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第九話「月花祭とダンス」

 僕が月花祭の会場に遅刻して登場すると役員の人は二、三の小言を言った。

 けれども、あのハイネとか言う変質者の名前を出されると役員は青ざめてもう何も言わなくなった。

 衣装小屋に入ると僕以外の花娘はもう舞台袖に行ってしまったらしく子猫の一匹もいやしなかった。僕は急いで衣装に着替えて舞台袖に集まった。


 舞台袖には数十人もの女の子がいて、みんな僕と同じ花娘なんだろう。

 それにしてもさすが月花祭に出るだけあって良家のお嬢様が集っているようだ。

 話口調から身振りそぶりに至るまで僕みたいな庶民とは大違いだ。

 服装もやけにキラキラしてたりジャラジャラしてるのが多いけど、僕の衣裳も負けてないはずだ。

 結局、先生の例の莫大な貯蓄は大部分が参加費および運営費に消えたみたいで、とても衣裳に高価な宝石をジャラジャラとあしらう余裕はなかった。

 けれども、上等なシルクで作ったドレスと色とりどりの鉱石があしらわれた首飾りは決して他の花娘に劣るものじゃない。

 建具屋の奥さんが縫ってくれたドレスに、旦那が加工した首飾りだ。世界のどんなものよりも美しいと僕は胸を張って言える。


「あら、遅かったわね。てっきり逃げ出したのかと思ったわ」

 その声が僕に向けられたものと気づくのに数秒かかった。聞き覚えのある声の主はいつぞやのドルサナ嬢だった。

 黒のドレスに赤色の宝石をあしらったドルサナ嬢は悔しいほどの綺麗だった。

 そのままドルサナ嬢に圧倒されそうになるのを必死で堪えて喉の奥から強気な言葉をなんとか捻り出した。


「逃げる? どうして僕が逃げるのさ。そんなことを言ってる暇があるなら、舞台の上で恥を掻かいたときのフォローでも考えておくべきじゃない?」

「な、なんですって!」

 ドルサナ嬢が顔を怒りで紅潮させたとき、踊りの始まりを告げるブザーが鳴った。


「お、覚えていなさい! 舞台の上で恥を掻くのは誰か思い知らせてやりますわ!」

 そう言ってドルサナ嬢は向こうの方に行ってしまった。

 僕の方はほっと一息ついて、何とか気分を落ち着かせようとしていた。

 この舞台幕の向こう側には何百人という村人がいて、それも彼らは僕たちを、僕を見に来ているのだ。

 これは否が応でも緊張で胸が高鳴る。鼓動が速くなっているのが手に取るように分かった。


 花娘たちは舞台幕の裏側で数列に並び、その後方の列の中で僕は首飾りを握りしめてその高まる気持ちを和らげようとしていた。

 でも、脈打つ鼓動の音を聞いていると緊張とは別の何かが自分の中で湧き出しているのを感じることが出来る。

 この胸の高鳴りは緊張から期待に変わり、僕の胸の中は奥の方から湧き出てくるワクワク感でいっぱいになっていた。

 そして、舞台の幕がゆっくりと開かれた。



 *



「さあさあ、いよいよ始まりました! 月花祭のメインイベント、花娘舞踏だ!」

 やけにテンションの高い司会が舞台の片隅でスポットライトを浴びながら、マイク片手に叫んでいた。

 ええと、名前は……覚えてないや。


 舞台の幕が上がるとすぐに音楽が鳴り、ダンスが始まった。

 もう僕の頭は緊張や何かでぽわぽわしている。


「さあ、始まりの始まりから素晴らしいダンスを披露してくれた花娘たちに拍手ぅ!」

 会場全体から盛大な拍手が聞こえてくる。

 拍手が空気をビリビリと振動させる。


「今年は例年以上に綺麗で可憐な花娘が参加してくれてるぜ!」

 司会が大きな声でそう言うと七色のスポットライトが花娘全体を照らす。

 ちょ、そんなことされたらもっと緊張しちゃうじゃないか。


「どれくらい可憐かって? そいつは口で言うより見た方が早い! さあ、お待ちかね! お次はソロダンスだあああああ!」

 司会は喉が擦り切れんばかりの声で叫ぶと楽器隊の音楽が響きだした。


「まずはエントリーナンバー1番! カザリン・ボスタフだ!」

 カザリンと呼ばれた少女が舞台の真中に飛び出した。

 そして音楽に合わせて他の花娘は舞台の周りを円のように囲んで踊りながら回り始めた。

 カザリンはその花娘の輪の中心で一人ずつ踊る。これがソロダンスだ。


 みんな違うオリジナルのステップ、振付で踊るこのソロダンスはこの祭の中で一番の盛り上がりどころで、一番の見せ場でもある。

 このソロダンスの良し悪し一番人気の花娘、つまり月花美人が決められると言っても過言ではない。


 僕の出番はまだ後だ。それまでにこの心臓のバクバクを止めなくちゃ。

 心を落ちつけて足元のステップを見ながら回っていると、突然さっきまで聞こえてきた歓声が聞こえなくなった気がした。

 一瞬、集中したせいで周りの音が聞こえなくなったのかと思ったけれど、違った。


 観客は本当に声を失っていた。

 その顔は驚きよりも陶酔の色が濃かった。

 その理由は花娘の輪の中心を見ればすぐにわかった。


「きれい……」

