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第十話「竜と兵士」

 黒光りする深緑色の鱗、ギラギラと淀んで光る真紅の瞳、黄味がかった鋭い牙。

 その巨大な魔物は夜空に向かって大地を震わせるがごとき咆哮をした。

 その轟音に僕はすぐさま耳を塞いだ。その瞬間、近所の家々の窓ガラスは全てに罅が入った。

 

 巨大な魔物の周りに散らばっている大風車の残骸は赤々と燃えていた。火元が何であったのかはこの後すぐにわかることになる。

 巨大な魔物はその大きな口を広げて自分の周りに立つ残りの風車に思い切り息を吹きかけた。魔物の吐息は灼熱の炎へと変わり、大風車の周りにそびえ立っていた十数個の風車を焼き尽くしてしまった。

 

 突然起こった不可思議と驚異を前についさっきまで村人は誰一人として声を出せないでいたが、燃え上がる風車と竜の火の息を目の当たりにした彼らは耳が痛くなるほどの悲鳴を上げて一斉にその場から逃げようと走り出した。

 他人を突き飛ばす者もあれば、我が子を抱きしめて神の名をひたすら叫ぶ母親の姿もあった。

 竜の咆哮や逃げ惑う人々の悲鳴、燃え上がる風車の爆音で騒然となった中央広場はもはや秩序と言うものを失っていた。

 

「これは酷い……」

 僕はこの無秩序を前に吐き気を催し、その場に崩れ落ちた。

 何でこうなったんだ。

 月花祭に出て、ちょっと苦しくなって、それでも最後は楽しくて明るくて。

 なのに竜が現れて全てを破壊していった。

 何でだよ、何でこんなことになったんだよ。

 

「そうだ、先生。先生は?」

 辺りを見渡して先生の姿を探す。

 だけど逃げ惑う人の波が大きすぎて、先生の姿を見つけることは出来そうにない。

 そんな中、人混みの向こうの方で先生らしき人影が見えた。

 

「先生!」

 僕は人の流れに逆らって走った、先生がいた方に向かって必死に走った。

 走りながらもたくさんの人の叫び声や悲鳴が聞こえてきて、僕は手で耳を覆って走った。

 

 すると耳を塞いでいるにも関わらずドオンという大きな音が聞こえてきた。

 見ると僕は竜のかなり近くまで来てしまったみたいで、竜の周りでは村の自警団の人たちが剣や槍を持って竜に対峙していた。

 竜から少し離れたには大砲があって、おそらくさっきの大きな音はこの大砲だったんだろう。

 

「貴様ら! 炎には気をつけろ! 二度目の援護射撃の後、槍隊が突撃だ!」

「サー、イエッサー!!」

 大砲の横で剣を振るって自警団を指揮しているのはあのときの変質者、ハイネのようだった。

 そのハイネの怒号に兵たちも大声で返す。

 

「次は頭だ、よく狙え! 援護射撃、第二撃発射!」

 ハイネが剣を振り下ろすと数機の大砲が一斉に火を吹いた。

 打ち出された砲弾は竜の頭に見事命中し砲煙が竜の頭上でモクモクと上がり、竜は苦悶の声を上げた。

 

「よし! 怯むな、槍隊進撃!」

 槍を持った自警兵たちが一斉に竜に突撃する。

 鋭く光る槍の切っ先を竜に目がけて思い切り突き刺す。

 だけど、その暗緑色の鱗は鉄のように固く、ほとんどの槍は跳ね返され、半数以上の槍が折れ曲がってしまった。

 さらに悪いことに、竜の頭上を渦巻いていた砲煙が風でかき消され、驚異的な現実を目の当たりにすることになる。

 

「な、何だと。あの砲撃で傷一つないなんて……」

 叫ぶハイネの目線の先には傷一つついていない竜の顔があった。

 あの爆撃に対して曇りすらない、その鈍く光る鱗は竜の怖ろしいまでの頑丈さを物語っていた。

 そして竜は火を吹いた。

 

 全てを燃やし尽す業火から自警団は必死に避けようとする。

 砲台も槍も投げ捨てて自警団はあちらこちらに霧散する。

 決して自警団が腰抜けなのではない。竜が圧倒的に強すぎるのだ。

 竜の炎から距離を取りつつ反撃の機会を伺っていたハイネは、木陰に潜んでいた僕に気が付き僕の方に駆け足で近付いてきた。

 

「貴様ぁ、何をしている!」

「え、な、何って……」

「ふんっ、まさかこの竜も貴様が呼び寄せたんじゃないだろうな」

「そ、そんなこと……」

「まあ、いい。今はこの竜を何とかすることが先決だからな」

 そう言ってハイネは竜の方に視線を戻す。

 竜は勢い衰えることなく依然としてその猛威を奮っていた。

 魔物が壊す、全てを壊す。僕らの村を破壊する。

 

