婚約破棄されたので、クズ王子に呪いを返品します。身代わり公爵様は私を離してくれません
「よしよし……大丈夫。ここにいますからね」
私はベッドの端に腰掛け、苦しげに身をよじる男の背中を、一定のリズムでゆっくり撫でていた。
子どもをあやすみたいに。
怯える獣を宥めるみたいに。
優しく、静かに、絶え間なく。
「……っ、ぐ……!」
シーツを握る彼の指は白く強張り、額には脂汗が浮かんでいる。喉の奥で押し殺したうめきが漏れるたび、こちらの胸まできしむようだった。
彼の身体の中を、今この瞬間も、焼けた鉄の杭みたいな激痛が走っている。
それは想像ではない。私にも、ちゃんと分かっていた。
彼の手を握る私の左手から、同じ痛みが流れ込んでくるから。
彼にかけられた呪いは、触れた相手に痛みを分け与える性質を持つ。
だから今、私が手を握っている分だけ、彼の苦しみは軽くなっていた。
骨の奥が軋むような痛み。
皮膚の下を熱い針が這い回るような不快感。
普通の人なら叫ぶ。気絶する。逃げ出す。
でも私は、眉ひとつ動かさず手を握り続けた。
前世、看護師だった。
痛みに呻く人を前にして、自分が先に怯えるような真似は、あの頃に散々卒業している。
「……はぁ、っ……は……」
浅く乱れていた呼吸が、少しずつ深くなる。
強張っていた肩から力が抜けていく。
私は空いている手で、黒髪をそっと梳いた。
「いい子ですね。大丈夫、大丈夫」
いつの間にか、口調まで看護師時代に戻っていた。
彼――サイラス・アーヴェント公爵は、冷たい青い瞳を薄く開いた。氷のように澄んだその目は、今は熱に浮かされ、痛みと疲労でひどく頼りない。
「……セシル……?」
「はい。いますよ」
「なぜ……ここに……。離れろと……言った、だろう……」
弱々しい声だった。
自分の痛みより、私を巻き込む方を恐れている声だ。
本当に、この人はどうしようもなく優しい。
「離れません」
私は指を絡めるように握り直した。
「ひとりで耐える必要はありません。半分は私がもらいます」
「馬鹿を……君まで……壊れる……」
「壊れません。私、見た目よりずっと頑丈なんです」
にっこり笑ってみせる。
実際には背中まで汗で濡れているし、全身の骨は痛むし、今立てと言われたらたぶん膝が笑う。
でも、患者の前で弱るのは三流だ。少なくとも前世の私は、そう教わった。
「ほら、もう喋らないで。目を閉じて」
髪を撫でる。額の汗を拭う。魔力の流れに、自分の“鎮める”意志をそっと重ねる。
「朝まで私がいます。悪夢も痛みも、半分こです」
サイラスは何か言いたげに唇を動かしたが、やがて諦めたように瞼を閉じた。
それからしばらくして、彼の寝息が規則正しくなる。
眠った。
私はようやく大きく息を吐き出した。
「……っ、はぁ……」
全身がずしりと重い。
でも、目の前の人が朝まで眠れたなら安いものだ。
ランプの火を少しだけ落として、私は眠る彼の顔を見つめた。
苦痛に歪んでいない時のサイラスは、驚くほど若く、美しい。
世間では“冷徹公爵”だの“呪われた化け物”だのと呼ばれているけれど、そんなものはただの言いがかりだ。
本当の彼は、痛みに耐えすぎて、人と関わる余裕をなくしていただけの、不器用で誠実な青年でしかない。
私はそっと彼の頬に触れた。
(……絶対に、治す)
そう決めた瞬間、三日前の光景が脳裏に蘇る。
婚約破棄の場で、勝ち誇ったように笑っていた、あの男の顔が。
◇◆◇
「セシル・ヴァレリー! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」
王城の大広間に、第一王子レイモンドの高らかな声が響き渡った。
その隣では、男爵令嬢シェリーが彼の腕にべったりと絡みついている。
砂糖菓子みたいな甘ったるい笑顔、可愛らしいピンクのドレス、あざとい上目遣い。
いかにも男が好みそうな女だった。
周囲の貴族たちがざわめく。
憐れみ、好奇、嘲笑。さまざまな視線が私に突き刺さる。
けれど私の心にあったのは、悲しみでも絶望でもなかった。
歓喜だ。
(やっとか)
心の底からそう思った。
レイモンド王子は、顔だけは良い。
だが中身はどうしようもなかった。
夜更かし、暴飲暴食、公務放棄、浪費癖。
私が「お酒を控えてください」「睡眠時間を取ってください」「予算書に目を通してください」と言うたびに、「うるさい」「お前は冷たい」と子どもみたいに癇癪を起こす。
前世が看護師だった私から見れば、あれはもはや婚約者ではない。手のかかる患者だった。
「……承知いたしました」
私は一礼した。
あまりにもあっさりした返事だったせいか、レイモンドは一瞬きょとんとした顔をした。
次の瞬間には真っ赤になって怒鳴る。
「なんだその態度は! 泣いて縋るところだろうが!」
いや、振ってきたのそっちですよね?
