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第八話「僕と花娘」

 光が消え、舞台は闇に包まれた。

 するとどこからか笛の音が聞こえ、誰かが太鼓を叩く音も聞こえ始めた。

 音は、ゆっくりと、そして少しずつ大きくなって、いくつもの音色が重なり合って闇の中を舞っていた。

 そしてボリュームがガンと急に大きくなったら舞台の上の闇が消え、キラキラと輝く妖精が現れた。

 可憐な花娘たちは音楽に合わせて踊り始める。踊り場の上をクルクルクルクルと廻る花娘はさながら妖精のようで、見る人を魅了した。

 ライトの光に照らされるのは花娘の衣裳に散りばめられた宝石で、赤、青、緑の小さな光が集まり、そして霧散する。



「月には妖精が住んでいる」

 小さい頃、建具屋の旦那がそんなことを言った。

 月はあんなに綺麗なのだから妖精の一人や二人いてもおかしくないと幼い僕は妙に納得したことを覚えている。兎や蟹なんかより想像に難くないし、それになんだかロマンティックだ。

 月に棲む妖精は月の光に乗って地上に降り、人に一夜限りの美しい夢の宴を魅せると言う。収穫祭である月花祭が太陽ではなく月を祀るのもこんな言い伝えによるのだろう。


 だけど、月花祭の起源にはもう一つ逸話があるのだ。


 昔、村は竜に支配されていたと言われている。

 村人は竜に捧げるため風車で水を引き、畑を耕していた。しかし暴君の竜は捧げものが気に入らないと畑を荒らし、風車を壊した。村人は涙を流しながらも風車を直し、畑を作り直した。

 竜が怖ろしかったのである。触らぬ神に崇りなし、という風に竜を極力刺激しないようにしていた。

 しかし、竜の暴虐ぶりは日に日に酷さを増すばかりで遂には生娘の生贄を要求してきた。

 これには村人も頭を抱える。だけど、竜には逆らえず村一番の美しい娘を生贄に出すことに決めた。

 そこで一人の武人が村を訪れた。武人は村人から話を聞き、生贄の娘を助けることを誓った。どうして都合よくこんな武人が現れたのかは定かではないけど、建具屋の旦那によれば、村の外で泣く村娘を見て武人は一目惚れしたらしい。

