それくらいの後遺症なら大歓迎だ。


 だって今の私たちが分け合っているのは、痛みじゃない。


 幸せの方なのだから。

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