「殿下のご判断を尊重したまでですわ。どうぞ、その方とお幸せに」
「ふん! 強がりを! だが、ただ婚約破棄して終わりだと思うなよ」
嫌な予感がした。
レイモンドは口元を歪め、みんなに聞こえるように宣言した。
「貴様の嫁ぎ先は、すでに決めてある! サイラス公爵家だ!」
会場の空気がざわ、と揺れた。
サイラス公爵。
王国随一の名門にして、誰も近づかない呪われた公爵家。夜ごと屋敷から唸り声が聞こえるだの、嫁いだ女は三日ともたず逃げ出すだの、そんな噂ばかりが先行している場所だ。
「まあ、怖い……」
「あの化け物のところへ?」
「気の毒に……」
好き勝手な囁きが飛び交う。
シェリーはわざとらしく身を震わせた。
「きゃあ、サイラス公爵って怖い方なのでしょう? セシル様、お可哀想ぉ」
うるさい。
あなたに可哀想と言われる筋合いはない。
私が黙っていると、レイモンドがすっと近づいてきた。周囲には聞こえないよう、小声で囁く。
「……なぜあいつが誰も寄せつけないか、教えてやろうか?」
「興味ありません」
「王家が受けるべき呪いを、あいつが代わりに背負ってるからだよ」
一瞬、意味が分からなかった。
「幼い頃、あいつは俺のことを親友だと思っていた。だから“痛みも分け合おう”って言えば、簡単に契約した」
レイモンドは愉快そうに笑った。
「実際は共有契約じゃない。一方的な譲渡だ。王家が受ける穢れも痛みも、ぜんぶあいつに押し付けてやったのさ」
私は息を呑んだ。
何それ。
それじゃあサイラス公爵は、呪われているんじゃない。
この男の身代わりにされているだけじゃないか。
「最近は痛みが強くなってきたらしくてな。誰も嫁ぎたがらん。だからちょうどいい。用済みのお前をくれてやる」
ぽん、と肩を叩かれる。
「地獄の苦しみを味わえ。どうせ似合いの夫婦だろう?」
そこで私は理解した。
この男はただの馬鹿じゃない。
人の善意に寄生して生きる、腐った病原体だ。
幼馴染であり、忠臣でもある公爵を騙し、自分の痛みを押し付け、そのうえ笑いものにする。
怒りを通り越して、静かな殺意が湧いた。
だから私は、微笑んでやった。
「承知いたしました」
そして、彼にだけ聞こえる声で告げる。
「どうぞ、後悔なさいませんように」
◇◆◇
その日のうちに、私はトランクひとつで公爵邸へ送られた。
初めて会ったサイラスは、噂とはまるで違った。
冷たくも高慢でもない。
ただ、顔色が悪すぎた。
青白い肌、深い隈、痩せた頬。美貌がどうこう以前に、明らかにまともな睡眠を取れていない人間の顔だった。
「……俺に関わるな」
彼は低い声で言った。
「離れで暮らせ。食事も必要なものも不足なく用意させる。だが本邸には来るな」
突き放すような物言い。
でも、その奥にあるのが拒絶ではなく配慮だと、元看護師の勘が教えてくれた。
巻き込みたくないのだ、この人は。
そんな人が夜更けに苦痛で呻いている気配を感じて、放っておけるほど私は薄情じゃない。
だから私は、その夜、離れを抜け出した。
主寝室の前には誰もいなかった。
中から漏れてくる荒い呼吸と、押し殺した苦鳴だけで十分だった。
扉を開けた時、サイラスはベッドの上で身体を折り、ひとりで痛みに耐えていた。
あの瞬間の光景は、たぶん一生忘れない。
私は迷わず彼の手を取った。
すると、焼けるような痛みが自分の身体にも流れ込んできた。
でも同時に分かったのだ。
この呪いは、接触した相手へ痛みを分けることで、宿主の負担を軽くする。
なら話は早い。
「半分、もらいます」
それが、私たちの最初の夜だった。
◇◆◇
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日で、サイラスが目を覚ました。
彼は数秒ぼんやり天井を見つめ、それから勢いよく起き上がった。
「……朝……?」
信じられない、という顔だった。
そりゃそうだろう。何年ぶりかで眠れたのかもしれない。
「おはようございます、旦那様」
私が椅子に座ったまま声をかけると、彼は弾かれたようにこちらを見る。
「セシル……! 君、昨夜ずっと……?」
「ええ。手を離さないと約束しましたから」
