12 プラトニックラブ?
ある日ふと夏目漱石のある作品のことを思い出した。英介は音楽が好きなだけではなく読書家でもある。ただ読み方はかなり独特だ。読むのは遅いし、読もうと決めた本を一挙に読んでしまうタイプではないのだ。
以前シェークスピアの全訳をした小田島雄志先生の講演会に行ったことがある。小田島先生は若い頃、ふとしたことから坪内逍遥訳のシェークスピア全37巻を何と一週間で読了してしまったと言うのだが、英介はとてもそんな事はできない。
試験前に徹夜をすることもできないタイプなので、勉強は常に計画的にコツコツとやってきた。なので最近の本などは余り読まず、古典的な定評のある本を読むことが多い。夏目漱石、谷崎潤一郎、永井荷風、モーパッサン、ウイリアムサマセットモーム、チェーホフなど。
話は戻るが、漱石の作品、確か「それから」だったろうか、主人公は結婚を前提につきあっている女性がいるのだが、昨今と違って漱石の時代とかは結婚までは相手の女性と肉体関係をもってはいけない時代だったとみえて、主人公は「同衾した」という記述になっている。
その「同衾」という言葉の意味は知らなかったし特に意に介さずに読んだのだが、後に知ったのだが、つきあっている女性には指一本触れずに娼婦というか遊女のような商売女と寝たということだそうだ。そういう風にしてつきあっている女性に対する性欲を充足させたということらしい。
英介はふと今の自分の状況を振り返ってみると、それに似ている感じがした。響子とは明るく清潔で建設的な男女交際ができていると言えるかもしれないし、こういう付き合い方は女性を理想化して生きてきた英介にとっては好ましいものではあるのだが、既に音楽を介したこの付き合いは10ヶ月を経過しているというのにキスどころか手を握ることさえしていないのだ。
響子は23で英介は32だというのに清すぎるというかおかしいのではないか。自然の法則に反しているのではないかという疑問が頭をもたげてきているのだ。けれども妹がいるから、というよりも嫌われたくない、現在の関係を継続したいという強い気持ちから何もできないままだとも言える。
響子は奥手というか独特なところがあるので年齢の割にそういったことに疎いかもしれないし、そもそも英介のことをただの友達と思っていて何の恋愛感情も抱いていない可能性さえある。女性の中にはこちらに対して恋愛感情をもっていなかったとしても例えば無理やりキスしてしまうことで恋愛感情に火をつけることのできる女性もいるようだが、響子は絶対にそういうタイプではないと感じるのだ。