幕間「第一王子とコゼット」
静かな部屋の天蓋つきの寝台。柔らかなシーツの上で、コゼット・グランディールはゆっくりと瞼を開いた。
「……? ここは……?」
見慣れない天井。漂う薬草の香り。身を起こそうとした瞬間、脇に立つ人物の影が彼女を制した。
「動かない方がいい。まだ療養中だからな」
低く落ち着いた声が、耳に届いた。
振り向くと、漆黒の髪と鋭く輝く金色の瞳を持つ――この国の第一王子、ノクスが立っていた。
「で、殿下……!?」
コゼットは慌てて身を起こし、すぐに礼を取った。
「礼はいい。頭を上げてくれ」
その声には厳しさの中に、どこか優しさが含まれていた。
コゼットがそっと顔を上げると、ノクスは冷静な瞳で彼女を見据えながら続けた。
「ここは王宮だ。倒れた君を運び、治療していた」
「……ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてしまって……」
「気にするな。むしろ礼を言いたいくらいだ」
ノクスは椅子に腰掛けながら、淡々と続ける。
「それと……君との婚約が決まった。今後は“ノクス”と呼んでくれて構わない」
「……えっ?」
あまりに唐突な言葉に、コゼットは思わず目を見開く。
「先日のパーティーの光……あれは、おそらく精霊使いの力だろう。王家としても、保護すべき存在と判断した」
ノクスの視線が鋭さを帯びる。
「グランディール公爵家との話し合いの結果、正式に婚約という形を取ることになった」
コゼットは言葉を失い、布団の縁を指先でぎゅっと掴んだ。
(まさか、こんな形で……でも、それなら……)
彼女は静かに唇を開いた。
「もったいないお話ですが、難しいかもしれません」
「……なぜだ?」
途端に空気が張り詰める。ノクスの目が射抜くようにコゼットを見つめた。
「……パーティーで感じた“力”が、今は感じられないのです。たぶん……今の私は、“持っていない”」
数秒の沈黙が流れる。
「ふむ……」
ノクスは腕を組み直し、少し考え込んだ様子を見せた後、淡々と口を開いた。
「だが、あの光は偶然ではない。会場にいた多くの者が目撃している。精霊の加護によるものと見て間違いないだろう」
「……」
「つまり君は、覚醒の途中なのだ。問題はない」
安心させるような言葉。けれど、コゼットの胸の奥には、冷や汗のような焦りと不安が、じわじわと染み込んでいた。
「……そ、そうですか。わかりました。これから、よろしくお願いします……殿下」
「“ノクス”でいい」
「……ノクス様」
頷いた王子は、ふと別の話題を口にする。
「そういえば、君の義姉も同じタイミングで倒れていたな」
「……っ!」
コゼットの表情が、一瞬にして固まった。
「……何か関係があるのではないかと思っている。もっとも、君とは血の繋がりもない。……偶然かもしれないが」
(……これは、使えるかもしれない)
運は、まだ私の味方だわ。
「その……もしかしたら――」
言いかけて、コゼットは伏し目がちに瞳を揺らした。
「いえ……やっぱり、何でもありません」
「なんだ?言ってみろ」
ノクスは眉を顰める。
(……食いついたわね)
「――挨拶のとき、お姉様と肩が触れたんです。その瞬間、なんとも言えない嫌な感覚があって……」
「嫌な感覚?」
「はっきりとは覚えていません。でも、あの時から……胸の奥が、ずっとざわついている気がして」
唇をかすかに震わせながら、コゼットは視線を落とす。
「ふむ……」
ノクスは足を組み直しながら、顎に手を添え、目を細めた。
「……引っかかるな。ひとまず、彼女に監視をつけよう」
「えっ……! いえ、それほどのことでは……! 本当に気のせいかもしれません!」
「念には念を、だ。怪しければ疑う。精霊の力が関わるなら、なおさらな」
「違っていたなら、それでいい」
決定は揺るがなかった。ノクスは立ち上がり、コゼットに一瞥をくれてから静かに言った。
「ひとまず、君はまだ休んでいろ。回復が最優先だ」
「……はい」
ノクスが扉を閉め、静寂が戻る。
部屋に独り残されたコゼットは、シーツの上で膝を抱え、ぽつりと呟いた。
「……なんで、消えたの?」
細く震える声。だが、その目には薄く、狂気にも似た光が宿っていた。
「あの時、確かに手にしたのに……どうして?」
指先が、きしむほどにシーツを握る。
「このままじゃ、ダメ……」
「……まだ終わってない。あの女がいる限り、私は負けられない」
そして、ひとまず心を切り替える。
(王家を、完全に味方につける。そのためには……)
コゼットの手は、強く握りしめたまま、小刻みに震えていた。