つないだままの手を軽く持ち上げて見せると、彼の顔がまた青ざめた。
「何をしている! 君まで呪いに当たる!」
「当たっていますよ」
「なら、なぜ平然としている!」
「平然ではありません。全身痛いです」
正直に言うと、サイラスは固まった。
「……でも、耐えられないほどじゃない。少なくとも、ひとりで全部抱えるよりずっとましでしょう?」
「それは……」
「昨夜、眠れましたよね?」
彼は黙ったまま、ゆっくり頷いた。
私はそこで、水差しからグラスに水を注いで彼へ渡した。
「飲んでください。かなり脱水気味です」
彼は素直に飲んだ。
こういうところが、本当に患者としては優秀だ。どこぞの王子とは大違い。
彼が少し落ち着いたところで、私は本題を切り出した。
「レイモンド殿下から聞きました」
サイラスの手がぴくりと揺れる。
「王家の呪いを、あなたが身代わりに引き受けていると」
沈黙。
やがて彼は、自嘲するように笑った。
「……そうだ。俺は幼い頃、あいつの言葉を信じて契約した。“親友なら痛みも分け合える”と」
「実際は?」
「一方的な譲渡契約だった」
その声に怒りはなかった。
ただ、長年諦め続けてきた人の、乾いた疲れだけがあった。
「逃げることもできない。王家の呪いを拒めば、この国に災いが満ちると教えられてきたからな」
「それ、嘘です」
私が即答すると、サイラスが目を見開いた。
「……なぜそう言い切れる」
「だって、あなたの身体が拒絶してますもの」
「拒絶?」
「ええ」
私は彼の手首に指を当てた。脈を診る。
「あなたの症状は、ただ痛いだけじゃない。身体の芯が、ずっと異物を追い出そうとしている反応です。熱、冷え、発汗、脈の乱れ、睡眠障害……全部そう」
前世で嫌というほど見た。
適合しないものを無理やり身体に入れられた時、身体は悲鳴を上げる。
「身体だけじゃありません。魂も同じです」
私は彼を見上げた。
「本来あなたのものじゃない痛みを、あなたの優しさだけで無理やり受け入れていた。だから壊れかけた」
サイラスの瞳が揺れる。
「でも、もうその必要はありませんよね?」
「……セシル」
「あなたが背負っていたのは責務じゃない。あの男が捨てたゴミです」
言い切ると、彼は苦しそうに目を伏せた。
それでも私は容赦しない。
ここで遠慮したら、この人はまた自分を犠牲にしようとするから。
「私に少しだけ、あなたの治療をさせてください」
「治療……?」
「ええ」
私は彼の手を両手で包んだ。
「呪いは流れです。今まであなたが受け取る側であり続けたから流れ込んできた。なら、受け取るのをやめるんです」
「そんなことが……」
「できます」
根拠は、半分ある。半分は賭けだ。
「大事なのは、あなたが心から拒むこと。『親友だから』『国のためだから』っていう優しさを、全部切ることです」
私は少し身を乗り出した。
「その優しさ、これからは私にだけ向けてください」
言ってから、自分で少し照れた。
でも撤回はしない。
サイラスは呆気に取られた顔をしたあと、ふっと笑った。
「……君は、ずいぶん大胆だな」
「元看護師なので。命がかかると強気になります」
「命は……もう、君に預けてしまっている気がする」
その言葉に、胸がやわらかく熱くなる。
「なら、なおさら大人しく患者さんをしてください」
「善処する」
「善処じゃなく従ってください」
その日から、私たちの治療が始まった。
◇◆◇
それからの日々は、まさに治療とリハビリだった。
私は離れを引き払い、本邸に移った。
サイラスが「夜だけでは足りない」と真顔で言うので、昼間の経過観察も必要だと判断したのだ。決して彼がひどく寂しそうな顔をしたからではない。……たぶん。
昼間、彼は驚くほど仕事ができた。
痛みに削られながらも公爵家を完璧に回していたのだから、本来の能力は凄まじい。
でも、合間合間に必ず私の様子を見に来る。
「セシル、顔色が悪い」
「少し眠いだけです」
「寝ろ」
「私にも仕事があります」
「俺が抱えて運ぶ」
「大袈裟です」
本当に、呆れるほど過保護だった。
夜になると、私たちは同じベッドで眠った。
手をつなぎ、時には身体を寄せ合って、痛みを分ける。