 動機が不純すぎるけど、こう言うのはどこにでもあるお話のパターンらしい。


 さて、ついに生贄の日の朝がやってきて武人は竜と対面することになる。

 武人は剣を抜いて竜に切りかかった。竜は当然のごとく暴れ回って、風車は全て叩き壊された。

 武人は人としては強かったけどさすがに相手が人外ともなるとそう簡単に勝負はつかない。朝方に始まった戦いだったけどすでに日が沈み、月が武人と竜を照らしていた。

 竜も武人も限界に達していた。武人は最後の力を込めて剣を竜の頭上へ振り下ろした。

 竜の頭は真っ二つに裂け、真紅の血を吹き出して竜は死んだ。

 村人たちは歓声を上げて武人に駆け寄った。


 普通のお話なら、武人は村人から祝福されて生贄の娘と一緒に暮らしてめでたしめでたし、といった感じで終わるのだろうが、そんなに都合よく話は進まない。

 村人が何年かかっても倒せなかった竜を、武人は一人で倒したのだ。それなりの代償が武人のもとに降りかかると考えるのが当然だろう。

 村人が駆け寄ったときにはすでに武人は息を引き取っていた。そして駆け寄った村人の中で大粒の涙を流している人が一人いた。生贄の娘であった。

 生贄の娘は武人の骸を抱えて止まらない涙を流し、武人の持っていた剣で自分の胸を突き刺して絶命した。

 二人の魂は月へと昇って行き、娘は妖精に、武人は月光となったという。


 どうして娘が自ら命を落としたのかは分からない。ある人が言うには娘は慈愛の化身で自分のために命を落とした武人に特別な思いを感じ、武人とともに昇ろうとしたそうだ。

 この娘は「月花美人」と呼ばれ、彼女を祀ることが月花祭の始まりだと言う。



 花娘はそんな「月下美人」になぞらった巫女のようなものらしい。

 まあ、とにかくこうして月花祭にも間に合って、花娘として踊ることができてよかった。ちょっと前のごたごたは本当に困ったものだった。



 *



 ちょっと前、広場から少し離れた木陰にて。

 クソガキに借りたロバから転がり落ちた僕は僕の名前を知るハイネ・パサモントなる男に遭遇してしまう。


 ハイネと名乗るその変質者に、僕はどういうわけか懐かしさを感じてしまう。でも、それがどうしてなのかは全くわからない。

 そんなことよりも今は月花祭だ。こんなことをしてる間にも月花祭は進んでいるんだ。急がなくちゃ。

 僕が焦りを見せ、そのまますぐにこの場から立ち去ろうとしたところだった。変質者が再び話しかけて来たのだ。まったく空気の読めない迷惑な変質者のロリコンさんだ。


「小娘、俺を知らないのか?」

「ええ」

「村会議員のハイネ様だ。まあ、村議会のことなど貴様のような小娘が知っているわけないよな」

「はあ、そうですか」

 ああ、話が始まってしまった。

 僕は投げやりな返事を変質者に浴びせ、あわよくばこのまま何事もなく月花祭に参加できることだけを祈っていた。


「お前は俺のことを知らないが、俺はお前のことを知っているぞ」

「はあ」

「俺は村長の息子。つまり貴様の親戚に当たるわけだ」 

 これは長くなるぞ、話が。というか、この変質者が僕の親類だなんて流石に冗談がきつすぎる。どうせ僕の名前もどっかで調べたんだろう。村会議員と言うのも嘘臭い。

 さて、変質者を刺激しないようにこの場から立ち去らなければならない。

 行動は迅速に、そして的確に。


「だが、村長の息子と言ってもお前の父親ではないぞ」

 そんなの分かってるよ、バーカバーカ。ああ、こんなバカに付き合ってたら時間がいくらあっても足りないよ。っていうか本当に時間が足りないんだけど。


「あの、僕ちょっと急いでるんで」

「何だ、何か用事でもあるのか」

「ええ、月花祭に遅れるんで」

「ほお、お前が花娘になると言う噂は本当だったのか」

「何なんですか、その白々しい言い方」

 すると、男の顔から笑いが消え、目つきが鋭くなった。


「ふん、察しの良いガキだ。まあ、良い、やはり回りくどいのは俺には合わんな」

「どうでもいいですから僕に用があるならさっさと済ませて下さいよ」

「では単刀直入に言おう。ロッシ―ナ・パサモント、今年の花娘は辞退しろ」

「はあ? バカも休み休み言って下さい。あなたに何の権利があるんですか」

「権利? そうだな、村会一等議員のみに許される諸事独断権といったところか」

 そう言うと男は胸から手帳を取り出した。

  黒革の手帳には村の紋章と男の名前が金の刺繍で刻まれていた。さすがに僕でもその黒革の手帳ぐらい知っている。黒革手帳の村会議員が市場で何件もの店を自分たちの都合で潰しているのはよく聞く話だ。