「おい小娘。貴様、魔法は使えないのか」

「え、ま、魔法? 使えませんよ、そんなの」

「そうか……」

「魔法って、何の話です?」

「ふっ、貴様の母親は優秀な戦士だった、魔法を使う戦士だ。だからお前ももしかしたらと思ったんだがな」

「母さんが……」

「まあ、そんなことはどうでもいい。魔法であの竜を殺すという線は無くなったわけだ」

 ハイネは腰の長剣に手をかけ、刀身を思い切り引き抜いた。

 刀身は月明かりに照らされキラキラと冷たい輝きを放っていた。

 

「大砲は効かない、魔法は使えない。この圧倒的な戦力差を打開するのはただ一つ」

「な、何をする気なんですか」 

 夜の闇を照らす淡い月の光ではハイネの表情は分からないけど、その声は返答はやけに落ち着いていた。

 その落ち着いた声は僕の質問には答えずに、ただ一言だけ呟いて消えた。

 

「小娘、貴様は生きろ」

 その一言を発するとハイネは長剣片手に竜の方へ駆けて行った。

 大声で二、三の命令を叫ぶと他の自警団も剣を抜き一斉に竜に向かって走った。

 

 突貫だ。

 竜の鱗は強固で刃物を全て拒むけれども、その鱗の隙間は刃先を容易に受け入れる。

 だから竜の隙をついて、自警団はその一点を剣で思い切り突き刺す。

 最も竜に近付くことになるこの作戦は余りに危険極まりない。

 そんな危険を前にした自警団たちの頭に浮かぶのは死の恐怖だろう。

 だけど彼らは無謀とも言える勇敢さで突き進んで行った。

 現時点で、この村を救うことが出来るのは彼らしかいないのだ。

 

 自警団の剣は次々と竜の体に突き刺さっていき、剣が深々と刺された傷口からは赤黒い血がドロドロと流れ出していた。

 竜は手、脚、腹を駆け廻る激痛に悲鳴のような咆哮を上げた。

 しかし自警団の手は緩むことなく、次々と竜の体に剣を刺し、その肉により深く喰い込ませた。

 ハイネら数人の自警団は竜の胸を駆け上がってその首の付け根にまでその剣を突き刺した。

 竜も苦し紛れに火を吐くけど、見当違いの方向に吹かれたその炎では自警団に大きな被害を与えることは出来なかった。

 その上、その巨体のせいで動きはひどく鈍く、怒りにまかせて地団太のように振り下ろされた足を死を覚悟した戦士避けられないわけがなかった。

 自警団の必死で執拗な攻撃に竜は劣勢となり、もう自警団の勝利は目に見ても明らかだった。

 

 だけど次の瞬間、僕の目の前から自警団の人たちは消え去った。

 

 一瞬の出来事だった。

 竜はその長く重い首を振り子のようにして空間を切り裂いた。丁度、自警団たちがいる、身体のすぐ傍の空間を。

 竜の首は凄まじい勢いと速さで自警団に衝突し、彼らが避けようと考えるよりも先にその重い首は彼らを吹き飛ばした。

 衝撃、その一言に尽きた。

 こうして事態は最悪の状況になった。

 

 

 僕は恐怖で足がすくんでしまい、この場を逃げ出そうとしても足が一歩も動かなかった。

「何をしてる! 早く逃げろ!」

 足をガクガクと震わせる僕に向かって誰かが叫んだ。

 声のする方を向くとそこには立っているのもやっとと思えるくらい傷ついたハイネがいた。

「早く逃げろ!」

 ハイネの叫びに僕は返事をすることが出来なかった。歯はガチガチと音を立て、恐怖に支配された僕は声が出なかった。

 そんな僕を見て、ハイネは何も言わずに僕の傍まで歩み寄って血塗れの両腕で僕を強く抱きしめた。

「俺は、また助けることが出来ないのか……」

 ハイネは哀しそうな声で一人言のように呟いた。

 何で彼がそんなことを言ったのかは分からないけれど、僕を抱きしめる彼の手の力強さから必死に僕を守ろうとしているのが伝わってきた。

 その手も血で黒くなっている。竜の血だけじゃなく、彼自身の血も混ざっているんだろう。

 暖かな腕は僕の震えを止めるように優しく包み込んでいた。

 

 僕はここで死んでしまうんだろうか。

 死を前にして頭に浮かんだのは先生の笑顔だった。

 助けて、先生。助けて、先生。

 目を瞑って必死に願った。

 

 

「ここにいたんですか、ロッシュ」

 聞き慣れた声がして、ゆっくりと目を開いた。

 開いた目の先には目を瞑ったままの背の高い人が、笑顔を向けて立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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