最初はあくまで治療だった。
でも、夜を重ねるほどに、それだけではなくなっていった。
「……痛くないか」
暗い寝室で、サイラスがいつも聞く。
「最初の日よりずっとましです」
それは本当だった。
彼の中に根を張っていた呪いは、日に日に弱まっている。
その代わり、窓の外へ抜けていく黒い霧のような魔力が見えるようになった。
契約が崩れているのだ。
サイラスが心からレイモンドを拒み、私が“返せ”と強く願うたび、呪いは居場所を失って発生源へ戻ろうとする。
「……いよいよですね」
ある夜、私は窓の外へ流れる黒い靄を見ながら言った。
「ああ」
サイラスが私の肩を抱き寄せる。
「正直、少しだけ思う。レイモンドは痛みに弱い。耐えられないだろうと」
「あら。ご心配ですか?」
「まさか」
彼の瞳は静かで、もう迷っていなかった。
「俺はもう、あいつの身代わりになるつもりはない」
その声は低く、確かだった。
「俺の命は、俺のために使う。……君のためにも」
胸がいっぱいになる。
「救われましたね、旦那様」
「君に?」
「ええ」
「……ああ」
サイラスは、私の指先へ口づけた。
「君が来てくれて、ようやく人に戻れた」
そう言われると、泣きたくなる。
でもしんみりした空気は長く続かなかった。
「セシル」
「はい」
「もう一か所、触れたい」
「どこに?」
問うた瞬間、彼の指先が私の唇をなぞった。
熱い。
「……断る理由があります?」
そう返したら、次の瞬間には唇が重なっていた。
最初はそっと。
でもすぐに足りなくなったみたいに、何度も、何度も。
痛みを分け合うためじゃない。
ただ、お互いを欲しいと思って触れ合うキスだった。
その夜、私たちはかなり寝不足になった。
治療に支障は出ない範囲で、だけれど。
◇◆◇
その頃、王城の離宮では、別の意味で甘い夜が続いていた。
「ああん、レイモンド様ぁ」
「そうだ、もっとだ」
婚約破棄して以来、レイモンドは好き放題だった。
シェリーを侍らせ、公務は最低限、昼から酒。私という管理者がいなくなって、完全に箍が外れていた。
「あの女、今頃どうしてるかなぁ」
レイモンドは葡萄酒を煽りながら嗤った。
「きっと公爵家で泣いてるぞ。いい気味だ」
「セシル様ったら、本当にお可哀想ぉ」
シェリーもくすくす笑う。
その時だった。
どくん、と、部屋の空気が不穏に震えた。
「……ん?」
最初は胸の違和感だけだった。
次の瞬間。
バギ、と骨の内側から砕けるような衝撃が、レイモンドの全身を貫いた。
「――ぎゃあああああああっ!?」
グラスが床に落ち、真っ赤な葡萄酒が絨毯に飛び散る。レイモンドはソファから転げ落ち、床の上でのたうち回った。
「痛い! 痛い痛い痛い!! なんだこれ、熱い、裂ける、死ぬ!!」
今まで一度も自分では味わったことのない痛み。
自分が他人へ押し付けていた地獄が、まとめて戻ってきた。
「レ、レイモンド様!? どうしたんですの!?」
シェリーが悲鳴を上げて後ずさる。
レイモンドは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま、彼女へ手を伸ばした。
「助けろ! 触れろ! 痛みを分けろ!!」
その本能だけは覚えていたのだろう。
この呪いは、触れた相手に分散できる。
「いやぁっ! 気持ち悪い!」
「来いっ!!」
死に物狂いで腕を掴む。
その瞬間、呪いの一部がシェリーへ流れ込んだ。
「ぎゃあああああっ!?」
今度はシェリーが床に崩れ落ちる。
半分になったことで、レイモンドはどうにか息を継いだ。
そして本能的に悟る。手を離したらまた地獄だと。
「離さん……!」
「嫌ぁ! 離してぇ!」
「お前が引き受けろ! 一生だ!」
もはや恋人でも何でもない。
ただの痛み除けだ。
二人が床で醜く掴み合い、罵り合っているところへ、騒ぎを聞きつけた国王と衛兵たちが踏み込んだ。
「何事だ」
重い声が響く。
「父上! 助けてください! サイラスの呪いが戻ってきたんです!」
国王の視線が凍る。
「戻ってきた、ではない。本来お前が背負うべきものが、あるべき場所へ帰っただけだ」
「で、ですが痛すぎるんです! 死んでしまいます!」