 そこにはとても美しい少女がいた。まるで月の精が舞い降りたかのような衝撃を僕は覚えた。

 黒いドレスに映える赤色の宝石、月明かりに照らされて妖艶に光る白い肌。そして冷たく光る蒼い瞳。

 それはドルサナ・ロレンソ、その人だった。


「さあ、エントリーナンバー21! 月花美人最有力候補のドルサナ・ロレンソ嬢だ!」

 司会の一言とともに会場から溢れんばかりの拍手と歓声が聞こえてきた。


 舞台前のあの自信は嘘ではなかったみたいで、あれだけ彼女を嫌っていた僕でさえもその美しさに陶酔してしまった。

 てっきり金持ちでちょっと顔が良くて性格の悪い口先ばっかだと思ってたのに、その洗練されたダンスは見る人全てを魅了する。

 彼女のダンスのせいで他の花娘がすっかりぼやけてしまった。

 これはちょっと敵わないかもしれない。 

 彼女にあれだけ啖呵を切ってしまった手前このソロダンスで彼女に負けるわけにはいかないのだけれど、これはちょっと分が悪い。

 しかも緊張はさっきから収まる様子もない。

 はわわわ、ど、どうしよう。


「ヘイ! お次はエントリーナンバー34! ロッシーナ・パサモントだ!」

「へ!? も、もう僕の番なの? って、ぎゃあ!!」

 舞台の中央に出ようとすると、タイミング悪く足を縺れさせてすっ転んでしまった。

 会場からは失笑が漏れる。


「ヘイヘイ! お嬢ちゃん大丈夫かい、こんなところでこけちゃダンスどころじゃないんじゃないの?」

「い、いえ大丈夫です。ちゃんと踊れます!」

 とにかく僕は踊り始めた。

 踊りながら観客席を見渡すけれども、みんなの関心はもうドルサナ嬢に持っていかれてしまっている。

 この広い会場の中で僕以外の全員が僕の敵のような、みんなに冷笑を浴びせられているような、そんな錯覚を感じた。

 歓声も、拍手も無い中、僕はただ音楽に合わせて踊るしかなかった。

 この孤独感の中、暗闇を彷徨うように僕は踊り続ける。


 そんな中、一瞬だけど観客席で僕を応援してくれる人たちを見た。

 旦那に奥さん、クソガキたち、それに先生だ。

 みんなの笑顔が僕の網膜に焼きついた。

 ああ、そうかドルサナ嬢には負けたくないだとか、月花美人だとかは本当はどうでもいいことだったんだ。

 みんなのために、先生のために踊りたい、それだけなんだ。


 そう考えると世界が急に明るくなった。

 孤独感も暗闇も消え去って、僕はみんながいる明るい世界で踊る。

 僕の全てを出し切って全力で踊る。一心不乱に踊る。

 ライトに照らされるキラキラと輝く汗は宝石のように輝き、舞台に落ちる僕の影は敏捷に動き出す。

 シューズは舞台をこすり、軽快な音楽に合わせてリズムを刻む。


 音楽が止み、僕のダンスが終わると舞台には沈黙が訪れた。

 額からこぼれる汗が足元にポタポタと落ちて黒い染みをつくる。

 もうやりつくしたから僕はこれで満足さ。

 僕は花娘の円に戻ろうとした。


 その時、会場のあちこちでまばらな拍手が起こった。

 すると拍手の音はすぐに大きくなり、会場は耳が痛くなるくらいの拍手と歓声で満たされた。

 僕が観客の方を見渡すとみんな笑顔で僕の名前を呼んでいる。

 先生や旦那も今まで以上に喜んでいるようだった。


「み、みんな」

 目から涙がこぼれそうで、僕は潤んだ目をこすりながら花娘の円に戻った。



 *



「さて、素晴らしいダンスをありがとう! 今宵の花娘たちにもう一度盛大な拍手ぅ!」

 花娘のダンスは終わり、会場は再び拍手で満たされた。

 僕たちは一列になって舞台に並んでいる。

 え? 踊りは終わったのにどうして僕たち花娘がまだ舞台に残っているんだって?

 それはね……。


「さてさて! それではいよいよ今年の月花美人の発表だあ!」

 司会が再び勢いよく叫ぶとドラムロールが始まって、スポットライトが花娘の頭上をいったりきたりし始めた。


「なな、なんと! 今年の月花美人は彼女だあ!!」

 照明がパッと消え、ドラムロールが鳴り止んだ。

 だけど、次の瞬間聞いたことも無い轟音が村中に響き渡り、地響きが起こった。

 そして東の空が真っ赤に染まった。


「なな、何なんだよ一体ぃ! こんなの台本には……」

 真っ赤に照らされた東の空を見て、司会は声を失った。

 もちろん司会だけじゃなく、僕も他の花娘たちも観客たちもその光景を前に一言も声が出せなかった。


 東の空が真っ赤に染まっていたのはそこにあったはずの大風車が燃えていたからだった。

 しかも大風車は跡形も無く崩れ去り、燃え盛る残骸を残すだけだった。

 そんなことよりも僕の目を疑ったのは崩れ去った大風車の代わりにそこにそびえ立っているものだった。


「う、嘘だ」

 それは夢のような光景だった。もちろん悪夢だけど。


 そう、まるで悪夢みたいだけど、一匹の竜がまるで月花祭の終焉を告げるかのようにそびえ立っているんだ。












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