表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/48

1、もしかして、過去に戻った?

 喉が、焼けるように痛い。


 熱い。息ができない。

 体が痺れて、指先から力が抜けていく。

 視界が滲んで、世界がぐらぐらと揺れた。



 (これは......毒、だわ......)



 白磁のティーカップが、手から滑り落ちる。

 床に砕けて、乾いた音を立てた。



 視界の端に、ノエルの顔が映る。

 私の向かいに座っていた彼は、目を見開き、今にも泣きそうな顔でこちらに手を伸ばしてきていた。



 「セレナ!? セレナ、しっかりして! 誰か、誰か来てくれ!!」



 叫び声が、遠ざかる。


 彼の声が、私の意識から滑り落ちていった。



 (ノエル……? なんでそんな、顔……)



 暗闇が、静かに私を呑み込んでいった。


 




 ***




 「……っ!」


 私は、息をのんで目を見開いた。



 薄暗い天井が目に入った。見慣れたはずの天蓋付きのベッド――でも、どこか違和感がある。



 (……あれ?)



 私は確か……ノエルとのティータイムで……毒を……?



 (夢……?)



 さっきの――喉を焼かれるような痛み、体が動かなくなっていく恐怖、ノエルの声が遠くで震えていた。

 全部、夢だったの……?



 でも、だとしたら現実離れしすぎていた。

 痛みの鋭さも、吐き気も、胸に渦巻いたあの強烈な絶望も――あまりに、はっきりとしすぎていて。



  体の奥底に、まだあの感覚が残っている気がした。



 (……いや、あれは夢じゃない。絶対に)



 でも、どうして生きているの?

 この状況は一体、何?


 思考が追いつかないまま、突然、頭の奥に鋭い痛みが走った。



 「……っ!」


 その瞬間、どこからともなく、声が響いた。




 『今度こそ、君を守ってみせるから。どうか――』




 男の声。誰だろう……?

 懐かしいような、でも思い出せない。



 声はそれきり、ぱたりと途絶えた。



 (今の……何?)



 戸惑いが胸に渦巻く中、部屋の扉がノックされた。




 「お姉様……!!ご無事でよかったです!」



 透き通る声に目を向けると、そこには――


 ミルクティーのような淡い髪と、水色の瞳をした少女が立っていた。


 天使のように愛らしいその容姿。

 私より二つ下の義妹、コゼット。


 けれど、その顔は明らかに取り乱していて、涙ぐんでいる。




 「……コゼット? どうしたのかしら?」


 「もしかして覚えていらっしゃらないのですか? お姉様は高熱でうなされて……三日間も眠り続けていたのですよ!」



 「三日も……?」


 「そうですよ! 本当に心配したんですから! 今日はゆっくり休んでくださいね?」


 「……わかったわ。ありがとう」



 コゼットは、ほっとしたように微笑んだあとも、ほんの少しだけ――なにかを言いかけたように唇を動かした。

 けれど、その声は小さすぎて、私の耳には届かなかった。



 「……え? 今、何か言ったかしら?」


 尋ねると、コゼットは一瞬だけ目を見開いて――そして、すぐに笑顔を貼りつける。


 「いえ、なんでもないです。お姉様がご無事で、本当によかったって、それだけ」



 その返事に嘘はない、そう思った。

 でも、どこか引っかかる。

 それは、あの一瞬の“間”のせいか、それとも……?



 「……そう。ありがとう、コゼット」



 そう返すと、彼女はもう一度微笑んでから、静かに部屋を出ていった。



 再び、静寂が訪れる。



 けれど、なぜだろう――胸の奥に、わずかな引っかかりが残っていた。

 言葉にできない、でもどこか冷たいものが、微かに私の心をかすめていく。



 (……なに、今の……?)



 そう思ったのは、私の勘違いだったのだろうか。




 でも今は、目の前の現実を受け止めることが先。



 (......整理しよう)



 私は高熱でうなされ、三日間眠り続けていた。



 そして、その直前に見た夢――

 いや、夢というには、あまりに鮮明だった。

 感覚も、恐怖も、血の味さえも。まるで、実際に体験したかのように。




 (予知夢……? でも……)



 ……もしかして、私は“過去に戻った”?


 そう思った瞬間、全身がぞわりと震えた。




 ーー毒殺。


 あれが、私の“未来”。



(……嫌だ。絶対に、あんな死に方はしたくない)



 思い返すと、私は酷い女……だった“はず”。


 高熱で倒れた私を、涙ぐみながら心配してくれた、あの義妹――

 優しいコゼットを、私は虐げていた。

 気に入らないことがあれば、誰彼かまわず当たり散らして。

 


  ……たしかに私は彼女をいじめていた“はず”なのに。

 どうしてだったのか、その理由だけが、霧に包まれたように思い出せない。

 怒っていた感情も、恨みも、記憶のどこを探しても見当たらない。


 


 ……まるで、“それ”だけが、誰かに塗りつぶされたみたいに。




 気に入らないことがあれば周囲に当たっていた、そう言われた。そう思い込んでいた。

 けれど――それ、本当に“私”だったの?



 でも、

 とにかくーー



 (もう、間違えない)


 (もう、二度と、あんな未来は辿らない)




 これは、きっと神が与えてくれた、最後のチャンス。



 なら、私は。


 やり直してみせる。生き直してみせる。

 悪女のまま終わるなんて、もう御免だ。




 ***



 その部屋を出たあと、コゼットは扉の前で、ぽつりと呟いた。



 「……いっそ、このまま目覚めなければよかったのに」



 誰にも届かない、小さな呟き。


 呟きを風に溶かすように、コゼットは廊下を静かに歩き出した。

 その背には、天使の微笑みには似つかわしくない影が、そっと差していた。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