「死にはせん」
国王は冷たく言い放った。
「その程度で死ぬ呪いなら、サイラスはとっくに死んでいる」
レイモンドが言葉を失う。
国王の手には、一通の封書があった。公爵家から届いた報告書だ。
「公爵夫人より、詳細な報告を受けた」
そこまで聞いて、レイモンドの顔が引きつった。
「こうある。『公爵が苦しんでいたのは、王家の呪いそのものではなく、不要な他者の穢れを受け入れ続けたことによる拒絶反応が大きい』」
国王は淡々と続ける。
「つまり、お前が押し付けていた分だけ、サイラスの苦しみは増幅されていたということだ」
空気が凍りついた。
「王家の責務を臣下に押し付け、その上、婚約者まで人身御供にした」
国王の声は低く、怒りを押し殺していた。
「恥を知れ、レイモンド」
「ち、違う、父上、これは……」
「黙れ」
一喝で黙らされる。
国王はシェリーにも視線を向けた。
「お前もだ。事情を知らぬとはいえ、王家の呪いに接触し、干渉した以上、外に出すわけにはいかん」
「そ、そんなぁ! 私は悪くありませんわぁ!」
「うるさい」
衛兵が二人を取り押さえる。
「この二人を塔へ。王家の監視下で、生涯隔離する」
「父上ぇぇっ!!」
「嫌ぁぁぁ!!」
叫び声が響く。
国王は最後に、淡々と告げた。
「ちょうどよい。どうせ痛みは分けられるのだろう。仲良く一生支え合え」
それは、救済ではなく処刑宣告だった。
こうしてレイモンドとシェリーは、王城の塔へ閉じ込められた。
その後、毎晩のように塔から罵声と絶叫が響くようになったという。
痛みを分け合えば救いになる。
でも、憎しみ合う者同士では、ただの地獄にしかならない。
◇◆◇
季節が巡り、春になった。
公爵邸の庭園では花が咲き、柔らかな陽射しがテラスに差し込んでいる。
私は紅茶を片手に、ようやく穏やかな午後を楽しんでいた。
「セシル。風が少し冷たい」
背後からショールがふわりとかけられる。
振り返れば、サイラスが立っていた。
もう顔色は悪くない。目の下の隈も消えた。青い瞳は穏やかで、痛みに削られていない本来の美しさを取り戻している。
「ありがとうございます」
「寒くないか」
「大丈夫です。それより、王城からまた報告が来ました」
私が笑いを含んで言うと、サイラスはほんの少しだけ眉をひそめた。
「塔の二人か」
「ええ。今日も仲良く大喧嘩だそうです」
私は紅茶をひと口飲んだ。
もう関係のない話だ。
過去に私が管理していた問題患者は、いまや誰にも管理できない厄介物になっただけのこと。
因果応報である。
「……呪いは消えたのに」
サイラスが隣に座り、私の手を取った。
「こうしていないと落ち着かない」
「あら。まだ後遺症ですか?」
「違う」
彼は真面目な顔で、私の手の甲に口づける。
「これは俺の我儘だ」
少しだけ頬が熱くなった。
「君に触れていると、生きていてよかったと思う」
そんなことをさらりと言う。
前よりだいぶ甘くなったと思う。たぶん治療の成果だけじゃない。
「愛している、セシル」
真っ直ぐに見つめられて、胸の奥があたたかくなる。
「私もですよ、サイラス様」
私は彼の肩に頭を預けた。
「もう痛み分けは必要ありませんけど……幸せなら、いくらでも分け合えますね」
「一日で溢れそうだ」
「その時は、もっと愛して上書きしてください」
言った瞬間、彼の腕が私の腰をさらっていた。
「では、今すぐそうしよう」
「へっ?」
ふわりと身体が浮く。
お姫様抱っこだ。
「ちょ、ちょっと、サイラス様! 紅茶が!」
「使用人が片づける」
「そういう問題ですか!?」
「問題ない。今は君の方が大事だ」
そのまま彼は私を抱いたまま屋敷へ向かう。歩幅が大きくて、私は首にしがみつくしかない。
「ずいぶん情熱的ですね?」
「痛みがなくても、君に触れたい」
耳元で囁かれ、くすぐったくて顔が熱くなる。
「優しくしてくださいよ?」
「君の方こそ」
さらりと返されて、私は言葉に詰まった。
結局、呪いが消えても、私たちが寝不足なのは変わらなかった。
でもまあ、それくらいの後遺症なら大歓迎だ。
だって今の私たちが分け合っているのは、痛みじゃない。
幸せの方なのだから。