 黒革の手帳を突きつけられてしまえば普通、村人には逆らう術が無い。

 下手をすれば女子供といえども牢獄に繋がれてしまう世の中だ。大人しく村会議員の言うことを聞くしかないのだ。

「なんで。なんで僕が……」

「残念だが、お前を月花祭の舞台に上げるわけにはいかない」

「理由を、理由を教えてください」

「理由か。そうだな、貴様もそろそろ知るべきだろう、自分の出生ついてな」

「僕の出生?」

 僕は母の名も、父の名も知らない。だが、目の前のこの男は僕の出生を知っていると言う。

 僕は知りたかった。僕のお母さんはどんな人なのか。僕のお父さんはどんな人なのか。どうしてお爺様が僕を先生のもとに預けたのか。

 だけど、この男が話そうとすることについて僕は嫌な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。


 そして僕の動揺を無視するようにして男は語り始めた。

「14年前、貴様の母親は魔物に襲われ命を落とした。何故、魔物は貴様の母親を襲ったのかわかるか? 実は魔物の本当の狙いは貴様の母などではなかったのだ」


 ああ、もうそれ以上は言わないで。僕は、僕は。


「貴様だよ。魔物はな、貴様を狙ってきたんだよ」

 男の声は酷く冷たく、僕を突き刺すように鋭い言葉だった。


「そ、そんなの嘘だ」

「嘘じゃない。貴様も気づいているだろう? 貴様が他の村人と違うことぐらい」

「嘘だ! うそだ!」

「貴様は魔物を呼び寄せる。だから村外れに守護剣とともに封じていたのだ。それなのに月花祭に出るだと? 貴様は14年前の悲劇を繰り返すつもりか」

「そんなのでたらめだ! 全部あんたの作り話だ!」

「作り話だと? 貴様のような小娘一人をどうこうするために作り事などする必要があるか。貴様のせいで姉さんは……」

 男は急に言葉を詰まらせた。僕には何が起こったのか分からなかったが、男の体が小刻みに震えていた。

 よく見ると男の後ろには二つの黒い影がちらついていた。その影は僕のよく知る影だった。


「その辺にしませんか? 私の可愛いロッシュが怯えている」

「それに、村会議員さまの横暴は一村民として見逃すわけにはいかねえな」

「先生! 旦那!」

 よく見知った影は男を取り押さえて身動きが取れないようにしてくれている。旦那が男の手を後ろに回してがっしりと固め、先生が杖を男の首に突き付けていた。


「私は平和的に解決したいんですけどね。どうです? その横暴な態度を改めるっていうのは」

「ふん、小娘一人と村の安全など天秤に掛けるまでもないだろうが」

「それはそうですけどね。ロッシュが魔物を呼び寄せるっていう証拠が無いじゃないですか」

「そのことか。その小娘はな魔素が常人の倍以上なんだよ。これで十分だろうが。疑わしきは罰せずじゃ、何かあった時には手遅れなんだよ」

 男は杖を喉に突きつけられても臆することなく喋り続けた。


「ふーん。本当にそうですかね」

「何がだ。貴様、文句でもあるのか」 

 先生は杖を収め、顎をさすりながら口を尖らせた。


「どうも、あなたが全ての責任をロッシュに押し付けるのはもっと別な意味があるように思えます。そうですね、たとえばあなたのお姉さんの死に理屈をつけたがっているだけのような」

「な、何故お前が姉のことを知っている!?」

「14年前のことについては緘口令が敷かれているようですが、人の口に戸は建てられませんからね。薬屋っていうのは結構情報網が広いですから」

「侮れん奴だな。だが、貴様の言い分は所詮貴様の妄想に過ぎん」

「いやいや、結構わかるもんですよ。匂いでね。私はこのように目が見えませんから人の感情とかそういったものまで嗅ぎ取れちゃうんですよ」

「嘘だな。それこそまさに貴様の妄想だ」

「信じてもらえないなら別にいいんですけどね。まあ、あなたも随分倒錯した感情を持っているようですね。ロッシュに対して抱いている憎しみは実のところ14年前の自分の無力さに対する怒りでしょう」

「な……」

「自分に対する怒りのはずがいつの間にか最愛の姪、ロッシュに向いてしまったんですね」

「貴様、それ以上は……」

 男は頭に青筋を浮かべて、旦那の拘束を薙ぎ払った。先生に向ける男の目は憎しみと言うより畏れがはっきり浮かんでいた。

 一方先生は涼しい顔で微笑みながら男に話しかける。


「では、ロッシュが月花祭に出るのを邪魔しないで貰えますかね」

「く……。もし、魔物が襲ってきたらどうするんだ」

「私が倒します。一匹残らず」

 先生の声は至って真面目だった。それは冷酷さを感じ取るぐらいに無感動に言い放ったのだった。


「ば、馬鹿を言うな。盲目風情に何が出来る」

「目が見えなくても音と匂いで大体わかりますよ。それに私はロッシュの守護剣なのでしょう」

「ふ、ふん。もし魔物が出たら貴様には囮になってもらうからな!」

 そう言うと男は物陰に消えて行った。



 旦那は中指を立てて男の後ろ姿に罵声を浴びせていた。んー、酔ってるのかな?

 先生は僕を抱き寄せて何やら説教を始めようとしていた。

「こんなところで何してるんですか、ロッシュ。もう月花祭が始まっちゃうじゃないですか」

「あ、ごめんなさい。って、くっさ! 先生お酒臭い!」

「ああ? いいじゃないですかお酒ぐらい飲んでも、私は先生なんですよ」

「あー、わかったから抱きつかないで! お酒臭いから」

 先生の紅潮した顔を必死に押さえながら僕はなるべく息をしないようにした。


「がはは。キーフェ先生はなロッシュが花娘になるのが嬉しくてな、普段飲まない酒に酔っぱらったんだとよ」

「え、そうなの」

「そんなの決まってるじゃないですか。私の可愛いロッシュの晴れ舞台が嬉しくないわけないじゃないじゃないですか」

「せ、先生」

 僕は何だか瞳が潤んでしまった。

 先生が僕のために、僕のことを喜んでくれてる。それがちょっぴり恥ずかしくて、そしてとても嬉しかった。

 先生も僕を優しく抱きしめてくれる。先生の温かさが僕には心地よかった。



「さ、早くしないと本当に間に合わなくなりますよ。急いで下さい、ロッシュ」

「おう、そうだぜ。まあ、キーフェ先生は俺がちゃんと介抱してやるから気にすんな」

「あ、うん。それじゃ、行ってきます」


 僕は向こうの広場の明かりの方へと走って行った。その足取りは今までよりずっと軽快だった。










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